臨調 ·行革粉碎!
二二
て、結成大会を暴力的にぶっこわそうと
塚ていきましたね。
トしたか?
のオルグ動員が六五〇人も押しかけて来
新小岩支部の結成大会の時は、「本部」
判断してくれとみんなにいってたんです。
動員に出て、自分の目で見、耳で聴いて
じられないという人もいました。だから、
最初のうちはいくら話してもなかなか信
大変な事態だとわかっているんだけど、
一〇一定中委などの傍聴に行った人は、
( Aさん·新小岩·機関士·四七歳)
んで、団結署名もスムーズにいきました。
為をほとんどの組合員が現実に見ている
勝浦では、「本部」のやつらの暴力行
田( Fさん·勝浦·電運士·五〇歳)
ジると、一声でどんどん団結署名が集まっ
エ はじめ心配もあったけど、フタをあけ
り (H さん·木更津 ·気運士·四一歳)
動労千葉結成前後、内部的にはどうで
(司 会)
自分の眼で確かめて決断
卜闘争勝利!
(司 会)
るんです。
青年部員として、実感したことは?
危機に強い組合だと思う
成大会だったと今でも自信をもっていえ
みんな真剣になってやって、立派な結
功させた。
にして玄関でやり合って、結成大会を成
を築き、クギで打ちつけてあかないよう
してきた。それで、こちらはバリケード
1
確信と団結うち固めた
分離独立の過程
4
藤商面
座談会
:
双駐 車場
支部結成大会の時、「本部」の連中が
ない」とつっかかれました。(笑)
日、「てめえ、昨日はよく言いやがった
で夜の交流会でもゴリゴリ言ったら、翌
したら答えがかえってこなかった。それ
で「三里塚をなぜやらないのか」と質問
「本部」の鈴木真一とかが講師で来たの
「本部」の新組合員教育に行ったら、
入社した翌年が、「分離独立」でした。
(Bさん·新小岩·検修係·二三歳)
合だなと思います。
す。動労千葉というのは、危機に強い組
していった。内心はみんな必死だったけ
う、ということで、全員がその場で署名
ね。地本·支部防衛は印象に残っていま
うのを見て、絶対おかしいと思いました
る発言を封じるために暴力を加えるとい
はまちがいであり、それについて批判す
という敵対方針をおし通すという事など
ら、実際には、「三里塚と一線を画す」
民との連帯”という方針を掲げていなが
した。方針や内容についても、“地域住
力で圧殺するのを、自分の眼で見てきま
に参加して、会議の中で彼らが意見を暴
僕は、大分での本部青年部定期委員会
( Iさん·木更津·検修係·二五歳)
くわかってきました。
力を実際に体験したりしていく中で、よ
目で見て、それに、水上などで彼らの暴
しか感じていなかったのですが、実際に
新小岩支部は、大宮·武操·田端と「
ぜこんなに仲が悪いのかなあ」ぐらいに
時のことです。初めは、「同じ動労でな
田沼の検修庫にやつらがおしかけてきた
一番印象に残るのは、八月三〇日に津
うするも、みんなで進もう、ということ
( Eさん·館山·電運士·二七歳)
執行部を先頭に全員が「本部」オルグ·と対決」1979年4~5月1
手前=木更津支部
·木更津支部
=五年間をふりかえそ !!
( 以下、つづく )
て、一人ももれなく団結していきました。
いろいろありましたが、とことん討論し
るか」とか「財政問題」等の心配とか、
争について」とか「一四〇〇で何ができ
討論を重ねました。主には、「三里塚闘
せてくれというので、更に一週間ぐらい
を始めました。十人位がもう少し考えさ
勝浦では、集会をやってから団結署名
( Gさん·勝浦·気運士·四五歳)
どね。
影の薄い存在だね。
( Hさん)
た」と言ったら、よし、そんなら今書こ
職場集会で支部長が、「ハラは決まっ
だけど、いつどこに居るんだかさっぱり
二名は、今もまだ居るには居るらしいん
その時にこぼれていった格和と木皿の
結署名に結集していきました。
のなりゆきという感じで動労千葉への団
ここも少し遅れはしましたが、ごく自然
がその矢おもてに立っていたわけですが、
とやらとやり合っていた。電気の乗務員
れらの出先きで毎日のように「オルグ」
本部」との接点がいたる所にあって、そ
(Aさん)
たおかげだね。(笑)
で :。 これも、むこうの「オルグ」が来
館山支部はすんなりいきましたね。ど
( Dさん·館山·電運士·四一歳)
だったですか?
動労千葉の団結署名については、どう
(司 会)
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!
–– 団結署名––
「ハラは決まった」
やるんだなと頼もしく思いました。
れないぞ!」と怒鳴っていて、やる時は
本部」の革マルに「お前ら、職場には入
に関心のなかったような人たちまで、「
押しかけてきた時は、普段はあまり組合
職場討論の深化のために 2
ハンドル握って闯い続けた 三里塚·ジェット聞争
日
别動芳千葉
83, 9. 20
No.
