労農連帯を一層強め、三里塚·ジェット闘争を貫徹しょう!
日
悲しみを発くりに変え
1
2
0
21
2
1
–
二期工業阻止、備蓄ビロへ向けて
月進しようく利
0
5
0 0
0
戶員長進修集会
とが残されたわれ
ぎ廃港まで闘うこ
長 の遺志をうけつ
んが亡き戸村委員
ま、すべての皆さ
導者を亡くしたい
にとって偉大な指
くった。反対同盟
1
1.2.2.
一
※
※ ※
~
~
幕張グランド
11月 15日 9時
を成功させよう
ヘソフトボール大会
·~~~~ 122
ことを誓いあった。
~
新小岩
~
本
部一
~
成 田-
一
木更津
~
津田沼
~
~
律幕蘇勝
張我補
~
委員長追悼の一大決戦として12 ·16に決起する
全参加者が圧倒的な拍手でこれにこたえ、戸村
~
千葉転-
~
1
1
1
のとして鮮明にかたられた。
亡き後の反対同盟全員の闘いの決意を代表するも
塚闘争の基盤をつ
もって現在の三里
の犠牲、死をのりこえ、自らが身を挺した闘いを
の功績はまことに大であった。戸村委員長は多く
「反対同盟十四年間の戦いにとって戸村委員長
とりわけ石橋副委員長のことばは、戸村委員長
が述べられた。
阻止、空港廃港へむけて闘う決意と追悼のことば
が立って、それぞれ悲しみをのりこえ、二期工事
隊代表、二期工区敷地内島村良助氏、小川嘉吉氏
谷川婦人行動隊長、青柳老人行動隊代表、青年行動
反対同盟から石橋副委員長、内田行動隊長、長
(よみがえ)』らせてほしい」と訴えられた。
した。空港廃港への勝利の中に、戸村一作を『蘇
があるが、三里塚の農民が戸村一作を真の柱石と
家造りの捨てた石が隅の柱石となる』という言葉
者であった兄一作氏をしのんで、「聖書の中に『
に、こよなく芸術を愛し、自らも敬虔なキリスト
志だ」と述べ、戸村義弘氏は闘士であったと同時
勝次氏は、「実力闘争·空港廃港こそ父一作の遺
氏から遺族としてのお礼のことばが述べられた。
れた。戸村夫人、御子息の勝二氏、弟の戸村義弘
つづいて全員が黙々と献花を捧げるなかで行なわ
分間の黙禱により開始され、遺族の方々の献花に
集会は、北原事務局長の司会のもとに全員の一
残されたわれわれの使命
遺志をうけつぎ廃港をかちとることが
利をもって応えることが戸村一作委員長への真の追悼であると確認しあった。
石橋副委員長––
こめて語った。
た関川委員長は、
見ていて下さい
––関川委員長
ぎ最後まで闘う」
こめた追悼のことばが語られた。
話し合い路線』なる同盟破壊策動を粉砕して、
戸村委員長、目をみひらいて私達の闘いを
会を現地で開催する」との特別報告が提起され
日に、本年最大の大動員をもって全国総決起集
を強化する。当面、事業認定切れの十二月十六
今後も創意工夫をもって空港実力廃港への闘い
集会の最後に北原事務局長から「同盟は、「
つにして、三里塚闘争勝利の日まで闘う決意を
つづいて各支援団体が次々と立って、心を一
私達の闘いを見守っていて下さい。」と闘魂を
を強め闘います。戸村委員長、目をみひらいて
争を継承発展させるものとして今後も労農連帯
トライキで七本止めた。動労千葉は、三里塚闘
て労働者の力をもってジェット列車を二波のス
連帯の理解者であった。われわれはこれに応え
働者の闘いに深く理解を示した最も良き労農
民は農地を武器に、動労は鉄路を武器に』 と労
て全国の闘うすべての者の指導者だった。 『農
「戸村一作委員長、あなたは反対同盟、そし
共闘団体の最初にたって追悼のことばを述べ
『三里塚は正義の闘いだ』といった遺訓をうけつ
の生存権·生活権を守る闘いだ。戸村委員長の
われの使命である。二期工事阻止は、われわれ
= 全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉碎せよ!
五〇名をもって参加した。
追悼集会の全参加者は、悲しみをのりこえ反対同盟十四年
解放同盟、住民団体、支援団体約三、〇〇〇名が結集し、動労千葉からも各支部代表動員
間の闘いの最先頭で闘い抜かれた戸村一作委員長の思想と精神を受けつぎ、三里塚闘争勝
追悼集会には、全戸動員をもって参加した反対同盟を先頭に、全国の戦闘的労組、部落
十一月十一日、三里塚第一公園で、空港反対同盟戸村一作委員長追悼集会が開催された。
戸村委員長追悼集会開催さる
動芳千葉
79.11.13
No. 274
(鉄電)二二五八~九·(公衆)四さ(2)七二〇七
千葉市要町二·八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
日
悲しみを発くりに変え
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二期工業阻止、備蓄ビロへ向けて
月進しようく利
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戶員長進修集会
とが残されたわれ
ぎ廃港まで闘うこ
長 の遺志をうけつ
んが亡き戸村委員
ま、すべての皆さ
導者を亡くしたい
にとって偉大な指
くった。反対同盟
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1.2.2.
