05.5.21 中野 洋(前委員長) 尼崎事故を語る

この文章は、05.5.21動労千葉労働学校での中野洋動労千葉前委員長の講演をもとにしたものです。JR東日本における羽越線事故の原因と責任を明らかにするうえで重要であり、ここに再録しました。)

動労千葉の反合・運転保安闘争とは
中野 洋(前委員長) 尼崎事故を語る

今日は、民営化の象徴とも言えるJR西日本尼崎事故について、労働者としてどう見るべきか、について述べます。
連日マスコミが、尼崎事故について報道しているが、何故、事故が起きたのか? その本質は何か? 運転士も含めて107名の死者。まだ病院に入院している 人達が数百人いるそうですが、日本全体、世界的にもたいへんな衝撃を与えたと思います。国会でもマスコミなどで、スピードオーバーとか運転時分の設定、過 密ダイヤなど、いろんなことが憶測されていて、結論的にいうとATSーP型(自動列車停止装置)を入れておけばよかったんだというところに落ち着きかねな い状況がある。だけど実際上のそんな単純な問題ではないのです。

動労千葉の見解

動労千葉の見解は、何よりも1987年に強行された国鉄分割・民営化攻撃によって107人は殺された、ということ。
2つめは、民営化に伴うJR西日本によって殺された、営利優先の施策の中で殺されたということですね。
3つ目には、国土交通省、政府によって殺された。この間、規制緩和が非常に大きく実行されてきた。規制緩和というのは、例えば鉄道の場合には列車を、線 路を、駅をつくるにも、検査体制にも非常にきめ細かく規制がありました。その規制をほとんど撤廃し、「各会社の責任でやりなさい」としてしまった。例えば 電車の検査の場合、僕がまだ乗務している頃は2日に1回でした。国鉄最後の頃は3日に1回になった。それがJRになって、1週間に1回しか検査をしていな いんですよ。
だから国土交通省の大臣がえらそうなことを言っているけれど、国土交通省、政府にによって殺されたんだということです。
もう一つは、やはりJRになって労働組合の団結が破壊され、安全問題を闘わない。これはJR西日本だけではないが、JR西日本の主要組合4つ、JR西労 組、JR西労、国労。それから建交労(全動労)が、労働組合の責任を放棄した悲しむべき声明を出しています。この労働組合にも責任があるんだ。だから安全 問題を闘わない労働組合によって殺されたんだという立場に立つべきだと思います。

「運転士に責任はない」 とハッキリと言い切ること

何よりも、「事故の責任は、運転士にない」、ということをはっきりさせることが重要だと思います。現象的には確かに運転士がスピードアップしたことに よって起こったのかもしれない。事故というのは必ず誰かのミスで起きる。ミスといえばミスだ。問題はそういうミスがなぜ起こらざるをえないのかということ です。
動労千葉の組合員の中でも「彼は死んでよかったのかも」という話が出てくるわけですよ。もし生きていた場合には、おそらく家族も含めて袋叩きにあってい るでしょう。そういう状況で、「運転士に責任はないんだ」ということを言い切るということは、少なくとも階級的労働組合の基本的立場です。動労千葉は一貫 してそう立場でやってきました。

動労千葉の原点=船橋事故

1972年の3月に総武線の船橋駅で追突事故が起こりました。そのときの運転士が高石君(執行委員)です。死者こそ出なかったけれど300人から 400人の重軽傷者、電車は3~4両が完全に大破しました。彼は直ちに警察に逮捕されました。僕はまだそのとき書記長ではなく、千葉気動車区という現場の 支部長をやっていた。
そのとき、「この事故は乗務員の責任ではない。責任を乗務員に押しつけることについて反対だ」という運動を動労千葉は果敢に巻き起こしました。動力車労 働組合は、国鉄の中でも運転系統に所属する労働者でつくられた組織です。圧倒的に多いのは運転士です。その動労ですら、「あの事故は運転士の過失ではない か。労働組合運動の課題にはならない」という対応だった。それをもっとも強力に主張をしていたのが、動労東京地本の、今JR総連を握っている革マルという 党派です。これと激しくやり合いました。「運転士には責任はない」と言い切ったとたんに動労千葉(当時乗務員だけで千人ぐらい)の団結はかつてなく高まり ました。これが原点になって後の三里塚ジェット燃料輸送阻止闘争、あるいは分割・民営化に反対するストライキを敢行するという力の源泉、団結力が生まれた んです。

JR後、初のストライキ

分割・民営化直後の1988年に東中野駅でやはり追突事故が起こった。運転士と乗客が2人死んだ。その当時動労千葉は分割・民営化反対のたたかいで28 名と12名で計40名が首を切られ満身創痍だった。しかし翌年の89年に、東中野の事故に対して、分割・民営化以降始めてのストライキを敢行した。その時 も、運転士が赤信号だったが列車を走らせ衝突したが、実は当時のJR当局は「赤信号でも走れ」と指導していた。そうしないとダイヤが乱れどんどん遅れがで るからだ。今回の福知山線脱線事故のダイヤと同じように時刻設定が非常に過密に設定され、その結果遅れが全部新宿駅の先に集中し、新宿から中野の間は電車 がぎゅう詰状態になってしまった。だからラッシュ時になると、運転士は新宿から先は全部赤信号を見ながら運転していた。その結果起こったんです。
だから運転士の責任じゃない。だけど会社側は赤信号を冒進したのは運転士だから運転士に責任があると言う。今回の場合もそうでしょう。制限70キロの カーブを108キロで走っていた、だから走った運転士が悪いというふうになるわけだ。だけど問題はそういうふうに強制していたJR西日本という会社の体制 の問題です。そして無理な回復運転を強制させざるをえないダイヤ設定を容認した労働組合。そういう問題を全部総合的に判断しなければならないのです。

労働組合人生を決断させた3つの事故

1962年に常磐線の三河島というところで大事故が起きました。当時、貨物線と電車線が田端から途中で常磐線に合流した。その信号が赤だったが冒進し。 蒸気機関車と電車と衝突し、その場に上りの電車が入って160人が死んだ。翌年、東海道線の鶴見駅というところでやはり大事故が起きた。
当時、この事故をめぐって国鉄動力車労働組合の中は大揺れに揺れた。事故後、当時の動労の本部、国労の本部も含めて、国鉄当局と事故防止対策委員会とい うものを設置することを決めた。つまり組合は「事故防止のためには労使が話し合う」という協定文書を国鉄と締結したが、「そんな話し合いで解決すること だったら、もうとっくに解決しているはずだ」「労働組合が闘わないかぎり、安全は守れないし確保できない」ということで、この協定が全国大会で承認され ず、当時の中央執行部は総辞職したのです。「労働組合が闘わない限り安全は確保できない」という思想、考え方に基づいて新しい執行部を形成された。この考 え方をずっと貫いていたのが動労千葉だけなんです。
僕はその時22才だった。23才で青年部長。僕の人生の全てを、動労千葉の労働運動にぶち込むというふうに決断をさせたのがこの事故だったのかもしれない。だから僕にとっても三河島事故、鶴見事故は原点だったんです。
この当時、同じ時期に三池の三川鉱で炭塵爆発事故が発生し、坑内で458人が死に、さらに千人近くの労働者がCO2中毒になるという大惨事が起きた。
そもそも「闘いなくして安全なし」というスローガンは炭労三池のスローガンです。労働組合が安全だというふうに確認しないかぎり、労働者を坑内に入れな かった、だから事故が起きようがない。そうすれば会社側も否応なしに安全対策をとらなければならない。それが三池闘争が敗北し組合が弱くなったとたんに、 2、3年後には爆発事故がおきたのです。
分割・民営化の時、当時の動労千葉のスローガンは、「分割・民営化反対」並べて、「国鉄を第2の日航にするな」だった。当時、御巣鷹山というところに日航機が墜落して、520人が死んだ。その危惧が分割・民営化18年目、最悪の事態として尼崎で起きた。

人間から機械が中心に

スピードオーバー、過密ダイヤ、列車構造の根本的な改変等々が合わさった事故であることは間違いない。つまりカーブを100キロで飛ばし、そのまま宙に 浮いて突っ込んでいった。だけど僕らの時は制限速度なんてものは、だいたい2倍出しても事故は起きないといわれていた。今はそうじゃない。つまり脱線する ような仕組みになっていたということだ。
「西日本にもATSーP型を入れればいいんだ」と言われている。それで済むのか。そうじゃない。やはり列車を動かしているのは運転士という労働者です。 運転士は人間だからミスもある。国鉄からJRに変わって一番大きく変わったことは、機械が中心になったこと。電車という機械がどんどん近代化し、コン ピューター化していく。同時に車両の軽量化がされ、加速もスピードもでる、ブレーキもよく効くような車両にしていく。そして労働者という人間をそれに従属 させていく。運転士、機関士が列車を動かしている、人間が中心だという思想じゃないんだ。
だからJR西日本は、「安全を守ろう」ではなく、「稼げ」を第1スローガンにした。東日本だって同じことを言っている。「ステーションルネッサンス」、 つまり駅空間を利用してもっと儲けよう。2番目にはIT産業をやる、「JR東日本」は本来鉄道会社なのに3番目が鉄道輸送なんですよ。国鉄当時は、良くも 悪くも第1に安全綱領だった。現場の点呼のときの唱和も、「安全は輸送業務の最大の使命である」というのがトップなんです。「危険に直面したらみんな職責 を超えて一致協力しなければならない」というのが4項目ぐらいあって、それがJRになってからボンと吹っ飛んだ。
人間を軸にして鉄道を考えない。だったら人間乗せなければいい。「ATSーp型を入れたら安全に動く」というなら、人間を乗せないで機械だけでやればい い。だけど人間を乗せないと出来ないんですよ。人間は要するに機械でやれないことをやるために乗っかっている。
「1分遅れた。この駅から向こうの駅まで本来なら5分かかるんだけど、それを4分で走らせる」、これが回復運転です。これは機械では出来ないのです。人 間だから出来る。ブレーキの扱い方だってそうだ。例えば総武快速線は、ものすごいスピード、80キロから90キロでホームに入る。ちゃんと止まる。だけど 機械じゃああいうふうには止まらない。だから日本の鉄道は世界でもトップです。これだけの過密なダイヤを正確に維持しているのは、運転士という人間がいる からなんだ。これを軸にして物事を考えないということが一番大きな問題だと思う。どんなに機械やコンピューターが発達したって人間がいなければダメだ。で あればそれを中心に物事を考えなければいけない。しかし現実は、人間を機械の従属物下にしているから、人間を機械にあわさせようとする。それで運転士は追 いつめられ、あの事故に至ったと思います。

民営化、そして競争

事故が起こった当日、ゴルフコンペや、ボーリングやっていたとかと大騒ぎになった。あれはJR西労の革マルがちくったんです。マスコミは「あれは国鉄当 時にまた戻ったんだ」と。あのようなことは国鉄当時は絶対にありえない。断言します。三河島事故は、当時の東京鉄道管理局管内で起こった事故で、千葉に直 接関係ない。だけどやはり衝撃だった。僕らは、組合を先頭に駆けつけたものです。
営利優先ということは、会社の中も激しい競争社会になるということです。例えばJR西日本の場合に大阪支社、神戸支社、京都支社、広島支社などがある。 支社同士で競争させられる。そうすると大阪と神戸は支社同士で対立関係になります。それと、同じ支社の中でも現場同士で競争させる。何々運転区と何々運転 区、何駅と何駅とか各社員に全部ノルマを設定させて競争させる。「カニ食い旅行」を企画して募集させたが、客が集まらない。結局、客の8割がJR西日本の 社員だった。競争というのはそういうものだ。
だから、同僚である仲間が事故を起こしてしているのに平然とゴルフコンペや、ボーリング大会、送別会をやるということがおきてしまう。資本主義というの は、行きつくところまで行くと、人間性なんてひとかけらもなくなるんだ。国鉄当時は絶対にそんなことなかった。良くも悪くも国鉄一家だから。

「儲ける」という発想

やはり大きな問題は、民営化だ。25日の尼崎事故直後の27日、小泉は郵政民営化法案を国会に提出した。これからは都の水道の民営化、東京交通局、つま り都バスも都営地下鉄も民営化になっちゃう。そもそも「官から民へ」といっているが、本来儲からないけど国民生活にとって不可欠なものということで官が やっていた。郵便局もそうだ。鉄道、電気、水道、保育園、幼稚園、福祉事業なども本来儲からないんです。儲からないやつをを官から民へにして儲ける、その ために何をするかという話になる。
JR西日本は過去最高の400何10億円の利益をあげた。それと同時に事故が起こった。JR東日本だって1000億円以上の経常利益をあげている。国鉄当時は赤字だった。赤字には赤字なりの理由があるんだ。
民営化になったとたんに、「儲け」という発想が出てくる。何をするかといったら、経費を切りつめる以外にない。効率化アップする以外にない。競争社会に突入するわけだ。
国鉄当時は、例えば千葉の場合だったら京成電鉄という私鉄と競争する気はさらさら無かった。大阪は国鉄よりはるかに私鉄の方が強かった。阪急、近鉄、阪 神、南海。みんなプロ野球の球団をもっていた。国鉄のシェアは10%を割っていた。関東は国鉄の方が圧倒的に優位だった。だから関東では東武、営団地下 鉄、東急、西武などいろいろあるが、そこと競争しようなんて思っていない。それでいいんだ。私鉄は、儲かる線しかやらない。だけど国鉄は儲からないところ でもやるから国鉄なんです。人が乗らないところでも人が住んでいる以上、列車を走らさなければいけない。だから国鉄からJRになってからローカル線をバタ バタ廃線した。あるは第3セクター化したが、うまくいかないから、みんな廃止になる。
資本主義というのは、利益をあげるために投資する、逆に言うと利益が上がらないところにはしない。安全対策というのは直接的には利益を生まない。電車を 軽量化してスピードを上げる。これは利益をあげる資本投下なんです。例えば踏切を高架にすると言われているが、これからは利益があがらないが膨大な金が必 要だ。だから進まない。メンテナンス部門は徹底的に手抜きされる。国鉄の時もそうだった。電車の検修、線路の補修、信号、架線、電力という保守は徹底的に 合理化、リストラされてきた。それでも当時の国鉄の時にはそれなりに抵抗してきた。JRになってから一気に進んだ。

民営化攻撃と労組解体

国鉄当時には事故がなかったわけではないが、国労も動労も動労千葉も、程度の差はあれ、安全を確保するという安全闘争があった。なぜならば現場で働いて いる労働者が、何が危険であるかということについて一番よく知っている。ダイヤの設定の仕方とか、信号の検測位置だとかいろんなことについて現場で働いて いる労働者たちが一番知っているんです。それを一応要求に出するということは国鉄当時はやっていた。それを、正面テーマにあげて、ストライキも辞さず闘う ということまでやるのは動労千葉だけだったけど、一応どこの組合でもそういうことを言っていたんです。
民営化の最大の攻撃は労働組合の解体だと言ったのは、そういう要素もある。民営化以降、JR総連やJR連合だとかという新しい労働組合が出来た。労働組 合が解体されて、労働組合本来の主張も闘いもしないということが、主体的には一番大きな問題だ。もし福知山線に動労千葉がいたら、相当はげしく抵抗しただ ろう。あのダイヤ設定それ自身が闘争課題です。動労千葉だったら毎日遅らせる。遅れても結構という闘いを組みます。日勤教育は東日本だってある。ただうち の組合員は言うことを聞かない。言うことを聞くか聞かないかという問題だけの話であって、どこだって同じなんですよ。
動労千葉としては、尼崎事故の1ヶ月を期して4/24総決起集会をやり、翌日から本格的な運転保安闘争に決起する.。

反合・運転保安闘争路線とは何か?  防衛から攻撃の反合理化闘争論   動労千葉第34回定期大会運動方針案からの抜粋

反合・運転保安闘争

の原点

反合・運転保安闘争の原点をなすものは何か? 常に安全を無視・軽視し、ひと度事故が起きればその責任の一切を労働者に転嫁し、無数 の人命を奪い続けた当局への怒り、悔しさ、「明日はわが身」という切実な思いです。鉄道に働く労働者である以上、誰ひとりとして、「事故」という現実から 逃れることのできる者はいません。生命を失うか、逮捕されるか、首を切られるか、そうでなくとも、その責任を一身に負わされ、犯罪者のように扱われる、こ れがわれわれの現実です。
しかもJRになってからの安全無視と異常な労務政策が横行する職場の現実はまさに目に余るものです。反合・運転保安闘争は、何よりもこうした現実のなかで働くわれわれの怒りの声そのものであり、労働者としての誇りをかけた闘いです。

「闘いなくして安全なし」

「闘いなくして安全なし」は、もともと炭労のスローガンでした。たび重なる落盤や炭塵爆発など、多くの仲間の生命を奪われ続けた炭鉱 労働者は、「抵抗なくして安全なし、安全なくして労働なし」のスローガンを掲げて闘いに起ちあがり、安全が確認されるまでは坑に降りないという労資協定を かちとったのです。
しかし、総資本対総労働の対決と言われた戦後最大の争議=1960年の三池争議に敗北し、炭労がガタガタにされた結果、わずかその3年後に三池の三川鉱で大炭塵爆発が発生し、500名もの労働者が一瞬にして生命を奪われたのです。
「闘いなくして安全なし」は、まさに労働者の生命をかけたスローガンであり、労働運動の解体か、再生かをかけたスローガンです。

三河島事故、鶴見事故

戦後の鉄道における労働運動は、1962年の三河島事故、1963年の鶴見事故に対する現場の激しい怒りの声のなかからはじまりました。
160名もの生命を奪った三河島事故の後、当時の国鉄当局は、労使で「事故防止対策委員会」を設置するという方針を打ちだしました。今回のJR西日本 の対応と同様に世間に対し、安全確立に向けて取り組むかのような姿勢を示すことで、そ の場をのり切ろうとしたのです。国労、動労本部はこの提案を受け入 れ、協定を 締結しました。しかし、「当局とテーブルを囲んで話し合うことで安全が確保されることなどあり得ない」という現場の怒りの声は強く、直後の全 国大会では反対意見が続出し、本部が結んだ協定は締結承認を拒否され、執行部は総辞職。ここから動労の戦闘的闘いは開始されました。

反合・運転保安闘争路線の確立

しかし、その思いはその後裏切られ続けました。それから10年後、1972年の船橋事故のときには、「労働者への事故責任転嫁粉砕」「裁かれるべきは 国鉄当局だ」を掲げて起ちあがった千葉地本における現場からの闘いに対し、当時の動労は、「事故が労働運動の課題にはなるはずはない」と対応したのです。
動労千葉はこうした「常識」に抗して、高石さんを守るために、闘いを開始しました。それは現場から開始され、全組合員の怒りの声と結合して、千葉地本 全体を獲得していった闘いでした。動労千葉は動労「本部」との激しい路線論争を行いながら闘いにたちあがり、幾度ものストライキや「日本列島を揺るがし た」と言われたような順法闘争を貫徹し、高石さんの職場復帰を実現したのです。
この闘いはその後、線路状態の悪化に対し最高速度規制闘争を対置し、それによって発生した遅れを次のダイ改で、ダイヤに盛り込ませ、労働条件の改善を かちとるという線路改善闘争に引き継がれ、奪われた労働条件を奪い返す、攻めの反合・運転保安闘争を実現したのです。
こうした闘いの渦中から確立されたのが、つねに動労千葉の土台をなし、団結の中心をなしてきた反合・運転保安闘争路線でした。
それは何よりも、反合理化闘争の新たな地平を切り開く画期的な闘いであり、闘争論でした。反合闘争は、誰もが労働組合にとって最も基本的な課題であると 言いながら、労働運動の歴史において、本当に有効な闘いが組織されたことは、ほとんどありませんでした。合理化提案に対して労働組合はつねに受け身でしか なく、分断され、結局合理化が貫徹されていく。その結果、労働者のなかにも、「結局、労働組合などその程度の存在でしかない」という思想が浸透してしまう ということがずっと繰り返されてきたのです。

「防衛から攻撃」の反合・運転保安闘争へ

こうした状況のなかで動労千葉は、「資本の最大のアキレス腱・弱点は安全問題にある」ことを切りロとし、ここに徹底してこだわりぬくことによって、反合 闘争の主導権を労働組合が握り返したのです。それは、当時掲げられた「防衛から攻撃の反合・運転保安闘争へ」というスローガンに象徴的に示されました。
そもそも資本主義社会において、直接的利益を生まない保安部門への設備投資や必要要員の配置などを、資本が無視・軽視するのは当然のことであり、労働 者の抵抗や労働組合の闘いだけが、はじめてそれを強制することができます。市場原理と安全は、絶対に相入れることのない水と油の関係です。
しかし、資本とはいえ、安全などどうでもいいとは言えない課題でもあります。その意味で、反合・運転保安闘争は、資本と最も鋭く対決する闘いであると同時に、資本の最大の弱点でもあるのです。

動労千葉の団結力は如何に形成されたのか

 ざらに、事故を起こした一人の組合員を守るために、全組合員が処分を覚悟して闘いにた ちあがるという方針は、一人ひとりの組合員の動労千葉への大きな信頼関係をつくりあげました。反合・運転保安闘争によって、「一人は万人のために、万人は 一人のために」という原点が、全組合員のものとなったのです。
三里塚・ジェット闘争、分離・独立の闘い、そして国鉄分割・民営化反対闘争等、その後のすべての闘いが、反合・運転保安闘争によって形づくられた団結 力が土台にあったからこそ実現できたと言っても過言ではありません。また動労千葉にとって、あらゆる闘いがある意味で反合・運転保安闘争と一体の闘いでし た。例えば、国鉄分割・民営化反対闘争も「国鉄を第二の日航にするな」のスローガンを掲げて首をかけてストライキに起ちあがったことにも明らかなとおり、 ある側面では運転保安闘争でした。

戦争と民営化=労祖破壊攻撃を打ち破る闘い

出口のない資本主義の危機を背景として、弱肉強食の論理で社会全体にローラーをかけ、労働者を虫けらのように愚弄にする激しい民営化 一規制緩和、団結破壊攻撃が吹き荒れる状況のなかで、「安全の崩壊」は、全社会的問題、全世界的問題となって矛盾を噴出させ、労働者の生命を奪い続けてい ます。
尼崎事故は、民営化攻撃によって労働者の団結が破壊され、規制緩和によって資本の論理、競争原理が野放しにされたときに何かもたらされるのかを、衝撃 的に突きつけました。そして問われたのは、この恐るべき現実に対し、労働組合が何を為すのかという問題でした。
動労千葉は、こうした認識にふまえ、05春闘でのストライキ、安全運転闘争や、尼崎事故以降の安全運転行動にたちあがり、それに対するJR東口本の激し い動労千葉根絶攻撃と対決して、今日まで3ヵ月以上にわたる闘いを貫徹して、大きな勝利をかちとりました。
この勝利の核心も、30年余りの闘いのなかで築きあげてきた動労千葉の反合・運転保安闘争路線にあります。これまでとは全く質の違う情勢のなかで、反 合・運転保安闘争が、小泉・奥田体制による戦争と民営化一労祖破壊攻撃を打ち破る大きな力をもっていることを示したのです。
とくに、闘いが予想をこえる大きな反響や支持の声を生み出したこと、それらの声の多くが、「現在では希有(けう)な正当な闘い」等、労働運動の再生への 期待を込めたものであったことに示されるように、新たな情勢のなかで反合・運転保安闘争が一企業内にとどまらず、労働運動全体に大きなインパクトを与え、 動労千葉の闘いが改めて見直されようとしているのが、この間の安全闘争の最大の特徴です。


「自主保安運動」のスローガンがみえる(三池)

炭坑の労働者 (三池)

鶴見事故

鶴見事故

高石激励集会

「一人は万人のために、万人は一人のために」

88年東中野事故

2005年尼崎事故

動労千葉安全運転闘争

骨身を削ってでもストライキを闘う  1985年 中野 講演 

この中野講演は、スト突入を目前にした八五年一一月二一日、津田沼支部主催で開かれた地域集会(船橋商工会議所)で、動労千葉の組合員と家族、地域労働者を前に行われた。

はじめに
きょうは、津田沼支部が主催する地域集会に、津田沼支部をはじめ周辺支部の組合員のみなさん、あるいはご家族のみなさん、あるいは地域で働く仲間のみなさん、お忙しいところをご参集いただきましてどうもありがとうございます。
わが動労千葉は、1週間余り後、11月29日に、この総武線でストライキをやることを決めております。きょうも動労千葉の全支部長が集まりまして、具体 的な戦術を決めました。おそらく、かってなく熾烈な闘いになろうかと思いますが、私たちは一一〇〇名の団結であらゆる困難を突破して、なんとしてでもこの ストライキを貫徹していきたい。

 私たちはこのストライキで何をかちとろうとしているのか。七月二六日に、国鉄再建監理委員会という中曽根の諮問機関、亀井正夫という 住友電工の社長をしていた男、つまり住友財閥の代表を委員長にすえた機関ですが、ここが、八七年四月一日までに国鉄を分割し、民営化するという答申を中曽 根に提出した。そしてこれが一〇月に入ってから閣議決定された。つまり日本政府の決定になった。それに基いて、現在、政府として、あるいは国鉄内部におい ても極めて急ピッチな作業が進められています。
このような状況の中で、私たち国鉄労働者にとってなんとしても悔しいのは、この国鉄分割・民営化の攻撃が、その本質というか、狙いというか、中曽根や亀井、自民党や財界の連中の意図がなにひとつ明らかにされな いまま進められているということです。国鉄が今日のような危機になったのは、なにか国鉄で働く労働者の働きが悪いからだとか、労働組合がストライキばかり やってきたからだとか、まったく関係のない、事実に反する話だけが横行して、それをひとつの「国民世論」として、この攻撃が強引に進められているというこ とです。私たちは、なによりもまず、このような状況そのものに激しい怒りをもつわけであって、国鉄労働者が怒りをこめて起ちあがることを通して、このよう な状況をうち破っていかなければならない。今度のストライキを準備する過程で、私が一番考えていることはそこなんです。
もちろん労働組合ですから、いろんな要求をかかげて闘いまずけれど、なにか今日、国鉄問題が敵の側の一方的なペースで、なにひとつ真相が明らかにされな いまま進められている、まずここをなんとかしなければならない。しかし、そのためには、なによりも三人に一人の首が切られようとしている、1年数ヵ月後に は一〇万人が職場から放逐されようとしている国鉄労働者が、ここで本当にハラを固めて起ちあがる以外にない。それがあってはじめて、さらに広はんな、他の 職場の仲間の支援も得られるし、一切の事態がきりひらかれるんだと思うんです。
そこで今日は、私たちが直面している国鉄分割・民営化とは一体どういう攻撃なのかという点について、七月二六日の再建監理委の答申を検討しながらお話しし、ともにストライキにむけて決意をかためていきたいと思います。

七・二六答申のペテン
そもそも国鉄を分割・民営化しようという話の最大の理由は、今日国鉄がたいへんな赤字をかかえている点にあります。昨年度の決算を見ますと、国鉄の累積債務は二二兆八千億にのぼっています。
組年度までの借金の残高がこれだけになっている。八五年一年間の国鉄の収支を見ると、営業収入が約三兆五千億円ある。そしてこれで労働者の賃金や毎日電車 を走らせる営業費を出しているわけですが、支出がこれだけなら、いまの国鉄は毎日赤字をたれ流しているとかなんとかいわれているけれど、ほとんどトントン でやっていけるんです。しかし問題は二三兆円にのぼる累積債務で、この膨大な借金の利息が昨年1年間だけで1兆三千億円にのぼっている。これはとても通常 の営業収入の中からは支払えないから、この借金の利息分はさらに新たな借金をして支払わねばならない。そうすると、その分だけ翌年度の累積債務はふくら み、支払わねばならない借金の利息も雪だるま式にふくらむということになるり国鉄の赤字という場合、なんといっても一番大きいのは、この膨大な借金の問題 なんです。じゃあこの借金はなぜ生まれたのか。国鉄再建監理委員会の答申を見ますと、問題は国鉄公社制度にあったと書いている。そして、そういう制度が 「外部勢力の介入」を許してきたからこうなったといっている。しかし、外部勢力」とはなにか。時の政権党である自民党 とその背後にいる財界以外にはないんですね。国鉄の経営に、国鉄の労働者が介入したことは一度もないし、国鉄を利用しているお客さんたちが介入したことも ない。そういう仕組みはまったくっくられていない。自民党と財界だけがやりたい放題のやり方で国鉄に介入してきたわけです。
国鉄が単年度収支で赤字になるのは一九六四年、東京オリンピック、東海道新幹線がつくられてからです。三〇〇億円赤字だった。しかし同じ年の減価償却費 が1000億円。減価償却費というのは、国鉄のあらゆる設備の価格を耐用年数で割って、その分を毎年積みたてて、将来の設備更新にそなえるというものです から、これが一〇〇〇億ということは、この年だって、帳面づらは赤字だけれど実質は赤字じゃなかった。こういう状態が七〇年ごろまで続くんです。
国鉄が、減価償却する前に赤字になったのは1971年からです。六〇年代の後半から国鉄では、赤字を理由に国鉄労働者にたいするたいへんな合理化攻撃が かけられます。五万人合理化計画で、たとえばここで機関助士が全部廃止された。地方では、国鉄は赤字だから設備投資をおさえろということがいわれ出しま す。これがちょうど、日本の高度経済成長が鈍ってきたころのことです。それでも国鉄の経営はだんだん苦しくなって、七一年はとうとう減価償却前に赤字に転 落する。そして日本の経済は、オイルショックなどを契機にさらに危機を深めていきます。
ここで、その立てなおしを狙って登場するのが田中角栄ですね。
田中は日本列島改造ということで、公共部門に対する膨大な設備投資を進めた。内需拡大を狙った。その最大の担い手にされるのが国鉄なんです。たとえば新幹線ひとつつくれば、膨大な金が必要だし、モノも人も動く。
あの当時、実におもしろいのは、昨日まで合理化を進めるために、赤字だ、赤字だとわめいていた国鉄当局が、一転して、「国鉄のみなさん、いままではあま り赤字、赤字といってきたから職場も暗くなった。しかし借金しても国鉄の財産はどんどん増えているから心配する必要はない」なんていい出す。つまり支配者 の方針にあわせてパッと変わるわけですよ。そして国鉄に対する野放図な設備投資がはじまったんです。
その結果、七一年当時、国鉄の長期債務はせいぜい一兆円程度だったのが、その後一〇年間ぐらいで一五、六兆円になる。それはそうですよ。もういたるとこ ろで線路の開発につぐ開発をやった。しかもその大半億鉄建公団というところが勝手にやる。国鉄は、その線路が必要なのかどうか、採算にあうのかどうかを自 分たちで判断して決めることもできない。自民党の政治家や財界の都合で、鉄建公団が勝手につくったものを、国鉄は、それが国鉄にとって損であろうがなんで あろうが全部ひき受ける、そういうシステムを当時つくった。だから国鉄の借金がうなぎのぼりに増えてゆくのは当然です。
私は国鉄の官僚連中、本社で偉くなったような連中もいっぱい知っています。七九年にわれわれが動労本部から分離・独立した際、連中とよく話したときも感 じたけれど、国鉄の首脳部の人間が、この借金のことを真剣に考えていたかといえば、全然考えてないですよね。みんな公費を湯水のごとく使ってへっちゃら。 国鉄が赤字になったってしょうがないとみんな思っていた。当時すでに十数兆円の借金をかかえていたんですよ。だから借金がふくれあがるのはあたりまえ。そ の責任が、自民党や財界、そのいいなりになってきた国鉄官僚たちにあることは明白なんです。
ところが、三年ぐらい前から、臨調とか自民党がマスコミを使って、国鉄労働者がなまけたり、ストをやったりしているから、国鉄赤字はこんなにふえたとい うような宣伝をどんどんはじめるわけです。しかし、私はよくいうんですが、最近五、六年間で、国鉄の中でストライキをやったのはうちだけなんですね。八一 年三月の、例の三里塚ジェット燃料輸送の延長に反対してやったストライキですね。ところが千葉鉄道管理局は全国でもめずらしい黒字局なんですよ。新幹線総 局と東京西局と千葉局の三つだけ黒字。われわれがストライキをやっても黒字。じゃあわれわれがそんなに働きがいいかというと、全国の人たちとそんなかわら ないと思うんだよね。とりたてて働きがいいともいえない。サボっているとはいわないけれど。みんな同じ。じゃあなんで千葉局は黒字なのか。やっぱり動労千 葉があるから黒字なのか(笑)。関係ないんだよね。働きが悪いから赤字だなんていうのはまったくペテンだということがこれだけで、もうわかるわけ。
ところがマスコミを使って、そういう宣伝がまことしやかにくりかえされると、「ああ、そういえば駅に立っていた奴は、お客に切符を持たせたままハサミを 入れていた」とか、ありとあらゆることがいわれるようになる。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式で、なんか、すべての責任を国鉄労働者におっかぶせるような、そ ういう雰囲気がどんどんつくられてきた。この三年間。
だけどわれわれもこれだけははっきりさせなくちゃいけないけれど、われわれ国鉄労働者は、そんな何十兆円もの赤字を生み出せるほどの給料をもらっている のか。もらってないですよ。国鉄労働者は天下に冠たる安月給ですよ。これは、みなさん、とくに奥さんなんかよく知っていると思うよ。二〇年勤めたって、カ アちゃんに二〇万円の給料をわたせないんだから。その労働者がどうやってそんな借金をつくれるのかとわれわれはいいたくなる。
ところが世の中の人たちというのは、こういう中曽根の世論工作にすぐひっかかる。それで「ああ、民営にすればサービスがよくなる」とか、「運賃が安くな る」とか実にたあいのない話.「小田急に乗るとおしぼりが出る」とかね、そんなことで民営化賛成となってゆく。いま国鉄の分割・民営化賛成が世論の七〇% もあるんです。
そこでは、分割・民営化の真実というのがまったく見えなくなって、 幻想だけがまんえんしているわけですね。

