職場闘争について 中野 洋 「俺たちは鉄路に生きる2」 より

◎職場闘争は職場支配権をめぐる闘いであり、激しい党派闘争である

その上で、この一〇年間の闘いの中で、重要だと考えたことをいくつか挙げます。
まず、職場闘争というのは本質的に職場支配権をめぐる闘いだということです。職場支配を組合側が獲得する闘争である。したがって非常に大変な党派闘争であるということです。党派闘争というのは、何か社会党と共産党が対立するとか、革マル派と中核派が対立するとか、そういうことだけじゃありません。そういうことも含まれますけれど、一番の党派闘争は、資本との闘争です。資本・当局が日常不断にまきちらす思想、イデオロギー、あり方、これとどう闘うかということが一番の党派闘争です。それをめぐって労働者の中にさまざまな考え方が、日和見主義も含めて生まれてきます。それとの闘いをしなくちゃいけない。そういうことを土壌にして、動労千葉の場合には、共産党的な傾向を持っている人たちとの闘いとか、革マル派との闘いとかに本当に打ち勝つ力を持たないと、職場闘争もできないという状況にあった。

◎資本(当局)に対する怒り、組合ダラ幹に対する怒りと目的意識性(権力奪取)があればテーマはいくらでもある

職場闘争の核心は、資本に対する怒り、国鉄の場合は国鉄当局に対する怒りです。資本に対する怒りのない労働者に、職場闘争ができるはずがない。それから、こういう状況に追い込んでいる組合のダラ幹に対する怒りがなかったら職場闘争なんてできない。
もうひとつは、「よーし、見ていろ。いつか俺たちがこの組合の権力を握ってやる」という目的意識性です。激しい目的意識性がないかぎり、激しい職場闘争はできません。だって自分たちの所属している労働組合をわれわれの手に握る以外に、闘う労働組合になるはずがないんだから。他人がやってくれるわけじゃない。そういう意識性を抜きに職場闘争はありません。
だから職場闘争は、その渦中で多くの労働者の支持を集め、それを提起した活動家たちの権威を高めていきます。そういう闘いを日常不断に形成していかなかったら、権力なんてとれるはずがない。権力をとるということは、所属する組合員の圧倒的多くの支持を得るということでしょう。支持を得なかったら権力はとれないんだから。そういうものとして職場闘争は考えなければならない。
そうすればテーマはたくさんある。僕が登場するまでは、機関助士に大スコ闘争という発想はない。カーテンを降ろそうなんていう発想もない。僕は当局に対する怒りがあり、労働者が不当に扱われている状況に怒りがあり、労働者は誇りを持たなきゃいけないという気持ちもあって、こういう状況を当たり前だとしている組合幹部も許せなかった。だからこういう発想が、後から後からどんどん出てくるわけですよ。だけど、みんな「助役さん」「区長さん」と言っているわけで、誰も不思議に思わない。やはり労働者は誇りを持たなきゃいけないと思った途端に、「それはおかしいじゃないか」という発想が生まれるわけです。
だから僕は、「職場闘争ってどうやってやるんですか」と聞かれると、「それはおまえが考えろ」と答える。秘伝を明かすわけにはいかない。「そんなこと、おまえが自分で見つけろ」って。そんなの、産別によって、職場によって、全然違うわけで、医療職場で大スコ闘争なんて言ったって、全然見当もつかないじゃないですか。自分でとことん考えて自分で見つけだす、そういうスタンスを身につけるということだよね。

