反動安倍政権を打倒しよう!
安倍政権が集団的自衛権の行使を認める閣議決定を強行した。「国権の発動たる戦争は、永久にこれを放棄する」「国の交戦権はこれを認めない」と定めたはずの憲法はふみにじられた。「新たな戦前」が始まったのだ。これは、ひとにぎりの閣僚どもによる「憲法解釈の変更」を標榜したクーデターだ。
生命をかけても戦争を阻む
われわれは歴史の分岐点に立っている。戦争への道を阻止しなければならない。それは、どんな困難があろうとやり遂げなければいけない課題だ。それをなしうる力は労働者の団結した闘いの中にある。時代への危機感を集めよう。渦巻く怒りの声の先頭にたとう。今こそ、闘う労働運動を甦らせよう。
戦後の歴史は、1950年朝鮮侵略戦争の最中に強行された「逆コース」=再軍備、警察予備隊~自衛隊創設以来、労働運動を解体して再び戦争のできる国に変貌させようとする政治反動と、それを許すまじと立ち上がった労働者の燃え上がる闘いの歴史であった。その闘いこそが戦争への道を阻んできたのだ。その営々たる闘いを憲法もろとも打ち砕こうというのだ。われわれは、憲法のみを規範とし、行動の基準とするものではない。しかし、憲法をふみにじって再び戦争をしようとする企みに対しては生命をかけても闘う決意である。
貪欲な資本家たちの戦争
安倍は、国家主義や排外主義を煽り、憎悪と恐怖で社会を埋め尽くして、「自由や幸福追求の権利、国民の生命が脅かされていいのか」「我が国と密接な関係がある国に武力攻撃が加えられた時に黙っていていいのか」と威嚇する。だがそれは、真実をあざむく詭弁だ。戦場に送られるのは誰なのか。貧しい労働者であり農民だ。獣の道で死ねと強制される兵士や家族に幸福追求権や自由が存在するというのか。安倍がやろうとしている戦争は、貪欲な資本家どもとその政府が生き延びるための戦争だ。そのために血を流せと言っているのだ。愛国主義はならず者の最後の砦であることを片時も忘れてはならない。
戦争への扉をあけ放つ虚言
さらに安倍は集団的自衛権について、「きわめて限定的、必要最小限の行使であり憲法上許される」という。戦争への道を甘い言葉で敷きつめるペテンを許してはならない。安倍はパンドラの箱を開けたのだ。全ての戦争は「自衛」の名において始まる。そして、一旦その扉を開けたら、破滅の道に落ちるまで拡大し自己運動が始まるのだ。かつて歩んでしまった侵略戦争がいかなる経過を辿り、アジア、日本、世界の民衆にどれほどの惨禍を強制したのか。安倍はその事実から目を背けるために、その戦争を崇高な行為として賛美し、閣議決定を強行した。そこにあるのは、「通してしまえばこっちのものだ」という政治的策略だけだ。「歯止め」など始めからあるはずもないのだ。
外への侵略戦争と内への階級戦争
「戦争をする国」への転換は、これまでの社会のあり方を全部破壊して暴れまわる力を生み出す。外への戦争の野望は内に向けた労働者への戦争とひとつのものだ。それは、自衛隊法など無数の法「改正」が始まるというだけのことではない。労働者の権利も、思想および良心の自由、集会・結社・表現・通信の自由も、個人の尊厳も、教育の内容や学校、社会保障制度のあり方も、何もかもが「戦争をする」ことを前提に組み替えられていくことになる。
現に、集団的自衛権容認の閣議決定と一体で、社会丸ごとの民営化・規制緩和、国家戦略特区の指定など、労働者の権利と未来を打ち砕く重大な攻撃が加えられている。
福島では、これまで人類が経験したことのない大規模な放射能汚染が拡大し、打つ手すらない危機が進んでいるというのに、「全てはコントロールされており安全」という虚言で真実を隠し、200万県民が見殺しにされようとしている。
資本主義の終わりの始まり
安倍政権をしゃにむに戦争に突き動かしているのは、資本主義体制が行き着いた出口なき危機だ。世界恐慌が生み出す深い危機が、ウクライナで、イラクで、東アジアで戦争への衝動を生み出そうとしている。
世界最悪の財政破綻国・日本は、巨額の量的金融緩和と巨額の財政出動を柱とした「アベノミクス」を掲げて「今日」をしのいでいる。しかしそれが破滅的政策に他ならないことは、支配階級自身が一番よく知っている。誰ひとりとして明日への確信をもっていない。資本主義体制は歴史的限界に行き着き、危機にあえいでいる。
怒りの声は社会の隅々まで積みあがり、誰もが変革を求めている。求められているのは、労働運動が力を取り戻すことだ。
これまでは息をひそめていた反動が大手を振ってあるく現実は、労働運動のとめどない後退によって生み出されたものだ。始まりは国鉄分割・民営化だった。その流れを今こそ断ち切らなければならない。全世界が我慢のならない怒りの声と闘いで燃え上がろうとしている。時代が動き始めたのだ。今こそ、労働者の団結を取り戻し、安倍政権打倒の闘いに立ち上がろう。