昨日、衆議院国鉄改革特別委員会で、 いわゆる国鉄関連法案が強行採決された。
国鉄労働者をはじめ、多くの国民が少なからず感じている不安、疑問、問題点 など何1つ解明されないままである。そしてマスコミは、「国鉄分刮・民営化、来年4月1日確定的」などと無責任に報道している。
こうした尋常ならざる状況のなかで、私はこの拙文を綴っているが、胸中、こみあげてくる怒り、いきどおりを抑えることができない。
ましてや、「昔の国鉄は良かった」とか、千葉鉄道管理局はこうして発展してきた」等々、ノスタルジーにふける気分にはとてもなれない。
私は、国鉄労働者として、国鉄労働運動のひとりの指導者として、この暴挙に対して現場から告発しつづけることが任務であると思う。
私たら動労千葉は、1979年3月、動労中央本部を牛耳る革マル系分子の組合私物化に抗して分離独立し結成された1地方労組である。
全国鉄労働者の300分のI、千名の少数組合にすぎない動労千葉が、何故に、国鉄分割・民営化絶対反対を掲げて2波にわたるストライキを決行したのか。
或る人は、「蟷螂之斧をふるうとも」 ( 蟷螂の斧とは、力のない者が、自分の実力もかえりみずに強い者に立ち向かうことのたとえ。 ) と言い、国鉄当局は、「飛んで火に入る夏の虫」と言った。現に、解雇28名を含む約400名にのぼる国鉄労働運動史類例のない、不法、不当きわまりない報復処分が強行された。
それは、国鉄分割―民営化なるものが、第1に、膨大な長期債務を背負う国鉄財政の再建などでは全くなく、大資本とそれと結託する自民党による国鉄資産の横奪であること。
第2に、10万人に及ぶ戦後最大の首切りと国鉄労働運動解体攻撃であり、何よりも、国鉄赤字の張本人共が、知らぬ顔の半兵衛をきめこみ、自らの責任を頬かひりし、やれ「ブラ勤だ」「親方日の丸だ」などと1切の責任を国鉄労働者に転嫁するやり方に我慢ならなかったからだ。
このことは、ここ1年間の全経過からも、国会審議をみても、ますます明白になっている。いくら力づくで押し通そうとしても事実は消えないのだ。その証拠に、昨年7月26日、分割、民営化案を答申したのが、国鉄「再建」監理委員会であったにもかかわらず、いつ頃からか、最近では、政府自民党、国鉄当局とも、「 国鉄再建」とは言わず、「国鉄改革」としか言わないことを指摘するだけで充分であろう。
私は、この分割・民営化によって確実に予測される恐るぺき事態について、特に、鉄道輸送にとって最も重要な安全性の問題について直言したい。
私は、1958年、勝浦機関区(現勝浦運転区)で国鉄労働者としての第1歩を踏み出し、1960年以降、組合専従になった1973年まで13年間、SLの機関助士、気動車運転士として、輸送 業務の第1線に従事してきた。
この間、「安全は輸送業務の最大の使命である」という国鉄安全綱領のトップに掲げられている1節を、当局側からはきわめて観念的に、現場の諸先輩達からはきわめて具体的に耳にタコが出来る程叩き込まれてきた。
私が機関助士になりたての頃、1962年、あの悲惨な三河島事故〈写真〉が、そして翌年に鶴見事故が発生した。この2年連続の重大事故の発生をめぐって私がたまたま所属していた動労は、その構成員がすべて運転職場に従事しているという特殊性からも、大揺れに揺れ、運転保安闘争の強化が決定された。これは、簡単に言うと、輸送の安全を守るためには個々の労働者の努力や決意だけでは限界があり、労働組合が団結して闘う以外にない、つまり「闘いなくして安全なし」という考え方である。この運転保安闘争が、後の「闘う動労」への「変身」の発端となり、私自身組合運動への参加の契機ともなった。その後、この闘いは、反合。運転保安闘争として路線化され、いわゆる5万人反合闘争をはじめ熾烈に展開された。この戦闘的伝統は、これを敞履(へいり)のごとく棄て去った動労中央とは対照的に、私たち、動労千葉にはいまでも脈々として受けつがれ、すべての闘いのバックボーンとなっている。
そもそも資本制社会において、直接的利益を生まない保安部門への設備投資や保安要貝などを軽視もしくは無視するのは当然のことであって、労働者の抵抗や労働組合の闘いがあってはじめて、資本にそれを強制することができるのである。公共企業体たる日本国有鉄道にあっても、この資本主義の論理とは無縁ではない。