二三兆が三七兆の赤字に化ける
それでは、再建監理委の答申は、この二三兆円もの借金をうまく解決する方法でも出しているのかといえばとんでもない、そんなもの出せるはずがないんです。
それどころか、これは本当に腹がたつことだけれど、奴らは、きわめてずるいやり方をしている。国鉄の借金は八四年度末で二三兆円弱ですが、答申によると 二年後の八六年度末には三七兆円で、二年間で一四兆円も借金が増えることになっている。なぜこんなことになるのか。さっきもいったように、現在の国鉄は、 毎年約一兆五千億円の利息を払えず、新たな借金をしているので、二年間で借金の残高が三兆円ぐらい増えるのはわかる。しかしそれにしても二年後の長期債務 は二六兆円程度ですよ。それがなぜ三七兆になるのか。
鉄建公団がつくった青函トンネルとか、本州と四国を結ぶ本四架橋とかの建設費を全部上のせしちゃったんですね。青函トンネルや本四架橋は国鉄と関係なく 作っているんですよ。しかも北海道と本州、四国と本州は分割するといってんだから、そんなもの作ったって、そこに鉄道を走らす保証はまったくないわけだ。 それでも鉄建公団が作ったものは文句なしに国鉄が背負うんだというわけですよ。
もうひとつは、年金の問題。国鉄年金というのはいまたいへんな危機にある。それでこの問、かつての電電公社、専売公社、そして国家公務員の共済年金を いっしょにしてなんとかならないかということになった。そのため国鉄労働者は過去二年間にわたって毎年三千円ずつ掛金が高くなっている。だからベースアッ プゼロです。それで、なんとか年金が統合されるまで息つこうという話になった。
そのときの基礎人員、つまり共済掛金を払う職員の数は三二万だった。ところがそれがあと二年後には二〇万になつちゃう。十何万もの人が掛金を払う側から もらう側に移るんだからやっていけるわけがない。当然財政的に補填しなければならない。なんと四兆円から五兆円も足らないんですね。しかしこれも分割・民 営化のために一〇万人の首を切ることによって必要となる経費です。そんなものもすべて上のせすると、二年後の国鉄の累積債務は三七兆円になるというんです ね。それで。さあ三七兆円の借金になりますよ、というんだからひどい話だ。
それで三七兆円のうち一七兆円は国民に負担してもらうというんでしょ。本来だったら青函や本四なんて、勝手に作った奴らが金を出せばいい。それを国民負 担にする。しかしそういうと問題になるから、それを全部国鉄の借金ということにしてしまう。そうすると国民は。なんだ鉄道の野郎と思うようになる。そうい う極めて巧妙かつえげつないやり方をやっているわけですよ。しかしそれはいまにはじまったことではない。こういうやり方をずっとくりかえして、それが原因 で国鉄はいまのようになったんですね。そのやり方をいまにいたるも変えていない。それで国鉄の改革だとか、再建だとか、まったくちゃんちゃらおかしいです よ。
あいつらは国鉄の赤字を解決しようなんてことはテンから考えていないんだよ。答申によれば、三七兆円という借金のうち、いまいったように一七兆円は国民 負担にする、それで六兆円は国鉄の土地を売ってあてる、六千億円は株を放出する、そして分割された新しい民営会社の本州の三会社に、新幹線リース料という のを含めて一四兆二千億の長期債務をひきつがせるというんですね。この新幹線リースというのがまたおもしろいというか、非常に巧妙な話でね。
新幹線だけ保有する会社をつくるんですね。そしてこれだけは国が握ろうと思っているらしいんですね。そういう噂があるんです。国鉄の財政危機がここまで きたのは、新幹線をはじめとする野放図な設備投資の結果でしょ。しかし自民党も財界もそんなことは全然反省していないんですよ。この前テレビに出たで しょ。北陸新幹線は安中を通るとか、どうとかね。奴らはいま、幾つかの新幹線を計画しているんですよ。統年度も、政府はそのための予算をちゃんと組んでい るんです。
だけどね、いまの新幹線で黒字なのは東京一大阪間だけ。博多まで行けば赤字だから。東北も上越ももちろん赤字。仮に建設費を全部国がもっても、毎日毎日 の営業費で赤字なんだからね。だから北陸だろうがどこだろうが赤字になるのははっきりしている。しかしこれまでは国鉄があったから、鉄建公団が勝手につ くってきたものを全部おしつけることができた。民間会社になったら採算にあわないものなどひきうけるわけがない。ところが、彼らは新しい新幹線をどうして もつくりたい。そこで新幹線リース会社なんてのをつくって、民間会社にそれを貸し出し、その貸料を長期債務にするというやり方をとろうとしている。要する に、国鉄は解体しても、自分たちの利権に結びついた、そういうシステムはちゃんと残しておく。イカサマでしょ。
だいたい国鉄をなくそうとしながら鉄建公団は残そうというわけでしょ。再建監理委は国鉄の赤字をここまでふくらましてきた従来のシステムを変えようなん て全然考えていないんです。ただ形式を変えようとしているだけ。あいつらは国鉄をここまで喰い物にして借金を残しておいて、国鉄分割・民営化という国鉄解 体劇でまたもうけようとしている。そして、先きゆきまたもうけようとしている。
そのためのシステムをちゃんと残している。新幹線リース会社とか
なんとかいって。こんな腹の立つことはないよね。

国鉄資産の分捕り狙う。分割・民営化
 ところがあの連中は、口先きでは分割・民営化したら、毎年一〇〇億円ぐらいの黒字になるなんて吹いているんです。だけど、それははっきりいうけどね、ウ ソなんです、ウソ。なぜウソかというとね、彼らもさすがに北海道、九州、四国は黒字になるとはいえない。本州三会社は黒字にできるというんだけれど。この 本州三会社にさっきいったように一四兆二千億円の借金をひきつがせるわけでしょ。
その利息だけで年間五千億ですよ。しかもこの一四兆余りの元金を三〇年間で全部返すというんだから、毎年一兆円を借金返済にあてなくちゃならない。そん なもの払えるわけがない。なぜなら、本州三会社の総収入は、年間二兆八千億しかないと再建監理委がいっている。その三分の一以上を借金返済にあてる会社が 黒字になるわけがないんです。分割・民営化したって、いまの国鉄と同じように借金の利息に四苦八苦する会社ができるだけというのははっきりしているんで す。
はっきりしているのに、なぜこういうことをやるのか。ここに連中のものすごい陰謀があるんです。貨物列車について、再建監理委は、これだけは分割しない で、全国統一の貨物会社をつくるといっている。しかしみなさん、昨年度の貨物の赤字は六千億をこえているんですよ。その貨物を、それだけとり出して、どん なに合理化したって、やっていけるわけがないでしょ。ところがこれを独立させるという。そしておもしろいことをやろうとしているんです。貨物会社は貨物専 用の土地だけをもつ、それで機関車も貨車も、それに機関士まで旅客会社の方においでおいで、これまたリースで借りるというんだな。こいつらはね、貨物会社 がすぐつぶれることを知っているんだよ。そしてつぶれたときは、土地という財産だけは自分らのものにしようというわけですよ。そのためのしかけをいまから つくろうとしている。考えているんだよ、奴らは。うすぎたない連中がいっぱいいるんだから。
だけど、貨物会社には一万五千人の労働者が行くと再建監理委はいっている。国鉄当局の方針だとこれをさらに一万人くらいまで削るということだけれど、それ にしたって、この貨物関係で働いている一万人の人たちはどうするんですか。どうしろっていうんですか。たいへんなことですよ。
分割・民営化なんていっても、すべてこういう状況なんです。それをあたかも夢も希望もあるかの如き話をしているわけですね。そしてこういうからくりを国民 の人たちは何も知らない。せいぜい、六兆円もの遊休地をめぐってたいへんな利権が渦まくんじゃないか。このくらいはみんなわかる。マスコミもいっている。 これもたいへんな問題です。しかし私はそれだけではないといっているんです。

日本の最も悪い奴らは、この国鉄のもっている全資産を分捕ろうと思っているのですよ。分割して、分捕ろうと思っている。国鉄はいま土 地だけで一〇〇兆円もっています。それはそうです。国鉄は日本一の地主、一等地を全部もっているんだから。ところがこれも帳面づらは八千億円にすぎない。 時価になおすと一〇〇兆円はくだらないといわれています。それに加え、新幹線があり、ビルがあり、何万という車輌がある。これを全部あわせると、国鉄の全 資産は二〇〇兆円といわれています。二〇〇兆円、たいへんな資産です。これを、どうしょうかということを奴らは考えているんです。だから民営・分割なんで す。
今回の答申でも特徴的なことは、国鉄の現状をいろいろ検討して、打開の道を検討して、それで分割・民営というんじゃないんです。
まず最初に分割・民営化が決っていたんです。あとは結論にあわせた辻つまあわせをやっているだけ。臨調のときもそうです。全部そうです。
それじゃ、なぜ分割・民営化なのか。民営化というのは、運賃が安くなることではないんです。直営店を開いたり、ステーションビルを建てたりできるから民 営化じゃないんです。そんなことは今だってやってる。そんなことじゃないんです。民営化というのは、株式会社になるということなんです。株式会社になると いうことは、その会社の株を五一%以上握った奴が、その会社を自由にできるようになるということなんですよ。
  再建監理委の答申によれば、分割・民営化の時点で六〇〇〇億円の株を放出しろと書いている。しかしこれだけじゃない。分割・民営化で生れる新事業体は資産 はたくさんあるけれど、どこでも最初から赤字で四苦八苦して進まなければならない。民間の企業が赤字になったらどうするか。銀行で金を借りるでしょ。いま は国鉄公社ですから、大蔵大臣が裏書きすれば鉄道債を買ってくれる。国の信用で。民間会社になったら、銀行は担保を入れなければ金は貸さないですよ。で、 左前になれば必ず介入してくるのが銀行。あっという間に、専務や常務の首のすげかえ一。そういう嵐にならないなんて誰が保証できますか。
そうすると、国鉄の資産は二〇〇兆円でしょ。それからくらべれば一四兆円なんて借金はどうってことないんですよ。簡単にいっちゃえば、一四兆円で二〇〇 兆円の会社を、日本の一番悪い奴らが、幾つかのグループが牛耳れるということですよ。だからいいかえれば、・国鉄にいま三七兆円の債務があります。この肩 代りをしてくれる人がいたら、国鉄を自由にしていい`っていったら、手を上げる奴はいっぱいいる。しかしそれではばれちゃう。.国民の財産をなにするんだ `ってことになる。だから分割・民営化なんです。そういうふうにいって国鉄労働者の首を一〇万も切って、新しい民営会社を発足させて、何年か後にそういう 道を開こうとしている。それで中曽根は、その功績で財界と太いパイプをつくり、ゼニをいっぱい集め、自民党総裁三選を狙っている。これは大陰謀だと思うん です。なぜこんなことをやろうとしているのかということについては、もっと大きな、日本の危機という問題がありまずけれど、きょうは時間もないから省きま す。しかし、奴らがこういうふうに事を運ぼうとしているんだということについては、みなさんはっきり記憶しておいていただきたいと思うんです。
私たちが、九月の大会でストライキをうち出してから、いままでは組合の幹部とは会わないなんてぬかしていた当局の官僚が、私に会いたいといってきた。私 は会いました。ここの千葉局の局長とも会いました。,ストライキを止めてくれっていうんだね。だから、“冗談じゃない”といったんです。“あんたは国鉄官 僚としてやっているけれど、こんなことになって悔しくないのか。これは自民党と財界の大陰謀じゃないか。あんたはその手先きみたいなことをやって、どうな んだ。オレたちはこんなこと絶対許せない。だからストライキをやるんだ”といったんです。そうしたら、私が、分割・民営化なんかやっても必ずこうなると いったことについて、全然否定しないですね。そうだといいますね。いうんですよ。わかっているんです、連中だってね。それは、論理的に、必ず否応なしにそ うなってゆくという問題なんだから。
いま日本の資本主義経済は、いわゆる貿易摩擦問題でたいへんな危機におち入っています。もうこれ以上いかない。トヨタなんか、世界でいちばん大もうけし た企業かもわかんないけれど、これ以上どうやってのばすんですか。危機ですよ。で、あいつらが目をつけたのが、国がやっている様々な事業、国鉄とか、電電 とか、専売ですね。ここを民間活力の導入などといって、資本の手を入れて、要するに分捕ちゃおうということですね。それでいまの危機をのりきろうと奴らは ハラを決めた。そして、マスコミなんかを使い、計画的に宣伝をくりかえし、これにちょっとでも抵抗する奴は、仁杉みたいにバッと首を切っちゃう、わけです よ。そういう形でこの陰謀は進めてきた

労働運動壊滅もくろむ大陰謀
 彼らの国鉄分割・民営化には、これと並んで、これと同じぐらいの力量をそそいだもうひとつの陰謀があるんですね。労働運動をたたきつぶしちゃうというこ とです。いま、総評労働運動はたいへんな危機にある。とくに民間の組合はおしなべて右よりになり、同盟系などといっしょに全民労協なんかをつくっている。 簡単にいえば、労働者の利益を代表する労働組合じゃなくて、資本や権力の側の意向を代弁する労働運動です。これから危機が深まるにつれて、中曽根らにとっ てはそういう労働運動がますます必要になってきます。
いずれにせよ労働者がこの日本を支えているのは間違いない。何千万という労働者-国鉄であれ、民間であれ、どこであれ一が毎日働いているから、日本は毎 日動いている。しかし、労働者はおしなべて長時間労働で低賃金です。いつも不満があり、いつ反乱をおこすかわからない。中曽根らにとってはこれがいちばん こわいわけですよ。だから彼らはいつも労働運動のことを頭に入れておかなきやなんないんです。で、民闘はかなり右よりになった。しかし官公労、とくに国鉄 労働運動は簡単に行かない。しかし、これをつぶさないかぎり総評労働運動にトドメを刺すことはできない。だから中曽根は、戦後政治の総決算は国鉄労働運動 をたたきつぶさないかぎり終らないと、そういっている。国鉄分割・民営化をしても、国鉄労働運動をたたきつぶそうとしているんです。一〇万人の首を切って、国鉄労働者に。去るも地獄、残るも地獄’の状況を強制して、その中で国鉄労働運動をつぶそうとしている。
いま国鉄職員の数は、正確にいうと三〇万七千人です。そのうち10万人余りをあと一年数カ月後に追い出そうとしている。八六年一一月に国鉄最後のダイヤ 改正をやってそこで決めようとしている。そしてそのための準備が着々と強権的に進められています。労働組合を重箱の隅をつつくようなやり方で追いつめ、労 働者の誇りを失わせるような攻撃を強めています。ところでこの一〇万人ですが、これはなにもいますでに一〇万人労働者が余っていて、これを八七年の四月に 追い出すというんじゃないんです。これから、一〇万人の労働者の要員削減・合理化をやって、それを首にするんですね。
いま、いわゆる「余剰人員」といわれているのは二万五五〇〇人です。しかしこれは、八六年三月と八七年三月に定年をむかえる三万人の補充要員としてペイされる数なんです。
それでは、これから一年の間に一〇万人もの要員合理化をどうやってやるのか。これは一〇万人という数という点でも、三分の一という点でも国鉄の歴史にな いことです。それだけではない。重要なのは、昭和五七年四月一日から六〇年四月一日までの過去三年間に、国鉄はすでに一〇万の合理化をやっているんです。 それにプラスしてさらにもう一〇万人要員削減をしょうというのだからたいへんです。一体どこを合理化するんですか。
いろいろやろうとしている。たとえば労働者の勤務体系を根本的にかえちゃう。国鉄の仕事は特殊状況がありまして、総武線の場合、ラッシュ時は緩行線二分 間隔、快速四分間隔で走っている。それでもお客さんをさばききれないぐらい忙しい。ところが昼間になると、これが五分間隔とか、一〇分間隔で、当然ヒマに なる。そこで当局
は、朝と夕方だけ勤務して、昼間は帰っていいというんですよ。朝の一〇時に帰って三時ごろまた出てこいというんです。労働者はその間何をやっていろというんですか。
あるいは八六年の三月ころには基地の統廃合問題も大きくクローズアップされます。たとえば、山手線の場合はこれまで池袋電車区と品川電車区が担当してい たけれど、これを一つにまとめちゃう。総武線の場合は中野電車区と津田沼電車区だけれど、これもどっちかをつぶしてまとめる。その場合、どっちをつぶすか の基準はなんだと思いますか。どっちの土地が高く売れるかということです。だから山手線の場合は池袋電車区をつぶす、乗務員は残しますがね。
総武線では電車の基地としては中野をつぶす。ただし乗務員は残す。これとあわせて、八六年の三月には京葉線開業に伴って千葉管内が二五〇〇キロぐらいふ えるため、その分東京に仕事をまわせということで、津田沼電車区の乗務員の仕事を中野にもっていこうという画策もされている。ともかく、労働者が抵抗しな いから、どんどん労働者をなめて、矢つぎ早に攻撃をしかけて、徹底的な合理化、労働強化で一〇万人もの要員削減をやろうとしているんですね。
だけどね、われわれは、毎日何万もの人間の生命をあずかって、しかも二、三分間隔で一〇〇キロものスピードでつつ走っているんです。そこでこんな無茶苦茶な労働強化をやったらどうなりますか。
これは大変なことがおきるという気がしてならないんです。私たちは電車の運転士、機関士、あるいはその修繕をしたりしている労働者の集団ですから、人一倍 そういう問題については敏感です。われわれの言葉でいうと運転保安。ところがこの一〇万人の合理化というのは、要するに一〇万人の余剰人員を生み出すため にのみやる要員削減で、それでは、列車を安全に運行するためになにが必要かなどということはまったく念頭にない。要するに切りつめるだけ切りつめるとい う、恐るべき内容の代物なんです。だからわれわれは、こんどのストをうちぬくにあたっても、・国鉄を第二の日航にしてはいけない’ということを訴えている んです。われわれはこの点にとくに強い危機感をもちます。
もちろん、労働条件も相当悪くなる。監理委員会の答申では、新しい民間会社に行っても、国鉄の在職年数だけは認めると書いてある。勤続二〇年の人は、 行っても勤続二〇年から出発する。残りのことは、退職金のこともふくめて新しい会社で決めなさいと。そうするとどうなるのか。国鉄は退職金だけは、一応勤 続三五~四〇年になると大体二〇〇〇万円位いになります。これが民間なみ、経営の苦しい民間なみだから約八○○万か一〇〇〇万程度になるでしょう。賃金 も、国鉄の場合は基本給だけの生活者でしたが、民間になれば基本給はほぼ三分の二位になるでしょう。むこうは最初から時間外労働を考えていますから。だか ら新しい事業体に行っても賃金はそのままだろうなんて幻想をもってはいけないんです。
 敵は徹底的にやろうとしているんだから、そんな幻想をもってはダメなんです。
それでは、一年数カ月後に鉄道の職場を放逐される一〇万人の仲間たちはどうか。敵さんは就職をあっせんするなんていっているけれど行く先なんかあんまり ありません。たとえば国鉄関連企業が二万人を引きうけるなどといっているけれど、あれは実態と大きくかけ離れているそうです。国鉄関連企業というのはどう いう話で成り立っているかというと、国鉄のOBを安い賃金で雇用して、それで成り立っているんですね。退職する国鉄労働者がそれまで三〇万の賃金をもらっ ていたとする。それが退職して二〇万の年金をもらえるようになったとする。そうすると、この差額の一〇万円をもらって再就職するというシステムになってい るんです。国鉄関連企業は、熟練の労働者を高卒そこそこの賃金で雇えるわけだから、全部成り立っているんです。この近くの、京葉臨海鉄道とかなんとか、み んなそうです。だから、三陸鉄道という第三セクタ!は非常に営業成績がいいと新聞が書いているけれど、あそこも全部国鉄のOBがやっている。それをものす ごく安い賃金で雇っているんだからやっていけるはずなんです。だけどそれは年金があるから成り立つ話で、そんなものがない普通の労働者が、女房、子供を もっていたら一〇万円の給料でやっていけますか。やっていけるはずがないんですよ。
そういうからくりがありますから、関連企業が二万も三万もうけ入れることができるはずがないんです。
まあ、いま確実視されているのは、中曽根の号令で各省庁が無理矢理引きうける一五〇〇~二〇〇〇人ぐらいでしょう。地方自治体だって、行革で人べらしを やっている一方で、国鉄からたくさんの人を受け入れる余裕なんてまったくない。結局はそういう中で、多くの労働者がちゃんとした就職先も見つけられず放つ ぽり出される。
そういう形になるにきまっているんです。それまで、もうあと一年数カ月きりないんですね。三人に一人と口ではよくいうけれど、三人で一杯のみにいけば、 そのうちの一人は終りだということなんだよね。しかもほかの二人にはさっきいったようなたいへんな強制労働の地獄が待っている。まさに「去るも地獄、残る も地獄」です。

労働者の魂を売る動労
 ところがこのときに、国鉄の労働組合の中に、オレたちだけは当局のいうことを聞くから、オレたちだけは新事業体に行かせてくれという奴が出てきた。国鉄 動力車労働組合という組合ですね。革マルという党派が牛耳っている組合。中曽根と闘うんじゃなくて、そのお先棒をかついで中曽根さんのいうことはなんでも 聞くからオレたちだけは勘弁してくれという路線を歩みはじめた。
  しかし私にいわせれば、じゃあテメエだけ助かれば、他の国鉄労働者はどうなってもいいのかということです。そんなことをするんだったら労働組合なんか必要 ないんだよね。そうでしょ。総評も県労連も必要ない。地区労も共闘会議も必要ない。労働組合は産業別、企業別に組織されている。しかしこういう首切り攻撃 なんかに対しては、最大限、手を結んで共闘してゆく。これが労働組合でしょ。オレの労働組合だけはなんとかしてくれ、他の労働組合はどうなってもいいなん ていうのが労働組合なのか。こういうのが総評に加盟しているんだからいやになつちゃうよ。これは労働組合の原則の問題だよ。
たとえばオレたちは.国鉄千葉動力車労働組合という独立した組合だけれど、テメエだけよければいいなんて思わないですよ。やつばり同じ職場で働く国労の 仲間も同じようによくならなきやなんないと思っている。あたり前でしょ。そうじやなきゃ労働運動なんて成りたたないもの。テメエだけよければいいなんて絶 対思わないよ。
資本は、常に労働者をそうやって差別・分断するわけね。そのために一時的にあるグループだけ頭をなでる。しかしそれで労働者がバラバラになって力が弱く なったら必ず全体を徹底的にいためつける。これが長い資本主義の歴史じゃないですか。その中で、ちっとは労働者もりこうになったかと思ったら、まだまだ全 然わかっていない。雇用安定協約の問題で彼らはなんといっているか。“われわれはこれだけ当局のいうなりになって、組合員の二割も出向に行かせてきた。こ んなに骨折っているのに、全然骨を折らない労働組合一国労のことですが一と同じ協約を結ぶんじゃ、われわれはがまんできない。正直者がソンをする世の中で いいんですか”こういうふうにちやんと書いている。それで社会党にまで申し入れているんだ。現実にやっているわけですよ。こうやって労働者の魂まで敵に 売って国鉄労働者の団結がいまほど求められているときはないにもかかわらず、職場の労働者を本当にズタズタに引き裂いて、敵の好き勝手な攻撃を容易ならし めていることについて、私たちは強く弾劾しなければならないと思います。
三人に一人の首が切られる、きのうまでつきあっていた仲間が首を切られるときに、オレだけよけりゃいいという連中がいたら、私はもう国鉄をやめてくれと いっているんですよ。いますぐに。わが動労千葉にはそんな組合員はいないはずだ。だが、よその組合にはたくさんいますよ、本当のこといって。当局におべん ちゃら使って、テメエだけはいい子になろうとしている。それは誰だって助平根性がないわけじゃない。僕だってね、卒直にいって、八七年四月一日まで、動労 千葉1100名、なんとかうまく泳ぎわたっていければいいなと思ったことがなかったわけじゃなかったよ。あえて流血も辞さず、なんていってるけどさ、それは そんなことやらないでうまくいけば、それに越したことはないんだもの。
だけど、どう考えてみても、なにをやってもやられるということがはっきりしたんだよね。どんなことをしてもやってくる。敵は相当強固な意志をもっている。そうである以上、これはもう決然と起つ以外にない。それがさしあたり、われわれ1100名だけであっても、ここからしかいまの状況を変えることはできないんだよね。
敵はいま、国労も結局なにも出来ないと読んで好き勝手にやってきている。しかし労働者だって人間だ。家に帰れば女房、子供もいる。
生活しているんですよ。その労働者が、こんな簡単に10万人も首をヒョンと切られて、それでも怒れないようだったら、それはもう奴隷になればいいんだよ。
しかし、それだけでもすまない。私はきょう、国鉄分割・民営化の陰謀についていろいろ話してきましたけれど、中曽根は、こういうやり方で、国鉄だけじゃ なくて社会のあらゆるしくみをすべてつくりかえようとしているんです。教育問題しかり、防衛問題しかり、社会福祉の問題しかり。すべての問題をこの論法で やられた場合に、われわれは一体どうなるんですか。私はそう思えてなりません。
きょうは、国労の組合員の人も参加してもらっています。だから、あえていうけれど、いまの状況の中で、国労なんかが本当に起ちあがってほしいと私は常々 思ってきました。いまも思っている。だけど最近はもうかわいさ余って憎さ百倍。本当に頓死するよ、このままいったら。国鉄労働組合でございますなんて、ど こに行ってもデカい面していたくせに、デカい面をしているんなら、こういうときぐらい、ちっとはやることをやったらどうだっていうんだよ。国労の山崎委員 長は、雇用安定協約を結ぶために、「三ない運動」をやめるといい出した。「三ない運動」というのは、派遣に応じません、一時帰休に応じません、五五才に なってもやめませんという運動です。これをやめるという。じゃあなんですか、派遣に応じましょう、一時帰休に協力しましょうとやるんですか。そんなの労働 組合じゃないですよ。うちではそんなことはやりません。だから、うちの若い者はみな晴々としている。私が、動労千葉の中でかたっぱしから組合員つかまえ て、“おまえらクロネコヤマトに行け”“おまえはディズニーランド”とやったらたいへんでしもそんなことで骨身を削って苦労するというんなら、われわれは 国鉄労働者として骨身を削ってでも闘わなければならないんです。だからわれわれは、来たる一一月二九日にストライキをやります。

