“職場内左派、地域に行くと右派。そこがおもしろい”ーー『甦れ労働組合』(中野 洋著)より

労働者は感性が鋭い
みんな分かっているわけだ。僕も生まれたのは東京だが、千葉の片田舎で育ち、そこで国鉄に就職して、機関区に入り、ずっと一緒に働いてきた。あいつはどこの高校を出て、だれと結婚してと、だいたい分かるわけだ。年中付き合っているから。新しい労働者が入ってくるだけであって、顔ぶれは大きくは変わらない。だから、舌先三寸でごまかすなどということはできない。いかに美辞麗句を並べようと、そんなものは何年もたてば見抜かれてしまうものだ。

日本の労働組合の多くは企業内組合だ。どこの組合でも、勤続二十年、三十年という人間が組合の三役をやっている。書記で入って、それでやっている人もたまにいるけれど、大体そうだ。そうすれば、あいつが何者であるかということも組合員はわかるわけだ。だからそこをしっかり見ている。
そしてこれは忘れてはならないけれど、労働者はものすごく鋭いということだ。要するに普段は余計なことをやっている者はいっぱいいる。酒を飲むのは好きだし、遊ぶことも好き、そういう連中だ。しかし非常に鋭い。だから一杯酒飲んでいても、酒飲みの冗談話の中でも、示唆に富むことを言う連中はたくさんいる。もちろん、受けとめる側がそういうふうに受けとめなければ、ただの冗談話で終わってしまう。僕はそういうふうに常に感じる。だから酒を飲むにしても、組合員と飲むのが一番楽しい。

修羅場をくぐってきている

しかも、動労千葉の組合員は今の日本の組合の中で、一番の修羅場をくぐっている。機動隊一万人に囲まれたストライキを経験しているのは、日本の労働者が六千万人いるとはいえ、ここの組合員だけだと思う。三里塚での激突の経験もしているし、あらゆる経験をしている。現場の労働者は、そういう修羅場をくぐってきている。そんなに一生懸命勉強するやつは少ない。これはちょっとまずいが。しかし、いわゆる感性というのは研ぎ澄まされている。だから僕も下手なことを言えないという関係にもあるわけだ。だから相当のことを言っても、組合員は受けてこたえる。
僕は結構、言いたい放題のことを言って、あまり隠さない。中野洋という人聞を、オブラートに包まないで、開けっぴろげにいくという性格だ。だからどこに行っても、組合員の前でも言いたいことをいう。もちろん、そうして組合員の動向がどこにあるかということを常に感じる。

組合民主主義とはそういうことだ

組合民主主義と言うけれど、動労千葉はあまり採決など多くない。組合大会も、いろんなところで、だいたい執行部案で「しゃんしゃんしゃん」だ。しかし、そこで組合員がどういう表情をしているのかによる。この方針はあまりグッときていないな、これは組合員はその気になったなと、わかるものだ。それをわかった時に執行部であるわれわれが何をやるかということだ。組合民主主義とはそういうことだ。採決を行って、賛否をとればそれで組合民主主義というものではない。それは仮に百%賛成であっても、形式的にはそうであっても、そうではないということを、ちゃんと感じないといけない。例えば職場集会に行って、沈黙を守っている場合には、そういうことだ。それは発言するにしても、まったく枝葉のことから始まって本質に迫ることがあるけれど、組合員が同じことをしゃべる場合でも、それでもどういうスタンスで言っているかを理解するということだ。
そこをちゃんと受けとめられるのが指導部だと思う。一番それを大事にしょうと言っている。長年やっていればわかる。組合員たちが何を考えていて、何に不安を持っていて、今度の闘争はえらく気分をよくしているとか、ちょっと日和っているなとか、いろいろ分かるわけだ。それと組合の幹部たちがその気になって、自分の全生涯をかけてやるということがなければ、それはだめだ。組合員は自分たちのリーダーを選ぶ権利を持っている。だから僕も、もう少したったら「いらないよ」ということになるかもしれない。また、ならなければいけないと思う。今のところは僕を選ぶと言っているからまだ必要としているけれど、あと数年たったら、それは「お前なんかいいよ」となるだろう。ならなければ困る。

