国鉄「分割·民営化」反対!三里塚二期工事阻止!
スト権を武器に九月、十月を開いぬけ!
成し、初代委員長に就任されました。
「本部」から分離独立して動労千葉を結
ってこられ、一九七九年三月には、動労
動労革マルとの組織攻防戦を最先頭で闘
地本執行委員長に就任され、それ以後も
一九七三年勝浦大会において動労千葉
歳でした。
二三時四〇分逝去されました。享年六一
期療養中のところ薬石効なく、九月一日、
動労千葉初代委員長の関川宰氏は、長:
関川前委員長の急逝を悼も
1
1
1
1
1
!
!
川前天員長。
18年の大会で退任の挨拶をする故関
加里的
して動労千葉の名を全国に高め、一九八三!けて下さい。
そして「81·3ジェットスト」を指導
体軸著·
山田田、
1
1
1
1
:
これからも動労千葉の闘いを見守り続
き継ぎこれからも闘い続けるものです。
われわれは、関川前委員長の意志を引
全く無念極まりないと思います。
その勝利を見ることなく斃れたことは
動労千葉の闘いもこれからという時、
四月一日、分割·民営化が強行され、
合掌
広がりに多大な貢献をされてきました。
重要性を訴え、動労千葉の闘いの全国的
て 以降も全国を飛び回り、三里塚闘争の
年十一月に執行委員長の席をしりぞかれ
東日本の中で、今まで大上段に振りか
施設関係が中心になっている。
いうのは全く解決しないのである。
中九人が鉄道労連、一人が国労で、特に
下旬に第四回目の出向攻撃があり、十人
出向攻撃をめぐる状況は、東京で八月
一票投票の力にかけ反撃する
になってくるのである。
今後、さらに各支部の取り組みが重要
ある。
行った。
局に対する大きな武器になっていくので
内外に明らかにすると同時に、資本·当
た。これは、労働組合としての団結力を
労千葉の団結力を誇示しうる体制を固め
り九〇%をこえる賛成を得て、内外に動
初めてであり、結果は各支部の奮闘によ
を秘めたスト権一票投票は、動労千葉が
実際上、当局側の攻撃に対決する内容
決するためにスト権の一票投票を初めて
労働組合として極めて当然なかたちで対
を中心とする大変な労働組合解体攻撃に、
動労千葉が「4·1」以降、強制出向
団結力誇示する体制を固める
ことを意志統一した。
報の完成をもとに全国上映運動の拡大をかちとり、闘いの全国的広がりをかちとる
出向粉砕へ向け、日常的抵抗闘争を強化し、さらに「俺たちは鉄路に生きる」第三
会を含む今秋の闘いの意義について確認し、当面、スト権の確立を武器にして強制
スト権一票投票の圧倒的成功、動労水戸地本の決起の重要性、さらに十月の定期大
動労千葉は、九月一日、第十四回支部代表者会議を開催し、強制出向攻撃粉砕の
動労千葉第4回支部代表者会議開催27
とだ。
解決しない
ある。
長になったが、内部にはらまれた矛盾と
会で、杉山というのが志摩にかわって会
れ、昨日(八月三一日)も鉄道労連の大
入れでまたもとに戻るという茶番が行わ
鉄道労連から脱退し、会社当局のテコ
策に最大の矛盾があると指摘してきたこ
としてやっていくという中曽根の国鉄対
労連にあり、その鉄道労連をパートナー
「4·1」以降、敵の最大の矛盾が鉄道
いまひとつ重要なことは、われわれが
った時われわれの運動も前進していくの
鉄道労連内部の矛盾は
ていく体制を堅持していくことが大切で
葉はスト権一票投票の力にかけて反撃し
方的に出向を強制してくるならば動労千
場環境など様々な問題を全く無視して一
動労千葉の団結力を背景に、生活実態、職
のではない。スト権一票投票に示された
りわれわれは、一寸たりとも油断するも
わってきていることは明らかだ。もとよ
ト権一票投票を前後し、若干の状況がか
を強行してきた。しかし、動労千葉のス
ぶり無理を通し、国労を中心に強制出向
でやっていこう。
である。
時期になる以上、具体的取り組みを全力
ない
九月から十月が動労千葉として重要な
て財政基盤を確立していかなければなら
基盤を確立しなければならない。あわせ
いきって脱却し、民間の労働組合として
向攻撃と対決するため今までの体質を思
十六·十七日に設定した。この過程で出
さらに、動労千葉も定期大会を十月
千葉が手を結び一緒になっていく、そうな
ップしていかなければならない。水戸·
勤労千葉としてもできるかぎりバックア
六〇〇名の仲間達の決起を大事にし、
合を結成するということを決定した。
散を拒否し、鉄道労連からの脱退、新組
をはかるという現状の中で水戸地本は解
た。会社側の異常なまでの鉄道労連育成
こういう状況の中、水戸地本が決起し
闘いの全国的拡大を
水戸地本の決起を大事にし
な事態になっているのである。
鉄労というクッションがなくなり大変
で非常に大変な網渡りになっていくのだ。
ことはJR各社の運営を行っていくうえ
代のファシストと手を結び、そしてその
ばり会社当局と中曽根が革マルという希
主導権は動労革マルが握ったわけで、ず
しかも、鉄労の問題以降、鉄道労連の
組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ !=
一
多動芳千葉
Oc
87. 9. 3
3
9
No. 2645
2
LO
6
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
スト権を武器に九月、十月を開いぬけ!
