(「上」より続く)
鉄道の現場業務を放棄
第五に、『変革2027』で掲げられた、鉄道業務すべての外注化(転籍)、ジョブローテーションに基づく労働者の使い捨て化、中・長編成へのワンマン拡大、ドライバレス運転の実用化、CBM化等メンテナンス体制の抜本的見直し等がコロナに便乗してより加速されようとしている。
それは「人ならではの仕事にシフトする」などという言い方で、鉄道の現場の業務を何の価値もないもののように見なし、切り捨てていくものだ。コツコツと車両を直し、安全を守って列車を運転し、線路を保守し、駅で乗客と接する仕事を蔑視し、超低賃金の下請会社に突き落としていくような発想は絶対に許せない。
鉄道の安全を守ってきたのはそうした仕事を担ってきたわれわれ現場労働者だ。机の上で人を操ったり、カネ儲けや株価のことだけを考えてきた者たちではない。
コロナ感染症の中で、そうした必須不可欠な仕事と労働者がどれだけ大事だったのかということに再び脚光があてられた。もっと言えば今のJRには吊り革の消毒ひとつまともにやる体制すら失われていることが明らかになった。それなのに、JRは真逆な方向に突っ走ろうとしているのだ。
驚くべき就業規則改悪
第六に、JR東日本が6月9日に提案した「休業指定」に関する就業規則改悪提案の重大性について触れたい。「業務量減少その他経営上の都合により休業を命ずる」という項目を就業規則に付け加えるというのである。こんなことが定められたら会社の都合一つで“何でもあり”になる。業務量が減少すれば(あるいは会社が意図的に減らしてしまえば)、会社のさじ加減ひとつで休業を命じ、労働者を一時帰休に追い込めるのだ。悪用すれば、労働者の首切りにも、地方ローカル線を廃止に追い込んでいく手段にも使える。
実際、東労組との団交で東日本本社は「解雇の可能性が完全にゼロとは言い切れない」と回答し、東労組は「整理解雇への地ならし?」と職場討議資料で書いている。
この提案を受けて東労組は震えあがってしまい「整理解雇さえしなければ何でも認める」と表明してしまっている。いわく「直面する雇用の危機から目を逸らさず雇用を守る休業指定を労使で創りあげよう」「東労組中央本部は、施策を担い、会社の発展を目指す考えです」というのだ。
攻撃は必ず破たんする
JRがやろうとしていることはすべてが矛盾だらけだ。検修・構内業務の外注化ひとつとっても、外注化から9年が経っても、CTSは検修・構内会社としての体裁もとることができていない状態だ。それどころか、CTSで採用したプロパー社員はたちまち嫌気がさして次々に他の鉄道会社に転職してしまう。ボーナスを5%、10%アップして止めようとしているが、そんなことでは全然止まらない。これが現実だ。
北海道から九州まで、コロナに乗じてすでに各地の路線が次々に廃線化され鉄道が消えている。鉄道崩壊――民営化という政策は、鉄道業務の大部分を外注化し、そこで働く労働者ごと下請会社に突き落としただけでなく、“鉄道崩壊”にまで行き着こうとしている。
“民営化”と言えば聞こえはいいが、本来の意味は「私有化」「私物化」だ。社会には絶対にカネ儲けの手段にしてはならないものがある。医療、教育、介護や保育、様々な公共サービスだ。もちろん鉄道もそうだ。
それを「民営化すればすべてうまくいく」という論理で社会を引き裂いたのが“新自由主義”と呼ばれる政策だった。しかし、それが生み出したのは絶望的な格差の拡大、労働者の非正規職化・貧困化、医療や教育、鉄道、地方や地方自治の崩壊だった。
新自由主義は別名“惨事便乗型資本主義”とも呼ばれる。コロナ禍という惨事に便乗して今まさにそれが始まろうとしている。その先頭を走ろうとしているのがJR東日本だ。こんなことはもう終わりにしなければならない。国鉄分割・民営化のときも、外注化阻止闘争のときもそうだったが、団結を守りぬくことができれば、労働組合の力は決して小さくはない。今職場に必要なのは闘う労働組合だ。攻撃は必ず破たんする。団結し共に闘おう。