安全運転闘争を貫徹しよう

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全ての職場の仲間へ、ともに闘おう!
安全運転闘争を貫徹しよう

▼メンテナンスコスト削減

 レール破断は「修繕費」削減政策の必然的結果だ。JR東日本は「メンテナンスコストを2000億円まで削減する」としたニューフロンティア21計画によって、修繕費の徹底した削減を強行した。JR東日本は、03年度末から始まったレール破断後も、05年度まで修繕費を削り込み続けている。多少なりとも増額したのは、尼崎事故が起き、われわれが安全運転闘争に立ち上がった06年度からである。それでも当初計画は2100億円であった。われわれの闘いを通して、ようやく、さらに60億円増額されたのだ。
 その背景には、鉄道事業よりも、駅を利用した金儲け(ステーションルネッサンス)や「ITを活用した新たなビジネスモデルの構築」に経営戦略をシフトするという発想があった。さらには検修区や工場が廃止・統合・再編され、保線・検修の検査周期や巡回周期が大幅に延伸された。
 外注化とは熟練労働者とその技術力の切り捨てだ。保線、検修から駅に至るまで、技術力・判断力をもった労働者が現場から居なくなろうとしている。羽越線事故やレール破断という非常事態は、その必然的結果に他ならない。2月20日に山手線でレールが沈んだ事故も、新聞は「熟練工切り捨てのツケ」と報じている。

▼分割・民営化の矛盾の噴出

 尼崎、羽越線、伯備線、レール破断の多発等、様々な現象をとって表れている「安全の崩壊」は、単に個々の問題ではない。分割・民営化以来蓄積されてきた矛盾が、20年を経て、ついに爆発的に噴き出している。運転保安の危機をもたらしている最大の問題は、つきつめたところ2つだ。第1に無謀なスピードアップ。第2に鉄道輸送にとって根幹をなす業務の全面的な外注化である。
 東労組は、すべての合理化攻撃を右から左に丸呑みしてきた。会社と東労組の「友好関係」、一部役員らの地位や立場を守るために、職場の労働者や乗客を犠牲にして会社にこびへつらってきたのだ。尼崎事故で107名、羽越線事故で5名、伯備線事故で3名の生命が奪われているにも係わらず「責任追及はより原因究明を」などといって、労働組合が抗議の声すらあげない。東労組がやっているのは、会社の責任は絶対追及せず、逆に労資一体で真の原因を隠ぺいするという犯罪的行為である。一方、事故を起こした当該の労働者は常に責任を追及され続けてきた。問われているのは労働組合だ。

▼要員削減・スピードアップ

 JR東日本では、激しい要員削減によって、年間の総額人件費はこの5年間のうちに実に850億円減少した。その一方で、経常利益は、毎年最高記録をぬりかえ、1152億円・218%増加している。その莫大な利益の増加のほとんどが人件費と安全を切り捨て、コストを削減したことによるものだ。またこの過程で強行された安全に関する規制の緩和もそれに拍車をかけた。こんなことをこれ以上繰り返させてはならない。
 運転士には限界ギリギリのスピードアップが強制されている。成田エクスプレスの運転時分は、東京~空港間で53分まで短縮された。最高速度130㎞までノッチを上げて 「定速」に入れ、最高速度を維持しないと時間どおり運転できない状態だ。総武快速線も、この間のスピードアップで、東京~千葉 間の運転時分は39分まで詰められた。福知山線と全く変わらない現実がいたるところにある。いつ事故が起きてもおかしくない状況だ。

▼できることはひとつ!

