6月20日15時より、動労千葉はDC会館において「故中村栄一書記長、故関豊中央支部副委員長追悼集会」を開催しました。ご遺族をはじめ組合員、全国から駆けつけてくれた仲間達270名で会場の会議室はあふれるほどの人となりました。集会は、黙とうから君塚副委員長の開会あいさつ、司会で進行しました。
主催者あいさつ
動労千葉執行委員長 田中康宏
お忙しい中お集まりいただき御礼申しあげます。中村書記長は、心の底から動労千葉に命をかけた人物でした。中村書記長は、仲間を大事にする親分肌で組合員の信頼は絶大でした。関さんは79年の動労千葉結成の中心にあった初代執行委員であり、産みの親とも言える存在でした。関さんをなくして動労千葉は語れません。しかし、悲しみに沈んでいることはお二人とも望んでいません。志半ばで倒れた遺志を引き継ぎ、前に進みたい。動労千葉は組織の死活をかけた攻防戦に入っています。共にスクラムを組んで起つ決意を固めています。今日は、
前を向いてみんなで語らい、決意を固める場にしたいと思います。
追悼の言葉
集会では動労千葉顧問弁護団や三里塚反対同盟など多くの団体、個人の皆様から追悼の言葉をいただきました。【あいさつはは次号で紹介します。】
動労千葉からは、それぞれの出身支部の支部長と長田書記長代行が追悼の言葉を述べました。
書記長代行 長田敏之
中村書記長の訃報に接し様々な思いをめぐらせました。書記長代行を引き受けるにあたって栄一の築いてきたこの体制を引き継げるのか悩みましたが、組合員に動揺を与えてはならない、その思いから代行を引き受けました。中村書記長は、非協力闘争を前に「三役は首をかけて闘う決意をもっている」と訴えた。われわれが決意を固めれば組合員はついてきてくれる。この決意が組合員を引っ張ってきた。一層団結を固めて、闘いの成果を勝ちとっていかなければなりません。組織を拡大することが何よりの供養となることを確信します。腹を固めた以上、団結の中心にすわれるよう闘っていくことを表明します。
千葉運転区支部長 椿 裕明
多くの組合員、支援の仲間が結集されありがとうございます。中村栄一は、スト破りはしたくないと国労から動労千葉に入ってきました。就任して三年目、組合員に栄一の信念が通じて04春闘での勝利につながったと思います。これからも中村栄一と一丸となって組織拡大、安全で楽しい職場をつくるためにがんばります。
新小岩支部長 佐藤正和
田中、長田さんを支えて新小岩支部は最先頭で闘う決意です。関さんは清廉潔白、質実剛健、文武両道の人です。支部長はかくあるべきだと思います。動労千葉に命をかけていると言い続ける男でありたいと思います。
御遺族から
ご遺族を代表して、中村紀代司さん、関修さんからあいさつをいただきました。
中村紀代司さん
本日はまことにありがとうございます。栄一は家に帰ってきても仕事のことは何も言わないんですよ。最近ずいぶん太ったなと言ったら、大丈夫だよと言っていたんですけれどこういうことになって。皆様には大変お世話になりました。
関 修さん
長男の修です。葬儀にあたり沢山の方々にお手伝いいただきありがとうございました。入院して2週間くらいして、外出もままならなくなり、最後にDC会館の方に行きたいと申しまして動かせる体ではなかったんですけれど連れてきて、皆様に会えたことで本当に悔いがなく、逝けたと思います。本日はありがとうございました。
献杯のことば
一部の最後に中野常任顧問のあいさつと献杯の音頭で全員が献杯し、中村書記長と関さんを偲びながら集会は続けられました。最後に参加者全員が組合歌を合唱し、団結ガンバローで終了しました。
動労千葉常任顧問 中野 洋
二人には、動労千葉をこよなく愛し、酒をこよなく愛した共通項がある。故中村書記長は叩き上げの組合員より動労千葉らしい男だった。動労千葉の中村、これが全ての判断基準であると彼は仲間にも言っていた。関さんとは勝浦機関区で一緒に仕事をしてきた仲間であり、どんな困難にもひるむことがなかった。動労千葉がこういう男達をつくったことに誇りをもっている。動労千葉は危機に直面しました。こういう状況の中で長田書記長代行が起った。これこそ動労千葉であり、危機のハードルを一つ越えたと思った。動労千葉魂は確実に受け継がれる。田中―長田体制のもと運転保安闘争や若い平成採の獲得を実現することが追悼の意になると思う。