「第一波スト」40周年にあたって

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1985年11月28日、われわれはもてる力の全てを注ぎ込んで、国鉄分割・民営化阻止の第1波ストライキに立ち上がった。当初の予定は29日始発時からであったが、全国から1万人の機動隊が動員され職場を包囲する等のスト圧殺体制が敷かれる事態の中で、本部執行委員会はスト前倒しを決定、組合員は28日正午以降次々とストライキに突入していった。それから40年、JRや国家権力の様々な攻撃に一歩もひるむことなく立ち向かい団結を守りぬいたすべてがここから始まった。

高市政権が登場し「国力」のすべてを国防に投入して中国侵略戦争に突進しようとしている。新自由主義の破たんが底が抜けたような社会崩壊となって進行し、JRは戦後労働政策の歴史的転換―「労組なき社会化」の先兵となり、連合は産業報国会へと転落している。日本の労働運動は、国鉄分割・民営化から始まった際限のない後退から今も抜け出せてはいない。だが、時代は重大な分岐点にたち、すべてが変化しようとしている。今こそ闘う労働組合を甦らせよう。

1 あらためて国鉄分割・民営化を問う

国鉄分割・民営化攻撃は、一国鉄をこえて全ての労働者に向けられた戦後最大の労働運動解体攻撃であった。それは、1949年の行政関係定員法による国鉄労働者10万人の人員整理・指名解雇から翌年の朝鮮戦争を背景としたレッドパージ、産別会議の解体に至る歴史の逆流に匹敵する大攻撃であった。その後の日本の労働運動や労働者に与えた長期にわたる影響の大きさ、深さを考えたとき、それ以上の意味をもっていたと言っても過言ではない。またそれは労働者への国際的な総攻撃の一環をなすものでもあった。同時期にイギリスでは1年間に及ぶ大激突のすえ炭労の闘いが潰され、アメリカでは航空管制官組合がせん滅され、そして日本では国鉄分割・民営化が強行される。それを契機に、世界中で労働運動が後退戦を強いられていったのである。

攻撃は81年、第2次臨時行政調査会の設置という形をとって開始された。同年の国鉄職員数は40万1400人。民営化時にJRに採用された者は20万5600人で、わずか6年の間に20万もの国鉄労働者が職場を追われる攻撃であった。「国労を潰し、総評・社会党を潰すことを明確に意識してやった」「国鉄分割・民営化で大掃除し立派な憲法を安置するのがわれわれのコースだった」という中曽根の発言は有名だが、中曽根は「国鉄改革」について次のようにも言っている。「これが現代の革命というか、静かなる革命のやり方です。じわじわ、国民が知らないうちにものごとを推し進めていく。これが今日、我々が推し進めている〃静かなる国家改造〃の姿です」と。

現場にはこの攻撃に立ち向かう意志と力が確かに存在していた。しかし84年6月、民営化に向けた人員整理に協力しない組合とは「雇用安定協約」を破棄するという方針を当局が打ち出したことを契機に国鉄労働運動に激しい分岐が生まれる。国労本部は「自民党が本気で国鉄を民営化するはずがない、今は嵐が通り過ぎるのを待つときだ」と幻想にしがみつき、動労本部・革マルは急速に民営化に率先協力する坂道を転げ落ちてゆく。一方動労千葉は真っ向から闘いを挑むことを決断していったのである。

スト突入を宣言した日比谷野音集会(85.11.17)

2 国鉄再建管理委員会最終答申をめぐる決断

それを最終的に決断させたのは、85年7月26日に出された「国鉄再建管理委員会」の最終答申だった。民営化まで1年半余りの間に3人に1人の首を切るという内容だった。当時の委員長だった中野さんは、「もはや避けて通る道はない。ここで一戦構えようと決断した」「組合員は萎縮してなかった。むしろ怒りの方が強かった。僕はこうした組合員にものすごく勇気づけられて、『よし、こいつらと生死をともにしよう。僕が命がけで闘いの先頭に立てば、必ずついてきてくれる』と確信した」と、この時のことを語っている。

数年間の葛藤を経ての決断であった。中野さんは「同じことが頭の中でぐるぐる回っている状態だった」とも言っている。国家をあげた攻撃である。動労千葉のような小さな組合に一体何ができるのか? この情況下でストを構えれば多数の犠牲者が出ることははっきりしている。組合員の団結はもつのか? 組織や財政は維持できるのか? 組合員と家族の生活を守ることはできるのか? 有効な闘いの時期や手段・方法はどうなのか? 組合員一人ひとりの人生がかかっている。どれも理屈だけで結論の出る問題ではない。