 こんな現実を押しつけておきながら、会社が現場に十年一日のように繰り返し「指導」し続けたことは「基本動作の徹底」だけであった。どんな事故も、すべて「基本動作の徹底」だけで済ますという姿勢。これは「無能の極み」としか言いようのないものだ。結局、労働者への締めつけだけを唯一の手段にしてこんなダイヤを維持しようとしているのである。
 たが、乗務の実態は「基本動作」などできようもない現実にある。「指差換呼」ひとつとっても、ものすごいスピードア ップのなかで、「基本動作」なるものを全てやるためには、「換呼」を自己目的化しない限り不可能だ。人間の集中力には限界がある。そんなことをしたら逆に危険極まりないことになる。
 われわれは、抜本的な安全対策を求めて様々な具体的要求を提出し、闘い続けている。しかし、つきつめたところ、安全を守るためにわれわれ自身にできることはひとつしかない。スピードを出さないこと、危険だと感じたら列車を止めることだ。こうした闘いを背景としなければ、安全な速度へのスピードダウン、そ のために必要な要員、線路改善等の要求等を、今のJRにのませることができるはずはない。

▼反合・運転保安闘争路線

 反合・運転保安闘争は、動労千葉の原点だ。「闘いなくして安全なし」───これがわれわれの綱領的スローガンだ。その核心は、一言で言えば「安全の確立」は労働組合の闘いによって資本に強制する以外に、実現するいかなる方法もないという立場にたちきったということだ。
 いかにきれい事を並べようが、企業の目的は利潤追求だ。資本主義社会にあって、企業がつねに安全を無視・軽視するのは当然のことだ。直接利潤を生まない分野はつねに切り捨てられる。その最たるものが「安全」である。逆に資本が不断に労働者に強制し続けるのは合理化とコスト削減だ。東労組などは「労使の信頼なくて安全なし」などと言うが、そんなことは百%ウソだ。「事故や安全の崩壊は合理化やコスト削減の結果である」と訴えて労働組合が闘わずして安全が確保されるはずはない。

▼反合理化闘争の新たな地平

 しかも、労働組合が「事故」という問題と向き合って闘わなければ、結局どんな事故も、真の原因が隠されて、当該の運転士ひとりの責任に転嫁されて終わる。こんなことが何度も繰り返されてきたのだ。これはつねに二者択一的に突きつけられ続けてきた問題で、われわれはそれだけは絶対に許すことができないという立場にたってきた。鉄道に働く者にとって「事故」は避けて通ることのできない問題だ。運が悪ければ、生命を失い、逮捕され、そうでなくとも当局から徹底的に追及されて処分され、「タルミ運転士」などと袋叩きにあう。これが現実だ。鉄道に働くすべての労働者にとって事故は「明日はわが身」だ。このときに仲間を守って闘うことができなくて、鉄道の労働組合と言うことはできない。
 運転保安確立の闘いの本質は、反合理化闘争だ。反合闘争は資本の本質と真正面から衝突する闘いだ。だからこそ反合闘争を本気で闘いぬけるか否かは、労働組合にとってまさに試金石である。
 われわれは、安全問題こそ資本の最大のアキレス腱であり弱点であると見すえ、こだわり続けることで反合闘争の新たな地平を創りあげた。だからこそ今の動労千葉がある。だから反合・運転保安闘争はわれわれにとって単なる戦術ではなく、団結の中心をなす綱領的路線となった。この原点に返り、安全運転闘争-06反合・運転保安春闘ストライキを闘いぬこう。

▼歴史の分岐点!

 われわれは歴史の分岐点にたっている。政府は、改憲のための国民投票法案や教育基本法改悪案をあくまでも今国会に上程しようとしている。
 労働者の権利は虫けら同然だ。給食費の補助を受けなければ学校に行けない子供たちがすでに130万人。東京や大阪では4人に1人だ。掛け金払えなくて国民健康保険証を取り上げられた世帯が30万世帯にのぼる。民営化-規制緩和-競争原理政策がこんな社会をつくったのだ。そしてそれが尼崎や羽越線で多くの労働者の生命を奪ったのだ。労働者の団結と生活を破壊する民営化攻撃を許すな!憲法改悪-戦争への道を阻止しよう。

大失業と戦争の時代に通用する新しい世代の動労千葉を創りあげよう!
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