動労千葉の団結はいかにして形成されたか? 「甦れ労働組合」(中野 洋著)より

「俺は労働者だ」

動労千葉の団結はいかにして形成されたかとよく尋ねられる。それは、いろんな言い方ができると思う。人によってそれはいろいろ違うかもわからない。ただ、動労千葉の場合は、「俺は労働者だ」ということをいつでも忘れなかったということだ。大切なことは指導部の姿勢だ。指導部のうち出す方針だ。そこが労働組合の団結に大きくかかわってくるものだ。僕も現場に帰ればいつでも運転士だという気持ちがあった。重要なことは「自分は労働者だ」ということを忘れないことだ。

職場の労働者を徹底的に信頼する

もう一つは、職場の労働者を徹底的に信頼することだ。労働者というのは結構こすっからいところもいっぱいある。結構いろんなところを見ているし鋭い。ずるいところもいっぱいある。にもかかわらず、労働組合は労働者あっての組織であり、現場あっての組織だ。だから現場を徹底的に、たとえどんなに裏切られても、信頼する。もしくは、現場に依拠するということを貫くことがまず前提だ。
僕などは現場からのたたき上げだから、それを支持する仲間がいなかったら書記長にもなれなかったし委員長にもなれなかった。僕は誰かに指名されてなったわけではない。現場から上がってきたわけだ。いわば現場の、「労働組合はこうでなければならない」「こうであっちゃいけない」「今の労働組合は何だしという声を代表して、組合でだんだんと上の役職を務めてきただけの話で、僕を押し上げたのは現場の労働者だった。だから僕はどんな時でもそこを忘れない。そうすれば、現場の労働者が何を考えて、どういう気持ちになっているのか。いいことも悪いことも、大変なことも嬉しいこともわかるわけだ。そこに踏まえないと的確な方針も出てこないし、決断もおかしくなる。労働組合の指導者は、決断する時はしなければいけない。進むも引くも決断だ。そうした決断は現場を信頼し、依拠するところがらしか生まれてこない。もちろん、政治情勢を見抜く力や資本の動向を的確に判断する力も絶対に重要だ。しかし、指導者というふうに言われたら、それは当たり前のことである。つねにそうあるべきだと思う。だから大切なことは、現場から遊離してはいけないということである。何か自分が偉い者になったみたいに、おごりたかぶってはいけないということだ。

戦後の日本の労働組合、総評傘下の組合を見ていると、特にそう思う。みんな現場から労働組合の幹部に上がっていく。一定の役職につくと、対当局や資本との関係などでちやほやされる。向こうはいろんな意図があるからだ。するとすぐその気になってしまう。そういうことが多い。自分が偉そうな立場に立ったみたいな幹部が多い。革マルの松崎などもその典型だ。

労働運動や労働組合運動を行うのに、あまり難しく考えないほうがいい。そんなに難しく考えないで、自分も労働者だから労働者の中に入っていって渡り合い、いろいろやっていけばおのずから労働者はわかってくれる、理解してくれるという確信が大切だ。もちろん労働者は、普段はわけのわからないことも言っている。しかしちゃんと見ている。これを忘れるなということだ。
自分たちの指導者に対して、いろんな角度から、誰が信頼のおけるやつか、そうではないのか、見ていないふりをして見ているということ。これを忘れてはだめだ。僕は昔からこういう考えで、地のままで、かれこれ三十六、七年やっている。しかし、最初と今とは変わらない。自分でもそう思っている。その点では、あまり気張っていないから疲れない。
別に僕は組合員の顔色をうかがってやっているわけではない。組合員も僕が腹を決めれば、もちろん全部はともかくとしてもほとんどついて来てくれると信頼しているからだ。

新版-甦る労働組合
中野 洋 著 1800円
◆第1部 労働運動の復権
・国鉄1047名闘争の危機と動労千葉の前進/・甦る労働組合/・青年労働者こそ主役だ/・新自由主義と闘う労働運動/・反戦と改憲阻止を闘う労働運動/・55年体制の崩壊と新たな労働者の党/・労働者階級の自己解放
◆第2部 分割・民営化と国鉄労働運動
・国鉄の分割・民営化/・動労革マルの歴史的裏切り/・正念場のストライキ/・分割・民営化以後のJR体制/・国鉄闘争勝利の道

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