JR東日本の異常な現実
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動労千葉は安全運転行動に立ち上がった
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尼崎事故は、「労働組合の責任」という問題を重くわれわれに突きつけた。民営化だ、規制緩和だと社会全体が競争原理にかりたてられていくなかで、尼崎事故は、いわば起きるべくして起きた大惨事であった。
その過程で吹き荒れた激しい組合潰しの攻撃に、労働組合の幹部たちはおしなべて変質し、企業の手先となった。歯止めがなくなって競争原理だけが暴走し、そして107名の生命が一瞬にして奪われた。
JR東日本は「われわれは西日本とは違う。安全にカネをかけている」と、尼崎事故を他人ごとのように言う。だが、東日本でも事態は全く同じだ。相次いでレールが破断するという現実、尼崎事故の後も鵜原付近でカーブのカントが不足していたことが判明し、幕張電車区構内ではボルトの緩みによりレールの継目部分でレールの頭面がずれ、作業を中断せざるを得なくなっている。03年12月には、国土交通省から「このままでは、……重大な事故が発生する恐れが懸念される」とする事業改善命令までだされているのが現実だ。
安全確保のための当然の行動
25日からの安全運転行動は、ささやかなものでしかない。いわば国鉄時代の「安全綱領」の精神を実践しようということであり、運転保安確立のために労働組合としての最低限の責任を果たそうということだ。
▼尼崎事故を招いたような無理な回復運転は絶対にしない、▼制限速度は絶対に遵守しよう、▼危険と思ったときは勇気をもって列車を止めよう、▼列車を遅らせたくないがために、走行中に運転通告受領券を書くようなこととは絶対やめようということであり、▼レール破断が連続して起き、今も無数のシェリング傷がある総武快速線・津田沼~幕張間は、安全を守るために速度を落とそう、▼尼崎のような事故を絶対に起こさないために、45㎞制限のポイントが出発直前にある東浪見駅については、構内に入る時点で速度を45㎞/hに落として進入しようということに過ぎない。
だが、尼崎事故から一ヵ月を期して提起したこの行動は、二度とあのような大惨事を起こさせてはならない、絶対に許してはならない、という決意を込めた行動である。
「違法だ、処分する」
ところが千葉支社は、5月24日、書面で、この安全運転行動を「就業規則、運転取扱実施基準及び運転作業要領に違反する行為であり、運行管理権を奪う違法な行為である」と言ってきたのだ。
「回復運転はしない」、「無線通告は、例外なく停車中に受ける」、「津田沼-幕張間の安全運転」、「東浪見駅構内の安全運転」の4点が違法だという。
尼崎であれだけの大惨事が起きているという事態のなかで一体何ということか。耳を疑った。
われわれは、千葉支社に対し、この行動は列車を遅らせることを目的としたものではないこと、尼崎事故という痛恨の事態にふまえ、あくまでも安全をいかに確保するのかを考えての行動であることを明確に伝えていた。
回復運転について
例えば「回復運転をしない」については、「列車が遅れたときにその遅れを終着駅まで無理にもっていくなどということを考えていない。余裕時分があり、所定の運転をしていれば自然に回復する場合まで回復させるなという趣旨ではない。尼崎のような事故を起こさないために、無理な回復運転はしないということだ」と、その趣旨をはっきりとさせていた。
厳しい労務管理のなかで、運転士が回復運転に駆りたてられることがどれほど危険なことなのかをまざまざと突きつけたのが尼崎事故であった。それはマスコミ全紙が指摘し、JR西日本ですら「今後は回復運転を求めない」としたことである。
安全運転
総武快速線・津田沼-幕張間の安全運転にしても、90㎞/h運転で発生する遅れは最大見てもほぼ1分。現在の線路状態のなかで、列車運行にそれほど影響を与えることのない範囲で、ギリギリ安全を守れる速度で走ろうという趣旨であることを伝えた。
またわれわれは、安全対策が終了するまで、速度を制限するべきだと繰り返し主張したが会社はそれを無視した。
東浪見駅構内の安全運転も列車への影響は実質的にゼロと言っていい。特急列車が通過するというのに45㎞制限の旧態依然としたポイント。何年来のポイント交換要求を会社は無視し続けてきた。ひとつ間違えば、尼崎と同じことになるケースだ。
無線による運転通告
それ以上に驚いたのは、無線通告を受領する際は必ず列車を止めることを違法だとしたことである。通告を受領するときは、運転士が「運転通告受領券」に記入し、それを復唱して確認するが、それは会社の指導そのものであったはずだ。列車を遅らせたくない、止めたくないという運転士の心理のなかで、走行中に通告事項を運転台の窓枠などにメモして済ましてしまうような危険行為が多発するなかで、団体交渉でも幾度となく確認し、現場でも書面をもって指導されてきたことだ。
そもそも、走行中にどうやって通告受領券に記入しろというのか、前方注視の義務は必要ないということか。「これで指導してきたのではないのですか?」と現場での指導文書を示しても、支社は「見たことがない」と言い放った。
闘いなくして安全なし!
何が正しく、何が間違った行為なのか、JR東日本ではもはや常識すら通用しなくなっている。安全を守るために、われわれができる限りの行動を起こそうとしたら「処分だ!」というのだ。こんなことが許されていいのか。
今年度、千葉支社にはレール交換等のために破格の予算がついたという。会社から「信頼に背く行為だ」「厳重に対処する」などと、あらゆる罵詈雑言をあびせられながら、われわれが昨年来必死に安全運転闘争やストライキにたちあがったことによって、相次ぐレール破断の発生が無視できない問題として注目されたからこそついた予算だ。そうでなければ、その場の対処が行なわれただけで、社会的には事実すら知らされず、闇に隠されていたことは間違いない。それは乗客にとってはもとより、千葉支社にとっても喜ぶべきことではないのか。それを違法行為だ、処分だというのだ。憤りを抑えることができない。
今度は「違法争議」
われわれは今回の行動を「闘争」だとは考えていなかった。鉄道に働く労働者として、安全を守るために当たり前のことをやろうと言っているだけのことであり「闘争」というには、あまりにささやかな行為に過ぎないからだ。だから、会社にもそのように通知した。
だが、この対応である。われわれは、自らの身を守り、安全運転行動を整然と実施するために、5月24日、この行動を争議として通知し直した。
ところが千葉支社は、「会社の運行管理権を奪う違法な争議行為である」などとする新たな文書をつきつけ、処分するというのだ。これがJR東日本の偽らざる現実なのだ。107人もの犠牲者、あの大惨事をまのあたりにして、何ひとつ感ずるところもなかったというのか。何ひとつ教訓とするところもなかったというのか。JR東日本も同じ鉄道事業者として厳しく問われているとは思わないのか。安全など関係ない、会社の方針に従わない奴は処 分だ、というのか。怒りを通りこして背筋が寒くなるような感覚すら覚える。
労働組の試金石
今、動労千葉の運転士は、乗務前の点呼のときに、会社から「違法行為だ」という恫喝を受けながら毎日乗務している。管理者が運転台に乗り込んで監視し現認されるなかで、安全運転行動を必死にやりぬいている。
だが、屈するわけにはいかない。なぜなら、安全の問題だけは妥協するわけにはいかないからだ。尼崎事故を前にして、安全-運転保安の確立という課題が、労働組合が本当に労働組合であるための試金石だと考えるからだ。
運転保安確立の闘いは、動労千葉にとって原点であり、魂であった。今ここで声をあげることができないとすれば、それは動労千葉であることをやめるに等しいことである。われわれは、処分恫かつをはね返し、断固として運転保安確立に向けた闘いを継続する。