◎すべての職場闘争は、さしあたり少数(一人)から始まる。したがって最初から成功するはずがない。「失敗は成功の母」

もうひとつは、すべての運動はさしあたり少数から始まる、一人から始まるんですね。これは当たり前です。あらかじめ多数から始まる運動なんて聞いたことがない。一人で始める。その一人がだんだんと増えていくということですよ。だから最初からうまくいくはずがない。まして世の中、職場にいる同僚は他人さまでしょ。他人さまがそう簡単に言うことを聞いてくれるわけがない。それをやるためには、自分がそれなりに努力して、人一倍いろんなことをやらなかったら、周りの労働者は認めないですよ。うまくいくわけがない。
だから失敗を恐れるな、ということです。失敗に失敗を重ねて、その時に、なぜ失敗したのかということを考えるということだよね。「失敗は成功の母」で、僕だって失敗だらけです。まだ権力をとっていない時は、多少の失敗をしたっていい。権力をとってから失敗すると大変な影響が出るけれど。大いに失敗して結構です。大してダメージを受けないですよ。だから失敗を恐れるな。一人から始まる。正義はそもそも少数から始まる。多数派の正義なんて、世の中にあったためしがない。そのことは覚悟してもらいたい。

◎職場闘争とは、敵の弱点・矛盾をつき、味方の団結を強化・拡大する闘いである
これが原則なんです。大スコ闘争と言ったら、受けに受けた。周りがなんと言おうと受けた。カーテン闘争も受けた。これだったら受けるなってことは、一緒に働いている労働者だからわかるわけです。一緒に毎日石炭をくべていた。毎日、気動車の運転士をやっていた。そういう経験をしているから、何が問題なのか、わかるわけですよ。だからこういうことをやったら受けるなっていうのは、これは感性、感覚の問題としてもわかる。
職場闘争というのはテーマはたくさんあります。逆に言えば資本や当局のやることには全部反対。いいことなんてひとつもない。すべて、労働者をいかにこき使うかというためなんだから。と言って、全部がテーマになるはずもない。その中から「これならいけるな」という見極めが必要なんだよね。全部やっていたら体がもたないし、全部やる必要はない。ビラかなんかで「反対」と言っておいたらいいんです。その中で、10のうち1つくらいは必ず、「これは」というのがある。そこに狙いを定めてやる、ということです。
そして、これは敵の弱点を形成しているというところを見つけだすこと。僕らは運転職場ですから、運転職場で当局の最大の弱点は、安全ということなんですよ。つまり安全に列車を走らせるということは、何にも増して優先されなくちゃいけない。これは逆に弱点なわけです。敵のやってくることで安全を無視することがいっぱいある。これを逆手にとってやったのが、反合理化・運転保安闘争です。安全問題について、不安全でいいと言う人はいない。だからここは敵の最大の弱点です。
あらゆる企業で、建前というのはあるわけです。例えば医療の場合には、病気になった人たちを治さなきゃいけないわけですよ。それがどうでもいいなんて言う病院だったら、つぶれるんだよ。郵便局だって必ず建前はある。だけど効率化を進めていくと、そういう建前をすぐ忘れる。だからそこに弱点が生まれる。それを見抜く力が大切です。これは目を皿のようにして見るんですよ。「やつらに、一回は嫌というほど一泡くわせたい」という気持ちがなければダメです。それはそうだよ。「こんな低賃金でこき使いやがって、ふざけんじゃねぇ。人間扱いもしないで」と思っていたから、年中そういう目で見ていたんです。そうすると、テーマはたくさんあります。
もちろん組合はダメ組合であり、われわれは指令権もない。そういう中でなおかつ、核心は、多くの現場の労働者がその気になったら、指令もへったくれもないということなんです。
だから職場闘争というのは、やろうという活動家の主体の問題ですね。本気になって闘争をやろうというふうに常日頃考えたら、必ずテーマはある。「中野さん、ちょっと職場闘争のやり方を教えてください」なんて、冗談じゃない。この薬を飲めばうまくいきますよ、なんていう万能薬はないんです。

