戦後労働運動をどう乗り越えるか
伊藤晃氏講演(全支部活動者研修会)
第20回全支部活動者研修会が1月22~23日、上諏訪で開催された。
一日目は、田中委員長による「階級的労働運動の復権をめざして とりまく情勢と外注化阻止闘争」、長田書記長による「外注化、基地統廃合決戦と3月ダイ改、12春闘を中心とした当面する取り組みについて」が提起され、渦中の外注化阻止闘争、基地再編攻撃阻止闘争を皮切りに組織拡大闘争に打って出ることが確認された。
二日目は、伊藤晃氏(労働運動研究家)による「戦後労働運動史と国鉄労働運動」と題する講演を受けた。この講演は、昨年11月の韓国における日韓理念交流での講演を元に、動労千葉の反合・運転保安闘争を戦後労働運動の歴史のなかに位置づけて論じられ、初日の闘争方針に大きな確信を与えるものとなった。
以下、伊藤氏の講演の要約する。
企業組合とその分裂―団結をどう組織していくのか
伊藤氏は、はじめに日本の労働運動の現況に触れ、新自由主義攻撃、原発災害という現実に対して、日本の労働運動が受動的であり、何も有意なことができていないという現状をどう変革するのか、という立場から戦後労働運動史を研究する必要性を感じ、この観点から総評敗北の過程、とりわけ組合分裂を阻止できなかったこと、そして反合理化闘争に失敗したことの2点に重点をおいて提起された。そして、このなかで動労千葉の運動にあらためて光を当てるものであった。
企業別組合が分裂していく過程として、第2組合が多数派になっていくもの、第1組合内の右派が組合をのっとっていくもの、そして左派組合自体が内部的変質をするものとがあるが、団結をどうつくりだしていくかという運動のつくられ方に問題があるのではないかという疑問を呈した。
その点は、’57年国鉄新潟闘争でも顕著に現れた。実質的なストライキ状態にまでもちこんだ現場の実力闘争を「労働者の弱さ」を理由にして収束させた総評・国労指導部への不信感、失望、組織の大動揺が結果として組織を弱体化させた。闘争の中で労働者の意識が変化し、強固な団結へと変わっていくことに確信をもてず、またそのように団結を高めていくことができなかった指導部のあり方が、第2組合を克服できない大きな理由ではないか。
団結の本質は、労働者の中に積極的・能動的な集団意志をつくることであり、その形成は、労資対立のなかで労働組合による労働者の共同の団結と連帯によって問題を解決するという選択をとる過程のなかでできていく。闘うことによって問題の本質が「わかる」という経験などを通して形成されていく。動労千葉が日常行っている運動がそれである。
反合理化闘争の可能性―動労千葉の闘い
三池争議など60年代を中心とした合理化の過程でも、合理化は「宿命」であり、仕方ないとした受動性と無為性のなかで敗北していった。しかし、マル生反対闘争の勝利と動労千葉の反合・運転保安闘争をみたとき、反合理化闘争の可能性をみることができる。とりわけ動労千葉の運転保安闘争が切り開いた地平は、一つは合理化や技術革新は必然ではないと明らかにしたことだ。技術は労資対立を越えた中立的なものではなく、合理化はむしろそれを進めようとする資本とこれに対する労働組合のぶつかり合いという労資対立の日常の中にある。
第2に、合理化はそれ自体の中に矛盾をはらんでいる。効率を求めスピード化を図ることと安全性の矛盾が生じる。この矛盾が事故を起こすことを動労千葉は闘いの中で発見した。船橋事故闘争で、事故原因は一般的に存在するのではなく、国鉄、企業がこの原因をつくった、その責任追及こそ大事なのだと合理化の矛盾を当局の責任として追及することができることを証明した。
さらに事故とその要因は、日常、目には見えないが、事故になる可能性が現場の労働者にはわかる。レール破断摘発闘争など、労働組合の役割として、それを社会に見える形にしていった。「技術」はそれを支える人間があって初めて成り立つ。「いつか事故が起きる。危ない」という労働者の感覚を科学に対置し、運動を行ってきた。こうした労働者の感覚を組織化しなくてはならない。動労千葉の闘いは巨大な労資対立の運動の最前線に位置する闘いだ。