50年5月、国労から職能組合として分裂し機関車労組が結成された。57年新潟闘争などを節目に、国鉄労働運動は戦闘力を回復してきた。59年に機労から動労へ。61年動労青年部結成。発足以来の右翼的体質を打ち破る新たなうねりがたまっていた。その背後には60年安保闘争高揚、62年三河島事故、63年鶴見事故の発生への怒りがあった。

競合脱線が原因 国鉄鶴見列車事故|ニュース|NHKアーカイブス
11月9日午後9時40分ごろ、国鉄東海道本線鶴見駅と新子安駅の間で下りの貨物列車が脱線したうえ、隣の東海道本線の上り線に乗り上げた。そこへ上りと下りの列車が突っ込んだ。この事故で、上下列車合わせて161人が死亡、120人が重軽傷を負った。国...
動労千葉地本の前身、機関車労組千葉支部が結成されたのは51年6月。当局と癒着した組合幹部支配する職場での民主化闘争、職場闘争、原潜、日韓、ベトナム反戦をめぐる街頭での闘いの高揚との結合の中から、千葉地本内で階級的労働運動が芽生えていった。
三河島事故

三井三池労働争議|ニュース|NHKアーカイブス
1,200人を超える組合員の指名解雇に端を発した三井三池の争議で、1月25日、組合側は会社側のロックアウトに対抗して、無期限のストに入った。この後、第2組合の結成、第1組合と第2組合の衝突、第1組合と警官隊の衝突など激しい戦いが繰り広げられ...