◎核心は献身的・意識的活動家集団の質と量によって決まる

 そして重要なことは、意識的・献身的活動家集団をいかにつくるかということです。献身的ということは、もっと平たく言うとプライベートの時間を犠牲にするということですから。所帯者だったら家庭生活も犠牲にするということですよ。全部とは言わないけれど。そうじゃなかったら献身的にやれっこないですよ。
献身的・意識的活動家をどうやってつくり上げるか。最初からは無理ですよ。だんだんと労働者はそうなっていく。つまり、労働運動に人生を捧げる人たち。大なり小なり、そういうことも覚悟してやっている人もいるし、そういう過程に入りかけて、どうしようかと思っている人もいる。「やっぱりこれでやる以外ない」と思っている人もいるわけです。そういう人たちが何人いるかによって、職場の力関係は決まっちゃう。
もうひとつ重要なことは、自分たちが組合の権力を掌握した時、「何をしたらいいのかわからない」というのでは、権力を掌握する権利はない、ということです。職場闘争をやっている過程で、その職場の、例えば動労の場合には、電車がどういう構造になっているのか、電車はどういうシステムで走るのかとかいうことを知るわけです。そういうことに精通し、それをめぐって闘いをやるから。だから僕は運転士ですけれども、検修関係のこともよく知ってましたよ。職場闘争をやるために一生懸命に検修規程を読んで、それでいろいろ方針を出すわけです。「こういう規程があるから、この規程を利用して、こういう闘争をやろう」みたいなことばかり考えていましたから、熟達していくわけです。
それから国鉄のダイヤというのは、二分目盛りと言って、非常に短い幅で書いてあって、そのとおりに電車はみんな走っているんですよ。こういうものを書けるようになるには、10年かかるんですよ。10年かかっても一人前じゃない。あれをぱっと見てわかんなきゃダメ。職場の中で、職場闘争をやっているうちに、そういうことは全部熟達してくるわけです。それと同じように、組合員を団結させるためにはどうしたらいいのかということもわかる。敵の攻撃が何を意味するのかということも、職場闘争をやっていく過程でわかります。
僕は33歳で動労千葉地方本部の書記長になりましたが、その時に一番困ったのは財政問題でした。財政だけは職場闘争の中で訓練されないんですね。書記長になるとカネを使う権利があるし、現場にも下ろさなくちゃいけない。しかし財政担当の書記の女性に、にべもなく、「書記長、こんなカネは落とせません」と言われましたよ。それからもう悔しくて悔しくて、一年間、組合の財政について、会計規則を一生懸命読んだり、過去のデータをさかのぼって調べたりして、一年後にはもう立派に文句を言わせないようにしました。
労働組合の指導部を握るというのは、あらゆることをやらなきゃいけない。だって当局との団体交渉も、向こうの攻撃がどういうことなのかを読み切れなかったら、交渉ができないでしょう。そういうことから始まって、教宣活動、組織活動、財政活動、総務部の活動、あるいは共闘の分野、全部やるわけですよ。そういう闘いをいきなり何も知らない活動家が、「はい、書記長をやりなさい」って言われても、できるわけがない。
僕は33歳まで10年間、そういうことをやっていましたから、財政問題以外はあまり困らなかったですね。あとは、例えば指令文の書き方や、当局に対する申入書の書き方なんて、先例があるんだから、それをちゃんと見ればわかるわけです。
根本は、当局の動向と、こういう攻撃をかけられたらどういうふうになるのかということがつかめなかったらできないということです。現場の労働者は、こういう場合にはこういう反応をするとか、こういうことではものすごく団結を強めるとかということは、職場闘争の中でつかむことができるわけです。

◎職場闘争は将来、組合指導部になるための能力形成の戦場である

だから職場闘争は、組合の指導部としての能力を形成する場であると言えます。これをやっていないと、地方本部などの指導部、書記長、副委員長、委員長というポストは勤まらない。組合の権力を握ると、その時に何をやるかということが直ちに問われるんです。それによって器量が出ちゃう。「あの野郎、過激派みたいだけど、たいしたことないな」と言われちゃうわけです。どうせ過激派と言われているんだから。過激派は過激派らしく、ちゃんと真っ当にやる。「あの野郎、過激派だけど、真っ当だな」というふうに思われるようでなきゃいけないんですよ。日常的な職場闘争の過程で、否応なしにその能力は形成されます。

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