1447
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
二二
て、結成大会を暴力的にぶっこわそうと
塚ていきましたね。
トしたか?
のオルグ動員が六五〇人も押しかけて来
新小岩支部の結成大会の時は、「本部」
判断してくれとみんなにいってたんです。
動員に出て、自分の目で見、耳で聴いて
じられないという人もいました。だから、
最初のうちはいくら話してもなかなか信
大変な事態だとわかっているんだけど、
一〇一定中委などの傍聴に行った人は、
( Aさん·新小岩·機関士·四七歳)
んで、団結署名もスムーズにいきました。
為をほとんどの組合員が現実に見ている
勝浦では、「本部」のやつらの暴力行
田( Fさん·勝浦·電運士·五〇歳)
ジると、一声でどんどん団結署名が集まっ
エ はじめ心配もあったけど、フタをあけ
り (H さん·木更津 ·気運士·四一歳)
動労千葉結成前後、内部的にはどうで
(司 会)
自分の眼で確かめて決断
卜闘争勝利!
(司 会)
るんです。
青年部員として、実感したことは?
危機に強い組合だと思う
成大会だったと今でも自信をもっていえ
みんな真剣になってやって、立派な結
功させた。
にして玄関でやり合って、結成大会を成
を築き、クギで打ちつけてあかないよう
してきた。それで、こちらはバリケード
1
確信と団結うち固めた
分離独立の過程
4
藤商面
座談会
:
双駐 車場
支部結成大会の時、「本部」の連中が
ない」とつっかかれました。(笑)
日、「てめえ、昨日はよく言いやがった
で夜の交流会でもゴリゴリ言ったら、翌
したら答えがかえってこなかった。それ
で「三里塚をなぜやらないのか」と質問
「本部」の鈴木真一とかが講師で来たの
「本部」の新組合員教育に行ったら、
入社した翌年が、「分離独立」でした。
(Bさん·新小岩·検修係·二三歳)
合だなと思います。
す。動労千葉というのは、危機に強い組
していった。内心はみんな必死だったけ
う、ということで、全員がその場で署名
ね。地本·支部防衛は印象に残っていま
うのを見て、絶対おかしいと思いました
る発言を封じるために暴力を加えるとい
はまちがいであり、それについて批判す
という敵対方針をおし通すという事など
ら、実際には、「三里塚と一線を画す」
民との連帯”という方針を掲げていなが
した。方針や内容についても、“地域住
力で圧殺するのを、自分の眼で見てきま
に参加して、会議の中で彼らが意見を暴
僕は、大分での本部青年部定期委員会
( Iさん·木更津·検修係·二五歳)
くわかってきました。
力を実際に体験したりしていく中で、よ
目で見て、それに、水上などで彼らの暴
しか感じていなかったのですが、実際に
新小岩支部は、大宮·武操·田端と「
ぜこんなに仲が悪いのかなあ」ぐらいに
時のことです。初めは、「同じ動労でな
田沼の検修庫にやつらがおしかけてきた
一番印象に残るのは、八月三〇日に津
うするも、みんなで進もう、ということ
( Eさん·館山·電運士·二七歳)
執行部を先頭に全員が「本部」オルグ·と対決」1979年4~5月1
手前=木更津支部
·木更津支部
=五年間をふりかえそ !!
( 以下、つづく )
て、一人ももれなく団結していきました。
いろいろありましたが、とことん討論し
るか」とか「財政問題」等の心配とか、
争について」とか「一四〇〇で何ができ
討論を重ねました。主には、「三里塚闘
せてくれというので、更に一週間ぐらい
を始めました。十人位がもう少し考えさ
勝浦では、集会をやってから団結署名
( Gさん·勝浦·気運士·四五歳)
どね。
影の薄い存在だね。
( Hさん)
た」と言ったら、よし、そんなら今書こ
職場集会で支部長が、「ハラは決まっ
だけど、いつどこに居るんだかさっぱり
二名は、今もまだ居るには居るらしいん
その時にこぼれていった格和と木皿の
結署名に結集していきました。
のなりゆきという感じで動労千葉への団
ここも少し遅れはしましたが、ごく自然
がその矢おもてに立っていたわけですが、
とやらとやり合っていた。電気の乗務員
れらの出先きで毎日のように「オルグ」
本部」との接点がいたる所にあって、そ
(Aさん)
たおかげだね。(笑)
で :。 これも、むこうの「オルグ」が来
館山支部はすんなりいきましたね。ど
( Dさん·館山·電運士·四一歳)
だったですか?
動労千葉の団結署名については、どう
(司 会)
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!
–– 団結署名––
「ハラは決まった」
やるんだなと頼もしく思いました。
れないぞ!」と怒鳴っていて、やる時は
本部」の革マルに「お前ら、職場には入
に関心のなかったような人たちまで、「
押しかけてきた時は、普段はあまり組合
職場討論の深化のために 2
ハンドル握って闯い続けた 三里塚·ジェット聞争
日
别動芳千葉
83, 9. 20
No.
1447
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合