動労本部革マルの裏切りの歴史2

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臨 調 ·行革粉砕! 三里 塚 ジ エ ッ ト 闘 争 勝 利!
「減量経営(
貨物削減をはじめとする
国鉄再建合理化
は合理化
ではないから協力せよ」と叫んで
反合前争を永遠に放棄
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1980年8月
1978年夏 ~: 1979年春
1978年7月
第34回全国大会(津山)
1979年7月
1978年10月
第36回全国大会(名古屋)
め、依然として「片肺」欠陥執行部の姿をさらし続けている。
( 以下続く)
の戦闘的良心的部分は、革マル=政研派執行部との共同執行責任は当然にも拒否したた
判が噴出し、「本部」革マル反動分子らの必死の懐柔とどう喝にもかかわらず、動労内
この露骨な”反合闘争否定の路線をはじめ、あまりにも右翼的·労使協調的体質に批
協が必要」なる裏切り路線を決定した。
りである」とし、「5·10は長いたたかいの中の一つの節にすぎない。今こそ大胆な妥
論の上に立ち、情勢は厳しいから「合理化絶対反対をかかげるような原則的な闘いは誤
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第三十六回動労全国大会(名古屋)において、これまでの“冬の時代””謀略の時代”
6「大胆な妥協」路線をおしつける == 「合理化絶対反対は誤り」と規定
乗務員運用合理化」の地ならしがおこなわれていった。
路線をもちこんできた。動労東京地本松崎委員長と当局の間で、一年も前から「5·10
との方針を決定し、既得権としてかちとってきていた要員·労働条件等を自ら返上する
ってきているが、新たな基地の要員確保のためにも、これに手をつけなければならない」
第三十三回東京地本大会(松崎明委員長)で「これまで協定外の要員を数多くかちと
3「要員はき出し」論をかかげる 。= 合理化「屈服」から「協力」へ
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当局·警察に護られて武器をかついだまま電車で引きあげる。
青竹·バール·石等の百名、庁舎を壊し、多数の組合役員に重傷を負わせ、
四月十七日、学生革マル先頭に白昼、津田沼支部を武装襲撃 !!

全国動員のべ三万数千名、組合費四億円を投入し暴虐の限りを尽したが、成果は
三~六月、動労千葉破壊のための暴力オルグ投入
·一九七九年三月三〇日、「動労大改革」をかかげて、動労千葉分離独立 !!
·組合民主主義の破壊=三里塚を闘った故をもって
動労千葉地本に統制処分等の組織破壊攻撃を集中。
動労津山大会は戦闘的代議員を暴力で抑えつけて「三里塚敵対」「水本デマ運動」
·ファ ッショ組合への転換点=動労津山大会での暴挙
「貨物安定宣言」等を強行した。
ゼロ。
導への不信を倍化させて、明らかに指導の敗北として終った。
初の実践的適用は、当局に絶大なる自信とはずみを与え、労働者にはあきらめと組合指
た。予算定員で五千名が削減される大合理化であった。「貨物安定宣言」路線のこの最
動労「本部」はほとんど闘いらしい闘いを設定することもなく、実施を事実上受けいれ
「5·10」「57.10」を展望した一万名余の要員削減をもってする貨物合理化に対し、
3反合闘争を放棄し、闘わずして「55·10ダイ改」を裏切る
への移行を意味している。後の”働こう運動”の原型がもちこまれたのである。
らず、まず経営の立て直しに協力すべきだ、という 経営者=支配者側の論理そのもの
合闘争そのものを原理的にも否定し、3企業の経営危機に際しては労働者は闘ってはな
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!
これは、1経済学的にも誤ったデタラメ論理、であるばかりか、2運動路線的には反
者に押しつけ受け入れさせる大裏切をおこなった。
使協調主義そのものの「貨物安定輸送宣言」をおこない、未曽有の大合理化攻撃を労働
ては、当分の間スト対象からはずし、貨物輸送の確保をめざす」なる企業防衛主義·労
現におきている貨物輸送のカイ離については、当局の論理を認めざるをえず、戦術とし
という意味で、これを『貨物削減·(ナカグロ)合理化』ととらえなければならない。
理化ではない。従って、“合理化”とは区別されたものとしての”貨物削減=減量経営 ”
迫りくる貨物削減合理化を前に、「貨物削減は過剰資本の処理形態であり、それは合
2「貨物安定輸送」宣言を発して、企業防衛主義を路線化
勤労「本部」革マルの裏切りの歴史
その2
動芳千葉
82, 12, 14
No.1219
(鉄電)二九三五~六·(公衆)◎四七二(2)七二〇七
千葉市要町二·八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
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