一
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幕張グランド
11月 15日 9時
を成功させよう
ヘソフトボール大会
·~~~~ 122
ことを誓いあった。
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新小岩
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本
部一
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成 田-
一
木更津
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津田沼
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律幕蘇勝
張我補
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委員長追悼の一大決戦として12 ·16に決起する
全参加者が圧倒的な拍手でこれにこたえ、戸村
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千葉転-
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のとして鮮明にかたられた。
亡き後の反対同盟全員の闘いの決意を代表するも
塚闘争の基盤をつ
もって現在の三里
の犠牲、死をのりこえ、自らが身を挺した闘いを
の功績はまことに大であった。戸村委員長は多く
「反対同盟十四年間の戦いにとって戸村委員長
とりわけ石橋副委員長のことばは、戸村委員長
が述べられた。
阻止、空港廃港へむけて闘う決意と追悼のことば
が立って、それぞれ悲しみをのりこえ、二期工事
隊代表、二期工区敷地内島村良助氏、小川嘉吉氏
谷川婦人行動隊長、青柳老人行動隊代表、青年行動
反対同盟から石橋副委員長、内田行動隊長、長
(よみがえ)』らせてほしい」と訴えられた。
した。空港廃港への勝利の中に、戸村一作を『蘇
があるが、三里塚の農民が戸村一作を真の柱石と
家造りの捨てた石が隅の柱石となる』という言葉
者であった兄一作氏をしのんで、「聖書の中に『
に、こよなく芸術を愛し、自らも敬虔なキリスト
志だ」と述べ、戸村義弘氏は闘士であったと同時
勝次氏は、「実力闘争·空港廃港こそ父一作の遺
氏から遺族としてのお礼のことばが述べられた。
れた。戸村夫人、御子息の勝二氏、弟の戸村義弘
つづいて全員が黙々と献花を捧げるなかで行なわ
分間の黙禱により開始され、遺族の方々の献花に
集会は、北原事務局長の司会のもとに全員の一
残されたわれわれの使命
遺志をうけつぎ廃港をかちとることが
利をもって応えることが戸村一作委員長への真の追悼であると確認しあった。
石橋副委員長––
こめて語った。
た関川委員長は、
見ていて下さい
––関川委員長
ぎ最後まで闘う」
こめた追悼のことばが語られた。
話し合い路線』なる同盟破壊策動を粉砕して、
戸村委員長、目をみひらいて私達の闘いを
会を現地で開催する」との特別報告が提起され
日に、本年最大の大動員をもって全国総決起集
を強化する。当面、事業認定切れの十二月十六
今後も創意工夫をもって空港実力廃港への闘い
集会の最後に北原事務局長から「同盟は、「
つにして、三里塚闘争勝利の日まで闘う決意を
つづいて各支援団体が次々と立って、心を一
私達の闘いを見守っていて下さい。」と闘魂を
を強め闘います。戸村委員長、目をみひらいて
争を継承発展させるものとして今後も労農連帯
トライキで七本止めた。動労千葉は、三里塚闘
て労働者の力をもってジェット列車を二波のス
連帯の理解者であった。われわれはこれに応え
働者の闘いに深く理解を示した最も良き労農
民は農地を武器に、動労は鉄路を武器に』 と労
て全国の闘うすべての者の指導者だった。 『農
「戸村一作委員長、あなたは反対同盟、そし
共闘団体の最初にたって追悼のことばを述べ
『三里塚は正義の闘いだ』といった遺訓をうけつ
の生存権·生活権を守る闘いだ。戸村委員長の
われの使命である。二期工事阻止は、われわれ
= 全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉碎せよ!
五〇名をもって参加した。
追悼集会の全参加者は、悲しみをのりこえ反対同盟十四年
解放同盟、住民団体、支援団体約三、〇〇〇名が結集し、動労千葉からも各支部代表動員
間の闘いの最先頭で闘い抜かれた戸村一作委員長の思想と精神を受けつぎ、三里塚闘争勝
追悼集会には、全戸動員をもって参加した反対同盟を先頭に、全国の戦闘的労組、部落
十一月十一日、三里塚第一公園で、空港反対同盟戸村一作委員長追悼集会が開催された。
戸村委員長追悼集会開催さる
動芳千葉
79.11.13
No. 274
(鉄電)二二五八~九·(公衆)四さ(2)七二〇七
千葉市要町二·八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合