·民営化 阻止!三里塚二期着工 粉 砕_
いま全国の動労広場で 何がくって いるのか !?!
NO)
NO.3
つ ばめ
第801号
!
昭和60年3月23日
編集 日本国有鉄道広報部
編集人 広報部長 本野色夫
-3
–
:
「すごへ職員100人派遣
一
話しています。
動
11
一
11
レンコリメール· 211:44:1
i
1
1
!
東京北局から18人がすでに就業
トラック部品の製造紙立て
P
통한る上升ぎん
ベラーーてつぎつみた-3まわい」
ラインン作ニ、野んがベルトコン
! : 分間に車ーむ」のははは」
国鉄当局が発行する『つばめ』
葉
F
.
のなさい とい上げ、職務
仕事とは…”
これほど大変な
85.5. 24
2
√
仕事は
ク部門の点、北村開け輸時など係者が、いすメは灵工出六
15
5
マ産エのゆさ!
4タのないクル
ミスやおくれが、やば
348ウィーン:
45
が、これほどんきなこととは思
小山特刚!酸校低 上音好富
はりされており、そのほれがり
一二年、午後ローテーション化も
はなんでもの気持で頑張ろう
『僚達のためにも吸収出来るも
て役立つよう、また後に続く
*ちとは、この経験が国鉄に帰
ダのなさを感じています。仲間
分間で」に車産業のすごさとム
マ産業の凄さ !!
ムダのないクル
一台を一
が、「車
ードです
とてもハ
小山電車区運転士 森戸幸一
仕事は
しての「決意」である。
記事が掲載された。
のすござとムダのなさを感じています。
ですが『車一台を一分間で』に車産業
森戸は言うー「仕事はとてもハード
で、資本のマル生教育にさらされてい
制され、身も心もクタクタにされる中
合理化を絶賛する“産業報国戦士” と
宮地本青年部長で革マル=森戸幸一の
の第一面を飾っているのが、元動労宇都
るのはよく知られているが、なんとそ
動労「本部」組合員が多数を占めてい
全国から一〇〇名の国鉄労働者が赴き、
いすぐ自動車への派遣第一陣として
「『いすぐ』へ職員一〇〇人派遣」の
産業報国戦士」=マル生分子の修行に励む動労革マル
自動車産業のライン作業はすばらしい…」
5.26
=5万人首切りを阻止するために
全力で10時成田運転区気
三里塚二期看工と国鉄分割·民営化」
里
正午·三里塚
中公園
No. 1946
者の敵を絶対に許すわけにはいかない。
修業にはげんでいるのだ。こんな労働
“国鉄の中にもち帰って生かす”べく、
(以下、つづく)
“車産業のすごさとムダのなさ”を
子は、今や、完全にマル生分子として
た奴)をはじめとする「本部」革マル分
オルグにも先頭に立ってのり込んでき
暴力支配してきた森戸(動労千葉破壊
永年にわたって動労青年部を反動的
のだ。
は「いやなら辞めたらいい」の一言な
労「本部」役員からの一致した“回答”
の悲痛な声にも出先き資本と国鉄と動
第八〇一号(三月二三日号)の一面に、
るのだ。
ではないか。
そして「元の職場に帰してくれ」と
運動と切断された中で過酷な労働を強
た約千名の動労組合員の多くが、労働
しかし現実は、民間企業に派遣され
まさに産業報国会運動の先兵そのもの
に働かなければならない」というのだ。
これを賞賛し「国鉄労働者もこのよう
動車産業に怒りを感ずるのとは逆に、
労働者を機械の如くこき使う非人間的自
森戸は、徹底した労務管理のもと、
いうのである。
気持ちで頑張ろうと話しています」と
ためにも吸収出来るものはなんでもの
て役立つよう、また後に続く同僚達の
仲間たちとは、この経験が国鉄に帰っ
J人首切り
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!
▲ミたびの「ち割動員」を実現して結集した動労千葉
国鉄千葉動力車労働組合
いま全国の動労広場で 何がくって いるのか !?!
NO)
NO.3
つ ばめ
第801号
!
昭和60年3月23日
編集 日本国有鉄道広報部
編集人 広報部長 本野色夫
-3
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:
「すごへ職員100人派遣
一
話しています。
動
11
一
11
レンコリメール· 211:44:1
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1
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東京北局から18人がすでに就業
トラック部品の製造紙立て
P
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ベラーーてつぎつみた-3まわい」
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! : 分間に車ーむ」のははは」
国鉄当局が発行する『つばめ』
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のなさい とい上げ、職務
仕事とは…”
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仕事は
ク部門の点、北村開け輸時など係者が、いすメは灵工出六
15
5
マ産エのゆさ!
4タのないクル
ミスやおくれが、やば
348ウィーン:
45
が、これほどんきなこととは思
小山特刚!酸校低 上音好富
はりされており、そのほれがり
一二年、午後ローテーション化も
はなんでもの気持で頑張ろう
『僚達のためにも吸収出来るも
て役立つよう、また後に続く
*ちとは、この経験が国鉄に帰
ダのなさを感じています。仲間
分間で」に車産業のすごさとム
マ産業の凄さ !!
ムダのないクル
一台を一
が、「車
ードです
とてもハ
小山電車区運転士 森戸幸一
仕事は
しての「決意」である。
記事が掲載された。
のすござとムダのなさを感じています。
ですが『車一台を一分間で』に車産業
森戸は言うー「仕事はとてもハード
で、資本のマル生教育にさらされてい
制され、身も心もクタクタにされる中
合理化を絶賛する“産業報国戦士” と
宮地本青年部長で革マル=森戸幸一の
の第一面を飾っているのが、元動労宇都
るのはよく知られているが、なんとそ
動労「本部」組合員が多数を占めてい
全国から一〇〇名の国鉄労働者が赴き、
いすぐ自動車への派遣第一陣として
「『いすぐ』へ職員一〇〇人派遣」の
産業報国戦士」=マル生分子の修行に励む動労革マル
自動車産業のライン作業はすばらしい…」
5.26
=5万人首切りを阻止するために
全力で10時成田運転区気
三里塚二期看工と国鉄分割·民営化」
里
正午·三里塚
中公園
No. 1946
者の敵を絶対に許すわけにはいかない。
修業にはげんでいるのだ。こんな労働
“国鉄の中にもち帰って生かす”べく、
(以下、つづく)
“車産業のすごさとムダのなさ”を
子は、今や、完全にマル生分子として
た奴)をはじめとする「本部」革マル分
オルグにも先頭に立ってのり込んでき
暴力支配してきた森戸(動労千葉破壊
永年にわたって動労青年部を反動的
のだ。
は「いやなら辞めたらいい」の一言な
労「本部」役員からの一致した“回答”
の悲痛な声にも出先き資本と国鉄と動
第八〇一号(三月二三日号)の一面に、
るのだ。
ではないか。
そして「元の職場に帰してくれ」と
運動と切断された中で過酷な労働を強
た約千名の動労組合員の多くが、労働
しかし現実は、民間企業に派遣され
まさに産業報国会運動の先兵そのもの
に働かなければならない」というのだ。
これを賞賛し「国鉄労働者もこのよう
動車産業に怒りを感ずるのとは逆に、
労働者を機械の如くこき使う非人間的自
森戸は、徹底した労務管理のもと、
いうのである。
気持ちで頑張ろうと話しています」と
ためにも吸収出来るものはなんでもの
て役立つよう、また後に続く同僚達の
仲間たちとは、この経験が国鉄に帰っ
J人首切り
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!
▲ミたびの「ち割動員」を実現して結集した動労千葉
国鉄千葉動力車労働組合