沖縄闘争報告

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国鉄「分割 · 民営化」反対!三里塚二期工事阻止!
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国铁水户動分
とを鮮明にし、敵に大打撃を強制しました。
那覇市民が注目する中、「皇太
子訪沖反対」の実力デモを行う。
(10/24、ひめゆり通りから国際通りへ)
また、日本全体に、沖縄の戦後は終っていないこ
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の下への国民統合」を根底から打ち砕き、それは
じまって以来であり、国体の狙いである「天皇制
をひきずりおろすという闘いなど、国体の歴史は
には、読谷村·ソフトボール競技会場での日の丸
の闘い、抗議の座り込み、ワッペン闘争。二六日
組員など県民の国体会場での「君が代」斉唱拒否
小·中学、高校生の闘い。そして住民団体、労
は決定的な勝利をかちとったといえます。
など三里塚勢力が結集し、交流をかちとったこと
頭に、われわれ動労千葉、動労総連合、国労共闘
会議主催の集会に、本土から三里塚反対同盟を先
とりわけ、二四–二五日と行われた主権者県民
地平をつくりだすものとなったのです。
越えて闘いにたちあがるという沖縄闘争の新たな
うポーズをとってきた革マルを糾弾し、その枠を
し、怒りをひきおこし、真に闘う者が結集し、闘
=天皇制賛美のゴリ押しは、県民の心を逆なでに
日帝·中曽根の国体に向けた「日の丸·君が代」
す。
に対し、これを打ち砕き大勝利したということで
国体への天皇訪沖(名代として皇太子訪沖) 攻撃
反天皇·反戦のたたかいの一掃として持ち出した
ゃいました
結論的に言っ、て、沖縄闘争は、敵の狙いである
阻止の闘いを貫徹してきました。
た主権者県民会議と共に天皇の名代·皇太子訪沖
の四日間、沖縄のたたかう人々を結集し結成され
われわれ沖縄派遣団は、十月二二一二五日まで
働者はどう応えていくのかという問題です。その
二つには、沖縄県民の決起に、われわれ本土労
たたかわなくてはならない
闘争報告とします。
たたまる多大なカンパに心からお礼を申し上げ、
最後になりましたが、組合員のみなさんの心あ
働運動の原点を守りぬく闘いです。
これが唯一沖縄県民の闘いに応える道であり、労
革マル松崎を打倒し、戦争国家化を阻止しょう。
今こそ、三里塚·国鉄決戦に勝利し、中曽根、
ます。
る革マル松崎に、心の底から怒りがこみ上げてき
これと一体となって、「日の丸労働運動」を掲げ
「沖縄の戦後を終らせる」=新たな戦前への攻撃。
る姿に、心をうたれました。と同時に、中曽根の
日の問題としてとらえ、危機感をもって闘ってい
その人にとって決して過去の出来事ではなく、今
や子を殺し、自らも死んでいった集団「自決」は、
されたんだ」。皇民化教育がもたらした自分の親!
言った言葉が今でも聞こえてきます。「天皇に殺
れています。平和の為の読谷村実行委員会の人が
化教育の恐ろしさは、子供、孫へと代々語り継が
した。とくに、集団「自決」を引きおこした皇民
転士など行く先々でその一片を見ることができま
在期間であっても街かどのおばさん、タクシー運
反戦の強烈で根強い意識を、四日間という短い滞
きいといえます。
沖縄に行って、本土では考えられない反天皇·
戦争政治を粉砕しよう
労働運動の原点を貫き、
評、労働運動指導部、そして本土人民の責任は大
抹殺し何ら闘いを組織し得なかった既成野党、総
うこと。4しかもこうした沖縄の現実に背を向け
民の生活を無視し犠牲を強要しつづけているとい
十五年、日米帝の侵略の拠点、基地の島として住
れたということ。3七二年ペテン的本土復帰以降
された沖縄戦を強いられ、2戦後米帝に売り渡さ
1天皇と天皇制護持の為に、県民二十万人が虐殺
前提にわれわれが確認しなければならないことは、
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!
中曽根の狙いを打ち砕く!
本土の労働者こそ沖縄闘争を
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沖縄闘争報告
天皇訪沖反対 !!
青年部
し君
百多 動芳千葉
87. 10. 28
No. 2689
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
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