1
本
労農連帯を一層強め、三里塚·ジェット闘争を貫徹しょう!
労農連帯こそ動労千葉勝利のカ
…
1 ..
IL
L
ロ
고
この過程から「本部」暴力集団は、露骨にジェ
ット闘争への裏切り!
「本部」暴力集団のジェ
口を切り開いたといえる。
る闘いは、日本労働運動の戦闘的再生への突破
年一二月三日よりの一〇〇日間闘争を頂点とす
〇〇総決起で闘い抜いた。生産点に依拠し七七
第二に工事着工、第三に輸送開始を中心に一四
った。大会方針を踏襲し、第一に計画の発表、
方針をもって動労全体の闘いへと押し上げてい
一二月一七日) の決議をかわきりに、水上大会
われわれは、第九四回定期中委(一九七六年
盟農民との共闘の上に築かれた三里塚·ジェット
合理化4組織防衛·強化
一「本部』暴力集団の歴史の偽造許さず 更に三里塚·ジェット闘争を貫徹しょう=
11
の
47
10
7
11
.
●四つの視点=(1)労農連帯(2)運転保安確立()反
つ重層的な支援連帯の環の拡大。
●二つの戦略=(1)自己の主体の強化、(2)広範か
こう。
阻止に向け労農連帯の旗のもと断乎闘い抜いてゆ
輩を絶対に許さず、ジェット闘争貫徹、二期工事
労働者内た悪罵を投げつけ、動労千葉破壊を企む
この三里塚·ジェット闘争に対しセクト的、反
つとめた敵対者であることは明白である。
塚·ジェット闘争の事切り」=国鉄当局の先兵を
今や「本部」暴力集団こそが、一貫した「三里
更に闘い抜こう!
闘争の歴史である。
ット闘争であり、一三年間にわたる三里塚反対同 全
の労農連帯がかちとられた。これが三里塚·ジェ組
を武器に」「農民は土地を武器に」闘うという真合
始め、広範な支援の環を創出し「動労千葉は鉄路員
て、闘ってきた。
であったということ。
「四つの視点と二つの戦略」によって規定づけ
·ジェット闘争を闘う理念(結集軸=路線) を
に決起したのである。われわれは、この三里塚
当然、われわれは、「三里塚·ジェット闘争」
安の問題も多く発生した。
となり、そのことを通じて要員合理化、運転保
ット燃料貨車輸送問題がわれわれの直接的課題
ずさんなパイプライン計画の破産によってジェ
くのかがするどく問われたのである。加えて、
労働者としてどのような立場でこれに答えてゆ
ならぬ「本部」暴力集団ではなかったのか! こ
より、住民の生活が破壊されようとするとき、
科学的整合性が全くなく、空港を造ることに
農民、地域住民にとって生活と命に関わる問題
はどうなってもよいというドス黒い攻撃であり、
ろにあり、支配生存のためには農民、地域住民
事的観点も含めて一方的に持ちこんできたとこ
りかえってみよう。
そもそも三里塚空港とは何かー支配の側が軍
置付け、それを貫徹すべく闘う三里塚反対同盟を
輸送を阻止してゆくことが労働者本来の闘いと位
動労千葉一四〇〇組合員の手でジェット燃料貨車
闘い、助役機関士の手からハンドルを奪い返し、
つきりいっておこう。
こうした苦闘の中で3·1ストをもって新たな
切りが開始されたのではないことをわれわれけは
会で「一線を画する」なる方針が出されてから裏
働者に銃口を向けることであり、第三四回全国大
のことは水上大会方針を放棄し、背後から闘う労
ろ」という超反動的闘争圧殺をしてきたのは、他
局、権力と一体となって「千葉地本に血を流させ
である。われわれの闘いに、こともあろうに、当
総決起し、権力の弾圧をけねかえし闘い抜いたの
カで創意をこらし、佐倉、成田支部を拠点に連日
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ !!
圧殺してきた「本部」の重圧をはねのけつつ、独砕
これに対し、千葉地本の特認要求をことごとく
関士(動労組合員を発令させ)が送りこまれた。
機関車が、タンク貨車が、次いで全国より助役機
く知らない中でジェット燃料輸送の ディーゼル
三里塚·ジェット闘争とは何であったのかふ
三里塚·ジェット闘争!
労働者の責務にかけて決起
ット闘争の裏切りを開始してきた。当該地本が全
表現である。
性と彼らの不正義性=裏切り性が最も鮮明に浮きぼりにされているからである。
ったこの対決点を今一度鮮明にしていきたい。なぜならば、この対決点の中にわれわれの正義
三一日、第二回臨時大会を開催する。
ェット闘争を裏切った」なる言い古されたデマ宣伝を再び開始してきた。
性が全くなく、この間勤労千葉の団結の前に一人の組合員も獲得できなかったことの裏返しの
塗りかためたキャンペーンをはってきている。 このことは、「本部」暴力集団の路線の正義
は、「財政的にもたない」「社会的に認められない、団交も出来ない」徒党集団というデマで
その時期を捉えて、われわれと暴力集団との争点であ
われわれは、五月
あせりにかられた「本部」暴力集団は、あろうことか「動労千葉が三里塚·ジ
1
三月三〇日、地本臨大一新生動労千葉結成大会以降、「本部」暴力集団の動労千葉への攻撃
動芳千葉
79.5.29
No. 132
(鉄電)二二五八~九·(公衆)四七二(2)七二〇七
千葉市 要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉勤力車労働組合
本
労農連帯を一層強め、三里塚·ジェット闘争を貫徹しょう!
