今年も熱い!
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72年5月15日の沖縄「復帰」から33年。田中委員長と共に5月14?16日沖縄現地闘争に参加してきました。
14日朝、羽田を発。沖縄は梅雨に入り那覇空港は悪天候。軍用機がいいエリアを占有しているために民間機がなかなか着陸できない。結局4時間ちかくかかってしまった。迎えの仲間と共に対馬丸記念館にむかう。
「対馬丸」とは沖縄からの疎開者を乗せた船の名で、1944年8月21日、那覇港を出航。しかし、海はすでに戦場で、翌日、米潜水艦によって沈められ、1788名のうち学童775名を含む1418名(氏名判明者数)が一瞬のうちに帰らぬ人となった。
対馬丸記念館でのメッセージ、「今を生きているきみへ」。「今、ぼくらに約束してほしいんだ。きみが平和な地球をつくるって」。「たしかに」と、強く胸に刻み今回の沖縄行動がスタートした。
パワーアップした青年労働者集会
安保の見える丘・嘉手納基地から、像のオリ、チビチリガマヘ。ガマの中に入り褐色になった遺骨を手にする。ここは自分の原点・初心に帰る場所だ。
夕方、「戦後60年 沖縄と広島を結ぶ全国青年労働者交流集会」に参加。会場にはいったとたんに、この集会は大成功すると確信した。集会を成功させようという、みんなの一体感・連帯感が強い。内容もものすごくいい。昨年より確実にパワーアップしている。辺野古で新基地建設阻止をたたかう若者がアピール。桑江テル子さんが、ひとり芝居『沖縄うない60年』を熱演。田中委員長が『尼崎事故を繰り返させない、闘う労働運動の再生を』と題して講演。民営化・規制緩和と尼崎事故、戦争の根っ子は同じこと、労働組合の闘う責任がよくわかった。
ハイライトは全国から集まった青年労働者の決意表明。必ず近いうちに動労千葉青年部が登場することを決意。
目標となる「動労千葉労働運動」
そこでは「俺たちは鉄路に生きる2―動労千葉の歴史と教訓」を熟読し、日々実践し、労働運動に情熱を燃やす多くの若者に出会った。
「動労千葉のように闘おう」「動労千葉のような労働組合をつくろう」という熱い想いに応えねば、と思うと同時に、そうした彼女たち、彼たちの苦闘から素直に学びたい、共に前進したい、成長したいと強く感じた。
さあ、つぎは八月ヒロシマ大行動だ。
沖縄へ、そして沖縄から世界を変えるために
15日の普天間基地包囲「人間の鎖」は過去最高の2万4000人!県民大会には、昨年倍以上の7500人が集まった。
翌、16日。名護市・辺野古の座り込みに合流。海上のやぐらに上がった。
「僕たちは辺野古に来てこの世界の現実を知り、闘いで世界を変えられることを知った。みなさんも職場で訴え、辺野古に仲間を送り出してほしい。世界を変えるためにともに行動しよう!」
この辺野古で闘う若者の決意は今回の沖縄行動を闘った全員の決意だ。
安全運転行動を貫徹し、動労千葉の「魂」である反合・運転保安闘争を復権しよう。命を守る闘いは戦争を阻む根源的な力だ。沖縄につながっている。
沖縄へ、そして沖縄から、すべての闘いを11月集会へ結実させよう。「世界を変える力」を、この手に掴むために。
やはり、沖縄はわたしにとって人生観をかえ、心に火をつける熱い島でした。