骨身を削ってでもストライキを闘う
これはたいへんなストライキになると思います。私も二五年間労働運動をやって、いろいろな修羅場を経験してきましたが、いつも最悪の場合を想定することに しています。二九日は、津田沼や千葉転(千葉運転区)は機動隊に制圧され、われわれは職場からたたき出されるかもしれません。いろいろなことが想定されま す。しかしそれも先刻ご承知のうえで、われわれはそれに対応する戦術で闘います。私は単純なストライキ主義者ではないけれど、いまは本当にストライキをや らなければいけないと思っています。本当にそう思っている。ストなんかやっても処分を受けるだけだろうに、なんでいまごろ国鉄労働者はストライキなんか おっぱじめたのか、と世間の人が考えはじめるなかから、はじめて、この分割・民営化という大陰謀の本当の狙いが全体の中に明らかになってゆくのではない か。
いずれにせよこの1年間、私たちはたいへんな暴風雨、なんとも形容しがたいような嵐の中に立たされる。その中で、いまいちばん大事なことは、三人に一人の首が切られる当該の国鉄労働者が本当に怒りにもえて立ちあがることなんです。
国鉄の労働組合を中心に、いま総評をあげて五千万署名というのがやられています。これはこれで重要です。動労千葉は先頭切ってとりくんでいます。津田沼 支部にももっともっとがんばってもらわなければいけない。しかし地区に行くと、国労はなにをしているんだという声が強い。分割・民営化はたいへんだけれ ど、しかし国労の連中はなにを考えているんだ、やる気があるのか、オ口オロしているだけじゃないかと声が大きい。これじゃあどうしょうもないです。私はい つもいうんだけれど、本当に応援がほしかったら、まずテメエが真剣に、本気になって闘うことなんだよ。そのときはじめて、その姿にうたれて労働者が結集し てくれるんですよ。
われわれは、来たる一一月二九日のストを第一波とし、八六年2月にむけて数波のストライキを決行します。これによって分割・民営化の大陰謀と一〇万人首 切りと死力をつくして闘います。いま、三人に一人の首が切られようとしている、誰よりも追いつめられている国鉄労働者がここで本当に闘って、闘って、闘い ぬいてやる。そのハラを固めて起ちあがったとき、はじめて、一切の事態が開かれるんです。二月二九日のストをやったら、三〇日からうまくいくとは思ってい ませんよ。しかし、その闘いによってしか、いまわれわれをおおっている暗雲を徐々にでも払いのけることはできない。
それぬきに口だけで何をいってもだめなんです。
いま起たなかったらどうなりますか。職場では一〇万人合理化がどんどん進みます。国会では一三〇本の法案がつぎつぎ通ってゆく。
それで八六年の二月になったら準備万端整って、そうすれば片っぱしから差別、選別されて、“はい、お前はいうこときかないからあっち”“お前はいい子だ からこっち”と勝手にやられるわけ。全員。そうでしょ。そうなつちゃう。そのときになって、“一人の首切りも許さない”なんていってストライキができます か。できない、いまからやんなかったらできないんですよ。
われわれはそう思っている。それはこの闘争をやったら、どのくらい首を切られるかわからない。オレなんかもうとっくに首切られている方だけれど、ヤマ ちゃん(山下幸津田沼支部長)なんか絶対に首だよ。支部長なんだもの。組合の幹部はここまできたらもう逃げるわけにいかないんだよ。
 東京でおもしろいことが起っている。
国労東京の上野支部というのがあるんだけれど、常磐線をもった結構大きい支部で革マル系が強かった。ところが今年の大会で革マルが全部役員から降りちゃっ た。なぜだと思いますか。国労の役員なんかやっていると四万一千人の中に入れられちゃうかもわからない。
それでなんていっているか。“出向に行こう、出向に行こう”といっている。出向に行けば首がつながるんじゃないかといっている。国鉄労働者の三人に一人 の首が切られようとしているときに、いままで組合の幹部でございます、委員長でございます、書記長でございますなんて威張っていた奴らが、いまになって自 分の身がかわいいからといって、組合役員をやめるんだったら、それで一体労働者はどうしてくれるんだといいたくなる。そうでしょ。
わが組合にはそういう人はいませんよ。九月の大会でスト方針を決めた後、各支部大会をやった。すこし心配だった。だいたいストライキをやれば支部長は首 になる。これは誰でもわかる。だから交代が出るんじゃないかと。だけどそんなことなかった。昔から、こんどの大会で交代が決っていた人以外に交代した人は いなかった。全部執行部はかわらない。動労千葉にはそういう強さがあります。
大会以来われわれは、このスト方針をみなさんに訴えて、そしてみなさんも、よし、それでいこうということになってここまできた。そうである以上、どんな 反動も恐れず、このストライキを最後まで貫徹するということでがんばっていただきたい。この一一・二九ストをやりきったときにはじめて、その次のこともい ろいろ考えられると僕は思っています。いまはそうじやない。考えようがないんだ。
このままだったら負けることしか考えられない。これをやりきってはじめて次の展望も出てくる。このストライキで、あの不遜で労働者をなめきっている中曽 根や権力者に労働者の怒りをぶつけることに成功したときはじめてわれわれは対等の関係にたっていくことができるんです。そうやって、いまの、このどうしょ うもない関係をかえたとき、はじめて分割・民営化の正体も暴露され、それじしんたいへんな矛盾とごまかしをふくんでいるあの答申を粉砕できるんじゃない か。このままいったらだめですよ。絶対だめです。
そういうわけで、みなさんがんばりましょう。この津田沼支部は、いずれにしても千葉転とならんでわが動労千葉のエースなんだから、これはしようがない。リリーフじゃない、先発完投型のエースなんだから、ぜひがんばってもらいたい。
それに家族のみなさんにもお願いしたい。ご亭主がたいへんなところに追い込まれているんだということをぜひご理解いただきたい。奥さんも、みなさん結婚 するとき、好きだとか嫌いだとか、顔がいいとか悪いとか、いろいろあったかもわからないけれど、やっぱり鉄道員というのは商売が固いと。そういうことが やっぱりあったでしょう。とくにムコさんなんかそうだよ。だけどそうじやなくなってきたんだよね。変らないのは給料が安いことだけ。あとは全部かわった。 首はいつ切られるかわからない。あてにしていた老後の年金もダメ。退職金もダメ。楽しみだったパスもとりあげられた。取柄がなくなつちゃったんだね、本当 のこといって。やっぱりここまでやられたら起ちあがってがんばりましょうということを最後の言葉にして、私の話を終ります。
(なかの・ひろし国鉄千葉動力車労働組合委員長)

国鉄1047名闘争の意義と背景 中野 洋 著  「俺たちは鉄路に生きる2」(第5章)

Ⅰ/世界と日本をのみこむ動乱の一六年

国鉄分割・民営化から一六年たちました。この間、世界も日本も大きく変わりました。日本の政治、日本の階級闘争という点でも、総評が なくなり、社会党がなくなり、五五年体制が崩壊した。その出発点となったのが、一九八七年の国鉄分割・民営化ですが、しかしこれをめぐる闘いは、一〇四七 名の国鉄闘争として今日まで連綿と闘いつがれている。これが、この一六年間の日本の階級闘争、労働運動のごく大まかな骨格だと言えます。
ここでは、この一六年間の国鉄闘争の意義を、動労千葉の闘いを軸に見ていきますが、その前提として、まず一六年間の世界と日本の動きについて簡単におさえておきます。

1.ソ連の崩壊と戦争と恐慌の時代
一言で言えばそれは「動乱の一六年間」とも言える、非常に激しい歴史的転換の時代でした。一番大きいのは、やはりソ連の崩壊です。すでに一九八九年に、 ベルリンの壁が崩壊し東欧諸国が軒並み崩壊する。また中国の天安門で大きな民主化運動が起こり、中国の人民解放軍がそれを弾圧するということが起こった。 そして一九九一年、ついにソ連邦が崩壊した。一九一七年にロシア革命が起こり、世界で初めて労働者が権力を握って以来七〇年たち、ついに崩壊した、これは 大変な世界史的な出来事でした。
そもそも二〇世紀でもっとも大きな出来事は、一九一七年のロシア革命だと僕は思っています。そのソ連がその後、スターリン主義体制になり、腐敗・堕落 し、ついに崩壊を遂げました。これによって米ソの「冷戦構造」が崩壊し、アメリカが唯一の超大国になった。
そのとたんに九一年、いわゆる「湾岸戦争」、イラク・中東侵略戦争が、アメリカを中心とする多国籍軍によって開始されました。九四年には、朝鮮半島をめ ぐる戦争が一触即発の情勢に入りました。九八年にはユーゴスラビアにアメリカとNATO軍が戦争をしかけました。そして二〇〇一年、九・一一反米ゲリラ事 件が起こり、アメリカはアフガニスタンへの戦争を起こし、〇三年三月には米英軍がイラク侵略戦争に突入しました。
一方、全世界で経済危機が非常に深刻になっています。分割・民営化が強行された一九八七年の一〇月、いわゆる「ブラック・マンデー」、ニューヨークで株 式の大暴落が起きました。それ以降、アメリカでは「経済のグローバル化」とか言って全世界の富を集め、バブル経済を一〇年近く維持してきましたが、今や 「IT革命」も崩壊した。当時は、「マルクスが言っていたことはもう古い。資本主義は永遠に成長していく」と言われました。しかしそれもまったくペテン で、今やアメリカ経済も大変な危機に陥っています。
この過程で全世界で失業者がどんどん増えています。一九九四年に「ILO世界報告」が、「全世界の失業者は八億二千万人、全就業人員の三〇%にあたる」 と報告しました。この後、OECDも同じような報告をしています。今や失業者や半失業者、例えば一日一ドル以下で生活をしている人が、全世界で半分近くに なっています。国鉄分割・民営化政策の考え方でもある「新自由主義」は、「資本主義の原理どおりに市場原理に全部まかせて、弱肉強食の世界にしよう」とい うことです。強いやつは生き残るし、弱いやつは死んでもしょうがない、という論理がむき出しで強調されました。
このような、一方におけるソ連の崩壊、他方におけるまったく新たな質を持った資本攻勢の中で、日本でも、アメリカでも、イギリスでも、労働運動は大きな 後退を強いられました。日本では中曽根が国鉄労働運動に襲いかかり、アメリカではレーガンが航空管制官の組合をたたきつぶし、サッチャーは炭鉱労働者の一 年間にわたる闘いを圧殺した。しかし、九〇年代後半からようやくこの逆流に抗して闘う労働運動の新しい台頭が見え始めてきたことは、すでにアメリカにおけ る労働運動の動きとして紹介してきました。イラク開戦前夜における全世界二〇〇〇万人と言われるかつて例のない国際的反戦闘争のうねりは、これらの動きの 上に初めて実現されたものです。

2.日本経済の長期不況と戦争国家化攻撃
日本でも、この一六年間は大変な出来事が起こりました。
まず経済的には、「世界第二位の経済大国」と言われた日本経済が危機に突入した。八〇年代後半に日本ではバブルが起こった。実はこれを大きく促進したの が国鉄解体をはじめとする三公社改革で、国鉄の土地と電電の株の放出が一役買っています。一九八九年の東証株価の最高値は三万八九一六円でした。当時の大 蔵省、日銀や銀行、証券会社などが仕組んで、株価や地価をつり上げて、バブルを推進していった。しかし八九年をピークにバブルの崩壊が始まります。最近で は株価は八五〇〇円ぐらいまで下がりましたから、ざっと三万円も株価が下がったということです。銀行や大手企業、生命保険会社などは、保有株の株価が三万 円も落ちて、資産喪失総額はだいたい四五〇兆円ぐらいです。不良債権の最大の原因はこれです。九〇年代の日本経済は、「失われた一〇年」と言われるような 長期不況と、底知れぬデフレの一〇年でした。
その中で、政府は人為的な景気刺激策として大量の国債を発行し続けました。国債残高は、分割・民営化攻撃が始まった八二年度末には九六兆円でしたが、国 鉄が分割・民営化された八七年四月には一三〇兆円。そして二〇〇一年度末の国債残高は四四八兆円です。一六年間で三倍以上になった。さらに地方自治体の借 金を加えると、六〇〇兆円とも七〇〇兆円とも言われている。いずれ一〇〇〇兆円になるでしょう。
そして失業率は、一九八七年には三・二%で「過去最高」と言われたんですが、今はもう五・六%で、一六年間で二ポイント以上も上がったわけです。
アメリカの戦争政策との関係では、日本の安保・防衛政策が戦後的な制約を大きく突破して、まさに戦争国家に飛躍してきたのがこの一六年です。「戦後政治 の総決算」を掲げて国鉄分割・民営化を強行した中曽根は、同時に日本の軍事大国化を強力に推し進めましたが、まだこの時点では「専守防衛」とか「海外派兵 せず」などの枠内のものだった。しかし、ソ連崩壊と湾岸戦争を決定的転機として、まず「国際貢献」の旗のもとに九二年自衛隊PKO派兵が始まり、九四年朝 鮮危機を経て九六年日米安保再定義、そして九七年新ガイドライン、九九年周辺事態法と続き、いよいよ〇三年に有事三法が制定された。この間、〇一年九・一 一情勢下で、〇一年一〇月の対テロ特措法、〇三年七月のイラク新法を成立させ、自衛隊の海外派兵と日本の戦争国家化はいよいよ本格化してきました。
まさに日本においても、この一六年間をとおして、戦争と恐慌と大失業の時代が到来したと言えます。

3.総評・社会党の解体と五五年体制の崩壊
まさにここで最大の問題は、このような労働者人民の生活と平和を破壊する激しい攻撃の嵐に対して、これと対決すべき階級闘争、労働運動が後退につぐ後退を強いられてきたことです。
日本の政治をめぐってこの一六年間に起こったことで一番大きいのは、言うまでもなく五五年体制が崩壊したことです。一九九三年に自民党が分裂し、自民党 単独政権が崩壊して細川内閣が成立しました。自民党は単独で政権を維持する力がなくなった。これをもって「五五年体制は崩壊した」と言われました。確かに 戦後政治の中で一貫して野党第一党であり続けた社会党は解体しました。九三年の細川内閣に与党として参加したのが「終わりの始まり」で、翌九四年には自民 党と組んだ村山内閣で政権党になる。この過程で小選挙区制に賛成し、安保・防衛政策で従来の立場をことごとく投げ捨て、転向したことの当然の結果として、 九六年になると社会党は、社民党、民主党、新社会党に三分解します。
ところが五五年体制の一方の軸であった自民党は、九三年政変で一度は野に下るものの、一年後には社会党を取り込んで政権に復帰します。だから五五年体制 の崩壊というのは、世界的規模での冷戦崩壊がソ連の崩壊とアメリカの一極超大国化であったように、結局戦後日本の政治における保守対革新の対立において、 革新の主座を占めていた社会党が一方的な解体・消滅に追い込まれたということです。
しかし、このような日本の政治地図の一変の基底にあるのは、やはりなんと言っても、八九年の総評の解体であり、それに代わる連合(と全労連)の出発で す。このことの不可避的で必然的な結論として、九〇年代中葉における社会党の解体もあったと言えます。この総評解体にいたるいわゆる右翼労戦統一の動きは 遠く六〇年代にさかのぼることができますが、その最後的仕上げが八七年の国鉄分割・民営化であり、それをとおした国鉄労働運動解体の攻撃だったということ です。
そこでこの総評解体・連合結成の歴史的・階級的意義という点について見ていきます。

Ⅱ/総評解散・連合結成の歴史的意味

1.民間先行の右翼労戦統一運動
一九八七年四月一日にJRが発足しましたが、国労はこの当時、清算事業団に送り込まれた約七六〇〇人を含めて約四万四〇〇〇人です。動労千葉が約八〇〇 人でした。動労、全施労、鉄労等々は全部解散大会をやって、鉄道労連、後のJR総連になりました。こうして、戦後の日本の労働運動を牽引してきた国鉄労働 運動において、国鉄分割・民営化の先兵の役割を果たしたJR総連が主流派を占めたわけです。
その結果として、総評が一九八九年一一月に解散しました。戦後労働運動の主軸を担った総評が幕を引き、連合が発足しました。そして共産党系の労働組合 は、全労連という組織を結成しました。それはまさに、右の労働組合がどんどん台頭し、総評の左派と言われた官公労の労働組合がどんどん屈服していく過程で した。
それ以来の日本の労働運動は、春闘になっても赤旗の一本も立たない。資本の言うことを忠実に実践し、それを組合員に強制する御用組合が、日本の労働組合 の主流を占めるという状況になりました。その原因はいろいろありますが、国鉄分割・民営化で、中軸となる労働組合がたたきつぶされたことが大きなきっかけ であることは間違いありません。
連合というのは、戦後長く日本労働運動のナショナルセンターが総評、同盟、中立労連、新産別の四つにわかれていたのを一本化して誕生したものです。六〇 年代からこの労働戦線統一の動きは始まりますが、一貫して「民間先行」と言われたように、それをリードしたのは一九六四年にできたIMF・JCなどに参加 したビッグ・ビジネスのビッグ・ユニオン、つまり鉄、電機、自動車など日本の高度経済成長を牽引した大企業の労働組合でした。これと全繊同盟をはじめとす る同盟傘下の組合が手を組んで進めたのが労戦統一運動です。したがってそれは総評に代表される階級的労働運動を右から解体し、吸収・合併しようという志向 を一貫して持っていました。
これに対して当然ながら総評、特に官公労系は強い警戒感を持ち続け、民間労働運動の右傾化・御用組合化が進む一方で、官公労、特に国鉄労働運動の戦闘化 が進みました。例えば七〇年代初めに国鉄反マル生闘争が勝利すると、右翼労戦統一運動は一時大きく後退するという事態も生まれます。
しかし総評労働運動の最後のアダ花と言うべき七五年スト権ストが敗北するとともに、いよいよその動きは本格化します。総評民間の中でも最後まで抵抗して いた全金(高野派の伝統を引き継ぐ)も八〇年代に入ると取り込まれ、さらに私鉄総連ものみ込まれ、連合結成の二年前の八七年一一月には、民間だけの労戦統 一としていわゆる全民労連(民間連合)が生まれます。

2.国鉄労働運動が残ったことの戦略的大きさ
ここに官公労系を吸収して八九年連合結成が実現されますが、これはそういう意味を込めて「全的統一」と呼ばれました。しかしこのような表現とは裏腹に、 すでに見たような流れからも想像できるように、その実態は徹底的な差別・選別でした。だから、共産党系や新左翼系など、「階級的労働運動」を標榜する勢力 は徹底的に排除されました。
その中で、全逓や全電通(現在のNTT労組)は七〇年代以降急速に右展開を深め、このころはむしろ右翼労戦統一の旗ふり役を演じていました。また自治労 や日教組も「バスに乗り遅れるな」「国労のようになったら大変だ」ということを合言葉にして連合に合流します。もっともこの二労組は、共産党系の一部分が 自治労連と全教という形で分裂しました。
最大の問題は国労をはじめとする国鉄労働運動です。ここでは権力がむき出しの力で運動を壊滅する、特に動労革マルの裏切りと先兵化をテコに国労を解体 し、JR総連というまったく新たなファシスト組合をつくることで連合に結集するということが起こりました。これを眼前にして、震え上がって、自治労や日教 組の動向も決まったと見て間違いないでしょう。
だから、連合結成にいたる右翼労戦統一と第二臨調のもとでの国鉄労働運動解体攻撃は、あざなえる縄のような関係で一体的に進行しました。後者の成就なし に前者の完成はあり得なかった。国鉄労働運動の解体は、連合にとっても一産別の動向という次元にとどまらない、その成否を決する大きさを持っていたという ことです。
しかし連合の結成の時点で、敵はいまだ国労も動労千葉もつぶしきれなかった。そして連合結成の直後から国鉄分割・民営化反対の闘いは、国鉄清算事業団か ら首を切られた一〇四七名の国鉄闘争として出発し、今日まで続いている。当時僕は、「国労が入らない連合なんて、クリープの入っていないコーヒーみたいな もんだ」と言った記憶がありますが、国鉄闘争の存在は今なお連合の喉元に深く突き刺さったトゲのような位置を持っているということです。

3.ルビコン河を渡った連合
この連合の初代会長となったのが、全電通出身の山岸章です。山岸は徹底して政治志向を貫き、九〇年代に入って起こる五五年体制崩壊を前後する政治再編劇 にうつつを抜かした人間です。そしてこの過程で連合の階級的性格も完全に明らかになっていきます。一言で言えば、総評も同盟も、左か右かの違いはあれ、社 会党や民社党という労働者を基盤とする政党を支持してきました。しかし連合が支持するのは歴然たるブルジョア政党になります。ブルジョア政党を支持して、 テンとして恥じるところがなかった。
もちろん労働組合にとっては、常に自分たちの利益を代表する政党が必要です。政権政党がいかなる政党であるのか、自分たちの支持する政党が議会でどれだ けの位置を占められるかは大きな問題です。旧総評においては、選挙において社会党支持一本を打ち出す本部に対して、「政党支持の自由」という右翼的スロー ガンを掲げて、共産党系の労組が共産党支持を訴えるというのが年中行事になっていました。これに対して一般に右翼労戦統一の出発点になったと言われる六七 年一月に『月刊労働問題』に掲載された宝樹論文(宝樹は当時全逓委員長)は、七〇年に向かって自民党政権に代わる政権を打ち立てるために、社会党と民社党 の連立、さらに総評と同盟の統一を呼びかけたものでした。共産党はそこから排除されていました。
このように当初から政治志向の強い右翼労戦統一の動きは、七〇年代半ばに高度経済成長が終わり、職場や地域の闘いで要求を獲得することが困難になってく るとともに強まり、いわゆる「制度・政策要求」闘争と呼応しながら進んでいきます。労働者大衆を組織し、職場闘争やストライキで要求を実現するのではな く、「経営参加」や「国政参加」をとおして、そこでの交渉によって要求を実現しようとする。しかしそもそもこの「制度・政策要求」闘争という言葉を最初に 使ったのは共産党で、総評も七四年の「国民春闘」以来こうした主張を始めます。だからこれ以降、この言葉がもっぱら右翼労戦統一運動と一体のものとして語 られるようになった。そして、「そのためにも、共産党は排除し、万年野党の社会党を変革し、自民党政権に代わる政権をめざそう」と主張されても、総評はこ れに抗することができなくなったわけです。
八九年に連合が結成された時も、旗印は「自民党政権に代わる政権の樹立」であり、「二大政党制の確立」でした。しかしこの時の非自民とは、従来言われて いたような単なる社公民ではありませんでした。同じ八九年に土井社会党が、消費税・リクルート問題の参議院選で大勝し、これを決定的な契機として当時の自 民党幹事長小沢一郎の主導で「政治改革」運動が始まり、九二年末には自民党の最大派閥・竹下派が真っ二つに割れ、翌年小沢の率いる新生党が生まれます。こ れが九三年総選挙での新党ブームと自民党敗退、五五年体制崩壊の引き金になりますが、この時、小沢と手を組んで「政治改革」に突っ込み、社会党の解体に血 道をあげ、小沢の新生党を公然と支持したのが、連合の会長山岸だったんです。連合はこの時、ルビコン河を渡ったわけです。

4.激しく進む連合の危機と空洞化
しかし、この山岸路線は無残に破産します。小沢の新生党はその後、公明党、日本新党、新党さきがけなどとともに新進党を結成します。ところがひとたび野 党となった自民党は、これに対して社会党と手を組み、社会党党首村山を首班とする内閣をつくる(九四年)という離れ業を演じて、与党に復帰しました。自民 党と対抗してできた新進党といえども、しょせん利権が命綱のブルジョア政党で、野党になったとたんにたちまち空中分解した。こうなると連合の支持政党はバ ラバラになり、連合の存在そのもののかなえの軽重が問われることになります。山岸以降の連合はいったい何なんだ、という話になる。
ちょうどそのころ、九五年に日経連プロジェクト報告「新時代の『日本的経営』」が出されます。終身雇用制や年功序列賃金制を切り捨てるというこの日本ブ ルジョアジーの大方針は、当然にもそれと一体のものとしてあった企業別組合を直撃し、その上に存在していた連合を直撃します。これによって連合は以後急 ピッチで空洞化を深め、前に見たように、今日では日本経団連からさえ危機感をもたれる、つまり「御用組合として、産業報国会としてこれでは有効に機能しな い」と心配されるというところまで落ちぶれます。
そもそも連合には、かつての同盟のような労働組合主義もない。右は右なりに、例えば旧総同盟の流れを組むゼンセン同盟などの場合は、労働者と資本家の対 立という考え方はある。彼らは戦前は「三反主義」といって、反資本主義・反共産主義・反ファシズムの旗を掲げていました。戦後は総評が強かっただけ反共が 前面に出ていたけれど、資本家もあまりひどいことをやったら闘うという姿勢はある。こういう姿勢は、ゼンセン同盟や海員組合などの旧総同盟系には今もあり ます。しかし連合の中でも、中軸をなしているJCの流れを組む自動車や電機などは、もうまったく資本の労務担当以上でも以下でもなくなっている。それは労 資協調主義でさえない。
その結果どうなるか。連合結成とともに、地域的には、総評時代の地区労は次々解体されて、地域連合がつくられていきました。しかしこれによって地域の運 動体はことごとく解体されてきた。そもそも職場闘争がない。組合員教育をやらない。だから活動家が育たない。地域の労働運動を支えられなくなっています。 総評時代には、例えば千葉の全逓出身の赤桐操は、別に全逓本部の役員をやっていたわけではないけれど、千葉県労連の役員をやっただけで国会議員になってい た。今の連合では考えられないことです。
連合は結成時八〇〇万人で、早急に一〇〇〇万人連合をめざすと豪語していたんです。しかしその後、組織人員は減る一方で、今では七〇〇万人を割っていま す。しかしこれはまだいい。問題はその内実の激しい空洞化です。一昨年の参議院選挙では、連合の組織内候補に集めた票は全国あわせて一七〇万票弱です。組 織の内部崩壊的現実が、選挙において隠しようもなく表れていると言えます。連合はまさに崩壊的危機に立っており、その中で、〇三年の会長選挙が初めて組織 を二分する選挙になるということが起こっている。
しかしこの危機はいずれにせよ連合をいっそう反動的な方向へ導いていくでしょう。九〇年代前半、例えば安保・防衛政策について連合は、傘下単産・単組の 意見の食い違いで意見をまとめられなかった。しかし連合は〇二年五月には、有事法制を支持する見解を出し、〇三年三月には北朝鮮問題で排外主義的な立場を 表明しています。労働法制改悪問題などでも結局権力・資本の手先の役割を担っていることは明白です。

5.連合の対抗基軸としての国鉄闘争
この連合結成に対抗して共産党系の全労連がつくられますが、これはまったく連合の対抗基軸になりませんでした。そもそも共産党にまじめに労働運動を指導 するなどという考え方がない。共産党の選挙のためにどちらが有利かという基準だけで全労連結成に踏み切ったのでしょう。この連合に対する対抗基軸となった のは、あくまで国労を中心とする国鉄労働運動であり、この周りに集まった「(連合に)行かない、行けない」労働組合の結集体としての全労協でした。
連合も全労連も、労働者大衆に顔を向けていないという点ではまったく同じです。職場や地域で労働者を組織し、闘いを巻き起こし、その力で要求を闘いとる という考え方はほとんどなくなっていました。彼らの顔はどこに向いていたのか。それはもっぱら経営と行政に向けられ、そこでなんとか若干のおこぼれにあず かり(制度・政策要求闘争)、それによって労働者大衆を支配し、つなぎ止めておくというのが彼らのすべてでした。特に連合の場合は、こういうことになれ ば、支持政党も野党よりも与党の方が話が早い、新進党がダメなら自民党に接近しようとなるのは当然の結論でした。
これに対して国鉄労働運動は、この総評解体以降の日本労働運動の右翼化と無力化の流れからいわばはみ出した存在でした。はっきり言って国鉄労働運動の中 でも、国鉄分割・民営化を強行した国家権力とその結果生まれたJR資本に対して、組合員の力を総結集して、職場生産点からの死力をつくした闘いを挑んだの は、動労千葉だけだったと断言できます。国労は八六年の修善寺大会で屈服を拒否した(これはもちろん極めて重要で、これがあったからその後の国労も存在で きたのですが)ことを除いて、闘いらしい闘いを何ひとつ組まないまま、今日まで来ています。
にもかかわらず、国労という総評労働運動の最有力単産が、総評がなくなって一四年間も連合に加わらず存在し続けているのは、一にも二にも、一九八七年四 月時点で七千数百人がJR不採用になり、さらに九〇年四月時点で一〇四七人が国鉄清算事業団から解雇され、これに対する「解雇撤回・地元JR復帰」の闘い が続いてきたことにあります。国労本部はこれに対して、労働委員会闘争以外にこれといった指導をしてこなかった。いや当初から一日も早く国鉄闘争を終わら せたいという姿勢を露骨に示していたんです。しかし国労闘争団や動労千葉争議団、全動労争議団の不屈の闘いがこれを許さなかった。そしてこの闘いは、国労 組合員だけでなく、連合傘下で呻吟する多くの労働者の共感と結集を組織しました。「この仲間たちを見捨ててよいのか」という広範な労働者の意識が連合内外 に沸き上がり、それに支えられて一〇四七名の一六年間の闘いという、文字どおり史上最大・最長の争議団闘争が、国鉄分割・民営化を強行した国家権力と真っ 向から対決するものとして今日まで継続してきたのです。ここにこそ、まさに連合に対する鋭い対抗基軸があったわけです。

Ⅲ/国鉄一〇四七名闘争の一六年

一言で一六年と言っても、それは極めてダイナミックな攻防の一六年でした。一九八七年四月一日に国鉄が解体され、JRが発足してから今日までの間に、大きな節目・関門が三回ありました。
第一は九〇年四月一日で、国鉄清算事業団から解雇された一〇四七名の国鉄闘争が始まった日です。権力とJRとJR総連がまったく予測していなかった事態が発生したわけです。
第二は九四年一二月二四日で、村山自社さきがけ政権の亀井静香運輸大臣が国労に対する二〇二億円損賠訴訟を取り下げた日です。権力の姿勢が、「力による国労解体」から「取り込み」に変わった。
第三は九八年五月二八日で、東京地裁が一〇四七名問題に関する労働委員会命令を全面的に覆す極反動判決を出した日です。権力の姿勢が再び力ずくの国労解体路線に変わった。これは〇〇年五月三〇日の「四党合意」まで続きます。