労農連帯こそ動労千葉勝利のカ
…
1 ..
IL
L
ロ
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この過程から「本部」暴力集団は、露骨にジェ
ット闘争への裏切り!
「本部」暴力集団のジェ
口を切り開いたといえる。
る闘いは、日本労働運動の戦闘的再生への突破
年一二月三日よりの一〇〇日間闘争を頂点とす
〇〇総決起で闘い抜いた。生産点に依拠し七七
第二に工事着工、第三に輸送開始を中心に一四
った。大会方針を踏襲し、第一に計画の発表、
方針をもって動労全体の闘いへと押し上げてい
一二月一七日) の決議をかわきりに、水上大会
われわれは、第九四回定期中委(一九七六年
盟農民との共闘の上に築かれた三里塚·ジェット
合理化4組織防衛·強化
一「本部』暴力集団の歴史の偽造許さず 更に三里塚·ジェット闘争を貫徹しょう=
11
の
47
10
7
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.
●四つの視点=(1)労農連帯(2)運転保安確立()反
つ重層的な支援連帯の環の拡大。
●二つの戦略=(1)自己の主体の強化、(2)広範か
こう。
阻止に向け労農連帯の旗のもと断乎闘い抜いてゆ
輩を絶対に許さず、ジェット闘争貫徹、二期工事
労働者内た悪罵を投げつけ、動労千葉破壊を企む
この三里塚·ジェット闘争に対しセクト的、反
つとめた敵対者であることは明白である。
塚·ジェット闘争の事切り」=国鉄当局の先兵を
今や「本部」暴力集団こそが、一貫した「三里
更に闘い抜こう!
闘争の歴史である。
ット闘争であり、一三年間にわたる三里塚反対同 全
の労農連帯がかちとられた。これが三里塚·ジェ組
を武器に」「農民は土地を武器に」闘うという真合
始め、広範な支援の環を創出し「動労千葉は鉄路員
て、闘ってきた。
であったということ。
「四つの視点と二つの戦略」によって規定づけ
·ジェット闘争を闘う理念(結集軸=路線) を
に決起したのである。われわれは、この三里塚
当然、われわれは、「三里塚·ジェット闘争」
安の問題も多く発生した。
となり、そのことを通じて要員合理化、運転保
ット燃料貨車輸送問題がわれわれの直接的課題
ずさんなパイプライン計画の破産によってジェ
くのかがするどく問われたのである。加えて、
労働者としてどのような立場でこれに答えてゆ
ならぬ「本部」暴力集団ではなかったのか! こ
より、住民の生活が破壊されようとするとき、
科学的整合性が全くなく、空港を造ることに
農民、地域住民にとって生活と命に関わる問題
はどうなってもよいというドス黒い攻撃であり、
ろにあり、支配生存のためには農民、地域住民
事的観点も含めて一方的に持ちこんできたとこ
りかえってみよう。
そもそも三里塚空港とは何かー支配の側が軍
置付け、それを貫徹すべく闘う三里塚反対同盟を
輸送を阻止してゆくことが労働者本来の闘いと位
動労千葉一四〇〇組合員の手でジェット燃料貨車
闘い、助役機関士の手からハンドルを奪い返し、
つきりいっておこう。
こうした苦闘の中で3·1ストをもって新たな
切りが開始されたのではないことをわれわれけは
会で「一線を画する」なる方針が出されてから裏
働者に銃口を向けることであり、第三四回全国大
のことは水上大会方針を放棄し、背後から闘う労
ろ」という超反動的闘争圧殺をしてきたのは、他
局、権力と一体となって「千葉地本に血を流させ
である。われわれの闘いに、こともあろうに、当
総決起し、権力の弾圧をけねかえし闘い抜いたの
カで創意をこらし、佐倉、成田支部を拠点に連日
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ !!
圧殺してきた「本部」の重圧をはねのけつつ、独砕
これに対し、千葉地本の特認要求をことごとく
関士(動労組合員を発令させ)が送りこまれた。
機関車が、タンク貨車が、次いで全国より助役機
く知らない中でジェット燃料輸送の ディーゼル
三里塚·ジェット闘争とは何であったのかふ
三里塚·ジェット闘争!
労働者の責務にかけて決起
ット闘争の裏切りを開始してきた。当該地本が全
表現である。
性と彼らの不正義性=裏切り性が最も鮮明に浮きぼりにされているからである。
ったこの対決点を今一度鮮明にしていきたい。なぜならば、この対決点の中にわれわれの正義
三一日、第二回臨時大会を開催する。
ェット闘争を裏切った」なる言い古されたデマ宣伝を再び開始してきた。
性が全くなく、この間勤労千葉の団結の前に一人の組合員も獲得できなかったことの裏返しの
塗りかためたキャンペーンをはってきている。 このことは、「本部」暴力集団の路線の正義
は、「財政的にもたない」「社会的に認められない、団交も出来ない」徒党集団というデマで
その時期を捉えて、われわれと暴力集団との争点であ
われわれは、五月
あせりにかられた「本部」暴力集団は、あろうことか「動労千葉が三里塚·ジ
1
三月三〇日、地本臨大一新生動労千葉結成大会以降、「本部」暴力集団の動労千葉への攻撃
動芳千葉
79.5.29
No. 132
(鉄電)二二五八~九·(公衆)四七二(2)七二〇七
千葉市 要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉勤力車労働組合