国鉄における安全とは、適性な労働条件、保安設備の充実、車両・保安部門の検査・修繕・点検体制、関係労働者の教育・訓練が四位1体となって確立されなければならない。
1960年以降、ここ20年間は国鉄当局のこの部門での手抜き、切り捨て、外注化などを中心とする合理化攻撃との闘いの歴史であり、労働組合の抵抗が、公共企業体だる経営形態をも活用しつつ、辛うじて列車の安全が維持されてきたといっても過言ではない。
しかし、いわゆる臨調・行革攻撃が開始されてから、ここ3年余、労働組合の屈服、とりわけ動労の転向のなかで、きわめて由々しき事態が進行している。
特に要員面においては、83年度首、350、800人が、86年度首では239、000人、実に11万人にも及ぶ削減が強行されている。さらに87年度首には、いわゆる余剰人員32、000人を含めた2I万5000人体制にするため、「61・11ダイ改」に伴う合理化を強行しようとしている。この数字を見ただけでも背筋が寒くなる思いがするのは私ばかりではあるまい。
すでに、「60・3ダイ改」から、動力車乗務員-運転士・機関士の勤務は超勤を前提とした勤務形態に改悪され、運転士・機関士-は、大変な労働強化が強いられている(列車乗務員-車掌-は「61・11ダイ改」から)。電車・機関車や線路の検査・点検・回帰は延長され、モーター部門の故障やレールのボルト折損などが全国いたる所で発生している。
それだけではない。「61・11ダイ改」を目前に千葉局管内では、断じて容認し難い事態が起っている。9月2四日、当局は、総武快速線専門の運転士に対し「隣の線路だから」といって、緩行線の運転を強制し、これに当然のことながら「緩行線は未経験なので線路見習を」と要求した運転士に対し、「いやなら乗務しなくてもよい」と暴言をはくという事態がおこった。さらに10月27日を期して外房線・茂原駅を中心に切り替えられる新線(総延長7キロ)に対しても、「上(高架)の線路だから」という理由で該当乗務員の線路見習を実施せずに、机上訓練のみで運転を強制するという、つい1年前いや半年前には考えられなかったような事態が起った。
線路見習とは、別に労資で協定化したものでもなく規則化されているものでもない。いわぱ国鉄100年余の歴史と先人達の智恵が生みだした安全確保のための制度として存在していたものである。
運転士・機関士は、信呼の建植位置、勾配の有無、曲線、駅ホームの状態などを体で熟知していないと、定められた時刻表通りに正確かつ安全に列車を運転することはできない。だから、新線はもとより、既存の線区でも病気など何らかの理由で3ヵ月以上、同1線区を乗務していない運転士・機関士は、必ず、本務でハンドルを握るまえに線路見習を行うことが、当局も含めて常識のことであった。おそらく国鉄当局は、こうした国鉄の安全輸送を保障してきた制度を「悪慣行」として、「民間会社になったらこんな悠長な ことはやっていられない」とばかりになし崩し的に改悪するつもりであることに間違いない。
国鉄だろうと民鉄であろうと列車の安全に区別はない。動労干葉は、かかる暴挙に対して当然にも厳しく抗議し、線路見習の実施を要求したが、千葉鉄局は団体交渉事項」ではないと団交それ自体を拒否してきたのだ。
いまひとつ、国鉄の現場では異常な雰囲気がまんえんしていることを指摘せざるを得ない。いま、国鉄の現場では無法がまかり通っている。「お上の威光に逆う者は」式の恐怖政冶が、虎の威を借りた弧、国鉄版ゲシュタボ、動労内革マル分子を先兵に巾をきかせている。国鉄「改革」の名分のもと、分割・民営化攻撃に抵抗する労働者、労働組合はもとより、正論を吐く労働者も、すべて差別・選別の対象とされ、人活センター送りだ。
こうした雰囲気が跋扈するなかで何よりも恐しいことは、各々の職責を全うするための意見がすべて「国鉄改革に仇なすもの」としてしりぞけられ、口をつぐんでしまう異常な状態になっていることである。東海道新幹線の雨量測定をめぐり担当者が処分されたと聞くが、これなどその典型的事例ではないであろうか。
ともあれ、動労千葉は、10月27日未明から再び3度順法闘争に突入する。
国鉄の安全を守るために、国鉄労働者の首切りを許さないために、その元凶である国鉄分割・民営化を粉砕するために闘い続ける。それが国鉄に働く者の、従って国鉄の労働組合の責務であると考えるからだ。
1986年9月 国鉄千葉動力車労働組合執行委員長