.国鉄清算事業団の三年間
八七年四月一日、JRに不採用になった(所属組合ゆえに採用差別された)国鉄労働者は、正確には七六二八人で、大半が北海道と九州の国労組合員でした。 彼らは各地につくられた国鉄清算事業団雇用対策支所に送り込まれ、三年間の期限つきで「再就職をあっせんする」という触れ込みで、実は毎日狭い部屋に座ら されました。そしてまったくアリバイ的で劣悪な再就職先を紹介されるだけで放置され、結局自ら仕事先を見つけて去っていくにまかされた。権力・国鉄清算事 業団の予定では、三年間もたてば全員が嫌気がさして辞めていくに違いない、そうすれば国鉄分割・民営化時の「余剰人員」問題は、形式的には一人の首切りも しないで解決できるという計算でした。
確かに多くの労働者が生活上の止むを得ない理由から、JR以外の再就職を決断し、あるいは北海道、九州から本州のJRへの広域採用に応じるなどしまし た。しかしそれでも九〇年三月が近づく中で何千人という規模の労働者があくまで「解雇撤回・地元JR復帰」を求めて清算事業団に踏みとどまった。この背景 には、国労がこの問題で唯一取り組んだ闘いと言ってよい労働委員会闘争で、八八年ぐらいから各都道府県地労委で次々と組合側完全勝利の命令が出たことがあ ります。
採用差別が国家的不当労働行為であることを認め、原地原職奪還を求めた国労側の申し立てに対して、JRは、「たとえ不当労働行為があったとしても、それ は国鉄がやったことで、別法人の新会社JRに責任はない」という傲慢な態度に終始し、労働委員会そのものに出席しませんでした。こうして地労委の審理で は、組合側の主張だけが一方的に述べられ、反対意見もない中で、ある意味では当然ですが、組合側が完勝しました。しかしこれが清算事業団に送られた労働者 を大きく激励したことは事実です。
国労本部の対応は、あくまで九〇年三月までに清算事業団の労働者を再就職させようというもので、革同や協会派などは八八年ごろから、「このままでは(つ まり清算事業団にまだ何千人も労働者が残っているようでは)、間もなく最終的な首切りが来る」と危機感をあおり、特に革同の活動家などを北海道、九州から 本州への広域採用に応じる方針に血道をあげたんです。それでも家庭の事情などでどうしても地元を離れられない労働者が多く残ったわけです。
そういう中で国労本部が打ち出したのが、八九年六月の臨時大会における「全面一括解決要求」路線です。今日まで国労をしばりつけている和解路線の出発点 がここにあります。それはせっかく地労委で完勝しているという有利な情勢だったのに、あくまで国家的不当労働行為との闘いにシロクロをつけようとするので はなく、「採用差別問題からスト権スト時の二〇二億円損賠問題までを一緒に中労委の場で和解解決しよう」という路線でした。
さらに九〇年四月が目前になると、社会党の田辺書記長と自民党、労働大臣、運輸大臣は、「いったんJRに復職させて、同日付で退職する」という、炭労三 池闘争の時の「藤林あっせん案」と同じようなもので和解決着することを策動しました。当時のJR東日本の担当者は「国労はこれを飲むんじゃないか」と言っ ていました。
しかしこうした和解交渉を完全に吹き飛ばしたのが、九〇年三月の動労千葉の八四時間前倒しストライキです。その結果として、四月一日付で清算事業団から一〇四七人が解雇され、ここから一〇四七名闘争が始まったわけです。

.国鉄闘争の開始とJR総連の大分解
一〇四七名が九〇年四月一日の関門を突破したことは、JR体制、国鉄分割・民営化体制の根幹を揺るがす事態でした。もっとも激甚に反応したのがJR総連 です。自民党や社会党などではこの間、四桁の労働者の首切りという事態を何度目かの広域採用などで解消しようという動きが強まりますが、これに対してJR 総連は「政治介入は許さない」「ゴネ得は許さない」などとわめきながら、労働者の首切りを要求する「総決起集会」を日比谷野音で開きます。さらに松崎は 「もし清算事業団の労働者を少しでも再雇用するなら、ストライキで闘う」などと血迷ったことまで言い始めます。
このことを契機に、翌九一年初めにはJR西日本労組委員長がJR総連に対して「絶縁宣言」を出し、西日本、東海、九州、四国と箱根以西のJR総連傘下の 単組が次々とJR総連を脱退、九二年五月にはJR連合が結成された。ここにJR労働運動は、依然として東日本、北海道、貨物を握るJR総連と、箱根以西を 制したJR連合、そして闘争団を抱えた国労が鼎立するという状況に突入します。
国鉄分割・民営化というのは、結局国労を中心とする国鉄労働運動を根絶やしにする攻撃でした。それにとって代わるものとして当初は自民党とも太いパイプ を持って登場したのが、旧動労革マルを中心とするJR総連でした。国家権力も、自民党も、JR資本も、JR発足後に望んでいたのは、「一企業一組合」とし てのJR総連の全一支配でした。しかし国労修善寺大会に続いて、九〇年四月における一〇四七名闘争の出発は、このJR総連を文字どおり空中分解させ、権力 が描いてきた労務政策の根本的見直しを強いたのです。

3.二〇二億円訴訟問題と国労取り込み策動
この中で次の大きな転機となったのが、九四年一二月、亀井静香による二〇二億円損賠訴訟の取り下げです。
九〇年代に入ると、一〇四七名の攻防の舞台は中央労働委員会に移ります。国労は地労委での完全勝利の上に、当然中労委での早期の勝利命令を求めるべきで した。しかし国労はあくまで八九年の「全面一括解決要求」路線にそって、中労委での和解を求めたのです。中労委はズルズルと引き延ばしますが、九三年一二 月になるとこれ以上引き延ばせなくなり、北海道と大阪の採用差別事件に関する命令を出します。それは、JRの当事者責任があることは認めたものの(JR側 の、「国鉄とJRは別法人だから不当労働行為があってもJRは無関係」という主張は退けたものの)、不当労働行為の成立そのものについては、大阪の二人に ついては否定。北海道は一七〇〇人余という膨大な申し立て人のうち一部に不当労働行為が成立することは認めたものの、その範囲はJRの「公正な選考」に委 ねるというふざけたものでした。そしてこの後、国労本部は政治和解路線にカジを切り、その延長で九四年一二月の事態が起こります。
二〇二億円損賠訴訟というのは、七五年スト権ストに対する報復として自民党の圧力で国鉄当局が国労と動労を相手取って起こしたものですが、動労に対して は八六年八月の時点で、動労が国鉄分割・民営化の先兵になったことのご褒美として取り下げられました。そしてその分も含め全額が国労にかぶさってきた。長 期の裁判が続きましたが、九五年春には判決が予定され、ほぼ国労側の敗訴は確実とされ、その場合は二〇年間の利子を含めると四〇〇億円の損害賠償の支払い が国労に義務づけられると言われていました。そうなれば国労会館を含め、国労の全財産に赤紙が張られることは確実で、国労にとっては存亡にかかわる問題で した。
このような二〇二億円問題での亀井の動きの意味するところは明白で、要するにそれまでのJR総連を使った力で国労を解体する方針から、国労を取り込もう ということだった。二〇二億円損賠訴訟を取り下ろすのと引き換えに、国鉄一〇四七名闘争を一定の水準で解決させて終わりにしちゃおうということです。実 際、当時は何百人かをJRに採用するという噂もあったんですよ。
箱根を境に東西で大分裂したJR総連は、この過程で革マル的ファシスト性をむき出しにしてあがきにあがいた。こうしてJR総連は箱根以西のJR資本に見 捨てられるだけでなく、権力中枢の目にもさすがに容認できない存在と映っていく。二〇二億円問題は、結局権力中枢がJR総連に見切りをつけ、その代わりに 国労をからめとり、内部から変質させていこうとする方針への転換だったわけです。

4.和解決着策動に対するJR各社の拒絶
当然これに対してJR総連は激しく反発し、「国労による亀井への秘密献金」などのデマキャンペーンを大々的に張ったり、国労を「カメイ組合」などと呼ん で、組織のタガはめに必死になりますが、これは逆にJR総連内、とりわけその最大の拠点JR東労組内における非革マル分子の動揺と離反の動きを促進し、九 五年末までに新潟を中心とした旧鉄労系の分裂が起こります。そして九六年に入ると、当時のJR東労組の委員長が実は反松崎・反革マルの首謀者であることが 明らかになるなどの騒ぎの中で、革マルは一連の列車妨害などによって「権力の謀略」論を振りまくなど、ますます墓穴を深めていくようになりました。
しかし、亀井という政府・自民党中枢の二〇二億円損賠訴訟取り下げをテコとした国鉄一〇四七名闘争の和解決着の策動は、別にこのようなJR総連・革マル の悪あがきによって粉砕されたのではありません。最大の問題はJR各社の対応でした。亀井はこの時、JR各社社長に会っていますが、この問題では、西も東 もなく、すべてのJR会社社長が、亀井の言う和解決着(一〇四七名のうちの一定数のJR採用を含む)を一致して拒否しています。亀井は激怒して、JR東日 本の松田社長に「おまえは革マルか」と言ったら、松田が「いや、革マルではありません」と答え、それに対して「革マルと仲良くしている連中はみんな革マル だ」と言ったとか言わないとかいう話も伝わっています。いずれにせよ、この時点での権力側の国労取り込み(その裏側でのJR総連切り捨て)路線による一〇 四七名問題解決という思惑は、何よりもJR資本が拒絶したことによって挫折しました。★
この中で国労本部は、「このチャンスを逃したら大変だ」とばかりどんどん屈服を深めていきます。八六年八月三〇日に国労が行ったJR各社への申し入れ は、「国鉄改革法に基づいて推移している現状を承認」という表現で、国鉄分割・民営化を正式に認めました。明白な路線転換であり、亀井の二〇二億円訴訟取 り下げに対する国労側の回答でした。同時に中労委命令以降、採用差別事件がかかっている東京地裁も、九七年五月には結審し、この時点でJR、国労、中労 委、清算事業団の関係者に和解勧告を出すにいたります。しかしここでもJR各社が一貫して拒否の姿勢を貫くことでこの政治和解策動は挫折します。

5.九八年五・二八東京地裁反動判決
九八年五月二八日の採用差別事件に関する東京地裁判決は、このような国鉄問題をめぐる身動きとれないすくみあい状態を反動的に突破するものでした。判決 は二つの部から出され、若干の違いはあったけれど、ともに労働委命令を全面否定する極反動判決であることに変わりはなく、特に片方はJRの当事者責任性を 完全否定するものだった。それは事前の和解勧告でJRをも関係者とあつかってきた裁判所の姿勢とも矛盾する判決で、一言で言って、労働三権を保障した憲法 二八条よりも国鉄改革法の方を高位に置いた判決でした。
「すばらしい判決が出ることは間違いない」という幻想をあおってきた国労本部も、国労弁護団も、協会派も、革同も、これで骨が折れます。国労はこの反動 判決に怒りを燃やして反撃に移るのではなく、九六年八・三〇路線転換の延長で、全面屈服の道をひた走ります。九八年八月の国労大会には、突如、宮坂書記長 が「補強五項目」を出した。その内容は、国鉄改革法承認、不当労働行為提訴の取り下げから国労の名称・組織のあり方の「検討」まで含むもので、さすがにこ の大会一回だけでは通らなかったけれど、翌年三月の臨時大会では、国鉄改革法承認だけが強行採決されます。
そしてさらに翌二〇〇〇年五月三〇日に登場するのが「四党合意」です。四党合意とは、与党三党(自民・公明・保守)プラス社民党の合意です。その核心 は、「国労がJRに法的責任がないことを認め、それを大会で承認しろ」ということで、結局九八年五・二八東京地裁判決を全面的に受け入れろというものでし た。さすがにこの直後に開かれた七・一国労臨時大会では、闘争団とその家族の怒りが爆発して、演壇占拠によって議事が中断し、四党合意受け入れは阻まれま すが、国労本部は引き続き、八月、一〇月と大会を重ね、〇一年一月二七日の臨時大会で機動隊によって大会会場を包囲する異常事態の中で強行採決しました。
しかし、四党合意は「JRに法的責任がないことを大会で認めれば」「人道的観点から」「雇用の確保等の検討」とうたっていたにもかかわらず、敵はさらに ハードルを高め、今度は「まだ国労内に四党合意反対派がいるからダメだ」などと言い出し、これに押される形で、国労本部は〇二年に入ると、「四党合意」に あくまで反対する闘争団員を除名処分するための査問委員会を設置します。そして五月二七日の国労臨時大会では、闘う闘争団の査問委送致を決定した。そして この五・二七臨大の暴挙に反対して宿舎でビラまき・説得活動にあたった国労組合員ら一〇人を一〇月になって警視庁が逮捕し、八人の仲間を起訴するという暴 挙が発生しました。八人は逮捕から一〇ヶ月たっても、まだ勾留されています。
四党合意そのものは、〇二年一二月に、結局国労内に根強い反対勢力が存在することを理由にして、自民党、公明党、保守党の与党三党が離脱を表明、完全に 破産します。しかしこれによって権力はいっそう凶暴化し、まさに有事体制下の労働運動対策という名にふさわしい、警察権力のむき出しの暴力によって国鉄闘 争をつぶす方向に突き進んでいます。国鉄闘争は、分割・民営化から一六年を経て、新たな転換期を迎えています。

Ⅳ/動労千葉の一六年間の闘い

動労千葉は現在約五〇〇人の小さな労働組合です。しかし動労千葉は分割・民営化時に二波のストライキをうち抜き、JR体制下でも闘い につぐ闘いで組織の団結を維持してきました。だから、僕たちは誇りを持っていますよ。でも国労では、四党合意が粉砕された今、本当なら四党合意反対派が組 織のヘゲモニーを奪わなければならないのに、まったくそうなっていないんです。四党合意がなくなって、賛成派も反対派も展望を失い、九月定期大会を前にま さに国労は存亡の危機に立っています。国労を今日まで国労たらしめてきた闘争団も例外ではありません。「お父さんは何も悪いことをしていないのに、こんな ひどい目にあった」と訴えるだけでは、はっきり言ってダメです。
国労にないのは、JR資本との闘いであり、国家権力との闘いです。労働組合である限り、資本との和解はいくらでもありえます。しかし和解路線はダメで す。闘いと闘いによる職場、地域、産別、そして全国的な階級的力関係を変えることなしに、われわれ労働者は前進できないし、なんの成果を獲得することもで きない。この当たり前のことを、今こそはっきりさせるべきだと思います。
今国鉄・JR労働運動は、JR東労組の分裂騒動も含め、再び戦国乱世的な様相を深めています。そしてこの戦争と大失業の時代において、今こそ全国の無数 の労働者が、総評労働運動をのりこえる階級的労働運動の再構築を求めています。国際階級闘争の新たな高揚が日本の労働者人民の階級的覚醒を急速に促進して います。そういう立場から以下、動労千葉の一六年の闘いとその教訓について若干述べます。

1.JR体制下での新たな闘いの柱
動労千葉は分割・民営化に反対して二波のストライキを闘い、二八人が解雇されました。そして一二人が採用差別で清算事業団に送り込まれました。本部や現 場の中心的な活動家が全部首を切られて、四〇人の被解雇者を抱えたわけです。特に津田沼や千葉運転区というストライキの拠点支部は活動家が一掃されました から、それは大変なダメージだった。財政的な問題だけじゃない。労働組合とは、本部があり支部があり、そこで活動家や役員が日常的な活動を展開し、組合員 に多くの情報を提供し、組合員の要求を吸い上げ、組合のさまざまな諸行動に参加するという体制があって、初めて成り立つ。そういうことを担ってきた活動家 が四〇人解雇されたわけですから、それは大変でした。
被解雇者四〇人は、それぞれアルバイトに出たり、物販活動に出たりしたから、基本的に現場から四〇人の活動家がいなくなっちゃったわけです。その後、新 しい執行体制を組むと、それがまた配転で飛ばされる。一番極端な例は津田沼支部で、支部の執行部三役が全員千葉運転区にボンと転勤させられるなんてことま で起きた。役員をつくると、それがまた配転される。こういう中で、本部は被解雇者が役員になっていたから大丈夫でしたが、支部の執行体制をどうつくるの か、大変苦労してやってきた。とにかく各支部の組合員がよくこたえてくれて、各支部の体制を一生懸命つくってくれた。これが動労千葉がこの大きな難局を乗 り切れることができた最大の力でした。
そういう中で八七年四月、JRが出発した。これだけの傷を受けていますから、本来ならば傷をいやす時間が多少必要で、当時、組合員とも「しばらく温泉に でもつかってゆっくりしようか」なんて話をしていたんだよね。だけど敵の攻撃はそれを待ってくれなくて、結局ただちに闘いに突入したんです。
そこでその時、動労千葉はどういう闘いをやろうかと考えて、いくつかの柱を立てました。
◎分割・民営化反対闘争による二八人の公労法解  雇と国鉄改革法による一二人の採用差別との闘  い
ひとつは分割・民営化反対闘争で公労法解雇された二八人、そして採用差別により国鉄改革法で不当労働行為を受けて首を切られた一二人、この解雇撤回闘争 をまず何よりも第一におきました。解雇撤回闘争を闘うということは、裁判や労働委員会闘争などの闘いもあるけれど、財政的な基盤をつくることが必要ですか ら、全国で物販闘争を展開することを含めて、組合員が一丸となってやり抜こうということを、大きな柱に据えた。
公労法解雇の二八人は解雇された時点で裁判闘争に入り、清算事業団に送られた一二人についてもただちに裁判を始めました。当初は、「労働委員会で勝利命 令をとっても、どうせJRは従わないんだから」という判断で、まず裁判を始めたんですが、労働委員会闘争も並行してやろうと決めて、一年後に始めました。 それでも千葉地労委では、九〇年三月闘争を前にして、二月には勝利命令が出ました。
◎JR発足後の新たな組織破壊、強制配転、出向、士職登用差別、昇進・昇格差別、業務移管、基地廃止攻撃などとの闘い
JR発足後も、分割・民営化に抵抗した唯一の組合である動労千葉に対して、組織破壊攻撃が執拗に続きました。例えば、分割・民営化を前後して、成田、勝 浦、佐倉という伝統ある動労千葉の三つの拠点職場が廃止された。それぞれ、資本にとっても合理的な理由で廃止されたのではない。効率から言えば、成田に運 転区があった方がいいわけですが、いまだに成田は運転区を廃止したままで、成田車掌区だけがある。かつては二〇〇人の運転士がいた総武線の拠点の津田沼電 車区も、ものすごい数の車両を抱えながら、乗務員は数十人しか配置しないで、いまだに無理な運行を続けています。JR資本にとっても非効率的な運行を続け ているのは、すべて、動労千葉の拠点つぶしだけを目的としているからなんです。
労働組合にとって、三つの拠点職場を奪われるということは大変なことです。しかし動労千葉は、職場の廃止という大攻撃と闘いぬき、それをうち破って新たな団結を形成し、新たな支部を結成して闘ってきました。
また、分割・民営化から一六年間、一貫して、動労千葉の組合員は昇職や昇進で差別され続けています。JR移行の時点で、運転士の資格を持っていた当時二 二~三歳の組合員が、今はもう四〇歳になっているのに、★いまだに運転士に登用されない。この「士職登用」問題は、千葉地労委では勝ったけれど、中央労働 委員会で塩漬けにされたままです。後から平成採で入ってきた若い労働者はみんな運転士になっているのに、動労千葉の組合員はまだ運転士に登用されない。運 転から駅、営業業務に配転された組合員も、今でも四〇人以上、そのまま置かれています。
JRの運転士は、普通の運転士は指導職、その上に主任職があるんですが、動労千葉の組合員は主任職が圧倒的に少なくて、みんな指導職です。検査係も同じ で、主任職はほんの数人しかいません。動労千葉の組合員については昇進、昇職もまったくできない。これらとの闘いが二番目の柱です。
◎JR発足以降も続く極限的人減らし、反合理化・運転保安確立の闘い
分割・民営化の過程で、一九八二年には約四〇万人いた国鉄労働者が一九八七年四月には約二〇万人、つまり半分に合理化されました。旅客の仕事は増えたの に半分の労働者で仕事をしているわけだから、それ自体が大変な合理化と労働強化ですよ。しかしそれに加えてこの一六年間、さらに合理化攻撃が続いていま す。だから当然にも、列車の安全の危機が深刻です。これに対して、動労千葉の伝統である運転保安闘争、運転保安闘争というのは動労千葉用語なんだけれど、 列車の安全を守る闘い、これを三番目の大きな柱に据えました。
◎激化する反動と侵略戦争と対峙する反戦・政治闘争
四番目に、この過程で、日本政府は日米安保を再定義し、アメリカが戦争をやる時には日本も一緒にやる体制に変えたわけです。九六年に日米安保共同宣言が 出され、九九年には周辺事態法をはじめとする新ガイドライン関連法がつくられた。そして〇三年、いよいよ戦争をやるための法律である有事法制も制定され た。労働関係その他、大変な反動的な治安弾圧の法律がどんどん出てくる中で、これに反対する反戦闘争、政治闘争をしっかりと闘うことを、もうひとつの柱に しました。
◎総評崩壊後の闘う労働運動の新潮流運動を創造  する闘い
五番目は、総評がなくなった後、労働組合が全体として弱体化していく中で、「たたかう労働組合の新しい潮流をつくろう。闘う労働組合の共闘関係をつくり、労働運動全体が闘う体制をつくっていこう」という取り組みです。
一九九八年からは、関生支部、港合同と動労千葉の三組合が呼びかけて、「闘う労働組合の全国ネットワークをつくろう! 一一・八全国労働者総決起集会」 を開催しました。闘う仲間たちの賛同と協力によって、毎年一一月に集会を積み重ね、二〇〇二年の一一・一〇集会で第五回を数えるにいたっています。
これまでのさまざまな問題をのりこえて、今こそ闘う労働組合が大同団結することが求められているという思いを込めて、「全国ネットワークをつくろう」と呼びかけたのです。
◎総じてJR―JR総連革マル結託体制をうち破り、組織拡大をかちとる闘い
その全体をトータルして、JR東日本におけるJR資本とJR総連革マルの結託体制という異様な体制をうち破って、組織の強化・拡大をはかっていく闘いを、当初から動労千葉の基本的な方針に据えて闘ってきました。

2.動労千葉の主な闘い(その1)
JR体制下において動労千葉は以上のような六つの柱を立てて闘ってきましたが、ここではさらに具体的にいくつかの典型的な闘いを紹介してみましょう。
◎強制配転に対する初めてのスト
JR発足後、まず強制配転問題が起きました。駅の売店やうどん屋、ミルクスタンド等々に組合員が強制配転されましたから、これに対するストライキは八八 年から始めました。八八年四月の第一四回臨時大会で、「長期波状ストで闘う」という方針を決定し、反撃を開始しました。
八八年五月には、千葉駅や亀戸駅、銚子駅などで次々とストに立ちました。JR発足後初めてのストライキです。しかし例えば、五月二〇日の亀戸駅ミルクス タンドでのストは、たった一人の組合員のわずか一時間のストに過ぎないのに、動労千葉の動員者一〇〇人に対して、機動隊、私服刑事、職制六〇〇人がホー ム、コンコースをうずめ、応援に行った組合員を全員逮捕しかねないほどの常軌を逸した弾圧体制の中での闘いとなった。警視庁としては「動労千葉は千葉の片 隅でやっていろ。江戸川を越えて東京まで出てきたのが許せない」ということだったのかもしれない。とにかく非常に憎悪に満ちた弾圧体制でした。
◎東中野事故糾弾・JR発足後初の乗務員スト
そして八九年一二月五日、満を持して、JR移行後、本線乗務員を初めてストライキに入れました。前年の八八年一二月に、中央線の東中野駅で追突事故が起 こり、動労千葉の組合員ではありませんけれど運転士が死に、乗客も死んだんです。これをめぐってそうとう団体交渉をやったけれどらちがあかず、ちょうど一 年後の一二月に、「東中野事故一周年・運転保安確立」を掲げてストに立ち、三五〇本の列車を運休に追い込みました。
この八八年ごろ、全国で貨物列車の追突や脱線・転覆事故が次々発生したんです。JR貨物は自分の線路は持っていませんから、東日本であればJR東日本の 線路を借りて貨物列車を走らせているわけです。そうすると、列車を運行するための列車司令は東日本会社の労働者だから、他の会社の列車である貨物列車のこ とを忘れちゃって、それで貨物列車の事故が続発した。
そういう中で、動労千葉が運転保安闘争としてストに立ったことは、多くのJR労働者に共感を持って受け止められて、この闘争は大成功しました。やはり労 働者は闘うことをとおして団結を固める。そのことによって動労千葉は、分割・民営化をめぐる攻防で受けた大変な傷をいやすことに成功したと思っています。
◎一〇四七名闘争の出発を飾る九一年三月スト
九〇年四月の清算事業団労働者の首切りを目前にした三月一八日、動労千葉は「労働委員会の命令を守れ。動労千葉一二人の採用差別者をJRに復帰させろ。 解雇は絶対に許さない」と八四時間のストライキを構えました。当初は国労にあわせて一九日から二一日の七二時間ストを予定していたんですが、本部役員を職 場に入れなかったり、津田沼支部では組合事務所の周りをトタンで囲い込んだり、いろいろなスト妨害がやられて、「正当な労働組合の争議行為に対する明らか な介入だ」と抗議して、一二時間前倒しでストライキに突入しました。
当局はこの時、JR総連革マル系の運転士を全部スト破り要員に動員して、異様なまでのスト封殺体制を敷いた。三月一九日の始発からストをやる予定だった から、始発からスト破りダイヤを組んだわけです。それが半日前の一八日正午からストライキに入ったから、東京圏、東京―千葉が完全にガタガタになっちゃっ た。総武快速線もガタガタ、東京まで全部止まりましたよ。
JRになって唯一よかったことは、ストライキ権が合法化されたことです。国鉄時代は、ストライキをやるたびに首を切られたり、処分されたりしていたの が、JRになってからは、組合が団結してやる気になりさえすればストライキがいつでもできる。当局もそれには介入できないわけです。しかしその代わりに、 当局がいろいろな制限をつけてきました。
そもそもJRになってから、労働協約が全面的に変わって、「労使関係に関する協定」という総合協約になりました。JR総連や国労は締結していますが、動 労千葉は、会社側が圧倒的に有利で労働組合はその下僕という扱いの労働協約であるため、締結を拒否しています。そのため、例えば団交の時、普通なら団交の 交渉員は勤務を解放して団交ができるけれど、動労千葉はそれができない。苦情処理委員会も動労千葉とJRの間にはないし、職場に組合の掲示板もない。今、 被解雇者が多いから専従は置いていませんが、労働協約を結ばないと専従も置けないんですよね。
その「労使関係に関する協定」に、ストライキに関して「何日前に通告しろ」「どの範囲でストライキをやるのか。いつまでやるのか」などの通告義務があ る。動労千葉は協約を結んでいないから、本来なら自由にできるわけです。しかし一応、「何日からストライキをやる」ということは今でも通告しています。そ してストライキの通告書には必ず、「もしストライキに不当な介入をした場合には、戦術を拡大して対抗する」と書いているんですよ。例えば一〇〇人をストラ イキに入れる予定だったのを二〇〇人にするのも戦術拡大だし、二四時間ストライキを四八時間にするのも戦術拡大です。「われわれにはいくらでも戦術を拡大 する権利がある。当局にとやかく言われる筋合いはない」と主張して、この時は一二時間の前倒しストライキを行いました。
しかしこのストに対して、当局は「違法ストライキだ」と言って、二人の停職をはじめ、計一四一人に対して処分を出しました。さらに「違法ストライキによる損害は組合が払え」と、二一〇〇万円のスト損賠請求訴訟を起こされました。
しかし結果としては、この闘争が全国を席巻して、当時の国労本部や社会党、その他諸々の画策を全部吹き飛ばしたわけです。そのことにより、九〇年四月一 日、国鉄清算事業団が一〇四七人の労働者を整理解雇して、一〇四七名闘争が始まったという、大きな意義を持った闘いになりました。動労千葉の威力を示し、 国労闘争団の中にも動労千葉を見直すという動きがこのころから広がり始めます。
◎恒常的ストライキ体制の確立
それから、JR資本の日常的な不当労働行為やさまざまな差別に対してどう反撃していくのか。当局とJR総連革マルの結託体制で、問答無用でやってくるこ とに対して反撃するために、九六年に恒常的ストライキ体制を確立しました。ずっと一方的にやられていたことに対して、どう反撃しようかと本部も支部も懸命 に考えぬいた結果の戦術です。
恒常的ストライキ体制というのは、「職場で不当なことが起こった場合には、その職場だけ翌日から全部ストライキに入れる」ということです。恒常的だか ら、毎日ストライキをやってもいい。これを定期大会が終わると必ず、当局に通告しているんですよ。いくつかの項目あげて、「こういうことをやった場合に は、その職場だけストライキに入れる」と。例えば千葉運転区で何かやってきた場合には、千葉運転区だけ入れる。春闘のように「何月何日から何時間ストライ キ」と通告すると、彼らはスト破り体制をとる。だけど不当配転や不当労働行為をしてきた時に、翌日からストライキに入れるということだから、スト破り体制 をとれない。この恒常的ストライキ体制を確立したことにより、動労千葉は、強制配転などをずいぶん阻止しました。当局もあまりえげつないことはできなく なった。これは今でも続けています。この戦術をとってから、現場でも反転攻勢が始まりました。

