破産に次ぐ破産
JR東日本による検修・構内合理化―外注化攻撃は、破産につぐ破産を重ねてきた歴史であった。提案しては立ち消え、強行実施しても破産するということが繰り返されてきたのだ。
その結果、てっとり早い要員削減策として、検査周期がつぎはぎ的に幾度となく延伸され、車両基地・工場の統廃合が強行された。そして行き着いたのが、車 両故障による運転支障の発生率が大手私鉄の10倍以上という現実であった。これは本来なら、本社運輸車両部は責任をとって総辞職するしかない事態だ。
たが、なぜこんなことが起きたのか。
何よりも「メンテナンスコストを削減しろ!」という号令だけが優先され、作る計画、作る計画が、現場の実態・検修業務の現実と全くかけ離れた何の整合性も無いものだったからだ。
車両検修業務は、国鉄分割・民営化の直前に、首切り要員を生み出すために、検査周期延伸、台車検査の廃止を中心とした大合理化が強行された。すでにその時点ですでに無理が生じていたのである。
1991年
JR発足後の検修・構内(メンテナンス部門)の合理化は、住田社長(当時)の「仕事の3分の1は線路とか電車の保守。これを克服していくのがこの10年間の大きなテーマ」というかけ声のもとに始まる。
91年5月に提案された『新しい保全の考え方による新検査方式』は、①検査と消耗品交換の分離、②乗務員の出区点検の廃止、③機能確認検査の機械化、④分解検査から非分解検査への転換、⑤機器固有の劣化特性に対応した最適検査周期の決定等を掲げる合理化攻撃であった。
とくに、《交番検査―仕業検査一出区点検》という検査体制を《月検査一列車検査》に簡略化するのが眼目であった。「月検査」というのが交番検査を簡略に したもので、「列車検査」は「出区点検なみの検査」とされ、実質的には仕業検査の廃止を意味するとんでもない攻撃だった。
誰がどう見ても、そんなことは無理があるのは始めから判っていることであった。結局この提案は実施されることなく立ち消え、この時も検査周期だけがさらに延伸されることになる。
1993年
次の攻撃は1993年であった。この年の10月、「構内入換業務等の部外委託について」という 提案が行なわれている。
これは、「①区所構内における運転操縦業務、②出区点検、③誘導、④車両の解放・連結作業、⑤仕業検査業務、・⑥その他当社が指定した業務」を外注化す るという提案であった。当時は、民営化時た導入された・「55歳原則出向」という悪制度の下にあったが、それを逆手にとって構内・仕業検査業務を外注化し ようという攻撃であった。
だが、労働者は会社の思うがままに言うことを聞く存在ではなかった。また、外注先となる車両整備会社にも、構内運転や仕業検査を請け負って管理・運営していける体制は全くなかった。結局これも実施されなかったのである。
結局その過程で起きたのは、構内運転と仕業検査の融合化等による要員削減でしのいでいくというやり方であった。
2000年
こうした相次ぐ破産の結果打ち出されたのが、1999年の業務外注化の推進を前提とした『シニア制度』提案であり、2000年9月の『グルーブと一体となった業務体制の構築(運輸車両関係)」提 案であった。ここで「委託する業務」とされたのは、あらためて記せば、①交番検査、②車輪転削、③ATS・ATC特性検査、④事故復旧、⑤消耗品交換、⑥ 構内入換、⑦誘導、⑧車両の解放・連結、⑨構内計画、⑩その他構内業務である。 この時は、91年提案では廃止対象にされ、93年提案では「委託する業 務」とされていた仕業検査はなぜか抜かれていた。 ここにもJR東日本の、猫の目のように変わる無定見ぶりが示されている。それ自体、検修業務をどれほど 軽々しく考えているかの表れである。
この攻撃は、東労組の裏切り妥結を前提として実施に移されるが、千葉では、後に京葉車両センターの車輪転削業務が外注化されただけで、全くと言っていいほど実施できず、全国的にも、構内運転と交番検査、車輪転削の一部(業務量として
も300人弱)が外注化されただけで、結局は破産したのである。
結局、「他の企業に抜きんでた素晴らしい制度」などと、東労組が大宣伝したにも係わらず、現場の労働者は見向きもしなかったのだ。
2002―03年
こうした状況の中で、2002年には『新保全体系』が始まり、2003年5月には、『保全一元化=工場と区所の融合化』をうたった『メンテナンス近代化第 四期計画』が提案される。これは、車両職600人の削減を掲げた大合理化計画だったが、「新保全体系」は要するに検査の手抜きと検査周期の延伸である。
一方、「メンテナンス近代化第3期」は、検修基地・工場の統廃合計画であった。このときに電車区は「車両センター」、工場は「総合車両センター」と呼称 も変え、習志野電車区や武蔵小金井電車区の廃止、鎌倉総合車両所の工場機能廃止等が打ち出され、総武快速線217系検修業務が、幕張から鎌倉総合車両所に 移管された。
その結果もたらされたのは、故障が発見されても修繕する体制がなく、故障していることを報せるシールがベタベタ貼られたまま、半年以上も放置されたまま 電車が走っていたり、木更津で起きたように、検査周期の管理すらできなくなり、「車検切れ」の列車が営業運転をしたりという現実である。
つまり、「メンテナンス近代化第3期計画」も完全に破産したのだ。
2009年
昨年10月に提案された丸投げ的な外注化攻撃は、こうした検修・構内合理化の破産の結果の産物でしかない。
20数年の全過程を通して、車両職の養成がほとんど放棄され続けてきたことにある。この会社には未だ車両職の養成体系すらない。要するに、切り捨てる対象でしがなかったためにこんなことがまかり通ってきたのだ。
会社自身、『鉄道車両固有の技術を継承する社員が少ない』『専門的な技術・技能のレベルアップが低下する』と言って悲鳴を上げているのが現状ではないか。
例えば幕張車両センターでは、この一年のうちに検修・構内業務が要員的に完全にパンクするという事態に直面している。どこの車両センターも実態は大差な いはずだ。それを全面的な外注化で何とかのりきろうというのだ。だが、それは現在の危機を何年か先延ばしするだけのことだ。延ばせば延ばすほど、矛盾はよ
り大きな澗題となって爆発する。
今回の攻撃は、あらゆる面で、これまで以上に破産的である。▼偽装請負のオンパレードとなること、▼今でさえ危機的な技術継承が間違いなく断絶するこ と、▼それは安全の崩壊となって噴出すること、▼そして何よりも文字通りの丸投げ=別会社化に行き着かざるを得ないこと、▼職場には東労組の裏切りへの激 しい怒りの声が渦巻いていること等だ。強制出向が大量に発生することひとつとっても、そこで現場が激しく抵抗したら一体どうするのか。
闘えば必ず阻止できる! 4月1日実施を阻止しよう!東労組の裏切りを許さず、今こそともに立ち上がろう。