現実の生きた運動の中から

僕が主張してきた労働組合観、労働者観というのは反スターリン主義と言える。スターリン主義というのは、「かくかくしかじか」と説明することができるが、結局スターリン主義も一つの運動だ。運動というのは大衆運動、労働者階級の運動である。つまり、労働者階級にとってスターリン主義とは何かということだ。路線的に日共はこうだと、議会主義を標榜する党派だからこうなったと言っても、それだけではおもしろくもおかしくもないだろう。
スターリン主義とは何かということは、とくに革マルとの闘争に現れている。革マルなどは「労働者は埃(ほこり)だ」「自分たちはエリートだ」と言っている。つまり革マルは典型的な労働者蔑視だ。だから労働組合では、革マルにあらゆる金を提供するのが当たり前で、労働組合の金を、自分たちのために使うなどということを当然のようにやる。「自分たちはエリートだ、労働者階級を指導してやるんだ、出来の悪い労働者たちを、自分たちが指導してやるんだ」と。こういう考え方だ。これは動労、いまのJR総連の中に如実に出ている。
また、日共も同じだ。具体的には、日共はスターリン主義者そのものだ。そして、革マルは「反スタ」論を掲げるスターリン主義者だ。だから、そういうスターリン主義、彼らの路線とどう決別してここまで闘ってきたのかということだ。現実の生きた運動の中からスターリン主議批判や革マル批判を豊かにしていくことが大切だ。とくに労働運動的に明らかにしていくことが必要だ。

マルクス主義の根底にあるもの

一人ひとりの労働者の持っているエネルギー、労働者性に基礎を置く。これがマルクス主義の真髄だ。それがなければプロレタリア革命は成り立たない。「ロシアでたまたま、ああいうふうになっただけかも知れない」ということになる。マルクス主義というのは、労働者階級を獲得し解放する思想だ。だから労働者の持っているエネルギー、力のすばらしさや、一人の人間が本気になった時にどれだけ強い力を発揮するか。こうしたことが、いわばマルクス主義の根底にある。ここがあるから革命が可能になるわけだ。革命は、労働者一人ひとりのものすごい飛躍を生み出す。今までのいろいろな資本主義的な汚物や例えば「首になりたくない」とか、家族問題や、いろんなことを乗り越え、振り切って、自分の持っているエネルギーを飛躍的に出す時に初めてその力を発揮し、実現するわけだ。

職場内左派、地域に行くと右派

動労千葉の分割・民営化の時の闘い、労働者の姿。「あれが一つの革命の現実性の姿なんだ」と言っている。あの程度は労働組合の範疇(はんちゅう)でできることだ。労働者が一旦、「首になってもいいんだ」と腹を固めた時にどういうことをやるのかということだ。革命というのは、そうした労働者階級に基礎を置くことだ。だから資本や当局は労働者と革命が一番こわい。
今、JR東日本では、動労千葉はなぜ闘うのだということが一番の問題になっている。われわれに対して「相手にしない」という態度を表向きはとっているけれど、一番注目しているのはここだ。それは動労千葉は世の中が何を言おうがストライキはやる。世の中で、だれでもやっている時はそんなにやりたくない。いずれにしても動労千葉がどう動くのか、なにを行うのかを徹底的に注目している。動労千葉は、おもしろい存在だろう。千葉みたいなところに、突然登場した。組合員も地元にいけば自民党選挙をやっているやつもいる。世の中は、職場内右派、地域に行くと左派というのが多い。ところがここは職場内左派、地域に行くと右派。そこがおもしろい。

新版-甦る労働組合
中野 洋 著
◆第1部 労働運動の復権
・国鉄1047名闘争の危機と動労千葉の前進/・甦る労働組合/・青年労働者こそ主役だ/・新自由主義と闘う労働運動/・反戦と改憲阻止を闘う労働運動/・55年体制の崩壊と新たな労働者の党/・労働者階級の自己解放
◆第2部 分割・民営化と国鉄労働運動
・国鉄の分割・民営化/・動労革マルの歴史的裏切り/・正念場のストライキ/・分割・民営化以後のJR体制/・国鉄闘争勝利の道

10/20発行

1800円

 

 

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