3.動労千葉の闘い(その2)
◎動労千葉と一〇四七名闘争
さらに清算事業団闘争、一〇四七名闘争です。いくつかの山場がありました。まず、一九九三年の中労委命令です。動労千葉は、地労委では一二人全員が勝訴 しました。しかし中労委では「二人だけ救済、一〇人は地労委命令を却下する」という命令でした。なぜ一〇人はダメなのかという理由は何ひとつ説明しない。
国労に対してはもっとひどくて、北海道も何を命令したのかよくわからない。ただ「JRに法的責任はある」ことだけは認めて、不当労働行為の範囲について はJRの判断に任せるというデタラメなものです。国労も裁判所に中央労働委員会の命令を取り消す裁判を起こしますが、九八年五月二八日、東京地裁で反動判 決が出て、国労には、「もういくら闘ってもかなわない。負けるんだ」という雰囲気がつくられてきました。
五・二八反動判決は非常に重大です。労働組合法に「不当労働行為はやってはならない」と書いてあるにもかかわらず、国鉄改革法でこれを否定した判決で、 労働委員会制度を解体していく大きな突破口にしようとしたわけです。民間では特に労働委員会闘争を闘っている争議組合は多いから関心は高かった。港合同や 関生支部との付き合いが始まったのも、五・二八判決が大きなきっかけになったんです。国家総ぐるみの不当労働行為を開き直り、労組法―労働委員会制度を否 定するこの判決に対し、「これは国鉄だけの問題じゃない。こんなものがまかり通ったら、不当労働行為=組合つぶしも首切りもやりたい放題だ」という危機感 と怒りを強烈に持ったことが、三組合の「呼びかけ」の出発点になりました。
この裁判は今、国労は最高裁まで行っています。全動労も二〇〇二年に高裁で判決が出て、最高裁まで行きました。全動労の高裁判決もまたひどい判決です。 国労の五・二八判決は「JRに法的責任がない」いう判決ですが、全動労判決は「JRにも責任がある」と言った上で、しかし「国是」、つまり国鉄分割・民営 化という国策に反対した以上、「採用差別をされても不当労働行為とは言わない」という判決です。動労千葉にどういう判決が出るかわかりませんが、動労千葉 は東京高裁で争っています。
中労委命令の後、村山内閣の亀井運輸大臣が、二〇二億円損賠訴訟取り下げを条件に国労に一定の和解条件を出したことはすでに述べました。しかしこの時 は、国労側も腹を決めていなかったんでしょう。四党合意なんか飲むんだったらこの時にやればいいんですがね。そうすれば四〇〇人か五〇〇人は戻ったかもし れない。しかしこれは国労だけの責任じゃありません。JR会社サイドがそうとう激しく抵抗したことは事実です。JR総連革マルがものすごく激しく抵抗し た。
ともかく僕は当時「国労は二〇二億円訴訟もなくなったんだから、あとは一〇四七名闘争をがんがん闘えばいい」と言ったけれど、国労はそうはならなかっ た。四党合意の時も自民党の甘利が「国労は信用できない」と言っていましたが、それはこの二〇二億円訴訟の取り下ろしの件を指しているんですよ。政府に とっては「二〇二億円訴訟を下ろしただけで、国労に食い逃げされた」ということなんです。だから政府も自民党指導部も、今でも「国労は信頼できない」と 言っている。
この過程、特に中労委の反動命令が出た直後に国労内で、秋田などを中心にして、公然と「闘争団はお荷物だ」と称して、一〇四七名闘争の切り捨てを主張す るグループが登場します。チャレンジグループです。この連中は九五年春にも二〇二億円損賠訴訟の判決を期して、反動的に蜂起して国労闘争団を切り捨てる方 向で策動します。しかしこれは、当時の国労永田執行部と亀井運輸大臣の間での二〇二億円問題をめぐる手打ちでいったんは封じ込められます。だが、このグ ループはその後も生き続け、九八年五・二八判決を境に、当時の国労本部の宮坂書記長らを取り込み、国労内の主流として登場し、四党合意の受け入れまで突き 進むことになります。
動労千葉は一貫して「国労闘争団は、国鉄労働運動が生み出した精華だ」という立場から、国労内のこのような傾向に強く反対してきました。僕は動労千葉こそ、国労の誰よりも国労闘争団の闘いを評価してきたと自負しています。
◎二八人の公労法解雇撤回をかちとる
二八人の公労法解雇の撤回闘争については、九二年と九三年に千葉地裁で、第一波の被解雇者二〇人のうち七人、第二波は被解雇者八人のうち五人が解雇無効 の判決を獲得しました。これもまた判決の前提は「国鉄分割・民営化に反対するという政治闘争をやった、不らちなストライキだ」ということです。「しかし解 雇権の乱用だ。あまりにもひどい」という判決だった。初めての処分で首になった人がいっぱいいたわけですから。
それで東京高裁で争っている途中の九五年二月、東京高裁が裁判長の職権で和解を提案してきました。動労千葉は「和解の前提条件は、あくまでも全員の解雇 撤回だ」と主張してきましたから、和解決着の可能性はほとんどあり得ない、解雇撤回に乗るわけがないと思っていた。ところが清算事業団は、われわれの予想 を超えて追いつめられていたんだよね。九月になって、清算事業団が突然「組合側の条件について検討したい」と言い出したんです。そして結局九七年三月、国 鉄労働運動の歴史の中でも前例のない、二八人全員の公労法解雇撤回という大きな勝利をかちとりました。
ただ、国鉄当時の解雇だから、争っている当事者はJRではなく国鉄清算事業団です。清算事業団には復帰する職場がないし、JRに復帰させるためにはまた 裁判を始めなければいけない。被解雇者の年齢やいろんな問題を考えて、金銭和解をしました。和解時点で雇用関係の終了を確認し、この間の賃金未払い分を和 解金として支払うとともに、第一波ストに対して国鉄当局が起こした三六〇〇万円のスト損賠訴訟も取り下げるということです。組合本部である動力車会館の土 地も、国鉄当局から清算事業団の土地に承継されていて、立ち退きの請求の裁判が起こされていたけれど、その件も含めて、全部決着をつけました。動労千葉は 二八人全員の解雇撤回をかちとったということを高く評価して、臨時大会を開いて、和解の受け入れを決定しました。

4.国労の政治解決路線の問題性
国労は一貫して政治解決路線、つまり和解路線です。膝を屈して「どんなことでも飲むから、少しでも返してくれ」という運動です。動労千葉は違いますよ。 JRに復帰を求めているんだから、JRと闘う。しかもJRの中心会社はJR東日本なんだから、「JR東日本の中で闘って力関係をひっくり返さない限り、 JR復帰など成り立たない」という立場で、JR体制との闘いを軸に据えた一〇四七名闘争を闘ってきました。だから労働委員会や裁判だけに依拠した闘いじゃ ありません。
だから動労千葉の一〇四七名闘争の主力は、JR本体の組合員です。もちろん一〇四七名で首を切られた九人の組合員も頑張っていますが、やはり本体の労働 者が闘っています。例えば物販も、国労は、闘争団員がいろんなところを回って歩いています。動労千葉は被解雇者もやりますが、現場の組合員が物販のオルグ に行く。内弁慶が多いから、「よその職場に行って口をきくのは嫌だ」「説明を求められたら困っちゃう」「何もしゃべんなくてもいいんだったら行く」等々、 いろいろ言いながら、それでもオルグに回っています。この闘いを十数年やって、動労千葉の組合員も井の中の蛙ではなくなりました。
国鉄労働者というのは国鉄の中だけで生きてきたから、よそのことをあまり考えなくてよかったんだよね。その最たるものは国労です。だけど物販でいろんな 職場に行って、いろんな労働者と会って、そういう人たちが自分たちの闘いをどう見ているのかということがよくわかる。これは本当に組合員の実地教育になっ たよね。一〇回の学習会より効果がある。だから動労千葉は、本体の組合員が解雇撤回闘争の中心です。「被解雇者が俺たちの指導者として首をかけて闘ったか ら、自分たちが今本体に残って仕事ができている」と考えているからです。組合の指導部であるわれわれも、組合員に常にそういうふうに訴えてきました。
国労の物販も、被解雇者のための物販であるにもかかわらず、例えば千葉で物販をやれば千葉地本が一割取って、残りが闘争団の財政になる。「そういうふう にしないと、組合員が取り組まない」と言う。こういう姿勢は問題だと思う。動労千葉は違う。今でも夏と冬になると、まず一人ひとりの組合員が二万円ずつ買 います。自分たちが買って、それからほかの組合や労働者に協力を要請するのが筋だということです。基本的なスタンスが、国労とはまったく違うんだよね。
国労は、闘争団員一人あたり一月二万五千円の生活援助金だけは、組合員からカンパを集めて払ってきましたが、あとは闘争団員が自分たちの商売や物販で自 活している。犠救(犠牲者救済規則)は適用されていません。これが全逓の四・二八処分と違う。全逓の四・二八は東京で六〇人ぐらい首を切られた後、みんな 全逓の支部や本部の書記として賃金を払っていたんです。それで自民党の金丸と社会党の田辺の会談で、「郵政省の試験をもう一回受けたら、全員が合格するよ うにしてあるから」と言われて、全員が裁判を取り下ろして受験したら一人も受からなかった、というひどい話なんだけれど、それまでは賃金を払っていた。だ けど国労は、組合が賃金を払ったりしてはいません。国労闘争団員は自活して、物販オルグで全国を行脚したり、それぞれの闘争団で会社をつくって仕事したり しながら、十数年間も闘っている。そこがまったく違う。
動労千葉は、本体の労働者の闘いが解雇撤回闘争の主体だという立場だから、争議団の九人に対する「お荷物」論はありません。国労のチャレンジグループは 「一〇四七名闘争ばかりやっているから、本来のわれわれの労働条件をめぐる闘争ができない」などと言うけれど、こんなのはウソもいいところだよね。国労本 部は、一〇四七名闘争など何もやっていない。国鉄改革法を承認したり、「四党合意」を認めたり、足を引っ張ることばかりやっている。解雇撤回闘争なんて、 まったくやっていません。
動労千葉はこの一六年間に、職場における闘いを基軸にしながら、多くの裁判闘争、労働委員会闘争、選挙、それから三組合共闘に代表される闘う労働運動の 新しい潮流運動づくり、そういう闘いを精一杯闘いながら、二一世紀を迎え、二〇〇一年九・一一の衝撃的な反米ゲリラに遭遇し、そして動労千葉も今の状況の 中で一段と飛躍をしなければいけないという立場で頑張っています。

Ⅴ/転換期を迎えた国鉄闘争

1.国鉄闘争をめぐる総決算攻防
今、国鉄闘争が大きな転換点を迎えています。そのことは、敵の出方を見ればわかる。たかが二万人ほどしかいない国労、ストライキをやっても列車が止まら ない国労。にもかかわらず、なぜ国鉄闘争に対して、政府がこれほど「四党合意」などの攻撃を大がかりにやるのか。それはやはり国鉄闘争、特に国労の存在を 敵の側がいかに重視しているかということの表れです。
確かに日本の労働組合は、大きく連合に収れんされて労資協調になった。しかし国労という日本の労働運動の老舗が入っていない労働戦線の統一や連合では、 敵にとってもダメなんだよね。例えば、国労がもし今度の労働法制改悪に反対して旗を振ったら、五万人や一〇万人の労働者が集まりますよ。国労は有事法制に 反対する陸・海・空・港湾二〇労組の闘いの一角を占めています。しかし海員組合や航空連などに比して、国労の存在は影が薄い。なんでもっと陸の王者とし て、こうした反戦闘争の先頭に立たないのかって思うよね。確かにストライキをやって列車を止めることも力ですが、それだけでなく、そういう闘いを展開する ことも政治的な力です。国労が闘えば闘うほど、敵にとっても「国労を野に放しておいたら大変だ」となるわけです。敵が国労をどう見ているのかということ と、今の国労の幹部が自分たちの存在をどう見ているのかということに、ものすごいギャップがありますね。
一〇四七名闘争をめぐる四党合意もそうです。もし和解したいのであれば、和解してもいい。しかし「もっと高く売りつけてくれ」と言いたい。「和解金が一 人あたり八〇万円」なんていうのは、まったくお話になりません。敵はどれほど国労の存在を階級的に見ているかということが、国労の幹部は全然わかっていな い。それで、「一〇四七名闘争さえなくなれば、自分たちは連合に行く」なんてことばかり考えている。
いずれにしても四党合意が破産した。そしてこの過程で国労、全動労、動労千葉を横断した一〇四七名闘争陣形が確立された。それから国労五・二七臨大闘争 をめぐって八人の仲間たちが逮捕された。そして東日本におけるJR総連と革マルの結託体制にくさびが打ち込まれた。
こういう状況を見ると、いよいよ国鉄分割・民営化をめぐる総決算攻撃が始まったことは間違いない。分割・民営化攻撃とは、国労や動労千葉を全部なくす攻 撃だったにもかかわらず、それが生き残った。それから、革マルに協力してもらったから分割・民営化ができたということにも、早く決着をつけたい。箱根以西 は切ったけれど、最大の東と貨物と北海道が残っている、これをなんとかしなければいけない。革マルとの癒着の問題が、あれほど国会でも騒がれているわけで すから。そういうことも含めて、いよいよ決着をつけなければいけないという時期がきて、警察権力が介入してきた。
だから動労千葉は今、「この次は動労千葉だろう」と警戒しています。動労千葉は団結しているからまだ手を出せないだけで、動労千葉の団結がゆるんだら、いつでも向こうは突っ込んでくると自覚しながら、闘っています。
逆に言うと、革マルとJRの結託体制が崩壊し始めたわけだから、われわれにとって組織拡大の大きなチャンスが生まれたということです。平成採のJR総連 の組合員にとって、JR総連にいることがプラスにならなくなってきた、目先の得にならなくなってきたということです。

2.国労のどこが問題なのか
国労がしっかりすることが、この闘いのためにも非常に重要な課題です。なぜ国労が今のように、誰が見ても間違っていることをしているのか、ということをはっきりさせなければいけない。
◎国労は一戦も交えなかった分割・民営化闘争の  総括をいまだまったくしていない
国労は総評最強の組合と言われながら、分割・民営化に対して一発のストライキも闘わず、一戦も交えずに終わってしまった。一戦も交えなかったけれど、四 万人も組合員が残ったところに、逆に国労のある種のすごさがありますが。執行部は何も方針を出さないけれど、組合員は四万人も、差別・選別の嵐にさらされ ながら、「だけど俺は国労だ」と残ったわけです。こんな組合はどこにもありません。それは本部が偉いんじゃなくて、現場が偉いんです。だけど一戦も交えな かった。
ではなぜ、戦後日本労働運動の重戦車と言われた国労が、分割・民営化攻撃に対して一戦も交えられなかったのか。このことについて国労本部は総括していま せん。国労を指導している協会派や革同・日共も総括していません。総括していないから、今も同じことをやっているわけです。
◎八六年修善寺大会(労使共同宣言をめぐり分裂)
以降も無方針
二つ目に、動労千葉が二波のストライキを闘った後、八六年一〇月に修善寺大会がありました。そして六本木委員長体制になりました。しかしこの執行部も、 何ひとつ闘う方針は出しませんでした。唯一の方針は、採用差別事件の労働委員会闘争だけ。新たにJR資本に対してどう闘うのかという方針はまったくなかっ た。一応「分割・民営化反対の旗は降ろさない。労使共同宣言に入らない」となったけれど、それでも闘う方針は形成されないまま、鉄産労の分裂により一気に 組合員が激減するという事態を拱手傍観することしかできなかった。
JRが発足して以降も、労働委員会に不当労働行為を申し立て、採用差別事件の労働委員会闘争を始めるというのが、唯一の方針でした。これに対してJR各 社が労働委員会への出席を一切拒否した。労働委員会の審問は、組合側の主張だけで展開されたわけですから、申し立てから約二年間で、地労委はすべて組合に 対する勝利命令を出した。
◎諸悪の根源は「全面一括解決要求」路線
そして八九年六月に臨時大会を開き、「全面一括解決要求」という方針を決定しました。中央労働委員会の場で、採用差別事件や二〇二億円損賠など、すべて の問題を一括して解決しようという要求です。和解とは、お互いが譲歩するから和解というわけですが、その時の国労にとっては、和解の切り札は「労働委員会 で勝利命令をかちとった」ということしかありません。だから当時の国労は、中央労働委員会での勝利命令を求めなかった。「中労委命令が出たら和解ができな くなってしまうから、命令を出されては困る」という立場だったんです。
この方針が、今にいたるも国労の諸悪の根源です。この方針があるから、闘争団も含めて全部和解路線、政治解決路線になっているわけです。中労委は命令を 出しましたから、中労委の場での和解はできませんでした。そこで、次は政治解決路線。そして九八年五月二八日に東京地裁が反動判決を出して、負けた。そう なると、ますます政治解決路線に傾斜していったわけです。その路線上の根拠は、八九年六月の臨時全国大会の「全面一括解決要求」方針にある。このことをき ちんと総括しなければいけないと思います。
労働組合は、伊達や酔狂で大会を開くわけではありません。どういう闘いの方針を確立するかということを、徹底的に議論して決めるわけです。そして労働組 合である以上、そこで決められた方針に基づいて行動するわけです。その大会で決定された方針が和解路線、政治解決路線だから、肝心のJR資本と闘うという 方針が出てこない。和解しようと思っていたら、和解の相手とケンカできるわけがありません。だからJR資本からどんな攻撃がかけられても、まったく闘わな い。国労はこの間、JR資本にあらゆる攻撃をかけられているのに、まったく闘っていません。こういうことをきちんと総括すべき時期が来ているということ を、特に国労の組合員に訴えたい。
JR資本と闘わないで解雇撤回・JR復帰をかちとることができるわけがありません。特にJR東日本では、資本が革マルとの結託体制ですから、この結託体制と闘わないJR復帰は成り立ちません。しかしこれがまったくやられていない。
国労が一六年間、動労千葉と同じ立場に立ってJRと執拗に闘ったら、もっと国労に平成採の労働者が入り、組織拡大だって実現できたでしょう。今は、組合 の大会に機動隊を導入するなんてことばかりやっているから、良心的な国労組合員ほど嫌気がさしてしまって、脱退者が出ている。千葉では、国労組合員があき らめて動労千葉に来ています。そういう組合のあり方こそが問題です。
四党合意が破産した後、四党合意の反対派も、ある意味で茫然自失状態になってしまっています。彼らもやはり政治解決路線だからです。もちろん労働運動で すから政治解決も和解もあります。しかしそれは、組合が団結を強化して闘って、資本や政府が困った時に初めて出てくるものです。それを最初から方針化した ら、際限なく屈服する以外にありません。それを国労は典型的にやった。国労以外の労働者は、こういうあり方を他山の石にしなければいけない。「こういうこ とをやったら本当に惨めになる」という典型です。
今、チャレンジグループは国労の財産をぶんどって、国労を解体して連合化する道をひた走っています。すでに一部で脱退の動きがあります。〇二年一一月の 国労全国大会では、スト基金の取り崩しが議題となりました。スト基金とは、ストライキをやった時の賃金カット補填分として積み立てたもので、それ以外の用 途に使ってはいけないと明記されています。にもかかわらず、それを各エリアに分配しようとしている。さすがに一回の大会では決めきれず、「一年間の職場討 議にかける」となりましたけれど、今度の全国大会では決めようとしています。このスト基金を各エリアで分割したら、「はい、さようなら」と国労から逃げ出 すという動きが間違いなく始まります。今年の大会は勝負どころです。
JR資本とJR総連革マルの結託体制に亀裂が生まれ、しかも革マルの中でも分裂が起こっています。JR東日本で資本は、革マルが握っているJR総連とい う五万人の組合を活用して労務政策をとっていたわけです。これで何でも合理化攻撃をできたわけです。しかしこの結託体制が崩れ始めている。国労にとっては チャンスが到来しているということです。国労が、今こそ原点に立ち返ってJR資本との闘いを基軸に据えて解雇撤回闘争に踏み出せば、非常に大きなチャンス が生まれる時が来ています。
国労東京地本と国労本部が国労組合員を警察に売り渡した国労五・二七臨大闘争弾圧事件の裁判が行われています。あっという間に佐藤昭夫弁護士をはじめと する著名な方たちが発起人になって、「国労五・二七臨大闘争弾圧を許さない会」が結成されました。この運動をどんどん国労内外に広げていくことをとおし て、国労の解体をもくろんでいるチャレンジグループと共産党・革同の執行部を打倒して、闘う闘争団が中心となった新しい闘う執行部をつくるべき時です。闘 争団はもう十何年間も闘っていろんなことを経験してきているわけです。今の本部は何もやっていません。あんな執行部はいない方がいい。僕は今の国労がその まま残るとは思いません。今度の国労大会は、左派がしっかりすれば、分裂含みの大会になります。そういう立場に立って闘わなければならないと思います。
◎階級的力関係の転覆の先頭に立とう
必要なことは階級的力関係を全体として変えていくことです。その先頭に国労が立つことです。まずJR資本との闘いを強めなければ問題にもならない。労働 者の権利を次々と踏みにじっていく攻撃との闘いの先頭に立たなければならない。戦争と戦争法案の激しい進展と真っ向から対決する闘いの先頭に国労の旗が立 たなければならない。このような闘いにうって一丸となって挑み、要するに国鉄分割・民営化以降大きな後退を強いられてきた日本の労働運動、日本の階級闘争 の反転攻勢をかちとること、その先頭に国労が立つこと、それと一体のものとしてのみ、国鉄一〇四七名闘争の勝利の展望もまた見えてくるということを肝に命 じなければなりません。そして今待ったなしに求められているのは、四党合意にうつつを抜かしてきた本部執行部を打倒し、四党合意反対派をもおおっている展 望喪失状態をのりこえて、国労の「解体的再生」を実現することです。国鉄・JR労働運動の新たな再編・流動状況の到来の中で、チャンスはいたるところに転 がっている。
チャンスと危機は、常に裏表です。チャンスを正しく闘いに生かせればチャンスになるけれど、チャンスを生かしきれなければ危機に転化します。チャンスを本当に生かしきる闘いを、なんとしてもやらなければいけないと思います。
資本主義が労働者に飯を食わせていけない時代に入った。同時に戦争しなければ延命できない時代に入った。全世界で、怒っている労働者の反乱が起きていま す。数千万という規模でヨーロッパでもアメリカでも、アジアでも中東でも始まっている。この闘いと日本も無縁ではありません。日本でもそういう闘いを実現 することはまったく可能です。その中心に国鉄闘争が座らなければならない。労働者が決起する条件がいたるところに噴出している。そういう状況を正しく認識 して、これからも動労千葉は闘っていきたいと思っています。
分割・民営化以降一六年、さまざまなことを動労千葉も学び、教訓化しています。これを生かしながら、要は現場の団結にある、組織の強化拡大にあるということを据えて、日本の多くの労働組合の模範になる闘いを展開したいと思っています。

(5章終り)

俺たちは鉄路に生きる3
国鉄分割・民営化20年 -動労千葉の闘い-

発行/労働者学習センター   監修/中野 洋
●反合理化・運転保安闘争の復権をかけて―新執行部6年間の闘い
●“第2の分割・民営化攻撃”に抗して―現場からの闘いの報告
●解雇撤回めざしてJR本体の仲間とともに―40人の被解雇者の闘い
●動労千葉の団結はいかにつくられたか
新版-甦る労働組合
中野 洋 著
◆第1部 労働運動の復権
・国鉄1047名闘争の危機と動労千葉の前進/・甦る労働組合/・青年労働者こそ主役だ/・新自由主義と闘う労働運動/・反戦と改憲阻止を闘う労働運動/・55年体制の崩壊と新たな労働者の党/・労働者階級の自己解放
◆第2部 分割・民営化と国鉄労働運動
・国鉄の分割・民営化/・動労革マルの歴史的裏切り/・正念場のストライキ/・分割・民営化以後のJR体制/・国鉄闘争勝利の道

ドキュメント 総武線 発進せず! 1985年11月29日 第一波スト 「破防法研究」№53

ど のストライキも、ほんとうの主人は資本家ではなくて、ますます声たかく自分の権利を主張している労働者であるということを、そのつど資本家におもいださせる。どのストライキも、労働者の状態は絶望的ではなく、彼らはひとりぽっちではないということを、そのつど労働者におもいださせる。ストライキが、ストラ イキ参加者にも、また隣近所の工場や同じ産業部門に属するいろいろの工場の労働者にも、どんなに巨大な影響をあたえるかを、考えてみたまえ。……あらゆる ストライキは労働者に多くの艱難をもたらす。しかもそれは、戦争の惨苦とだけ比較できるような恐しい艱難-家族は飢え、賃金は取れず、しばしば逮捕され、 自分の職をもっている住みなれた町から追放される一である。そして、これらすべての惨苦にもかかわらず、労働者は、同僚全体にそむいて雇い主と取引するも のを軽蔑する。ストライキにもかかわらず、近隣の工場の労働者は、自分たちの同僚が闘争をはじめたのを見ると、いつも士気の高まりを感じる。
……一つの工場で罷業がおこりさずれば、たちまち非常に多数の工場で、一連のストライキがはじまるという場合が、しばしばおこる。ストライキの精神的影響はそれほど偉大であり、一時的にも奴隷たることをやめて、大金持と平等の権利をもった人間となっている自分たちの同僚の姿は、それほど労働者に伝染的に作 用するのだ。あらゆるストライキは、巨大な力で労働者を社会主義の思想に、資本の圧制から自分自身を解放するための全労働者階級の闘争という思想に導く。 (レーニン「ストライキについて」より)

●「破防法研究」№53 1986年2月発行

動労千葉(国鉄千葉動力車労働組合、11〇〇名、中野洋委員長)は、1985年2月28日正午から翌日正午まで、千葉と東京を結ぶ総武線を対象に、「国鉄分割・民営化阻止、一〇万人首切り粉砕」を真正面から掲げた二日間にわたる24時間ストに決起した。
中曽根内閣、国鉄当局はストを不発に終らせようと全国から一万の機動隊を動員して一種異様な弾圧体制を敷き、「スト参加者は全員解雇」という恫喝、さら には動労、国労を使っての空前のスト破り策動をくりかえしたが、動労千葉1100名の組合員はそれをはねのけて一人の脱落者もなくストライキを貫徹した。
スト第一日目は、正午から終電まで、スト対象の総武線で計143本の列車を運休に追い込み、ダイヤを大混乱にたたきこんだ。スト第2日目の29日た中核 派の一連の「国鉄ゲリラ」で全国の鉄道網が寸断され、総武線も始発から全面運休となるなかで、動労千葉はスト体制を堅持し正午までのストライキを敢然とう ちぬいた。
国鉄分割・民営化に対する国鉄労組の初めての本格的実力反撃、ストライキ闘争として、動労千葉のたたかいは勝利的にうちぬかれ、そして衝撃的に全国を駆け抜けた。

第二臨調のもと、マスコミを総動員してくりひろげられた八二年はじめの「ヤミカラ」キャンペジからすでに四年たった。この四年間、全 国の国鉄職場では、「職場規律の確立」の名において、あるいは出向、退職の強要という形で、まさに言語を絶する攻撃が吹き荒れてきた。職場における労働者 のあらゆる既得権を奪い、組合をつぶし、一人ひとりの国鉄労働者をいっさいの誇りを失った奴隷につくりかえるための攻撃があくことなくくりかえされてき た。そしてこの攻撃は、「戦後政治の総決算」を呼号する中曽根の下で、八五年六月の国鉄杉浦新体制の登場、同七月の国鉄再建監理委答申をもって、いよい よ、八七年四月の分割民営化10万人の首切りというゴールにむかっての最終的攻防局面に突入したのである。

にもかか わらず国鉄労働運動は、これになにひとつ有効な反撃を組織しえぬまま後退を重ねてきた。動労本部はいまや鉄労顔まけの御用組合、ファシスト組合として、中 曽根・国鉄当局の忠実な走狗にまでなりさがっている。国労もまた敵のかってない規模と質をもつ攻撃にうちのめされ、苦渋にみちた果しない屈服と逃亡の道を 歩んでいる。こうして何十万という国鉄労働者が激しい怒りを胸にいだきながら、しかしまったくバラバラに孤立させられ、無防備な状況の中で、当局・職制の もっとも非道な、非人間的な攻撃にさらされてきたのだ。その結果何が起きているか。八五年二月の国労本部の調査によると、同年1月から10月までのわずか 10ヵ月の間に、実に全国で三四名もの国鉄職員が自殺しているという。10ヵ月で三四名なら、過去四年間で総計何人が自殺したのか。いや、国鉄労働者に対 する攻撃がいよいよ本格化し、熾烈化する八七年四月までのこれから一年余りの間に、中曽根、杉浦はさらに何人の国鉄労働者を殺せば気がすむというのか。
動労千葉は、国鉄と国鉄労働者をめぐるこのような状況の中で、まさに不退転の闘いに決起したのである。動労千葉はわずか1200人の組合員を擁する小さ な労働組合である。だがそのストライキが投げかけた衝撃は極めて大きかった。中曽根は千余名の組合のストに対して異例の談話(「違法ストを許さない」)を 出し、杉浦は、スト参加職員への「断固たる処分」をわめきちらした。さらには金丸が、後藤田が、山下が口々に動労千葉をヒステリックにののしり、そして動 労本部の松崎が顔をひきつらせながらこの反動的大合唱に加わった。
だがこのような金切声が大きく広がれば広がるほど、それは動労千葉の決起の大きさを知らせるだけなのだ。
彼らは知っている。動労千葉の決起の背後に三〇万国鉄労働者の怒りがあることを。彼らは、動労千葉のストライキが、さらには中核派のゲリラが、充満する 怒りに火をつけることを何よりも恐れているのだ。だから、彼らは、一万人もの機動隊を動員していっさいを封じ込めようとした。もともと国鉄分割・民営化 は・そのあまりのデタラメざと反人民性ゆえに、今日においても「場合によっては当初方針の八七年四月スタートができなくなる可能性もある」(東京新聞 85・12.19)といわれている難題である。ここに動労千葉の英雄的決起がかちとられ、国鉄労働者の反撃が開始されたのである。動労千葉のストライキ は、まさに独特の政治手法によっていっさいの反対意見を封殺しつつ、クーデター的に国鉄分割・民営化を強行し、さらにはそれを基軸として戦後政治の総決算 をなしとげようとする中曽根政治そのものに深刻な風穴をあけたのである。
問題はこの動労千葉の第一波ストを、第二波スト、第三波ストにつなげ、さらには国鉄ゼネストヘの道をきりひらきうるか否かにかかっている。敵権力・国鉄 当局は、それを阻止するために、第一波ストに対する大量報復処分をふくむ全体重をかけた動労千葉破壊策動を強めている。この動労千葉を全人民の力で支え、 守り、なんとしても動労千葉の闘いを切り口とする三〇万国鉄労働者の総決起を実現しなくてはならない。国鉄分割・民営化を中曽根ペースでこのまま認めるの か、それとも真に階級決戦的な対決点にまでおしあげることができるのか、ここに、中曽根の戦後総決算攻撃、改憲と戦争国家化をめざす中曽根反動政治との闘 いの最も重要な戦略的かつ、今日的環がある。三里塚二期決戦とならぶ決戦的課題がある。
そして、攻撃の急ピッチな進展にもかかわらず、動労の反革命化、国労の屈服と無力化にもかかわらず、この国鉄をめぐる闘いが、今後の一年数カ月を展望す るとき、そこにいかに巨大な可能性を有しているかを示したのが、まさに動労千葉の第一波ストライキであったのだ。動労千葉のストとこれに呼応して決起した 国労千葉、とりわけ国労津田沼の労働者の闘いだったのである。”闘っても負けるだけ・・闘っても犠牲を大きくするだけ”という、国鉄労働者の頭上に重くの しかかる敗北主義の暗雲をはらいのけ、“犠牲をおそれず闘えば必ず勝てる。闘えば、さらに次の闘いの展望も出てくる”ことを示したのが動労千葉の闘いだっ たのである。
以下の記録は、この動労千葉の第一波ストライキの全過程を、主に動労千葉組合員への取材を柱にして構成したドキュメントである。
その豊かな、ダイナミックな展開、くめどもつきぬ教訓を、さらに多くの国鉄労働者の中にもち込み、勝利の確信、勝利の展望をすべての闘う国鉄労働者のも のとすることによって、われわれは全人民の力を結集した動労千葉の第二波、第三波ストを、さらに国鉄分割・民営化を爆砕し、中曽根政権を打倒する三〇万国 鉄労働者のゼネストヘの道を準備しなくてはならない。
一、決戦の構造
●九月定期大会でスト方針

動労千葉が85年11月のストライキ方針を決定したのは、同年九月九日から三日間、九十九里浜で有名な千葉県匝差郡野栄町で開かれた第10回定期大会においてであった。
「第10回」という数字でも分るように、動労千葉は組織としては若い。もともとは動労(国鉄動力車労働組合)の千葉地方本部であったが、七八年の動労津山 大会で、革マル系に牛耳られている動労中央が提案した「貨物安定宣言」と「三里塚絶縁宣言」をめぐって本部と鋭く対立、とくに三里塚問題では、千葉地本 (当時)が「労農連帯」の旗をかかげて反対同盟との共闘関係を強めようとするのに対し、本部が除名を含む統制処分の暴挙をくりかえす中で、ついに七九年三 月、「闘う路線と組織を守るために」動労から分離・独立し、ここに独立した組合としての動労千葉が誕生した。動労千葉は以降、八一年三月の成田空港への ジェット燃料輸送の延長に反対する5日間にわたるストライキを頂点として、国鉄労働運動全体をおおう逆流に抗して幾多の政治闘争、経済闘争を闘いぬいてき た。
動労千葉は、現在1100名の組合員を擁し、国鉄の労働組合としては、国労(18万六〇〇〇人)、動労(三万四〇〇〇人)、鉄労(三万1000人)、全 施労(2000人)、全動労(2500人)に次ぐ大きさだが、千葉鉄道管理局管内(七四〇〇人)では国労の4800人に次ぐ組合。とくに運転・検修部門で みれば945人で、国労の651人を大きく上回る。千葉局の運転士の70%を組織している。新小岩、津田沼、幕張、千葉、木更津、館山、勝浦、銚子、佐 倉、成田の10支部から成り、千葉県内を走る内房線、外房線、総武本線、成田線などの重要路線はもとより首都圏を貫く総武線の緩行、快速を握っている。

  大会冒頭、あいさつに立った中野洋委員長(45)は、代議員、傍聴者を前に、まず七月二六日の国鉄再建監理委員会の最終答申にふれ、「この答申の中身を綿 密に分析するならば、われわれはもはやこれ以上引くことのできないドタン場に立ぞいる。分割民営化のねらいは『国鉄の再建』などではありません。それは中 曽根内閣の戦争を遂行できる国家づくりの環であり、そのための国鉄労働運動圧殺攻撃なのです。そして、自民党・財界が一体となって国鉄の財産をくいものに しようとするものです。いまや国鉄労働者は自らの全人格、全人生が暴力的に破壊されようとしています。30万のうち10万という大量の首切りによっておび やかされています。そういう状況に入っていることを見たくないけれども、リアルに見なければなりません」と国鉄労働者のおかれている厳しい状況を指摘、さ らに声を高くして、11月スト方針を訴えた。
「来年(86のダイヤ改定合理化、二月のダイヤ改定合理化で一切合財が決着します。それに向けて断固としたストライキに決起しなくてはならない。このたた かいによって初めて答申粉砕の展望がひらけます。1100名の組合員そして家族の暮らしと生命をまもるために労働者の本来のたたかいであるストライキで起 ち上がろうではありませんか」
中野委員長の発言が終わるや、代議員・傍聴者は強い拍手で応えた。

大会は、第一日目に西森巌執行委員(45)から「一般経過報告」、第二日目に布施宇一書記長(43)の「運動方針案」の提起をうけ、 熱烈な討論をたたかわせたあと、最終日に「国鉄分割・民営化、10万人首切り粉砕へ数波にわたるストライキを軸にあらゆる戦術を駆使してたたかう」という 運動方針を満場一致で確認した。そして、たたかいのメインスローガンとして、次の三つを採択した。

①自らの闘いで国鉄労働者の明日をきりひらこう!
②未曽有の国鉄労働運動解体攻撃粉砕!
③反動・中曽根内閣打倒へ、「国鉄」と「三里塚」を基軸に全労働者の怒りを結集し、総反撃に打って出よう!

