沖縄の軍事要塞化に怒り—- 51年目の5・15沖縄闘争に参加して

9275
 ウクライナ戦争が激化の一途をたどり、中国に対する戦争体制・ミサイル基地化が急ピッチで進められる中、51年目の5・15沖縄闘争は「新たな戦争を絶対に阻止するぞ!」という緊張感がみなぎる行動になりました。同時に、全学連の学生、職場で新たな闘いを開始した青年労働者が多数参加し、活気ある3日間行動となりました。
(執行委員・北村)

■5月13日
沖縄県内と全国各地から集まった労働者・学生が沖縄県庁前広場に集合し、ここでの街頭宣伝から沖縄での行動が始まりました。右翼の街宣車が多数おしかけ、大音量で妨害をする騒然たる状況に。
コロナ情勢が落ち着く中で、沖縄行きの飛行機はどれも満席。国際通りは観光客であふれ、県庁前にも多数の修学旅行生が集まる中、目を丸くしながらも、青年・学生が撒くビラに目を向けていました。
4時から国際通りをデモ。夕方からはメイン企画である「『復帰』51年5・13沖縄集会」を那覇市の青年会館大ホールで開催。この日の主役は、事業所移転・組合解体攻撃と真っ向から対決して4月27日にストライキに立ち上がった沖縄コールセンター労組の青年労働者たちでした。沖縄では、多くの青年が非正規の雇用形態を強いられています。その典型的な職場であり、職場のほとんどが非正規雇用というコールセンター職場で労働組合を結成して1年、事業所の過半数を超える「事業所移転反対署名」を集め、敢然とストライキを打ち抜きました。次々とスト報告に立った組合員の自信に満ちた姿は素晴らしいものでした。
集会では、目前に迫った戦争会議=G7サミットに反対する発言が続きました。

■5月14日
二日目は「東洋最大」と言われる米空軍・嘉手納基地を一望する「道の駅嘉手納」、戦時中に日本軍から集団自死を強制された読谷村・チビチリガマ(沖縄戦時の米軍上陸地点の近くにある自然の壕)を見学し解説を受けました。新たな戦争を絶対におこさせてはならないという思いを新たにしました。
午後には米軍統治下の反米暴動・コザ暴動があった現場(沖縄市)で、沖縄県民の闘いの歴史を学びつつ街頭宣伝。夕方には、「全国青年労働者交流集会」に参加しました。

■5月15日
翌15日には、早朝6時過ぎに那覇を出発し、沖縄北部にある名護市辺野古の新基地建設阻止行動へ。実に、3235日目の座り込み阻止行動だ。
この日は、5・15行動に参加した全国からの部隊がかけつけ約200人が工事車両が出入りするキャンプ・シュワーブゲート前に座り込んだ。大量のダンプカーが座り込みに阻まれ、大渋滞をおこす中、機動隊が座り込んでいる労働者・学生・市民を排除。参加者は「違法工事をやめろ!」「新基地建設を許さないぞ」と怒りをたたきつけた。こうした、毎日毎日の阻止行動、不屈の闘いが20数年経った今も、辺野古新基地建設を阻んでいることを体で学びました。
自分自身としては10年以上ぶりの沖縄5・15沖縄闘争参加でした。最前線で肌身に感じる戦争への緊迫感、沖縄戦の歴史、沖縄人民の底深い戦争への怒りを学ぶ意味でも、今後も、多くの組合員に参加してもらえればと思います。

 

タイトルとURLをコピーしました