沖縄派遣団元気に出発 関川さんを悼む 津田沼支部

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国鉄「分割 ·民営化」反対!三里塚二期工事阻止!
元気
が、その頃、私は組合運動に積極的ではなかった、
役員を経験し、間もなく委員長に就任した訳です
そんな関川さんは丁度、今の私ぐらいから組合
ました。
でしぶとく、くらいついていくことも教えてくれ
いく根性を訴え、ときには逆にひらき直った気持
かでも、あきらめず困難をのりこえ、はね返して
あらためて我々組合員に対し、あらゆる困難のな
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なければならないと考えます。
遺志を継いで新たな飛躍、新たな前進をかちとら
動労千葉津田沼支部
を胸に刻みこみながら前関川委員長の教えを守り
ばらんな話をしながらワイワイやってきた想い出
眠·不休で同じめしを一緒に食べながら、ザック
また、「十年間を顧みて」を読みかえしながら、識のうえに闘いの中でも真価を発揮し、お互に不
して思い出されます。
農連帯の闘いが、前関川委員長とオーバーラップ
の組織争闘戦、三里塚ジェット燃料輸送阻止、労」として蓄積され、闘いの過程で大いに役立ってき
とりわけ、動労千葉の分離独立、動労革マルと
の勇姿が今も目に焼きついています。
ることはできません。
員長の存在はあまりにも偉大であり、まさに忘れ
つねに闘いの先頭にたち、指導してこられたぁ
り、それが血となり肉となって一つの大きな財産
これまで多くのことを前関川委員長から学びと
の強 烈な印象が残っています。
ぬきグイグイ組合員を引っぱってくれた委員長へ
闘志を内に秘めた、もち前の頑張り、正義をつら
ません。動労千葉にとって、私にとって前関川委員長になってからでした。本当に苦労しながら、
に闘い抜いてほしかったという気持で残念でなり 私が支部の執行委員になったのも、関川さんが委
あまりに突然の訃報に驚きと、まだまだ生き共 いま風にいえば、むしろ無関心であった。そんな
敬 関川前委員長の死を悼む
他の仲間も全力でたたかう決意を明らかにし、
熱い期待を裏切ることなく、先頭でたたかいます」
員のみなさんの多大なカンパをいただいた。この
青年部派遣団々長、佐藤副青年部長は、「組合
リリとロを閉じ、固い決意の一端をうかがわせた。
連帯し、ガンバッてくる」と一言力強く語り、キ
派遣団を代表して、永田支部長は「沖縄県民と
絶大なぬけずに
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王組合員·家族の独凹な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!
圧体制をものともせず元気よく羽田をあとにした。
千葉転永田支部長、佐藤青年部沖縄派遣団長をはじめとする団員達は、こうした弾
りがこみあげてくる。
を策動する支配者、その手先である権力の横暴を目の当たりにすると腹の底から怒
こうした住民の生活までも監視する弾圧体制をもって「戦争のできる国家体制」
り「見せろといったら見せろ」「中に爆弾でも隠しているんだろう」と根も葉もな
る。この全く不当な検問に派遣団が抗議したところ、警官らはとたんに口調が変わ
ぎ、飛行機を利用する人々を呼び止め、荷物や、カバンをすみずみまでチェックす
体制を敷いている。モノレールを降りたとたん 50~60 名の制服警官が通路をふさ
羽田空港は、空港内外を機動隊、制服警官、私服がうろつき、窒息しそうな厳戒
出発前、空港ロビーで
決意を語る!
いことをわめき、カバンを取りあげた。
に出発した。
モノレールの出口で不当な検問
このあと、権力に抗議をたたざつけた!
沖縄現地へ向かった。
と一言。
応えガンバ
たものでした。
われわれは、これまで前関川委員長の豊富な知
十月二二日、動労千葉の沖縄派遣団が、動労水戸、国労共闘の仲間とともに沖縄
知動芳千葉
87. 10. 23
No. 2685
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(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
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