執行部の提起は大会において圧倒的に支持され、ストライキ方針が正式に確認されたのである。大会で採択された『運動方針案』は次のように11月ストライキをたたかいぬく決意を述べている。
少し長いが、動労千葉がどのような決意を固めたかを知るために重要なので引用する。
「われわれは、1985年7月26日、国鉄再建監理委員会最終答申を期して、死活をかけた決戦に突入しました。
われわれの生きる基盤である国鉄を体制側から解体しようとする攻撃に対して、われわれは、組織も生活も、国鉄労働者の全てをかけて『1987年4月1日、分割・民営化』阻止をかちとらなければなりません。
いま、われわれに、何よりも求められていることは、
第一に、国鉄労働者に死を強制するに等しい未曽有の反動攻撃に対して、決然と立ち、原則を守って闘い抜く決意であり、
第二に、日帝・中曽根体制が追い詰められているが故に凶暴化し、体制的生き残りをかけて強めてくる攻撃の凄しさに圧倒されない階級的確信に裏打ちされた気迫であり、
第三に、この決意と気迫に立脚した闘う路線と組織体制の確立です。
わ れわれは、労働者階級自身の主体的決起と闘いの貫徹の中に歴史を切り拓く無限の可能性が秘められていることに確信を持つと同時に、労働者は闘いの実践を通 してのみ向上するのであり、闘わない労働者(労働組合)は腐敗・堕落するという真理を、今こそかみしめなければなりません。
情勢が厳しいことは言うまでもないことであり、今後一年間、一九八五年一一月雇用安定協約破棄攻撃から1986年11月1日『18万3千人体制ダイ改』 を経て、1987年4月1日の分割・民営化に至る文字通りの修羅場の中を、われわれ国鉄労働者は、何が何でも、まなじりを決して闘い抜かなければなりませ ん。
情勢が厳しければ厳しいほど力を発揮し、『勝てるはずのない』闘いを勝利してきた動労千葉の底力を今こそ発揮し、ひとりのクビ切りも許さない闘いとして、国鉄分割・民営化阻止、国鉄労働運動解体攻撃粉砕の闘いを全力で闘い抜くこととします」
こうして、動労千葉は11月ストライキ方針を正式に決定し、その実現に向かって全支部が一丸となって取り組みを開始した。

●雇用安定協約の期限切れ
動労千葉が第一波ストを85年11月末に設定したのはもちろん理由がある。11月末日は国鉄が国鉄内各労組と結んでいた雇用安定協約の期限切れにあたって いた。雇用安定協約は国鉄が一九六二年に関係労組と締結したもので、動労千葉とは一九七九年一〇月に当時の高木文雄国鉄総裁と関川宰委員長の間で交わさ れ、その後期間の延長を重ねてきた。それは「合理化などに際し、本人の意思に反した免職、降職は行わない」と規定したもので、雇用安定の重要な支えとなっ ている。つまり、当局の一方的な都合で国鉄労働者の首を切らないということだ。当局とすれば、従来は合理化への組合の協力をひき出すテコとしてこれを位置 づけていた。
ところが、臨調攻撃のなかで状況は一変した。国鉄当局はこの間、分割・民営化攻撃の本格化とともに、いわゆる余剰人員対策として①勧奨退職②一時帰休③他企業への出向の三本柱を推進してきた。
それはまさに国労もいう通り、首切りへの片道キップ以外のなにものでもなかった。ところが周知のように動労は、この国鉄当局の余剰人員対策にとびつき、そ の尖兵として、三本柱クリアー運動なるものをくりひろげてきた。組合役員が率先して労働者の肩をたたき、あるいは退職を、あるいは出向を強要する役割を 担ってきたのだ。
一方国労は、当然にもこの余剰人員対策にあくまで反対し、「辞めない、休まない、行かない」のいわゆる「三ない運動」を続けてた。
  これに対し国鉄当局は、八五年一一月末に期限の切れる雇用安定協約を、三本柱に協力する動労、鉄労、全施労とは再締結するが、これに反対する国労、全動 労、動労千葉とは再締結しないという極めて悪らつな不当労働行為に訴えてきたのだ。雇用安定協約をテコに国鉄労働者の総屈服を迫ってきたのである。ところ がこの卑劣な攻撃を前に国労の山崎委員長は、八五年一一月中旬に開かれた中央委員会で当局の恫喝に屈し、「三ない運動」の中止をうち出したのである。国労 は、雇用安定協約を再締結してもらうためにさらに一歩大きく後退し、恥ずべき屈服を強いられたのだ。
動労千葉の第一波ストは、この雇用安定協約の期限切れをとらえ、国労の屈服路線とはまったく逆の方向で、すなわち、労働者の階級的団結の力によって、あ くまでその再締結を当局に要求する闘いとしてうちぬかれたのである。雇用安定協約の期限が切れる一一月三〇日、当局はもとより動労千葉との再締結に応じな かったが、国労に対しても、たとえ本部が「三ない運動」中止を決めても、まだ多くの地本が反対を続けているという理由で再締結を拒否した。これは、分割・ 民営化にむけた今日の攻撃が、国労を中心とする国鉄労働運動の徹底的解体を狙っていることをあらためて示したのであり、その中で三〇万国鉄労働者の生きる 道は、ただ死力をつくした動労千葉のような闘いの中にしかないことを、いっそう鮮明につき出したのである。

●次々と支部大会でスト決議

九月定期大会にもとづき、一〇月以降動労千葉各支部は次々と支部大会を開催していった。

10月11日 成田支部定期大会
14日  木更津〃
15日   津田沼〃
19日    千葉運転区〃
26日   幕張〃
〃    新小岩〃
〃    館山〃
11月 9日 銚子〃
11日 勝浦〃
22日 佐倉〃
これらすべての支部大会において、第一〇回大会決定はいずれも満場一致で支持され、熱烈な討論をとおして一一月ストに決起することが確認された。すさまじ い反動の嵐の中で、うちぬけば必ず大量報復処分が予想されるという、文字通り組織の存亡をかけたストライキ方針が、こうしてすべての支部大会において満場 一致で支持されたことじたい驚くべきことであろう。もちろんここには、動労千葉の労働者が、動労本部からの分離・独立以前からつちかってきた戦闘的伝統、 とりわけ三里塚の農民との連帯の中でうちきたえてきた不屈の労働者魂が脈々と波うっている。
 だが動労千葉は決してあらかじめ活動的な労働者を集めてつくられた組合ではない。千葉鉄管理局の運転・検修部門の過半の労働者を組織した、全国のどこの 国鉄職場にでもいるごくあたりまえの国鉄労働者を組織した組合なのである。だから当然、一一月スト方針が全支部を通して決定されてゆく過程では、あらゆる 悩みがあり、迷いがあり、ためらいがあった。

「答申が出た直後は職場でも『“三人に一人”の“一人”にオレだけはなりたくない』の意識が心の底にあり、『こんなことを言うと“一 人”に入っちゃうんじゃないか』と個々の労働者が思うような状況も生れた」(永田千葉転支部長)という。ある集会では、演壇を降りた中野委員長のところに 組合員の家族が駆けより「今度だけは、うちのとうちゃんをストから外してもらえないだろうか」と相談にきたという話もある。ある組合員は普段使ったことも ない六法全書をめくって、日本国有鉄道法と公労法のストライキによる解雇の項を何度も何度も読んだという。さらにストが近づいてくると夜眠れなかったり、 メシがのどを通らないと言う人が何人も出てきた。
これに対し動労千葉の執行部は、むしろ組合員のもつ不安や悩みを積極的に聞き出しながら、しかし、いま自分だけ助かろうと思ってもどうにもならないこ と、どんな困難があろうと、分割・民営化を阻止するために、すべての国鉄労働者が団結して起ちあがる以外に道がないことを訴えていった。執行部はこれを国 鉄再建監理委の七・二六答申に対する全面的な批判と暴露を通してくりかえし説いていった。中野委員長はこのことを次のような簡潔な言葉で説明した。
「新しい会社にいけば何とかなるみたいな雰囲気があります。全くそうではないのです。
新会社に残る者は約二〇万人になります。旅客会社は本州三会社で一四兆二〇〇〇億円も借金を負わされ、むこう三〇年間、年間ほぼ一兆円に近い借金を支払 わなければならない状況に追いこまれます。ですから新会社に残ったとしても、大合理化、殺人的労働強化、賃金引き下げ、年金や退職金の引き下げなど恐るべ き攻撃がかかってくることはまちがいありません。それと同時にわれわれは人を輸送する仕事をしているわけですから、大変な運転保安の危機に直面することに なります。
さらに赤字の元凶である貨物部門を単独の独立した民間会社にして、どうして採算がとれますか。数年を経ずして倒産の危機に直面するでしょう。
こう見てくると、われわれ国鉄労働者のすべてがまさに『去るも地獄、残るも地獄』の状況に追い込まれるのは必至ではないでしょうか」

  ある支部大会で、中野委員長のあいさつのあと一人の代議員が立って、「委員長の話を聞いていると、お先真暗の気がする」と発言した。 それに対し、中野委 員長が「そうなんだ、われわれはお先真暗なんだ。たたかわなければ闇、たたかっても負ければ闇、たたかって勝って初めて開けるんだ」と答え、全参加者が自 分たちの置かれている状況をはっきりつかんだという。
こうして、中野委員長を先頭とする執行部の強力な働きかけによって一一月スト方針が全支部のものとなっていった。だがその基底にはやはりこの間の人べら し合理化、職場規律攻撃の中で荒廃の一途をたどっている国鉄職場の現状に対する、すべての国鉄労働者の中に蓄積している共通の怒りがあった。一一〇〇名の 動労千葉組合員は、なによりも自分が毎日働いている職場の状況の中から、執行部の方針を理解し、支持し、そして自らその方針の下で首を覚悟して起ちあがる 決意をかためていったのだ。

その具体的中味をいくつかみてみよう。
この間の急激な人員合理化によって職場環境は激しく破壊されてきた。たとえば、とくに動労千葉のような運転関係職場の組合にとってば死活的な運転保安の 問題も大きくおびやかされてきた。これまでは年一回行われてきた台車検査(車輪、モーターなど車両の検査)は八五年三月に廃止され(三年に一回)、事故防 止に欠かせない保線や各種の検査の間隔も大幅に延長された。三鷹電車区の場合、昨春の合理化で二二〇人いた検査修理部門がいまでは八〇人になってしまっ た。その結果、線路は荒れ、電車は故障を抱え、きわめて危険な状態にあるという。「営利追求・人べらし合理化・安全手抜き」の結果起きた日航ジャンボ機墜 落と同じ過程がいま国鉄においても進行しているのだ。
「普通の人は電車に乗ってもよく分らないと思うけど、ポクら運転しているとこわいぐらいですよ。フラット(車両のすりへり)がすごく、ガタンガタンです よ。台検が廃止されて車両はゴトゴトとすごいですよ。車両故障は多いしね。どんどん悪くなっています。千葉でも七月二日ですか、内房線でレール張り出し事 故がおこりましたね、重大事故につながりかねないものです。“第二の日航”というのはけっして大げさじゃないですよ」(千葉運転区、Kさん)
また、乗務員の勤務は、昨年三月のダイヤ改定以降超過勤務を前提にした勤務体制となり、目茶苦茶にきつくなっている。乗務員が運転中倒れる、あるいは体 調を著しく崩し運転できなくなるという事態が多発している。それなのに、当局は体調が悪くて休もうとすると診断書が必要だとして無理に乗務させたり、病気 で休むと「出向しろ」「勤務成績が悪い」と言ってくるという。そればかりか電車の一分の遅れでもチェックし乗務停止処分にするということさえ起きている。 「ともかくつまらないところで細いことを言うようになりましたね。たとえば錦糸町で乗務が終って千葉まで帰る時も、所定便乗でなく最初に来た電車に乗って 帰ると、一本違っても文句言うんです。ホームの停止目標線から少し外れてもチェックされ、乗務停止になつちゃうわけです」(千葉運転区、Hさん)
さらに、「過員対策」をテコに職場規律攻撃を強め、当局への屈服をどこまでも要求する攻撃も激化している。千葉局管内では約七四〇〇人のうち六〇〇人の「余剰人員」が発生するとされている。
当局は昨年八月一日「過員活用の一環」と称し「業務開発センター」を設置した。所要員と「過員」を区分けしたうえで「過員」をセンターにぶち込み「有効 活用」と称して当局の都合のいいようにこき使おうとするものである。これは勤務地、業務の変更等、労働条件の変更を伴うにもかかわらず、当局は「団交事案 ではない」と交渉を拒否し.一方的に職員を配置した。
九月から本格的に始まったセンターは船橋駅から歩いて三分のところにあり、動労千葉八人、国労二五人、全動労一人の計三四人が「過員」として集められ た。仕事は「開発」とは名ばかりで、レールをカットしたものを文鎮にしたり、ロッカー・机・イスの再生、行先字幕をパネル化するなど、場あたり的、ものま ね的で採算にもあわない内容である。センターといっても、部屋のみでまともな設備・備品もないタコ部屋そのものである。それでいて、助役は、朝の体操、作 業などについて逐一チェックし監視体制のみ異常に強めている。当局の狙いは、一〇万人首切りの準備として「要員」と「過員」を選別し、その恫喝をテコに国 鉄労働者に屈辱を与え屈服させ飼いならそうとするところにあるのだ。
分割・民営化攻撃の本格化の中で進むこのような職場の荒廃、そして労働者を虫けらのようにあつかう当局・職制に対するうっ積する怒り、これこそ動労千葉 一一〇〇人の組合員が、執行部の方針の下で、最初はためらいながら、しかし長く激しい討論を通して一丸となってストライキに起ちあがっていった、その最も 基底的なエネルギーを形成していたのである。

●けん引車となった青年部

九月から一〇、一一月にかけて各支部が支部大会を開きスト態勢を構築していく過程で、その先頭に立ち、重要な働きをしたのは青年部(三〇〇名)である。
今回のストライキにおける青年部の突出した役割は、親組合員の注目も集め、「青年部の革命」といわれるほどめざましいものだったが、その前提には、動労 千葉の青年部がはじめて経験したひとつの闘いがあった。駅助勤闘争である。たとえば「『うちの青年部はだらしがない』と、いつも永田支部長にしかられてば かり」(千葉運転区支部青年部H君)という千葉運転区支部青年部も、屈指の戦闘的な青年部に自己脱皮していくのである。今日の国鉄職場でどのような日常的 攻防がくりひろげられているかを知るうえでも重要なので、ここでこの駅助勤闘争の経過を述べておこう。
駅助勤とは、国鉄当局が「余剰人員活用策」と称して乗務員・検修員を駅の「通勤対策業務」に一定期間配置するものである。当局の狙いは、「過員活用」を 口実に国鉄労働者を屈服させ、労働組合の団結を破壊することにあった。動労千葉の場合、昨年五月ごろから、若い人から順番に交代で三ヵ月ないし六ヵ月間、 浅草橋、両国、飾糸町、市川、船橋、西船橋、津田沼、千葉などの各駅で、朝のラッシュ時の“尻押し”特別改札、旅行センター補助業務などの仕事怜就くこと になった。
  これは、個々の若い動労千葉青年部員にとっては、自分たちの運転職場(区)から初めて離れて当局・職制と自力でぶつかる全く新しい経験であった。しかも、 駅職場は運転職場と異なり国労、鉄労の組合員がほとんどで、動労千葉がかちとっているような当局との間の刀関係は存在しない。「駅の国労職員があまりにお となしく、駅長や駅助役の指示に素直にハイハイと従っているのにはビックリしました。たたかわないとああなるのかと、ゾッとしました」(津田沼支部青年部 K君)という状況だった。
しかも、千葉局は、意図的に動労千葉組合員を各駅にバラバラに配置し、孤立無援状態で屈服を迫ろうとした。「ネクタイ、名札着用、組合ワッペン不着用」 を強要する職場規律攻撃である。とくに名札を着けていないと、毎朝の点呼で駅管理者(駅長、助役)がさんざん嫌みを言って重圧をかけるばかりか、一日中何 の仕事にも就けず駅の一室に閉じ込めておくということさえした。しかし、六月二日から駅現場に配置された第一陣の四〇名は国労千葉の四三名と共闘し、八三 名全員で名札着用を拒否しぬいた。二週間にわたるたたかいに追いつめられた当局は六月一七日突然全員の駅助動を解除して元区へ戻し一切の業務につけないと いう暴挙に出た。
八三名の怒りは爆発した。連日、各区において抗議・追及のたたかいが繰り広げられた。そして、七月二日、外周区(内房線、外房線沿線)における無人駅の 特改が始まり、名札拒否闘争は全職場に拡大していった。七月八日には動労千葉青年部が千葉局玄関前で怒りの総決起集会をたたきつけた。ついに、当局は七月 一四日以降全員を無条件で各駅に戻さざるをえなかった。若い労働者のがんばりが勝利をかちとったのだ。
ところが、駅助勤開始後三ヵ月経って九月以降の要員さしかえが始まるなかで、国労指導部は「名札着用は本人の自由な判断に任せる」という方針に転換し た。これは、実際上は当局の攻撃の前に個々の労働者を無方針“無防備”で放り出すこと以外のなにものも意味しない。若い下部労働者が必死でがんばっている のになにが国労指導部をこのような方針に走らせたのか?それは、九月一一日国鉄当局が発表した、ワッペン闘争史上初めての五万五〇〇〇人の大量不当処分攻 撃である。さらに、つづけて加えられた一〇月五日の六万四〇〇〇人に及ぶ大量不当処分である。国鉄当局は、処分の恫喝をもって労働者を屈服させ、無力感を ひき出し、いいなりになる労働者をつくりだそうとしたのである。
国労指導部の後退の中で、国労組合員は、あくまで名札着用を拒否する戦闘的労働者が個々にがんばる一方で、当局の圧力の前に一人また一人と名札を着け始 めた。しかし、動労千葉青年部は一人の例外もなく頑として着用を拒否した。毎日毎朝の恫喝、警告書、処分のおどし、所属区の職制の導入……。当局の攻撃の 矛先は動労千葉の若い青年労働者に集中した。所定の期間が過ぎても動労千葉組合員だけは元の区に帰さず不安感を与えるというようなことまでしてきた。だ が、動労千葉の若い組合員は全員、一致団結してがんばり、逆に不当な差別をすすめる駅当局を激しく追及するたたかいに決起していった。
これに対し当局は一一月七日、動労千葉組合員四三名のみに差別的不当処分を強行してきた。しかも、これを追及された千葉局・松田人事課長は「(動労千葉 の組合員は)商品価値からいえば不良品だ」「全くできが悪い」「賃金を払っているんだからどう使おうが当局の勝手だ」という暴言を吐いた。そればかりか 「不良品を使うわけにはいかない、過員として区に帰ってもらう」と言い、一一月一八日若い組合員八名を「余剰人員」として一切の仕事に就けない「区日勤」 扱いにするという卑劣きわまりない挙に出た。当局に屈服しない労働者をみせしめにしようというのだ。
千葉運転区支部青年部I君は、もともと組合の活動家でもなく、鉄道が好きで国鉄に入った青年だったが、この八人のうちの一人にされてしまった。
「駅助勤には10月に行ったんですが、初めのうちは早く区に帰って運転したいという気持がありました。でもともかく向うのやり方が汚なくてね。髪とか靴と かワイシャツとかネクタイとか、細かいことをあれこれ言うわけですよ。警告書も沢山出ました。でも面倒だから取りになんか行きません。
一一月一八日ですか、突然八人だけ区に戻されたんです。私たちの職は運転士ですから、駅助勤解除で区に戻されたんですから運転の仕事に戻すのはあたり前 でしょうよ。ところが、今、私は八時四〇分に区に出てきても仕事がないわけです。仕事がないというのはつらいですよ。なぜそんなことをするのかと追及して も、区長は『総合的判断』ということで理由は何も言えないわけです。
ともかく話にならないですよ。頭に来ましたよ。「不良品」とは何ですか。私たちは品物じゃあないんですよ。やっぱりどんどんたたかわなけりゃあダメですよ」
こうして、毎日毎日の神経のすり減るような当局・職制との一対一の攻防をたたかいぬきたくましくなって区に戻ってきた青年部の若い戦士の目には、職場支 配権を握り当局との一定の力関係のうえに立っている動労千葉の職場の現状さえ「ぬるま湯」につかっているように映った。
自力でたたかいぬく経験を積み自信を持った青年部は「動労千葉は腹をくくってたたかおう。中曽根と対決し、ひとあばれしよう」(成田支部大野青年部長) を合言葉とするようになった。そして、一一月ストライキ方針にまつ先に賛成し、支部は年輩者を「つきあげ」スト実現の力強いけん引車となった。
「オレたち青年部はこれまで支部にいて、やっぱり組合役員にられていたわけです。『当局にこんなことを言われた』とか役員に言えばことが済んでいたわけ です。ところが、駅に行って自分一人しか居ないわけです。それで、お前なんで名札着けないんだとか、二時間も三時間もコリコリいわれるわけです。そんなこ と許せないというので、現場で一人一人ががんばるという状況が初めて生まれたわけです。“.親”も『青年部どこまでがんばるか』と見ていたと思うんです が、最後までつっぱっちゃって、“親”の信頼も得たわけです。駅助勤に行ったある青年部員が『このままいっちゃったらオレは活動家になつちゃう。組合はオ レを活動家にするために駅に行かしたんじゃないか』(笑)というような状況が生まれたわけです」(青年部役員、Sさん)
駅助勤闘争の最中、動労千葉青年部は、もうひとつの衝撃的な体験をした。一〇月二〇日、全学連(鎌田雅志委員長)がたたかった三里塚交差点における三里塚軍事空港粉砕・機動隊せん滅の大衆的武装闘争の爆発である。
全学連の二〇歳前後の若い学生たちが鉄パイプ・火炎ビン・石で武装し、次々と三里塚第一公園からくり出し警視庁機動隊の壁をぶち破っていく勇姿は、おな じ集会場の隣あわせに坐っていた動労千葉青年部の組合員たちに強烈な印象を与えた。敵権力の暴力を何ら恐れぬ全学連の果敢な戦闘は、それを目のあたりにし た若い青年労働者二〇〇名の血をたぎらせるのに充分だったのだ。その日夜の総括集会では、発言に立った青年部員は口々に感動と興奮を語り、「今度はオレた ちがストで決起する番だ」とこぶしを握りしめて宣言した。電撃的な一〇・二〇全学連武装決起と戦闘における勝利一機動隊の敗走は「やればできる。敵権力は 打ち倒せる。恐れることはない。たたかうことだ」という確信を強烈に植えつけたのだ。

●家族ぐるみ・地域ぐるみ

一一月に入るや、動労千葉は各支部大会と併行して「国鉄分割・民営化阻止、五〇〇〇万署名貫徹地域集会」を県内各地で開催した。かってなかった試みであ る。一一月ストライキ成功のためには、ひとり動労千葉組合員のみならず、家族ぐるみ・地域ぐるみのたたかう体制が不可欠だとの判断によってである。
地域集会は、一一月九日の木更津を皮切りに、一一月一三日千葉、一九日銚子.二一日津田沼、二二日勝浦、二四日成田、二五日館山、一二月一四日新小岩と、いずれも動労千葉組合員とその家族さらには国労、教組、自治労、 民間の働く仲間一〇〇名ないし二〇〇名を結集し、中野委員長の二時間をこえる講演を中心に盛大にかちとられた。七・二六答申一分割・民営化の暴露と、今を おいて起ちあがるときはないという訴えは、まさにしみとおるように組合員全体のものになっていった。地区労、地区交運、地区社会党のあいさつは、動労千葉 の決起に対する地域の強い関心と期待を示していた。それはまた、動労千葉の組合員の確信と決意をさらに強固なものにしていった。
「うちの親は、「今度ストすつから』というとすぐ賛成してくれましたよ。『職員が働かないから国鉄は赤字だ、赤字だというけど、とんでもねえ。国鉄はお前 が入るずっと前から赤字だったんだ。お前に責任はねえ、クビ切られるいわれはねえ』ってね」(千葉運転区、Fさん)
「もうみんな、クビは覚悟してやっています。でも、それを決意するとおっかないものはないんだよね。女房にも、『もうここでおわりだから……』って言ってあるの。女房も、『それはそれでいい、でも捕まるのだけはやめて、子供もいるから」って言ってね。
誰 だって残りたいだろうけど、今頃ジタバタして助平根性おこしても仕方ないもん。ストに入る前に、支部の執行委員会を本部に行ってやって、その時中野委 員長から支部の役員は決意を固めるよう言われましたね。そりゃそうですよ。役員が残ろうなんて思ってる組合はどうしょうもないからね。たたかえるはずがな いよ」へ津田沼支部執行委員、Tさん)

二、前哨戦

●11・17全国鉄労働者総決起集会
 一一月一七日、東京・日比谷野外音楽室で「全国鉄労働者総決起集
会」が開かれた。演壇には「国鉄分割・民営化阻止、一〇万人首切り反対、二月ストライキ貫徹、中曽根打倒」と掲げられている。動労千葉の主催である。次々 と集まって来る参加者は誰しも、まず会場入口で警備にあたっている動労千葉青年部の若々しい姿を目にした。一〇〇を越える若い青年労働者が全員白ヘルメッ ト、ナッパ服に身を包み林立する鉄輪旗をなびかせて。“ヤル気”を全身で発散させていた。
集会には、全力動員の動労千葉組合員・家族五〇〇名を先頭に、国労の労働者をはじめ全国から駆けつけた労働者・学生・市民三四〇〇名が結集。動労千葉支援 共闘会議の浅田光輝氏(立正大教授)、三里塚芝山連合空港反対同盟の北原鉱治事務局長、動労千葉スト支援一億円基金の呼びかけ人を代表し鎌倉孝夫埼玉大教 授、全造船機械石川島分会の佐藤芳夫委員長ら、共闘団体の多くの人が立って動労千葉を激励し、動労千葉と連帯して闘うことを誓った。それを受け、主催者を 代表して基調報告を行った動労千葉の中野委員長は、その最後に、初めてスト決行日を発表した。
 「第一波ストは一一月二九日。総武線緩行線快速線を中心に二四時間ストに突入する」
会場は一瞬静まりかえり、次の瞬間どよめきとともに歓声と拍手が湧きおこった。
「一一・一七集会は決定的でした。組合のなかだって、『ストといっても時限ストぐらいじゃないか』と思っていた人もいると思うんです。でも、動労千葉がわ ざわざ東京まで行って二四時間ストライキを宣言したことで、本気であることがはっきりしたと思うんです。ストやると言えばすぐ「いつやるんだ」『どれぐら いやるんだ』という話になるのですが、中野委員長の提起でみんな猛然とヤル気になりましたね」(津田沼支部青年部、K君)
集会は、この方針をうけ、さらに、拠点となる津田沼支部の山下幸支部長(44)、千葉転支部の永田雅章支部長(41)、新藤雄一青年部長(28)らが次々と決意表明。最後に、布施書記長が動労千葉本部の決意を明らかにした。
こうして、動労千葉はみずからの決意をきっぱりと宣言した。