成し、初代委員長に就任されました。
「本部」から分離独立して動労千葉を結
ってこられ、一九七九年三月には、動労
動労革マルとの組織攻防戦を最先頭で闘
地本執行委員長に就任され、それ以後も
一九七三年勝浦大会において動労千葉
歳でした。
二三時四〇分逝去されました。享年六一
期療養中のところ薬石効なく、九月一日、
動労千葉初代委員長の関川宰氏は、長:
関川前委員長の急逝を悼も
1
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川前天員長。
18年の大会で退任の挨拶をする故関
加里的
して動労千葉の名を全国に高め、一九八三!けて下さい。
そして「81·3ジェットスト」を指導
体軸著·
山田田、
1
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1
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:
これからも動労千葉の闘いを見守り続
き継ぎこれからも闘い続けるものです。
われわれは、関川前委員長の意志を引
全く無念極まりないと思います。
その勝利を見ることなく斃れたことは
動労千葉の闘いもこれからという時、
四月一日、分割·民営化が強行され、
合掌
広がりに多大な貢献をされてきました。
重要性を訴え、動労千葉の闘いの全国的
て 以降も全国を飛び回り、三里塚闘争の
年十一月に執行委員長の席をしりぞかれ
東日本の中で、今まで大上段に振りか
施設関係が中心になっている。
いうのは全く解決しないのである。
中九人が鉄道労連、一人が国労で、特に
下旬に第四回目の出向攻撃があり、十人
出向攻撃をめぐる状況は、東京で八月
一票投票の力にかけ反撃する
になってくるのである。
今後、さらに各支部の取り組みが重要
ある。
行った。
局に対する大きな武器になっていくので
内外に明らかにすると同時に、資本·当
た。これは、労働組合としての団結力を
労千葉の団結力を誇示しうる体制を固め
り九〇%をこえる賛成を得て、内外に動
初めてであり、結果は各支部の奮闘によ
を秘めたスト権一票投票は、動労千葉が
実際上、当局側の攻撃に対決する内容
決するためにスト権の一票投票を初めて
労働組合として極めて当然なかたちで対
を中心とする大変な労働組合解体攻撃に、
動労千葉が「4·1」以降、強制出向
団結力誇示する体制を固める
ことを意志統一した。
報の完成をもとに全国上映運動の拡大をかちとり、闘いの全国的広がりをかちとる
出向粉砕へ向け、日常的抵抗闘争を強化し、さらに「俺たちは鉄路に生きる」第三
会を含む今秋の闘いの意義について確認し、当面、スト権の確立を武器にして強制
スト権一票投票の圧倒的成功、動労水戸地本の決起の重要性、さらに十月の定期大
動労千葉は、九月一日、第十四回支部代表者会議を開催し、強制出向攻撃粉砕の
動労千葉第4回支部代表者会議開催27
とだ。
解決しない
ある。
長になったが、内部にはらまれた矛盾と
会で、杉山というのが志摩にかわって会
れ、昨日(八月三一日)も鉄道労連の大
入れでまたもとに戻るという茶番が行わ
鉄道労連から脱退し、会社当局のテコ
策に最大の矛盾があると指摘してきたこ
としてやっていくという中曽根の国鉄対
労連にあり、その鉄道労連をパートナー
「4·1」以降、敵の最大の矛盾が鉄道
いまひとつ重要なことは、われわれが
った時われわれの運動も前進していくの
鉄道労連内部の矛盾は
ていく体制を堅持していくことが大切で
葉はスト権一票投票の力にかけて反撃し
方的に出向を強制してくるならば動労千
場環境など様々な問題を全く無視して一
動労千葉の団結力を背景に、生活実態、職
のではない。スト権一票投票に示された
りわれわれは、一寸たりとも油断するも
わってきていることは明らかだ。もとよ
ト権一票投票を前後し、若干の状況がか
を強行してきた。しかし、動労千葉のス
ぶり無理を通し、国労を中心に強制出向
でやっていこう。
である。
時期になる以上、具体的取り組みを全力
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九月から十月が動労千葉として重要な
て財政基盤を確立していかなければなら
基盤を確立しなければならない。あわせ
いきって脱却し、民間の労働組合として
向攻撃と対決するため今までの体質を思
十六·十七日に設定した。この過程で出
さらに、動労千葉も定期大会を十月
千葉が手を結び一緒になっていく、そうな
ップしていかなければならない。水戸·
勤労千葉としてもできるかぎりバックア
六〇〇名の仲間達の決起を大事にし、
合を結成するということを決定した。
散を拒否し、鉄道労連からの脱退、新組
をはかるという現状の中で水戸地本は解
た。会社側の異常なまでの鉄道労連育成
こういう状況の中、水戸地本が決起し
闘いの全国的拡大を
水戸地本の決起を大事にし
な事態になっているのである。
鉄労というクッションがなくなり大変
で非常に大変な網渡りになっていくのだ。
ことはJR各社の運営を行っていくうえ
代のファシストと手を結び、そしてその
ばり会社当局と中曽根が革マルという希
主導権は動労革マルが握ったわけで、ず
しかも、鉄労の問題以降、鉄道労連の
組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ !=
一
多動芳千葉
Oc
87. 9. 3
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No. 2645
2
LO
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(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合