多くの人々に出会った初めての沖縄−有事法制阻止の決意新たに− 津田沼支部支部長 相馬正利 5月18〜20日の沖縄闘争に動労千葉を代表して参加してきました。那覇空港到着後、先発隊との合流までに時間があったので、タクシーで平和祈念公園へ行きました。運転手さんは、戦争の体験談をいろいろしてくれました。 南へ逃げた人はほとんど殺され、自決した人もたくさんいたそうです。公園内には慰霊碑が県別に設置され、沖縄で戦死した20数万人の名前が刻まれています。私のおばあさんの実弟も沖縄で戦死しています。名前を見つけることができたので手を合わせ、祈念公園をあとにしホテルへ向かいました。 2日目には沖縄労組交流センター・反戦共同行動委員会を中心とした集会に参加し、デモを行いながら平和市民連絡会の集会と合流しました。この日は「復帰30年」記念式典が政府・沖縄県共催で行われるということで、ペテン的復帰を粉砕する怒りのデモ行進を行いました。私も動輪旗を高々と掲げ、小泉首相の来ているコンベンションセンター前で、怒りのシュプレヒコールを叩きつけました。 その後、バスで普天間基地の見える高台へ行きました。最近米軍機の事故が続発しているということを聞き、すぐ近くに学校、病院、そして民家があるのを見ると、早急に米軍基地を撤去しなければならないと思いました。 夕方、那覇市に戻り屋内集会に参加しました。市町村議員の方、労組代表が連帯の挨拶を述べられましたが、皆さん絶対に有事法制を廃案にし、沖縄の米軍基地を撤去するまで闘う、と熱く力強い決意がなされました。私も動労千葉を代表して発言し、この熱い闘いを本土へ持ち帰り反戦闘争勝利、国鉄闘争勝利に向け、最先頭で闘う決意を表明してきました。ホテルへ帰り、夜遅くまで、闘争に参加した学生たちと分割・民営化との闘い、革マルとの闘い、JRの現状などについて語り合いました。 初めて沖縄現地闘争に参加し、たくさんの人と出会い、知り合えたことは私にとって大変貴重な経験となりました。
怒りの沖縄県民の決起!−有事法制阻止を共に誓う− 特別執行委員 滝口 誠 「復帰」30年。沖縄はすでに有事体制下ともいうべき緊張した状況のなかで、県民はすさまじい危機感をもって、反戦・平和への決意をかつてなく固めている。このことを3日間の闘いではあったが、膚で感じることができた。 18日の宜野湾市での「県民大会」は、8000人が結集。そのほとんどが20代、30代の若者である。ある高齢の参加者は、「こんなに多くの若者が集まっている。決して戦争なんかできないよ」とつぶやいていたのが印象的である。 また、19日の「記念式典」での小泉の訪沖に対しては、2度にわたり会場に向けての弾劾のデモを叩きつけてきた。20日の新聞では、「有事法を制定しようとする小泉首相を許せない」と、出席を拒否する招待者が続出し、惨たんたる式典に終わったことが報道されていた。この日の夜、反戦共同行動委員会の集会が開かれ、相馬津田沼支部長が02春闘貫徹の成果を述べ、「有事法制を阻止することが沖縄の人々に応える道である」と決意表明し、大きな拍手を受けた。その夜は深夜まで学生との交流も熱く行われ、5・24−26に再び東京で合流することを誓いあった。
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