JRの本質を示す象徴的な事態
京葉線快速廃止問題については、千葉県知事や千葉市長、京葉線の直通運転を行っている内房線、外房線の沿線の自治体の長がこぞって大反対の声を上げて大きな社会問題になっている。
沿線住民の生活基盤を根本から揺るがしかねない重大なことを議論一つせず、一方的に強行する。常識的には考えられないような傲慢なやり方に対し、怒りの声が噴き出したのだ。
この間のJR東日本の「労組なき企業化」や融合化攻撃と同じやり方だ。労働組合を無視して労働者を駒のように駆りたてるやり方を、そっくり地域に対しても適用したのだ。
在来線の3割以上を廃線化しようという攻撃もそうだが、これは現在のJRの本質を示す象徴的な事態だ。
生活の根幹が揺らぐような問題
昼間帯だけは何本か快速列車を残して、朝夕の通勤時間帯は全廃するというやり方(黙っていれば来年は完全廃止になっていたと思われる)に対し、激しい怒りがおきるのは当然だ。
例えば「誉田駅から東京へ通勤快速で52分」と宣伝されて住宅を購入した人は、快速列車を前提に生活基盤が成立してる。
そもそも千葉県は東京の巨大なベッドタウンで、国鉄時代以来その通勤を担うことが千葉の鉄道会社としての最大の使命だった。今もそれは変わってない。JR東はその基本を全部かなぐり捨てようとしているのだ。
背景にある深刻な問題
しかし、何故こんなことをしなければならないのか。その背景には、さらに重大な問題がある。それは、1月2日の羽田空港での海上保安庁機と旅客機の衝突事故にもつながるような深刻な問題だ。
羽田空港事故の原因の根底にあるのは、管制官の人数が激減する一方、取り扱う航空機の発着回数が激増してることだ。管制業務のすさまじい増加によるストレスと、緊張の連続が航空管制官に集中してる中で起きた事故であった。
航空管制官に当たるのが、鉄道でいうと指令員で、各線区ごとに指令員が配置され、恒常的に無線で列車と連絡を取りながら運行が確保されている。特にダイヤの乱れた時に列車をどう動かすのかは指令と運転士とのやり取りの中で行われる。それがJR体制の下では、指令員を育てるという発想自体が全くなくなってしまった。運転経験すらいくらもない者が指令員に当てられ、使えなければ、どんどん変えていけばいいというような人事運用が行われるようになった。列車整理は、AIによる支援システムがあるから指令員など誰でもいいというのがその根底にある発想であった。しかし、支援システムなるものがまともに機能した試しはない。
指令までが素人化
快速列車廃止という乱暴極まりない〝政策〟の背景には、こうした列車整理をまともにすることが出来なくなった現実があると考えて間違いない。
京葉線は、各駅列車を快速列車が追い越し、それを特急列車が追い越し、さらにその合間に貨物列車が走るという形で運行されている。輸送混乱時にそれを整理することができなくなっているのだ。しかし、今のJRはそれができるような指令員を育成しようという発想は全くない。
JR東日本は、鉄道部門で働く労働者を「付加価値を生まない者」として白眼視し、「運転士」「車掌」も、「車両技術係」「施設技術係」も、現場の職名を全て廃止し、「名無しの権兵衛」にしてしまったのだ。
かつては、一人の運転士を育てるのに2千万円もかかるといわれていた。JRはもうそんなカネをかけて技術力を持った労働者を育てるつもりはないという。〝列車整理などできなくていい、快速を廃止し、ダイヤを単純化してしまえばそれで済むことだ〟というのが、今回の攻撃の背景にあるものだ。
JRは今、「鉄道ありきでものを考えるな」「これからは鉄道をもったIT企業になる」(深澤社長)と言って、JR銀行を設立して、巨大な金融会社、不動産デベロッパーになろうとしている。鉄道部門は、もはや〝お荷物〟としか考えなくなっている。そうした本末転倒した発想の矛盾が沿線の人たちの生活や社会を破壊して暴れまわろうとしているのである。
しかし、一番恐ろしいのは、こんなことを続けていたらいつか必ずその矛盾は尼崎事故や羽田空港事故を引き起こすということだ。安全崩壊・鉄道崩壊を止めなければならない。
かつての国鉄時代は指令室に配属するときは、長期に経験を積むことを前提としていた。輸送混乱等の列車整理は熟練が必要な仕事で、指令室に入ると異動することができず、昇進が遅れてしまうことに不満が出て、指令室内で昇進していけるような制度を作ったぐらいだった。それが今はインスタントになっている。
列車運行の単純化と京葉線のワンマン化
京葉線快速廃止には、もう一つの狙いがある。車掌廃止だ。
現在JR東日本は、ワンマン化を急ピッチで進めている。京浜東北線や山手線も含め、基本的に全線区で車掌を廃止しようとしている。
京葉線は特に風で列車が乱れることが多い。快速や特急、貨物列車と交換する駅がどんどん変わっていく。乗客への対応を含め、運転士ひとりでそれをこなすことなど不可能だ。それで快速を廃止してしまえというのだ。
羽田事故と客室乗務員
羽田空港衝突事故で事なきを得たのは、労働組合の闘いによって会社の要員削減攻撃を跳ね返し、客室乗務員が各非常口と同じ数で乗務していたからだ。もしこの要員体制を確立していなかったら、何百人の犠牲者が出ててもおかしくなかった。車掌を廃止したら同じことが起きる。
地震などの災害が起きたらどうするのか。乗客を誘導しなければいけなくなった時に、運転士一人で数百人数千人の乗客を誘導できるのか。世の中全体が不穏になっているが、車内で何か事件があっても対応するどころか気づくことすらできない。
こうして鉄道の安全はどんどん損なわれていく。快速廃止という形で、地域に犠牲を強いる背後には、こうした問題が隠されている。特に京葉線は、東京との大動脈にも係わらず、モデル的に、徹底的に省力化されてきた。自動改札脇の兼掌口すら駅員がいるのは一日の中でもごくわずかな時間だけだ。安全上の問題はもとより、高齢者や障害者の鉄道利用もすべてを切り捨ててきて、ついに快速廃止にまで行き着いたのだ。
ローカル線廃線化反対の闘いと結合して
動労千葉は、今度のJR京葉線快速廃止の問題に対して、JR東日本が鉄道部門を切り捨てて、濡れ手に粟の利益を生むような不動産部門とか金融部門に乗り換える、これがもたらす安全の崩壊、鉄道崩壊に対する闘いとして、地域の住民とも連帯し、ストライキにたちあがる。
JR東は、在来線の35㌫が赤字だからと廃線にしようとしてるが、京葉線の快速廃止は、それと一つの攻撃だ。ローカル線廃線化反対の闘いとも結合して声を上げていかなければならない。
民営化によって鉄道会社が私企業の利益と株主の利益をまず第一に考えて列車を運行する、その矛盾が爆発的に現れているのだ。改めて民営化反対を掲げて闘っていこう。