1983 三里塚第一公園  中野委員長 関川前委員長

1983年の動労千葉(国鉄千葉動力車労働組合)における中野洋(なかの ひろし)委員長体制の確立は、その後の国鉄分割・民営化反対闘争に向けた決定的な転換点となりました

1983年の主な動きと体制確立

1983年10月に開催された「第8回定期大会」において、それまで10年間にわたり書記長として関川委員長を支えてきた中野洋氏が、新たに執行委員長に選出されました。
  • 関川・中野体制からの継承: 1979年の動労本部からの分離独立以来、関川・中野のコンビで組織を牽引してきましたが、この大会をもって中野氏がトップに立ちました。
  • 闘争方針: 当時の中曽根康弘内閣が掲げた「戦後政治の総決算」や臨時行政調査会(臨調)による国鉄分割・民営化(行革)攻撃に対し、「実力阻止」の姿勢を鮮明にしました。
  • 三里塚闘争との連帯: 三里塚(成田空港)ジェット燃料貨車輸送阻止闘争(三里塚闘争)との労農連帯を強化し、国家権力と対峙する方針を堅持しました。
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