動労千葉の反合・運転保安闘争 動労千葉 田中委員長

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闘いなくして安全なし!
動労千葉の反合・運転保安闘争
第Ⅵ期労働学校実践編第2回

 第Ⅵ期労働学校実践編で田中委員長が「動労千葉の反合・運転保安闘争」について講義を行いました。今回は、概略について紹介します。

船橋事故闘争と動労千葉の反合・運転保安闘争路線

はじめに、反合・運転保安闘争を抜きに動労千葉の団結は語れない。4月6日に、幕張で事故があったがいまだに処分は出ていない。この脱線事故との闘いは動労千葉にとって重要な闘いだと思っている。
国鉄労働運動解体攻撃は、大きな攻撃として3回あった。①定員法攻撃、②マル生攻撃、③分割・民営化攻撃。
マル生攻撃がかけられ、国鉄再建10カ年計画というすさまじいスクラップ&ビルド政策が行われていた72年に船橋事故は起こった。この事故の背景と原因 は、信号停電と、過密ダイヤ強制のためのゼロ号信号機にあった。動労千葉は、現場からの怒りの声を結集し反撃の闘いに起ちあがった。事故問題は、労働組合 の課題になるはずがないというそれまでの常識、「情状酌量」と「救済」路線との闘いでもあった。
運転士への事故責任の転嫁に反対する怒りの声は千葉地本を動かし、全国的な闘いへとおしあげた。この闘いは、動労千葉地本が闘う労働組合への脱皮する闘いでもあった。73年に新体制が作られた。
この闘いは、それまでの反合理化闘争の限界を突破する闘いであった。運転保安確立の闘いの本質は反合理化闘争である。また、「一人は万人のために、万人はひとりのために」の言葉どおり高石さんを守り、原職復帰をかちとった。
この闘いで反合・運転保安闘争は、組合員の団結の中心となった。
その後の反合・運転保安闘争は、線路改善闘争、奪われた労働条件を奪い返す防衛から反撃への運転保安闘争として闘われた。
そしてこの闘いは成田空港へのジェット燃料貨車輸送阻止闘争、動労千葉の分離・独立闘争、国鉄分割・民営化反対闘争へ発展していった。
分割・民営化以後は、88年東中野事故弾劾のJR発足後初めてのストライキ、90年清算事業団解雇ストライキをたたかい、01年第二の分割・民営化反対―シニア制度・検修外注化反対闘争を闘い、この間の運転保安闘争、幕張構内脱線事故闘争と闘ってきた。

国鉄分割・民営化の帰結としての「安全の崩壊」

国鉄分割・民営化-規制緩和という犯罪的政策の矛盾がJRにおける安全の崩壊として噴出している。問われているのは労働組合の闘い。 国鉄分割・民営化は、何をもたらしたのか。20万人の首切りであり、激しい労組破壊。社会党-総評解体と「連合」結成という戦後政治の総決算。そして鉄道 輸送を利潤追求の手段としか考えない発想をもたらした。そして、「完全民営化」から「第二の分割・民営化」攻撃が始まった。

レール破断、尼崎事故等と幕張構内脱線事故闘争の教訓

第二の船橋事故として、動労千葉自身が曖昧さなく問われたものであった。
今もJR内の労働組合の事故に対する常識は、穏便にし、何とか軽い処分をお願いする事にある。闘いで処分を阻止する組合は動労千葉だけだ。
われわれが、問題点を徹底的に明らかにし、要求を突きつけ、闘争を構えた事によって力関係が逆転した。われわれの要求・主張を基本的に認めざるを得なくなり、二度にわたって処分発令を延期させている。
今回の闘いは、幕張支部を焦点とした―外注化反対闘争やこの3年来の安全運転闘争が本当の意味で生きてきた。
そして、不断の職場闘争、職場支配権を守り抜く闘いが労働組合に必要かという事をはっきりさせた。
事故を起こしたひとりの組合員を守り抜くという闘いに労働組合に必要な課題が全て含まれている。民営化ー労組破壊にいかに立ち向かうのか、反合・運転保安確立の闘いは、民営化反対闘争の現実的展望を示す闘いである。
その現実と闘わなくなっている労働組合の現状をいかに打ち破り、労働者の団結をつくりあげていかなければならない。

反合・運転保安闘争と労働運動の再生

反合・運転保安闘争を闘い、分割・民営化反対闘争を闘ってきたから今の国際連帯闘争の発展がある。
1047名闘争も反合・運転保安闘争を闘う中で発展してきた。政治解決路線は結局はJR当局への屈服である。そして、民営化ー労組破壊攻撃、改憲阻止闘争をわれわれの力でつくりあげよう。

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