「滝口君守る会」運動
67年、国鉄5万人合理化反対闘争が激しく闘われた。運転職場では機関助士廃止が最大の焦点だった。こうした中で千葉地本は依然として右派執行部に握られていた。
しかし現場から戦闘的闘いが前進していた。その最大の拠点となったのが千葉気動車区と青年部であった。
当局は68年10月「勤務中飲酒事件」をでっち上げ当時新小岩支部青年部長の滝口誠さんを解雇した。また千葉気動車にはマル生攻撃が吹き荒れた。
しかし、敵の攻撃にひるむことなく、「滝口君守る会」運動を起こし組合員の過半数を超す組合員を組織した。
千葉気道車区支部と青年部
バリスト
69年春闘、千葉気動車支部では区長以下の全職制を入れ替え、警察機動隊が包囲される異常な弾圧体制のなかで職場にバリケードを築いてストライキが貫徹された。
71年を頂点とするマル生攻撃が吹き荒れたが、青年部、千葉気動車区支部の奮闘がこの攻撃を跳ね返し、地本全体を古い体質から脱皮させていく原動力となった。