4・26尼崎現地でデモに起つ動労千葉の部隊
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絶対に尼崎事故を忘れてはならない。
事故の責任を運転士ひとりに転嫁し、事故で亡くなった高見運転士を外し、「犠牲者106名」と言い続けるJR西日本への怒りを忘れてはならない。107名の乗員・乗客を殺しておきながら、「日勤教育は有用」などと言って開き直り、自らは関連会社の社長や幹部に天下ったJR西日本の経営幹部を絶対に許してはならない。
「闘いなくして安全なし」───尼崎事故3周年にあたって、改めて反合・運転保安闘争の原点を再確認しよう。
何も解決していない
事故から3年が経つ今も、事故被害者の保障交渉は8割が対立したままだという。6割がJR西日本の経営責任を問い続けている。遺族は「JR西日本は労使一体で腐敗の限りをつくしている」と弾劾している。怒りの声は何ひとつおさまっていない。そして何よりも、全く変わらない、否もっと深刻化した「安全崩壊」の現実が今も職場を支配しているのだ。
JR西日本では「意識改革せよ!」「指差喚呼オンリーワン企業をめざす」等、徹底した職場規律攻撃が強化され、がんじがらめに締めあげ、保線労働者3名を殺した白備線事故等、事故が多発している。
JR東日本では、羽越線事故、レール破断、工事ミス、変電所火災などの頻発に示されるように、まさに安全や技術継承が崩壊している。
JR北海道でも昨年12月レール破断が発生したが、調査によれば、同様の箇所が3246箇所あったというのだ。
尼崎事故は今も血を流し続けている。
民営化の必然的帰結
国鉄分割・民営化という犯罪的政策が107名を殺したのだ。国土交通省の規制緩和-安全に関する規制の全面的な解体が107名を殺したのだ。そして何よりも、闘いを忘れ、資本の手先となった労働組合が107名を殺したのだ。このことを絶対に忘れてはならない。
そもそも、JR本州三社の中で最も経営基盤の弱かったJR西日本は、「稼ぐ」をスローガンに掲げ、最も露骨に競争原理一本槍で突っ走った。民営化時に5万1530人だった社員数は、07年4月1日現在、2万9620人と、4割以上も削減された。とくに、競合する私鉄から乗客をうず奪いとるために「乾いたタオルから水を搾り出す」(元社長・井手)と称して、徹底した労働強化、スピードアップ、増発を労働者に強いてきたのである。そして安全を維持するための唯一の手段として、自殺者を出すような懲罰的日勤教育が横行するようになったのである。
尼崎事故はこうした経営政策の必然的な帰結に他ならない。
安全規制の緩和と労働組合の責任
一方、政府・国土交通省は、02年に鉄道の安全等に係わる規制を抜本的に緩和した。「市場原理に委ねられるべきべきものは市場原理に委ね、国の関与を縮小する」「社会的規制については必要最小限のものとする」「事前規制を合理化し、事後チェックを充実する」「鉄道事業者の自主性、主体的判断を尊重できるものとする」(運輸技術審議会答申)などという発想のもとに、あらゆる規制が緩和・撤廃されたのである。
国鉄分割・民営化攻撃の渦中でガタガタに団結を破壊された労働組合は、こうした事態に何ひとつ抵抗できなかった。抵抗できないどころか、JR総連やJR連合などは、会社と一体となって、こうした現実を先頭にたって推し進めた。
その結果、合理化やスピードアップ、安全規制の破壊は、歯止めを失って暴走することになった。そして107名の乗員・乗客が犠牲にされたのである。
安全運転闘争とJRの現実
われわれはこの間、尼崎事故や羽越線事故、レール破断の多発に対し、必死で闘いを続けた。その結果、未だ不十分とはいえ、千葉支社館内だけでも百数十㎞という前例のないレール交換やATSの設置を実現し、削減され続けたメンテナンスコストを元の水準まで戻させるという大きな成果をかちとった。
しかし、われわれは、この過程でJR東日本がやったことを絶対に忘れない。われわれは、レールがボロボロになった危険箇所等について、速度を規制する安全運転行動を実施して、会社に安全対策の実施を求めたが、JR東日本は、それを「違法行為だ」と言って、数千名の管理者を動員して運転台に乗り込ませ、監視し、チェックし、恫喝して、われわれの仲間を次々に処分したのだ。しかも、レールが次々に破断するという異常事態が3年間にわたって発生したというのに「JR東日本の安全は問題ない」と言い続けたのである。これがJRの現実だ。
「運転保安の確立は労働組合の団結と闘いの課題でる」これがわれわれの立場だ。反合理化・運転保安確立。闘いなくして安全なし。尼崎事故3周年にあたって、われわれはこの原点を絶対に忘ず、そして絶対に譲らずに闘いを強化することを決意しなければならない。