座談会 ジェット闘争8 津山大会での反動方針

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臨調 · 行革粉砕!
三 里塚 ジェット 闘争勝利!
分離独立の基点·津山大会での反動方針| 5年自全般)
の「聞いる
義にたちいる端緒となったし、自分の組織だけを
動労「本部」が今日国鉄問題を含めて企業防衛主
ていると思います。三里塚と一線を画したことが、
現在を見れば、彼らの誤った路線が明らかになっ
振り返ると路線をめぐる対立だったと思います。
(Xさん)
独立)のはわかってましたね。
が発生して退場した。あの時点からこうなる(分離
です。私は津山へ行ったけど、会場内で暴力問題
が、津山大会では発言させずに数で押しきったん
議論をかわすということでなければならないはず
すべての大会は発言したい人が自由に発言して
(Wさん)
.
と思います。
座談会
津山大会は路線をめぐる対立だった
の津山大会の問題点について出してください。
まず「分離独立」の基点ともなった一九七八年
エット闘争」について振り返ってみる必要がある
ています。その意味からも五年間の「三里塚·ジ
軸に闘う労働運動」の飛躍的強化·発展が問われ
働運動」を確立するために、「三里塚·国鉄を基
入るわけですが、「八〇年代に通用する自前の労
ト燃料の貨車輸送が終了、いよいよ新たな闘いに
8 ·8のパイプライン供用開始をもってジェッ
(司
会)
X
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R
2
千葉転
11
“1

11

出席者
11
津田沼
支部

電運士
車修係
構運係
車検長
11
11
電運士
電 職

二六才
三九才
四九才
二六才
三九才
五五才
二四才
三七才
四一才
反対同盟(故)戸村委員長とともに「三里塚と一線を画す」
決定を弾劾する根こそぎ決起の動労千葉組合員。
ないかね。
(Tさん)
(以下つづく)
から千葉としても分裂はやむを得なかったんじゃ
ということで、どんどん排除の方向でやってきた
に反する地本を抹殺してまでセクトの意向を通す
ったな。水上、津山大会と、結局「本部」の意向
高松、仙台大会へ行ったけど暴力の繰り返しだ
う気持ちが生まれましたね。
突いたりするのを見て、奴等に負けたくないとい
に行きましたが、傍聴席を取り囲みボールペンで
ているんだなと肌では感じていました。津山大会
的拍手で迎えられるのを見て、正しいことをやっ
も動労千葉が三里塚を闘い現地集会に行くと圧倒
なんで同じ組合の中でやるのかと感じました。で
役員がひきずりまわされたりこずかれたりして、
見たのは、春の総評青年協の集会の時で、青年部
際に動労千葉が「本部」に暴力をふるわれるのを
津山大会は国鉄に入って二年目の時でした。実
(Vさん)
います。
(第101定中委、1978年11月15日~17日、専売会館)
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!
年 份
守るためにタコツボに入ることだったんだなと思
般の闘い」をテーマに行った座談会の要旨を紹介します。
「ジェット燃料貨車輸送阻止の闘い」については本紙上に掲載しましたが、最後の「五年間全
とでさらなる飛躍をかちとる立場から座談会を開催してきました。すでに「分離独立の闘い」
かちとりました。
教宣部では、この大会において「五年間の三里塚·ジェット闘争」を総括し、この路線のも
動労千葉第八回定期大会は、「三里塚·国鉄を基軸に闘う労働運動路線」を確立し大成功を
三里塚ジェットダ争の5年間をふり返って


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83. 10.19
No. 1471
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
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