●二つの拠点、固まる団結
 ストの組織化は最終段階に入った。スト拠点の千葉運転区は国鉄千葉駅のすぐ側にあり、総武線快速、内房線、外房線、成田線などに乗務する運転士が所属し ている。今回ストに入るのは千葉駅と東京駅を結ぶ総武線快速である。同支部は現在一一五名で構成され、永田雅章支部長のもと強力な団結を誇っている。他方 津田沼電車区は千葉駅と三鷹駅の間を走る黄色の電車、首都圏の人民にはおなじみの総武線緩行の車庫となっている。それに付随する検査・修理などの機能も有 している。国電津田沼駅とつながっており、その西側に位置している。支部員は一二七人。信望厚い山下幸支部長が支部のまとめ役の重責を果している。
千葉転支部では二月中旬から連続五日間にわたって国鉄分割・民営化の学習を行い、徹底的に討論、これにはすべての支部員が参加した。永田支部長は学習会 のすべてを準備し、全支部員との討論で全支部員の怒りの気持と悩みをしっかりとっかんだ。津田沼支部では、山下支部長を先頭に三次にわたるローラー・オル グを行い、徹底的に話し込んだ。ストに向かう組合の「団結署名」は短期間で一〇〇%達成された。
 ストライキ準備の過程は、これまでにも増して組合員の団結を強くし、仲間への信頼を深くした。「これからクビをかけてストライキをやろうとしているの に、どうしてネクタイを締めたり、カーテンを開けたりすることができるか」ということで、ただ一人の例外もなく、ネクタイ着用拒否、カーテン遮閉を貫徹す るようになった。
ここでいうカーテンとは、運転席と客席をへだてるカーテンのことで数年前まではどの運転士も当然のこととして、運転中はこのカーテンを閉めていた。とこ ろが臨調攻撃の中で、当局は運転士の勤務態度を職制が後ろから監視するためということでカーテンを開けるよう圧力をかけてきた。まず動労が屈服した。カー テンは三枚ある。今日動労はこの三枚をすべて開けている。国労は長くこれと抵抗してきたが、この間後退し、組合員によって違いはあるがいまでは多くが三枚 のうち二枚をあけている。しかし動労千葉の乗務員は誰も、一枚もカーテンを開けないで運転席についた。
「ストライキの前までは青年部がたしかに相当がんばりました。しかし、ストライキ過程に入ってからは三〇代、四〇代の人たちが本当にがんばりました。こ の支部役員クラスの人がスト対象者とか組合員一人一人をゴリゴリオルグしていきました。そういう時になると、ふつうは「オレは家族があるから:…らと逃げ る人が多いのに、家族も子供も持つ人が『オレが責任とる』と先頭に立ってストを準備しました。すると、若い私たちよりもすごい重みと説得力を持つわけで す。支部三役なんかの迫力と決意、その辺が動労千葉の強さでしょうね」(津田沼支部青年部、S君)
このころまで、中曽根内閣、治安当局、国鉄当局は、動労千葉はスト方針は掲げているものの実際にはスト突入はできないのではないかと読んでいたふしがあ る。動労はすでに第二鉄労と化して久しく、あの大国労も中央本部の屈服的無方針の下で一歩また一歩と後退を重ねている。その中で「たかが二〇〇名の組合に 何ができる」「ストは空叫びだろう」と当局がたかをくくっても、たしかに不思議ではないような状況が国鉄労働運動全体をおおっていた。だが一一月一七日の 集会は、動労千葉が、いかなる困難をものりこえてストライキに決起する決意であること、すでにその万全の態勢が整っていることを満天下に明らかにしたの だ。

●ストライキ禁止令
一一月二一日夜、千葉局は管内の全職場に一斉に一つの掲示を張り出した。『区員各位へ 違法ストライキ等について』と題した草木局長名の文書は次のように言っていた。
「いうまでもなく、公労法第一七条により、国鉄職員のストライキ参加は禁止されており、同法第一八条により参加者は解雇されるものと定められております。
まさに国鉄再建の瀬戸際にあるこの時期に、違法な行動に参加されることに対しては、従来の例によらない、厳しい処置を講ぜざるを得ず、万一参加された場 合、職員及びご家族の生活基盤の確立において、極めて不幸な事態を招来することは火を見るより明らかであります」
これは、「ご家族の生活基盤」とか「極めて不幸な事態」などというごう慢不遜な言葉を用いて「ストに参加すれば全員解雇」を恫喝するという前代未聞の『ス ト禁止令』である。しかも千葉局はこの文書を組合員全員の家庭に送付するということまでやった。組合員の家族の中に泥靴でおし入り、これをおどし、引き裂 いて、ここからストを切り崩そうという卑劣な手段だ。だがこの、居丈高な、労働者を愚ろうしたスト破壊行為は、労働者を屈服させるどころか、逆にその怒り に油を注ぐ役割しか果さなかった。「全員解雇」の恫喝は、首を覚悟でストに起とうとする組合員の結束をいっそう固めさせるだけだった。
「あれは当局の失敗ですよ。遅すぎますよ。もうみんな腹が固まってから、あんなものが出たってどうしょうもないですよ。けっさくなのは、あの文書のなか に、『家族が不幸な事態になるのは火を見るよりも明らかである』なんて局長名で書いてあるんですが、もうその前に局長の自分の家が(中核派のゲリラで)火 を見ちゃっているんですよ(笑)。やっと切り崩しに出てきたか、というような感じでしたね。あれで、組合員がビビルというようなことはなかったですよ。む しろ、ストにおびえているのはどっちかということですよ、ハッキリしたのは」(青年部役員、S君)

●機動隊九五〇〇人体制
中曽根・治安当局にとって、動労千葉の決起は、動労千葉のストそのものとともに、いまひとつの深刻な治安問題をつきつけていた。
ストの前日、一一月二八日から翌二九日にかけて、中核派を中心と
する動労千葉を支援する勢力は、拠点津田沼へ全国から総結集する方針をうち出し、夜を徹しての波状的な集会・デモの申請を出していた。国家権力は、動労千 葉のストとともに、このスト支援の部隊の動きに神経をとがらせ、そのすべてを封じ込めるために異常な弾圧態勢をしいた。この背後には、一ヵ月前の一〇月二 〇日、三里塚交差点における全学連と機動隊の激突、そこにおける機動隊の潰走が治安当局に与えた深刻な衝撃があった。
一一月二一二日午後、千葉県印旛郡富里村の県道を歩いていたM子さんは、東京方面から機動隊を乗せた装甲車が多数接近してくるのを目撃した。灰色のバス の車体のナンバーから関西方面から来たものと分った。不気味な装甲車の列は一〇〇台近くまでも続いていた。M子さんは戦争でも始まったのかと疑ったとい う。
三里塚ではすでに一昨年以来、二期着工攻撃があらゆる方向から強まってきたが、この非常に重要な一環として、騒音下菱田地区における成田用水着工が、こ の二月一.五日から強行されようとしていた。二期が完成された場合、騒音直下に入り廃村の運命にさらされる菱田地区はもともと空港反対運動のもっとも強力 な拠点だった。成田用水は、この反対同盟の拠点を二期にむけて解体することを狙った攻撃で、すでにその一部は八四年秋の時点で着工されていたが、八五年秋 には、菱田地区の中でもとくに重要な辺田、中郷部落での着工が準備されていた。反対同盟農民の不屈の闘い、さらには一連のゲリラ戦で遅れに遅れていた着工 を、国家権力・空港公団はいよいよ一一月二五日から強行する態勢を固めたのだ。そしてまずこの警備のために、全国からなんと九五〇〇人の機動隊を動員した のである。わずか数十戸の小さな農村での用水工事に、北海道、九州をふくむ全国からかき集められた一万人という驚くべき数の機動隊が襲いかかる一ここに中 曽根内閣の三里塚二期工事にかける意気ごみ、その中でこの成田用水着工のもつ意味の大きさが示されていた。
関 西ナンバーの一〇〇台近い装甲車の列はその一部だった。一〇月二〇日、三里塚芝山連合空港反対同盟が主催する現地集会が三里塚第一公園に全国から一万五千 人の労働者、学生、市民を総結集して開かれた。集会では反対同盟農民をはじめ各支援団体から激しい決意表明があいついだが、その最中に、周囲の厳戒態勢を 破って数台のトラックが警笛を鳴らして会場内に突入してきた。会場は総立ちになった。同時に集会場中央にいた中核系の全学連学生は直ちに行動を開始、ト ラックに満載していた石、鉄ハイプ、火炎ビンそして丸太で武装、そのまま会場をとび出し、三里塚交差点からまっすぐ空港第二ゲートにむけた突撃に移った。 三里塚交差点に阻止線を張る警視庁機動隊との激突は二時間半におよんだ。その激しさをマスコミは「市街戦」と呼んだ。機動隊はここでかろうじて全学連の進 撃をくい止めるが、しかし壊滅的ともいえる打撃を受けた。七〇年闘争以来はじめてともいえる街頭での致命的な敗北だった。七〇年以来、重装備の機動隊を大 量にくり出して街頭におけるいっさいのデモを封じ込め、無力化するという警備方針そのものがまさに決定的にうち破られたのである。機動隊神話が崩壊したの だ。
これは治安当局に対して、さらには中曽根内閣そのものに強烈なインパクトを与えた。そしてまさにこの一〇月二〇日の事態を二度と許してはならないという 中曽根-後藤田の政治意志に基づいて、警察庁は、一一月二五日から始めようとしていた成田用水工事に一万の機動隊を動員したのである。そしてこの一万を一 一月二七日まで三里塚にはりつけ、さらに同じ理由からそれをそのまま二八、二九日の両日、動労千葉のストとその支援行動圧殺のための大警備体制にふりむけ たのだ。
ここで彼らは、津田沼に総結集の方針を出している支援の動きを封じ、さらに中核派のゲリラ防止を口実として一万の機動隊で総武線を十重二十重にとりかこみ、その圧力の下で動労千葉のストそのものをも圧殺しようとしたのである。

●ストライキ戦術を決定
一一月二一日、千葉市要町にある動力車会館で、第三回支部代表者会議が開催され、ストライキ戦術の意志統一がはかられ、次のことが決定された。
具体的戦術・方針
一,闘いの目標
①国鉄分割・民営化阻止
②一〇万人首切り合理化粉砕
一〇・九『今後の要員体制のあり方について」撤回
③雇用安定協約完全締結
④運転保安確立、検修合理化阻止、国鉄を.第二の日航”にするな
⑤団交拒否・形骸化と不当差別・選別の強権的労務政策糾弾、不当処分撤回
二、戦術の基本

①一一月二九日、始発時より総武線千葉以西の全列車を対象とする二四時間ストライキとする。(但し、貨物列車を除く)
②前項にかかわらず、次の事態が発生した場合は、スト突入時間の繰り上げ・スト対象区の拡大(千葉駅に乗り入れる全列車)をもって対応する。
1、構内・庁舎から組合員の強制排除・官憲の導入
2、スト破り行為

③従って、一一月二八日以降、全支部・全組合員によるスト突入体制を確立する。
④国鉄労働組合に対し、従前の通りB変仕業の拒否を申し入れる。
⑤一一月二八日、一七時三〇分より、津田沼電車区・千葉運転区においてスト前夜総決起集会を開催する。
三,ストライキ前段の取り組み

①全組合員が「業務命令」「保護願い」を絶対に受け取らず拒否する体制の確立
②全支部籠城体制・常時連絡体制確立
③当局の動向把握、現場長交渉の追求
④国労共闘の強化
ここに出てくるB変仕業について簡単に説明しておこう。一般的にB変仕業というのはダイヤを構成する車両運用=A、乗務員運用=Bのうち、乗務員運用で本仕業と異なる変仕業を組むことである。
したがって、ストの際のB変仕業とは、スト破り行為を意味する。
列車運行には乗務員と列車が必要だが、A変仕業は交番(ダイヤ)で決められたある乗務員が所定の列車とは異なる別の列車を使って運行することで、B変仕業 はある列車に所定の乗務員とは異なる乗務員が乗って運行することである。したがって、当局がストに入った甲労組の乗務員が降りたあと、新たにスト破りダイ ヤを組み乙労組の乗務員が乗って運転すればストは無意味になるわけで、これがB変仕業=スト破りにあたる。
一一月一二日に決定された戦術のポイントは、①一一月二九日始発時より総武線緩行(千葉一三鷹)、快速(千葉一東京)を対象に二四時間ストに突入する、 ②国鉄当局・権力のスト破壊があった場合はスト時間の繰り上げ、スト対象の拡大を行う、③国労に当局のスト破り行為の要求には応じないよう求める、という ところにある。とくに重要なのは国労との関係であった。

  もともと中曽根の国鉄分割・民営化攻撃を阻止することができるか否かは、国鉄労働者の過半を制する国労の動向が決定的な位置を占めている。動労千葉という 一一〇〇人の組合があえて首をかけて一一月ストに決起するのは、必ず国労傘下の、あるいは動労傘下をふくむ、何万、何十万の国鉄労働者がそれに続いて決起 することを期待し、確信したからに他ならない。動労千葉はそこに一切をかけて決起したのだ。
それだけではなく、この動労千葉の第一波ストじしんにとっても、国労の動向は決定的な意味をもっていた。今回スト対象となった総武線快速と緩行はすべて 動労千葉組合員が運転しているわけではない。快速の方はすべて千葉運転区の乗務員が動かしているが、その内訳は動労千葉が約五割で残りは国労。緩行の方は 津田沼電車区の動労千葉が三割で残りは津田沼の国労が三割、さらに中野電車区の国労が三割、動労が一割となっている。したがって、動労千葉が単独ストを行 なった場合、快速が五割、緩行が三割ストップすることになる。しかしこれだけの電車がストップした場合、ホームにあふれる大量の乗客を、安全に輸送するこ とは至難の業となる。そこで、国鉄当局はこれまでの例では初めからすべての電車を運休し混乱を避ける方法をとってきた。ところが、当局は今回は、国労、動 労をスト破りに動員することであくまでも運行を強行しようとしたのだ。
「ストをやっても電車はく」「ストは無力」という重圧を加え、動労千葉ストの影響をゼロにしょうとしたのである。

●当局の狙い、国労の動き
 動労千葉は、ストライキに入るにあたって、国鉄分割・民営化攻撃に対しともにたたかって国鉄労働者の生活と権利を守るという立場から、一一月一二日国労 千葉地方本部(本吉好夫委員長)に「共闘強化に関する申し入れ」を行った。これにもとづいて二二日には動労千葉と国労千葉の話し合いがもたれ、国労側は 「お互いの立場を尊重しつつ、要求で一致した内容について、共闘の話し合いを進める」と提起。動労千葉は名札・ワッペン・カーテン問題等の共闘についての 前提条件が確保された点を評価、一一・二九ストについて「スト破りにわたるようなことはしないで協力してほしい」旨、申し入れた。国労は「本部と相談して 回答する」と答えた。
その後、さまざまな折衝のなかで、国労本部、千葉地本、東京地本
の各指導部は「スト破りはしない」「原則的に対処する」と言明していた。にもかかわらず、一一月二五日国労千葉地本は、国労本部方針が「①動労千葉とは共 闘しない②ストの妨害はしない③業務命令の扱いは従来どおり」であることを明らかにした。③は「当局の業務命令が出されたらそれに従う」というものであ り、実際はスト破り以外のなにものでもない。しかも、国労本部は二月二八日(スト前日)に予定されていた動労千葉青年部と国労千葉青年部の共闘集会は中止 するという指示をおろしてきた。
 スト破りはいうまでもなく労働者にとって最も恥ずべき裏切り行為である。国労がこのように他の組合のストライキに対しスト破りを行うなどということは、結成以来一度もないことである。この国
労中央の方針に対し、国労千葉地本の津田沼、千葉転の両分会においては、後述するように激しい反対意見が噴出、激論がたたかわされ、最終的には二九日未明の段階でこれがくつがえされることにな
る。だがそれまで国労本部は、あくまでも「業務命令には従う」という実質的なスト破りの方針をおし貫こうとしていた。だがこれは動労千葉の組合員にとって は、たとえ動労千葉の組合員が二四時間ストに入っても、その穴が業務命令に従う国労、動労の組合員によってうめられ、総武線は通常通り動くということを意 味した。これは「全員解雇」の恫喝よりもさらに重く動労千葉の労働者の上にのしかかった。まさに国鉄労働運動史上これまで例を見たことのない悪質なスト破 り策動が組織されたのである。もちろんこのような国労中央の動きの背後には動労・松崎の暗躍があり、またなによりも中曽根、国鉄当局の圧力があった。「業 務命令に従わなければ国労組合員も解雇する」という恫喝に、国労中央は屈したのである。
スト決行日が迫るにつれて、動労千葉を重包囲し絞殺せんとする密集した反動の嵐はさらに常軌を逸したものになっていった。
一一月二六日午後六時、広大な津田沼電車区のかたわらに一台のクレーン車、三台のトレーラーが停まった。そして、ごうごうたるライトのなかで時ならぬ突貫 工事が始まった。電車区の外周沿いに三〇〇メートルにわたって高さ一〇メートルのコンクリート柱が何十本も立てられ、それに金属製の網が張られた。巨大な 防石ネット
である。さらに翌二七日、今度は電車区構内の入口付近から組合事務所前、電車区庁舎一帯にかけてレール道床を覆う黒のネットがこれまた突貫工事で敷かれた。採石・投石防止ネットである。
国労、動労を使ったスト破りは二九日のスト破りダイヤを作成し、これに国労組合員で「過員」として「業務開発センター」に押し込んでいた要員をひきあげ たり、ふだんは運転乗務しない指導員や予備乗務員をひっぱり出して業務命令を出しスト破り要員として動員する作業が着々と進められていた。
当局の狙いはもはや明らかであった。一方で津田沼電車区の防石ネット、レール道床ネットに示されるように、権力・機動隊を導入して動労千葉組合員を構内 から暴力的に排除し、他方でその戒厳的な制圧体制のもとで国労などの乗務員に威嚇を加え乗務を強制して電車を動かし、動労千葉のストライキを完全に不発に 終らせようとしているのだ。
ここにおいて、動労千葉執行部は、当初の警告どおり、スト繰り上げ戦術を決断した。一一月二七日午後一時、動労千葉執行委員会が開かれ、当局の不法不当な スト破り行為からストライキを守り貫徹するために、二九日実施の予定を二八日に繰り上げ、「二八日正から二四時間ストに突入(二九日正午まで)」すること が決定された。労働者の権利を否定し団結を破壊する当局の攻撃からストライキを防衛するための当然の措置である。かくして、決戦の火ぶたは切って落とされ た。

二七日午後四時、中野委員長と吉岡一教宣部長(34)が記者会見を行い、スト繰り上げ戦術を発表。マスコミ各社は一斉に「動労千葉がスト繰り上げ」のニュースを報じた。
午後五時ごろ、国鉄当局、千葉局は、千葉駅、船橋駅など沿線各駅で「二九日のストで電車の運休、遅延が予想されるので旅行などは見合わせるよう」呼びか ける立て看板を掲示し、同趣旨のチラシをまいていたが、動労千葉の戦術転換に不意をうたれ、右往左往の混乱。あわてて看板を撤去、ストが繰り上がったこと を構内アナウンスで繰り返す。
国鉄当局は自らのスト破壊行為が招き寄せたものでありながら、スト繰り上げ戦術に不意を打たれ、大きなショックをうけた。これで、事前に準備を進めていた二九日の「スト破りダイヤ」はふっとんでしまった。
だが中曽根・国鉄当局は、弱気になる千葉局を恫喝しながら、国鉄首都圏本部とその下にある東京南、北、西三局の鉄道公安官、白腕章を千葉局に総動員する一方、三里塚での成田用水工事にはりつ
いていた一万の機動隊を予定をくりあげ千葉と津田沼に向わせた。動労千葉は、ストライキ指導のため、本部から、千葉運転区支部に山口敏雄副委員長、西森厳 総務部長を、津田沼電車区支部に水野正美副委員長、片岡一博企画部長を配置、東千葉の組合本部には中野委員長、布施宇一書記長らが詰めた。両拠点支部の組 合事務所には、永田、山下両支部長ら三役をはじめ支部役員が全員徹夜体制。青年部、ストライキ行動隊が支部役員の指示に従ってテキパキ動き、深夜まで最後 の準備にたち働いた。

三、ストライキ

●ついにストに突入
 一九八五年一一月二八日、いよいよ偉大なストライキの日を迎えた。
午前四時、津田沼支部では泊り込んでいた組合員五〇人全員が起床。執行部はほとんど眠っていない。外はまだ暗く、寒い。構内に長く伸びる何十本ものレール が、闇の中に点在するライトで鈍く光る。青年部の連中がころがっていたドラムカンを持って来て、事務所前でたき火を始め、暖をとる。輪になって火を囲みな がら、ついに迎えたたたかいの日への話がはずむ。
同じころ、千葉転支部では、庁舎五階にある乗務員詰所で徹夜した執行部が、一番乗務の乗務員を送り出していた。
午前五時.津田沼、千葉転とも、スト突入乗務員の激励送り出し行動が始まった。今回は「正午を期してスト突入」というこれまでとったことのない戦術で、 一二時以降の交番の電車に乗務しないということだ。一二時以後の乗務になっている組合員ははじめから電車に乗らないわけだが、それ以前から乗務している組 合員は途中で電車を降りてしまうわけである。したがって正午からスト突入という戦術は、ダイヤの混乱という点では、午前0時からストに突入する場合にくら べはるかに効果の大きい戦術である。国鉄では前例がないという。そこで、一二時段階で乗務していることになる乗務員を激励して送り出すわけである。
千葉転では、最初にそれにあたるA組合員が当直室に入り仕業の点呼をうけた。
当直助役「今日、全行程乗って頂けますね」
A組合員「組合の指示に従います」
当直はもう一度恫喝的に大声でくり返した。
「今日、全行程乗って頂けますね」

かし、答えは同じであった。当局はさらにもう一度同じことを声高に言ったが、「ストをやるな」という威嚇をものともしないA組合員の毅然たる態度にそれ以上は諦めた。
総武線快速を運転するA組合員は、錦糸町駅でスト突入となり、その電車はそこで立往生することになる。点呼を終えたA組合員は本部役員、支部執行部、同 僚の組合員の「がんばれよ!」の声に見送られて出ていった。すぐ近くの千葉駅に向かうのだ。こうして、乗務中にストに突入する組合員計一四名が仲間たちの 激励のなかを次々と運転区をあとにしていった。
同じころ、津田沼電車区では、組合事務所前で、引き込み線から出てくる、一二時からストに入る乗務員の乗った総武線緩行の黄色電車への激励行動が行われ ていた。津田沼支部青年部約一〇名が電車が出庫し通過するたびにハンドマイク・旗ザオ・拍手で激励するのだ。乗務する組合員は、それに少し照れながら手を ふって応えた。
一五分おきぐらいに通過する列車のすべてに、ナッパ服に白ヘルの
青年部ストライキ行動隊がシュプレヒコールで激励した。一段落して、再びたき火を囲んでいる時、誰かが「今日は皆、電車を動かすためにではなく、止めるために乗って出ていくんだっぺ」と言った。
午前七時すぎ、津田沼駅前では動労千葉支援共闘会議に結集する全学連・反戦青年委員会の部隊四〇名が通勤客にストヘの理解を求めるビラ配りを始めた。錦 糸町駅から千葉駅まで全駅で連日行われている支援のビラ配りは沿線住民の理解を高めるのに大きな力を発揮した。動労千葉激励の声がよくかけられる。
午前七時五〇分、津田沼電車区。地上検査・修理などの地上勤務者や公休だが今日は出てきた組合員が次々と組合事務所に顔を出す。「おはよっす」「ごくろ うさまです」「今日はがんばろうぜ」の声がとびかう。誰かが買ってきた朝刊に泊り込みの青年部がむらがる。
「総武線きょう繰り上げスト千葉動労正午から二四時間」と大きく報じられている。
「今朝起きたら、かあちゃんが『明日はいよいよストだと思うとタベは眠れんかったよ。とうちゃん、クビになったらどうすつかねえ』としみじみ言ってね、ちょっとかわいそうだったよ」
「うちは、小さい方の子供がよ「おとうさん、今日ストなんでしょう。かあちゃんから聞いた。ボク、もうおもちや買ってくれなくてもいいからね』と言ってき てね。すると大きい方のが『おとうさん、ポク大学諦めなけりゃあいけない?』と訊いたので、『いいや、止めなくたっていいよ。とうちゃん、ちゃんとがん ばっていかしてやっから」と言ってやったよ」
こうした会話が悲愴感に満ちてではなく明るくかわされる。
そんなところに、出勤してきたばかりのある中年組合員が、レールを覆う防石ネットを見て怒った。「なんだいこれは?こんなもん、いらねえや。金魚ばちのフタにすれば猫が金魚とらなくて丁度いいや。もらって帰るよ」と言ってバリバリ引っぱがし始めた。
それを見て別の年輩組合員も「寒冷紗のかわりにいいんじゃないか」と言って手伝い始めた。あっという間に組合事務所の近くははがされてしまった。
午前九時、津田沼電車区。着替えをつめこんだバッグを持った白腕章(局の課員)、鉄道公安官ら三~四〇人がゾロゾロと構内に入ってくる。スト破り要員の 第一陣だ。当局側はこの時間を期して津田沼電車区区長室に現地対策本部を設置。管理職ら二〇〇人を配置した。いよいよ、戦闘開始だ。
午前九時半、千葉転に、外周区の勝浦、銚子支部などから青年部を先頭に続々組合員が集まってきた。乗務員詰所は動労千葉組合員でいっぱいになり、さらに 活気にあふれた。こちらも津田沼に負けぬ明るい雰囲気だ。同じころ、津田沼でも、幕張、新小岩支部青年部が到着。青年部ストライキ行動隊は総勢五〇名近く に。全員白ヘル・ナッパ服の戦闘スタイル。
午前一〇時、警察機動隊が千葉駅、津田沼駅周辺に一斉に配置に就いた。国鉄千葉駅から千葉運転区にかけておびただしい数の機動隊員。同駅わきの千葉鉄道 管理局ビルの駐車場には放水車も含めアリの子一匹入れないほどのものものしい警戒ぶり。他方津田沼駅から津田沼電車区までは何重もの検問体制。とりわけ電 車区入口は放水車、装甲車、指揮官車がビッシリで異様な緊張状態。電車区は文字どおり包囲された。
午前一〇時すぎ、千葉転の庁舎入口を東京南局の白腕章三〇人が封鎖しようとする。これは青年部の抗議で阻止されるが、一一時二五分には川名運転区長を先 頭とする白腕数名が千葉転の乗務員詰所に来て、動労千葉組合員の退去を通告する。激しい怒声がむかえうつ。津田沼では、電車区周囲をジュラルミンの盾を もった何千という機動隊がぐるりととりかこむなか、午前一一時一〇分、おびただしい数の白腕章、公安官、職制が隊をなして構内に入ってきた。その数およそ 五〇〇。

●息づまる攻防
 午前一一時五五分、動力車会館で指揮をとっていた布施書記長が一〇の支部に次々と電話で「スト突入」を指令した。午前一一時五七分、動労千葉・津田沼支部執行部が津田沼電車区に「スト突入」を通告。一気に緊張が高まる。
  津田沼支部は組合事務所前で「スト突入総決起集会」を開く。集会前面に青年部の持つ「スト突入集会」の横断幕。集会横には「二八日第一波スト突入我々は奴 隷の道を拒否する全国鉄労働者よ! 団結せよ動労千葉」の立看板。マスコ、ミ各社のテレビカメラが、斉に回り始めるなか、約一〇〇名の組合員を前に水野副 委員長、山下支部長が「分割・民営化阻止するため、断固たたかいぬこう」
とあいさつ。
一二時、ついにストライキに突入。千葉転では時報を告げるチャイムが鳴るや、若い青年部員が思わず「ストライキをやるぞっ」と詰所の窓をあけて外に向かって叫んだ。午後一二時一五分、千葉転。
一二時を期してストに突入し千葉駅で電車を降りて来た組合員が詰所に姿を現わす。皆、一斉に拍手と歓声で迎えた。
午後一二時二四分、津田沼支部。中野駅に向かった収容班から「ストに突入し、無事乗務員を確保した」との電話が入る。津田沼駅では、中野発千葉行き普通 電車が到着。交代の乗務員がいないため、運転を打ち切る。ストの影響が出始める。午後一時一五分津田沼電車区に運転不能と当局が判断し運休となった電車が 入庫してくる。ストに押された当局は間引き運転を始めたのだ。
こうして動労千葉の二四時間ストは敵権力・当局の重包囲の中でスタートを切った。だがそれと同時に、国鉄当局による国労、動労組合員を動員したスト破り 策動もまた全力で開始された。一二時五〇分、津田沼で国労の乗務員が、ストに入った動労千葉乗務員の降りた電車に乗って運転していることが判明した。さら に午後一時三〇分には、驚くべきことに国労津田沼分会の組合役員がスト破りを働いていたことも判明。さらに午後二時三〇分、千葉運転区でも国労一部組合員 がスト破りをしていることが判明した。永田支部長が国労千葉運転区分会にただちに怒りの抗議。「分会長は国労が乗るスジ以外には乗らないと言っていたが、 乗っている。どうなっているんだ」。
国労と動労千葉という所属組合の違いはあるにせよ、ふだんは同じ職場で働く顔みしりの仲間同士である。その仲間の中からスト破りに走る者が出たのだ。 ストに突入し.電車を降りて詰所にもどってきた動労千葉の組合員が、国労のスト破りの報を聞いて「なんだ、オレの電車は動いてるのか。誰が運転しているん だ」とけわしい顔で叫ぶ。詰所にはあらゆるところに「国労のみなさん、ともに起ちあがろう動労千葉」というステッカーが張りめぐらされている。
当局がカサにかかって圧力を強めてきた。千葉転詰所では、一二時三〇分、同時六分と再三にわたって退去通告が行われ、報道陣のカメラのライトの中で総立ちの組合員との激しいやりとりが続いた。
ぎりぎりの息づまる攻防の中で時間が過ぎていった。
動労千葉は正午を期してストに突入した。一人の脱落者もいない。ストは百パーセント貫徹されている。だがこれで総武線にどれだけの影響が出るかは国労の動 きにかかっている。もし国労が当局の指示に従って全面的なスト破りに走るなら、総武線はほとんど影響を受けない。そうなれば動労千葉のストライキは、ただ 動労千葉の組合員に無力感と絶望感だけを残すことになるだろう。そんなはずはない。正午のスト突入以降、動労千葉一一〇〇名の誰もがかたずをのんで国労の 動きを注視していた。その中で一人また二人と、国労組合員が当局の圧力に屈してスト破りを行っているという報せが入ってきた。千葉転でも津田沼でも、明ら かに動労千葉組合員の中にいらだちが広がっていった。「どうなっているんだ」「国労の連中は何を考えているんだ」。
スト破りはとくに千葉転で激しかった。午後三時、当局が乗務点を正規の運転区庁舎内ではなく千葉駅ホーム上の統合詰所で行い、ス卜破り乗務を強制している ことが判明した。本来点呼を行う庁舎詰め所には動労千葉の組合員が大勢いるため、国労のスト破り要員をコソコソ、ホームに集めていたのだ。青年部を先頭に 抗議に行く。そこでは恐るべき光景が展開されていた。
「本来乗務員が休み待機している部屋なのに、本社とか西局の白腕章が鉄道公安官に守られて二〇人ぐらいで大きな顔をしてのさばっているわけ。中には寝そ べっている奴もいてね。それだけでオレなんかムカッときたね。それで、国労の運転手が隅っこの畳の部屋でえらく小さくなっているわけ。そこに、運転を終え て疲れ切って国労の運転手が一人で戻って来ると、待ち構えていた白腕章が紙を渡してまた乗れと言ってるわけ。組合が方針を出してないもんだから、疲れきっ ているのに半ベソかきながらまた乗ってましたよ。『もう自分の乗務時間は済んでいるんだから帰んな』と言ったんだけど、おびえちゃってね、乗るわけです よ。むしろかわいそうでしたよ。当局の前に一人ひとり裸で投げ出されてるわけですから。
オレは頭に来てね。本社の白腕章に分割・民営化についてどう思うのか責任あることを言ってくれ、というと、何も言えずに下を向くわけ。何十年も国鉄で働 いてクビ切られることに抗議してストやるのはいいことか悪いのか答えてくれっていってもうなだれるだけなのね。あんたの明日の身だって分んないんだよ、と 言ってやったら、そいつは出て行ったよ」(千葉転支部執行委員、Sさん)

