(②から続く)
4新自由主義大崩壊と国交省検討会
社会の総崩れ
起きていることは鉄道のみならず“社会の総崩れ”だ。自然に崩れたわけではない。“新自由主義”によって破壊されたのだ。
「もはやそれをとり繕ったり、手直しをしたりすることも不可能だ」「鉄道など崩壊しても仕方ない」――政府とJRは、一線を踏みこえてそんな領域に手をつけだしたのだ。それが国交省検討会をもって始まろうとしている攻撃の本質である。
国鉄分割・民営化は、総評・社会党を解散に追込むことを通して、その後の社会のあり方を変えてしまうほどの意味をもつ重大な攻撃であった。今進められようとしていることも、単に鉄道・ローカル線の存廃という問題にとどまらず、社会生活の全分野を呑み込んでなぎ倒していく攻撃に他ならない。
仕方ない現実?
日経新聞などは「タブーなき改革を怠れば、安全の崩壊や代替手段なき廃線といったハードな道が待ち受けるだろう」と、強面で「改革」を脅しつけるような報道をしている。だが、大半のマスコミ報道も「乗客数が減っているんだから仕方ないよね」「利便性が守られるんならバスでもいいんじゃない?」「そんなに問題はないよね」といった認識に流し込むように組織されている。
廃線化の対象であることが発表された沿線の自治体からは悲鳴があがり、全国知事会も地方路線の切り捨てが進まないよう国に対応を求めている。しかし、そうした声は封じられたまま、かつての“国鉄改革”時に比するような一撃が社会に打ち下ろされようとしている。
今この国で今一体何が起きているのか? 進められようとしている攻撃はどのような意味をもっているのか? それを見すえなければならない。
例えば「バス転換」という「出口」ひとつとっても事は単純ではない。ちゃんと真実を見ればそこにあるのは深刻きわまりない現実である。
バス路線廃止2万㎞!
06~20年の15年間で2万2443㎞の一般路線バスが「完全廃止」されている。2万㎞超と言えば新幹線を含め今JRが運行する全線区に匹敵する距離だ。すさまじい事態である。「休止」扱いになっている路線もあり、実質的にはもっと多くの路線が廃止されている。国は一定の基準で赤字を補填しているが、それでもこれだけのバス路線が廃止に追い込まれているのだ。
問題はそれだけではない。都市部では公営バスの民間委託が各地で破たんしようとしているのだ。バス民営化は00年の京都市を皮切りに一斉に始まり、多くの自治体に広がっていった。系統毎、あるいは使用車両数毎に複数の民間バス会社に委託・外注化するのが一般的なやり方になっている。
ところが、各地で業務を受託したバス会社が撤退し、大都市でバスの運行が止まりかねない事態が相次いでいるのだ。「運転士が確保できない」というのが委託返上・運行放棄の理由だ。
それは単なる労働人口の減少問題ではない。民間委託の狙いは人件費を削減することにあった。だから委託先会社の運転手はほとんどが非正規職だ。
しかも、昼間帯は労働時間から除外して、早朝から夜遅くまで拘束するのがバス会社の典型的な勤務形態になっている。こうした矛盾が積み重なって運転手が確保できなくなる。そして都市部ですらバスの運行が破たんする。
(④に続く)