3 なぜストライキを決断したのか

こうした葛藤を経て、この年9月に開催された第10回定期大会では、次のように訴えて「国鉄分割・民営化-10万人首切り攻撃粉砕に向けて数波のストライキを構えて闘う」という方針が提起された。第1に、かけがえのない団結を守るためには鮮明な闘いの方針の下に組合員の決意を結集する以外に道はないこと。闘いを決断することができなければ組合員同士が生き残りをかけて争い合うことになる、これは労働者・労働組合の誇りと尊厳をかけた闘いなのだと。第2に、現状は国鉄労働者の反撃がないために、国鉄労働者国賊論ばかりがばっこし攻撃の本質が社会から完全に隠されてしまっている。真実を明るみに出すためには国鉄労働者自身が身体をはってストライキに立ち上がるしかないこと。第3に、われわれが立ち上がることによって国鉄労働者全体の決起をつくり出すこと、そのためには断固たる数波のストが必要であること。第4に、国鉄労働者が一方的に侮辱され、選別され、袋叩きにあっている職場の力関係を変えること。第5に、こんな精神状態のままハンドルを握ったら必ず事故が起きる。組合員の多くが運転士である動労千葉にとってそれだけはさせてはならないこと、である。

この決断ができたのは、青年部問題をめぐる激論や船橋事故闘争を通して闘う団結と強力信頼関係が確立されていたこと、攻撃の本質を眼を逸らすことなく訴えて組合員を組織してきた〃時代認識に基づく団結〃があったからである。

正午を期してしストに突入。総武線発進せず。

4 うちに秘めた決意

決断を下してからは右顧左べんせずに進むだけだった。職場はすでに嵐の渦中にあって、のらりくらりと逃げ回る国労の役員たちと国労組合員も含めた激論が毎日のように繰り広げられ、家族も含めた地域集会では「地面に頭をすりつけてお願いしたって3人に1人はクビにされる。だからクビをかけてでも誇り高く闘うことを決断した」という議論が、家族を前に率直に行われた。組合員は腹をくくって巨大な敵に立ち向かう決意を固めていた。闘争方針への信頼は揺らがなかった。全国にも闘いの支援を呼びかけ、生活と闘いを支える財政基盤確立の準備にも闘争前から着手した。

当時委員長だった中野さんは、もう一つ固い決意をうちに秘めていた。「この闘いで日本労働運動の限界をのり越えてみせる」という決意である。日本の労働運動の歴史を見ると、国家をあげた攻撃に立ち向かって団結を守りぬいた経験が一つもない。三池しかり、国鉄新潟闘争しかり、歴史に残るような闘いを展開しても、すべて宿命的に分裂し潰されていく。労働組合がこの程度のものだとするなら、どうして労働者は社会の主人公だなどと言えるのか、この現実をのり越えなければならない。それがこの闘いに込められた最も大きな目標だったと言っても過言ではない。

津田沼駅前を埋めつくす動労千葉支援共闘の仲間たち

5 闘いが切り開いたもの (1)

こうして動労千葉は、大弾圧体制を打ち破って第1波スト、そして翌年2月の第2波ストに燃えるような決意で立ち上がっていったのである。その闘いはものすごい迫力をもって当局を圧倒し、少しでも触れれば火傷をするような力関係を生み出した。当局は躍起になって動労千葉を解体しようとしたが、組合員の団結と職場の力関係は全く揺らがなかった。

不当解雇28名・停職処分59名・減給処分337名をはじめとした前代未聞の重処分、3600万円のスト損倍訴訟、千葉―東京の動脈から動労千葉を排除するための業務移管、成田運転区廃止、大量の不当配転、12名のJR不採用、……。これだけの攻撃を受けながら動労千葉の団結はビクともしなかったし、こんな情況下でもスト破りを拒否して動労千葉に結集してくる仲間が多く生まれた。その闘いは、間違いなく戦後日本労働運動が生み出した最高の地平であった。

6 闘いが切り開いたもの (2)

さらにこの闘いは、日本労働運動の“総崩れ”をくい止める重大な意味をもつものとなった。1波2波のストがなければ、国労がギリギリのところで踏み止まって修善寺大会で「大胆な妥協路線」を否決することも、その後国鉄1047名闘争という形をとって闘いが継続されることもなかったと言っても過言ではない。

またこの闘いを通して、動労千葉自身が企業の壁をこえて、11月集会の呼びかけや国際連帯闘争への踏み出しなど、労働運動全体に責任をもつ立場に自らを飛躍させていったことも決定的であった。動労千葉は決して活動家ばかりの集まりではない。ほかの組合と何も変わらないごく普通の労働組合だ。しかし、その団結のつくり方や路線・方針が正しければこのくらいのことはできることを証明したのである。

国鉄分割・民営化攻撃との攻防は今も何ひとつ決着がついていない。われわれの小さな闘いによって決着をつけさせなかったと言っても過言ではない。その攻撃は、労働、医療、社会保障制度、教育、税制、農政、公務員制度、行政組織、国と地方との関係、軍事・国防等、社会の全分野にわたる総攻撃であったが、今やその全分野が崩壊し、すべてが国防・戦争へと収れんされようとしている。すべてが労働者への犠牲となって転嫁され、我慢の限界をこえようとしている。誰もが社会の変革を求めている。今こそ1波2波のストライキがもった力を復権しなければならない。

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