●国労津田沼分会の苦闘
 だがこのころ、国労千葉地本、とりわけ国労津田沼分会の中では、ある意味では動労千葉の労働者がおかれているよりさらに厳しい状況の中で激烈な論議がた たかわされ、攻防がくりひろげられていた。国労本部が一一月二五日の段階で、「業務命令が出た場合はそれに従う」どいう実質的なスト破り方針をうち出した ことはすでに触れた。国労千葉地本はこの方針にそって分会指導をすすめ、たとえば二八日に計画されていた青年部段階での動労千葉と国労千葉の共闘集会も中 止させた。だがこのような方針を、国労千葉の労働者は決して黙って受け入れてはいなかった。ここですこし時間を逆のぼって国労千葉の動きをあとづけること にしよう。

動労千葉の一一月ストライキ方針は、国労千葉組合員に強い衝撃を与えた。とりわけスト拠点になる津田沼電車区と千葉運転区においては、動労千葉ストにど う対応すべきなのかが早くから、国労組合員の間で問題となった。それは、たんに動労千葉ストに国労はどう対応するのかという次元ではなく、国鉄分割・民営 化攻撃に国労としてどうたたかうのか、という自分自身の問題としてあった。
一〇月三一日、国労津田沼電車区分会青年部は定期委員会において、「本来なら国労がストライキで闘うべきだけれども、国労はストの方針が出されていない」という状況を確認したうえで『動労千葉スト支援の特別決議』を満場一致で決めた。
「国鉄分割・民営化攻撃は、一〇万人首切りをもって国鉄労働運動の解体、ひいては日本の労働運動の背骨をたたきおり、『何も言えない労働者」「よく言う 事をきく労働者」をつくりあげようとしている。三人に一人の首切り、運転職場においては、二人に一人の首切りである。しかし国労をたたきつぶす攻撃である かぎり二人に一人も残れないのである。一年間に一〇万人にも及ぶ労働者の首を切る事、こんな事が許されてもいいのか。今こそ我々青年部を先頭に起ち上がら なければならない。
ストライキは労働者の最大の武器なのである。今、闘わずしていつ闘うのか。ストライキで闘う以外に勝利の道はないのである。国労一八万人が本当に決起した時に、首切り攻撃は粉砕されるのだ。
動労千葉の労働者は、首をかけ、生活をかけ一一月末ストライキに決起している。本当に分割・民営化に反対し、一〇万人首切りを許さないために、国鉄労働者として闘わなければならないのである。
青年部は、重大な決意をもって、動労千葉の一一月ストに対し『スト破りはしない』『B変仕業はやらない』等、できるすべてをもって支援しなければならない」
国労もともにストでたたかうべきではないのか、ましてスト破りは絶対嫌だ、という声は、津田沼電車区分会でも、千葉運転区分会でも乗務員を中心に大きく なり始めた。とりわけ、津田沼分会では動労千葉との共闘関係が歴史的に強かったこともあって、よりはつきりした形をとっていった。
一一月一九日、国労津田沼分会の執行委員会が開かれ、動労千葉ストを支援すべきだという意見が出された。協会派が「自分の組合がストに入っていなければ 乗務してもスト破りではない」と言ったことをめぐって激論となり、「いややはりスト破りだ、同じ労働者として支援すべきだ」という意見が強く出され、スト 破りはしないよう地本に要請することで集約された。二二日、分会三役によってその申し入れが地本に行われた。
一一月二五日、地本でストライキ対策関係分会長会議が開かれ、先に述べた三点の国労本部方針が伝えられた。スト破りを強制する国労本部方針に対する両分 会組合員の怒りは激しかった。津田沼電車区分会ではただちに乗務員の非番者集会が開かれた。それは、二五、六、七日の三日間にも及んだ。
二五、六日の非番者集会には、スト破り列車乗務を強制させられることになる乗務員が強い関心を寄せ、乗務前や乗務後の組合員が双々と詰めかけた。分会役 員が「みんなの気持はわかるが、本部方針なので業務命令が出たら乗務しなければならない」と説明したのに対し、組合員の怒りが噴出した。「スト破りは嫌 だ」「オレは業務命令が出たら拒否するぞ」「同じ職場の仲間がクビをかけてたたか っているのに裏切れると思うのか」「スト破りで乗務したら安全は
どうなるのか」「オレは本線に出たら動労千葉に連帯して少しでも遅らせてやる」などの意見が相次いだ。そして、ついに「分会では話にならない、地本を呼 べ」ということになった。二七日の非番者集会には、地本業務部長が出席した。しかし、本部方針をくり返すだけで「自分の判断では何も言えない」という業務 部長に組合員の怒りがたたきつけられ、結局「分会の意見は地本に持って行く」こととなった。非番者集会終了後、分会執行委員会が開かれ、なおも「国労のス ト指令が出されていないのだから、当局が乗れと言えば乗ってもよい」と言い張る協会派役員に「はっきりさせろ。あれはスト破り方針だ」「これではやってい けない」という主張が全体を制し、「①動労千葉の行路に国労は乗らない②業務命令は出させない③混乱が生じたら(運転を中断し)ハンドルを持って身の安全 をはかる」ことを地本に上申することとなった。
ち ょうどそのとき、動労千葉のスト繰り上げの’ニースが入ったため、ただちに千葉運転区分会とともに分会役員は地本に向かった。
ところが地本書記長は「動労千葉の具体的戦術が分らなかったので何も準備していない」と言うのみ。「地本としてスト破りをやらない方針を出せ」という追及 に対し「地本では対応できない。明日本部中開(中央闘争委員)が津田沼に行くから、言うことがあれば言えばいい」という有様であった。
すでにこの段階で、千葉運転区分会の方では、「国労方針では責任を持てない」として分会執行部の五名が辞職を申し出る事態が発生していた。
一一月二八日、動労千葉のスト突入を目前にした午前二時半、国労本部の渡辺和彦中闘、国労千葉地本副委員長ら役員が津田沼電車区構内にある分会の組合事 務所に到着、ただちに執行委員会が開かれた。組合員も多数つめかけ息をつめて聴いている。渡辺本部中開は「本部方針でやってもらう。国労としては共闘しな い。動労千葉の目的が主体的ではなく政治的なものだ。業務命令や予備の問題はケース・バイ・ケースで区当局とやる。たとえ業務命令を拒否しても国労として は面倒をみない。業務命令が出たら動労千葉の行路にも乗れ」と述べた。
渡辺中間発言に、つめかけていた分会組合員の不満が爆発した。
「ふざけるな。それはスト破りしろということだ」「なんで本部はたたかう方針をださねえんだ」「なんのためにオレたちは組合費を払ってきたんだ」……。 怒りにふるえた組合員は本部役員のエリ首をつかまんばかりに詰めより、激しく追及した。「スト破りは絶対できないぞ」「業務命令拒否は本部扱いにしろ」。
 追及の最中、動労千葉がストに入り、国労の組合員がスト破りを行ったという報告が入った。もはや分会の方針でやるしかないと判断した分会役員は、駅ホー ムや国労乗務員への連絡を開始した。乗務員が交代する津田沼駅では国労組合員を国労の行路以外には乗せないよう必死になって手配し、スト列車は電車区に入 区させるよう当局を追及した。
このような状況のなかで、国労組合員は多くの混乱と苦闘を強いられた。一方では国労分会役員と青年部の必死の奮闘で運休はどんどん増えていった。しか し、他方では役員の手が回らないところで当局の指示に従い所定以外の電車に乗る国労の乗務員が次々出てきた。ある組合員はスト破り乗務を拒否しようとした が協会派役員に恫喝され泣く泣く乗ってしまった。また、ある国労組合員の場合は、点呼を終えて電車区の電車に乗ったあと急きょその電車が運休となったにも かかわらず、当局が運休を連絡し忘れたのを衝いて、実に七時間も電車のなかに立てこもっていた。真暗になってから姿をあらわしたこの組合員は「スト破りは 嫌だ。少しでもストに協力したかった」といって、行方を心配していた仲間の大きな拍手で迎えられた。
こうして、動労干葉のストライキが、国労をもまき込みながら白熱した攻防をくりひろげている最中、午後二時四〇分、津田沼でひとつの重大な事件が発生し た。この日午後の乗務を予定していた国労千葉地本津田沼分会のH(25)、S(26)の二名の組合員が「スト破りは絶対嫌だ」といって国労を脱退、動労千 葉への加盟を申し込んできたのだ。動労千葉は、決して国労の個々の労働者を個別的にひきぬいて、動労干葉に獲得しようなどという組織方針をとっていない。 むしろ国労組合員が国労の中で、国労の戦闘的再生をかけて起ちあがることを望んでいる。だがこの場合はそうもいっていられなかった。二人は「スト破りはや らない」「業務命令は拒否する」と固く決意していた。だが国労の方針に反して国労組合員がストに入れば、自動的に本人が解雇になる。動労千葉は二人の加盟 を認めた。
二人はただちに午後三時台の乗務を拒否してストライキに入った。二人の国労組合員の決起の報はたちまちのうちに動労千葉一一〇〇名に伝えられた。ついに 国労の中からの決起が始まったのだ。これはなによりも動労千葉を勇気づけた。しかもこの二人の決起は、決して国労の中の一握りの例外的分子の決起なのでは ない。二人の背後には国労津田沼分会乗務員の丸ごとの決起、総反乱が進行していた。そしてさらにその背後には国労千葉の闘いがあり、さらに国労一八万の闘 いがあるのだ。決起ははじまったばかりである。
当局の攻撃と国労中央の屈服的方針をけってあえて茨の道を選んだSさんはこう語っている。
「オレとしてはね、国労がしっかりした方針を持ってれば乗務してたわけですよ。今まで国労で七年間やってきたわけですから、動労千葉に入ってストやるとい うのも並大抵じゃないからね。でも、あのままじゃあ納得いかなかったから。駅助勤の名札問題のころから組合の対応がしっかりしてないと組合に言ってきたん ですよ。ストの日は出勤が一五時台だったんだけど朝一〇時に出て来て、組合の方針をきいたんですよ。スト破りというのはやっぱり労働者としてやるべきこと じゃあないからね。昼ごろ分会、地本、本部の人の話しをきいて『業務命令が出たら乗るしかない。スト破りはやむをえない。この方針は変わらない』というの を聞いてね、このまま乗ればスト破りになってしまう、動労千葉の仲間を裏切ることはできないと、自分なりに考えて決めたわけですよ。最終的に決断したのは 出勤一時間前です。そこで動労千葉に入ってストに入るしかないと思いました。国労に入ったとき「国労三〇年の歩み』をもらいましたが、それにスト破りはい けないと書いてありましたからね。動労千葉一一〇〇名がストに入るんですから、大きい組合である国労はバックアップしてやるのが本当でしょう。そうすれば 分割・民営化反対のストは何倍にもなるでしょうよ」(津田沼電車区、Sさん)

四、展望

●闘う人民の激励と共感
 午後三時一五分、テレビ・ニュース「総武線数十分の遅れ、一〇〇万人の足に影響」と報道。このころ、関西実行委の山本善偉、加辺永吉さんや三里塚反対同 盟の鈴木幸司、郡司とめさんらが動労千葉の津田沼、千葉転支部を訪れ、撒布、カンバ、おにぎり、とん汁、ピーナッツなどの差し入れを行う。
午後四時○○分、津田沼に、ストに突入した乗務員が収容班と一緒にまとまって帰ってくる。大きな歓声と拍手。午後四時半、千葉運転区に支援の労働者・学 生の部隊一〇〇名が宣伝力ー、横断幕を先頭に姿を現わす。詰所の組合員は「支援が来たぞ」とドンと窓際へ。庁舎前入口で向かいあって激励集会を開く。同じ ころ津田沼電車区でも、津田沼公園から出発した支援共闘のデモの声が聞こえてきて、青年部はただちにシュプレヒコールで応えた。
午後五時半、千葉運転区庁舎前で「スト貫徹・千葉転支部激励集会」を二〇〇名で開く。他方、津田沼電車区では、幕張支部、新小岩支部組合員と合流し、午 後六時から「スト貫徹総決起集会」を開くことになっていた。ところが、当局覚「部外者は一切構内に入れない。他支部の組合員を入れると津田沼支部組合員も 全員排除する」と通告し出入口の全てを機動隊と公安官でふさいでしまった。
青年部は「構内でデモをすると全員排除する」という権力・当局の恫喝をはねのけて断固たる怒りの構内デモを行った。
午後六時五〇分、千葉市要町の千葉市民会館で「スト貫徹総決起集会」。津田沼、千葉転以外の動労千葉の組合員約四〇〇名を前に中野委員長が権力、当局の スト破壊攻撃を粉砕してスト第一日目のたたかいを圧倒的に貫徹したことを報告し第二日目への奮闘を訴えた。
午後七時、NHKテレビニュースは、動労千葉ストによって総武線緩行、快速とも大きく乱れていることを報じた。

●スト破りに労働者の怒り
 午後七時三〇分、津田沼電車区。当局は、電車区庁舎二階の乗員詰所で待機していた組合員に「退去通告」を告げ、「退去しないなら機動隊を入れる」と言っ てきた。スト第一日目をたたかいぬいた組合員が、そのまま乗務員詰所で大挙ろう城・待機体制に入ることを阻止しようというのだ。同時にこれは、動労千葉組 合員が、乗務員詰所内外で、スト破り列車を運転した国労乗務員に怒りを爆発させ責任を厳しく追及し始めたことへの恐怖でもあった。
「国労で乗った人間は追及されると、『済みません、ごめんなさい』でかわいそうな位でした。一人はオレの同期でね、カードになっている決められた自分の 乗務が終ってから、さらにカードもう一枚分乗務してるんです。誰の判断かときいたら分会長だというんですから、本人は犠牲者みたいなもんですよ。でもスト 破りはスト破りだから。もう一人オレの同期が国労にいて見習も一緒にやった仲のいいやつなんです。そいつも、乗っていたんです。オレは友達だったけど許さ なかった。皆がいる前で、『手前だけいい子になって残ろうと思うんじゃない、この野郎』とどなったんです。そのあと夜なが家に電話がかかってきて『済みま せんでした。あのときはどうしょうもなかった…』というんです。でも、もう口もききたくなかったから……。毎年忘年会やっている一番親しいやつだったんだ けどね」(津田沼支部、Tさん)
同じことは千葉転支部でも起こっていた。乗務員詰所は一〇〇名余の動労干葉組合員で埋まり、国労組合員は詰所に姿を現わすことができなかった。だが、動労 千葉組合員は国労のスト破り乗務員をいたるところで弾劾した。ここでも、国労乗務員はうなだれるばかりであった。
「千葉転では『業務命令』は出ていなかったのに、国労の役員が率先して乗せたという事実があるわけです。日共の役員なんか予備乗務員なのに、東京・千葉間 を二往復もしているわけです。ボクの同期も国労にいたのですが、スト破りの意味すらよく分らないという有様でした。青年部は先頭で弾劾しました」(新藤青 年部長)
午後一一時二〇分、千葉運転区当局は「業務に支障がある」という理由で退去通告を出した。組合側が従わないとみるや、当局は公安・白腕章多数を庁舎に導入し、暴力的排除に踏み切ったのだ。
津田沼、千葉転ともに組合員は詰所での第一日目の闘いの総括集会で第二日目の闘いの指示を受けた後、市内の宿泊施設に移った。
こうしてスト第一日目は、中曽根内閣、治安当局、国鉄当局の空前の弾圧体制を打ち破ってたたかいぬかれ、次のような影響をもたらした。
運休 特急 32本
快速 39本
緩行 72本

運転率 緩行線 74%
快速線 72%

列車遅れ 快速上下 330分
緩行上下 780分
千葉以東上下 180分

●国労方針を転換させる
そして、ちょうどこのころ、国労津田沼ではさらに激しい討論が続いていた。スト第一日目、国労は大きくゆれ動いた。しかもストライキはまだ一日目が終っ ただけである。当局はすでに一日目で要員を使い果しており、二日目は国労組合員に激しく業務命令を乱発し運行確保へ全力を注いでくることは明らかであっ た。もし、このままで二日目を迎えればどうなるのか。
この日の深夜、正確に言えば一一月二九日午前一時半から国労津田沼分会の執行委員会が開催され、二九日の対策が話し合われた。雰囲気はすでに一変してい た。一〇名余の執行委員のほとんどが「業務命令を拒否してたたかうべきだ』と発言した。「スト破りはもう絶対したくない」「ハッキリした方針を出さなけれ ば脱退者が続出する」「毎日顔をつき合わせている仲間を裏切ることはできない」「国労の誇りにかけても今日のようなことは繰り返すべきでない」「オレは処 分されても業務命令を拒否する」という意見が続出した。分会長は「方針が間違っていたから脱退者が出てしまった。私の力が足りなかった。申し訳ない」と涙 を流して討論の集約を行った。もはや大勢は決していた。
本部の渡辺中闘は、このような分会の意見を聞き、考えさせてくれと言って、別室で本部中開、地本、支部役員、分会三役で話し合いがもたれた。午前三時半、ついに結論が出された。

国労方針
①動労千葉のスト指定した行路は乗らない。
②業務命令は出させない。
③指導員の運用は認めない。
④カーテンは全部閉める。
言うまでもなく核心は②にある。「業務命令を拒否して処分になったら組合が責任を持つ」ということであり、一切のスト破りは行わないということである。 国労津田沼分会の組合員の怒りとたたかいは、ついに国労中央を衝き動かし、国労方針そのものの転換をかちとったのである。四つの方針は大書きにして分会前 に張り出され、初電出区乗務員のオルグが開始された。
こうして、たった一つの分会のたたかいが国労の方針を変更させた。『業務命令拒否』とは国労自身が当局とたたかうということであり、事実上国労そのもの のストに等しい。当局は、前日の国労二名労働者の決起につづく国労(津田沼分会)の予想もしなかった決起に顔面蒼白となった。ストライキ第二日目、動労千 葉のストライキは、ついに国労(千葉地本)との共闘関係を実現することによって総武線の朝のラッシュを大混乱に陥れるだろう。

●ストライキ第二日目
ストライキは二日目を迎えた。
午前三時、動労千葉津田沼支部は区長および千葉局の運転本部長に、正午までのストを行うことを通告した。スト体制は完壁だ。
午前四時一〇分、津田沼電車区で出庫電車の安全誘導の仕事をしている動労千葉組合員が、組合事務所にとびこんできた。西船橋で信号回線が切られたため、 一番電車の出庫見合わせの指令がおろされたという。やがて、中央線、横須賀線、武蔵野線など各地でも一斉に通信ケーブルが切断されたようだという情報が 入った。
同じころ、千葉運転区でも同じ情報が組合事務につめていた組合執行部にもたらされた。
午前五時、津田沼電車区。NHKテレビが異例の臨時ニュースをやっており、ゲリラは相当広範囲に及んでいることが判明した。組合員が次々と起きて来て、 組合事務所のテレビに見いる。ゲリラに拍手する若い青年部組合員。誰かが「これで一番救われたのは国労(指導部)かもね」と皮肉。
午前五時三十五分、テレビニュースで「動労千葉の布施書記長が『ストとゲリラとは関係ない。動労千葉は予定どおり正午までストに突入する』と発表しました」と報じるや、皆一斉に拍手し、「そうだ、ストは貫徹だ」と誰かが叫んだ。
午前六時、津田沼電車区。夜が明け始めのすみ色の空の下で、「お茶の水」「中野」「千葉」「三鷹」などの行先ランプをつけた何十本もの黄色電車がとっくに出庫時間が過ぎているのに、一本も動くことができず、じっと停まっている。
午前七時、テレビニュースで、「国鉄ゲリラ」が日本全国で大規模に発生していることがわかった。運転不能は、首都圏と大阪地区を中心に、次の線区に及ん でいた。総武線、成田線、常磐線、武蔵野線、京浜東北線、根岸線、山手線、中央線、埼京線、東北線、高崎線、川越線、八高線、青梅線、五日市線、南武線、 横浜・相模線、東海道線、横須賀線、鶴見線、大阪環状線、関西本線。さらに、東海道・山陽新幹線も一時運転を見合わせた・ゲリラは中核派・革命軍によって敢行された。
ゲリラ事件としては空前の規模だ。それは、中曽根内閣の国鉄分割・民営化の強行に対する、そして動労千葉のストを破壊しようとする手段をえらばぬ策動に 対する、人民の怒りを体現する最も衝撃的・効果的な戦いとして実行されたのである。この瞬間に、一万人の機動隊動員をはじめとする空前のスト圧殺体制は まったく無力化し、その反対物へと転化したのである。
午前七時すぎ、千葉運転区の乗務員詰所に顔をそろえた組合員に、
永田支部長が状況を報告し「オレたちはストライキを一二時まで断固たたかう」と提起。津田沼電車区でも、各宿泊施設から戻った組合員を前に、水野副委員 長、山下支部長が「おそらく中曽根内閣の反動攻撃と国鉄分割・民営化に怒りを持つ者のゲリラ活動であろう」と事態説明を行い、スト体制継続の方針を明らか にした。
午前七時一五分、津田沼で、若い青年部員が「中核派がいま浅草橋駅を占拠し燃やしてるって……」と息せき切って組合事務所にかけ込む。一瞬どよめき、急いでチャンネルを回す。
午前九時、津田沼公園に支援の学生・労働者一二〇〇人が結集。中核派のゲリラに大きな拍手と歓声。
午前一〇時すぎ、国労山崎委員長が動労革マル松崎明とともに、ゲリラを批判する記者会見を行っていることが伝えられるや、「お前たちがストでたたかわないからだ」との声。松崎の動労千葉をののしる発言には激しい怒り。
午前一一時三〇分、国鉄総裁杉浦が「ゲリラを惹起せしめたのは動労千葉スト」「動労千葉には厳しい処分を考えている」という声明を発表するや、干葉転でも津田沼でも激しい怒りがまきおこった。
津田沼では、誰かが「ゲリラの原因は分割・民営化じゃあないか」
と言うと、別の組合員がアップに映しだされたテレビの杉浦に向かって「お前がゲリラを惹起させたんだ」と指弾。
中核派のゲリラによって総武線をはじめ首都圏の国電は全面運休となった。私鉄ターミナル、地下鉄入口、バス乗り場には人があふれ、一種の「国鉄ゼネスト」 的状況が生まれた。中曽根首相は午前の参議院本会議で「陳謝」するとともに、閣議で「緊急対策本部」を運輸省内に設置することを決定した。国鉄当局も大敗 北にうちひしがれながら独自の「緊急対策本部」を設置し、対応に必死となった。
午前一一時五〇分、動労千葉はスト終結指令を出した。一二時、千葉運転区、津田沼電車区とも、ストを終了し、組合員は午後からの仕業に向け点呼をうけに当直室に行った。
二日間にわたった二四時間ストライキはこうして、さまざまなドラマを生みながらひとまず終了した。スト集約集会は、津田沼では午前一一時四五分から、干 葉転では午後一時から、それぞれの乗務員詰所で行われ、動労千葉は第一波ストを全員の力でうちぬいた、さらに第二波、第三波ストにつき進もうということが 全員の拍手の中で確認された。

●反動を打ち破って前進
 動労千葉の歴史的な決起に対し、あるいはこれと連帯し、動労千葉に対するもっともあくらつなスト破壊策動を弾劾して炸裂したゲリラに対して、今日、中曽根、治安当局、国鉄当局、さらには動労革マル・松崎らによるけたたましい密集した反動がおしよせている。
なによりも動労千葉に対する大量報復処分が強行されようとしている。さらには六一・三ダイ改の一環として、千葉局の業務を大幅に東京三局に移管するなどというデタラメ極まることまで準備されている。だがこれらについて触れることは、一九八六年の年あけとともに始まっている動労千葉の第二波闘争を語ることになるのでここでは省略しよう。
しかしどうしても最後に強調しておかなければならないのは、どのような反動も、動労千葉の労働者の英雄的決起、そしてこれに呼応した国労千葉の労働者の 英雄的決起、そして、まさにこうして、国鉄分割・民営化一一〇万人首切りに対する国鉄労働者の反撃がついに開始されたという事実を消し去ることはできない ということである。どのような反動も、この闘いが、いま全国の三〇万国鉄労働者の中に呼びおこし、日々拡大しつつある感動と共感、そして階級的覚埋の渦を おしとどめることはできないということである。
ストライキの後、動労千葉には、様々な国鉄労働者からの共感と激励の声がとどいている。四国のある国労地本の分会役員からとどいた一通の手紙と、ストを闘いぬいた動労千葉組合員の何人かの言葉を最後に紹介して、このドキュメントのしめくくりとしよう。

「闘う動労干葉のみなさん。ぼくは国労愛媛支部00分会の00といいます。年は00歳ですが、分会の役員をしています。
今度のストにはとても感動しました。いっかはやるだろうと思っていました。本当に今やらないと、もうわれわれはだめになってしまうと思います。ストのできない組合なんて組合ではない。われわれ国労もあなたたちの闘いに続いて闘っていきたいと思います。
最後に、千葉と愛媛、遠く離れていても同じレールの上で働く仲間です。がんばりましょう」

津田沼支部、0さん
「昨日もおっかあから電話かかってきてね、『まだ大丈夫か?』って。『黙ってクビになるぐらいなら、なんでも好きなことやれ」ってね。七〇になるおばあ ちゃんだけどね、よく分ってますよ。皆、誰も黙ってやめていこうなんて思ってませんよ。ここまできたら、一つのストで終っちゃあいけないと思います。それ で解決したわけじゃあないんだから。国労のスト決起が絶対に必要です。そのためにも第二波、第三波をやりますよ」
津田沼支部青年部、K君
「何のためにストをやったのかということです。国鉄のゼネストをめざしたストだったんです。結局、国労の決起の問題です。そこをつくりたいんです。全国各 地の国労の仲間も反動の中で大変だと思うけれとも、今度国労津田沼分会の仲間は一分会でありながら国労中央の方針を転換させることができたわけですから、 他の所でもできると思うんです。地方の現場でも、中央がダメだからというんでなく、下から運動をつくってもらいたいんです。分割・民営化を阻止するたたか いは体制変革のたたかいだと思う。国鉄は国家です。ここで勝って、日本の未来をつくりだしたい」

新藤青年部長
「すべては一波闘争にかかっています。一波だけで倒れるということは許されません。一波をやって国鉄ゼネストをつくりだすということです。今年一〇月末ま でに結着がつくわけですから、国労を起ち上がらせるためにやりぬきたいと思っています。一波の勝利に酔っている気持はないです」
◎千葉運転区支部、1さん
「サイは投げられた。あとにはひけないです。国鉄労働者一〇万人が放り出されるのに、羊のようにおとなしくクビを切られることはありえないと思う。ボクは そこにかける。名前も顔も分らない。組合も違うけれど、労働者というのは絶対にたたかう道を選ぶことは間違いないと思っているから……。とりあえず、われ われ動労千葉が口火を切ったわけだけどね。これからは、当局も必死、ボクらも必死だから、本当にひとつひとつ気を抜けないと思う」
◎千葉転支部青年部、Tさん
「たとえ一人でも一、人でもいい、どんな小さな火でもいいから、全国各地で動労千葉に続くたたかいが起って欲しい。そうでないと、ボクらは死んでも死にきれないですよ」

We Strongly Condemn Japan-ROK Agreement on “Comfort Women”

We Strongly Condemn Japan-ROK Agreement on “Comfort Women”

International Labor Solidarity Committee of Doro-Chiba

January 8, 2016

On December 28, 2015, Japan and South Korea have abruptly reached the agreement to settle the issue of “comfort women” in foreign ministerial talks held at Seoul.

The major objective of their agreement is to “resolve finally and irreversibly” the issue of “comfort women” known as “halmonis” (“grandma” in Korean) who were forcibly drafted for sex slavery for Japanese soldiers during World War II. The agreement states that the South Korean government establishes a foundation for the purpose of providing support for the former “comfort women” and the Japanese government pays 1 billion yen ($8.3 million) contribution to a fund. As a condition for this, worse still, the Japanese government demands the removal of the statue of a girl symbolizing the victims that has been erected in front of the Japanese Embassy in Seoul. The South Korean government expressed its virtual admission of accepting such demand of the Japanese government, saying, “(We) will strive to solve this issue in an appropriate manner through taking measures such as consulting with related organizations”.

It is utterly an outrageous agreement that intends to completely put to an end to all issues on “comfort women” and, what is more, to remove the statue of a girl.

This agreement is meant to suppress the struggle of halmonis who have long kept condemning the war crime of Japanese imperialism by a thin veneer of Abe’s “apology” and 1 billion yen, a ridiculously small sum of money. It is to wipe off the history of the past Japanese colonial rule and deny the existence of halmonis. The history of the war crime of Japanese imperialism can never be erased with such a mean agreement.

Of course the intention of this agreement would not be just the “settlement” of the issue of “comfort women”. It is to suppress every struggle against numerous acts of barbarism of Japanese imperialism conducted throughout the Asia Pacific region such as Korea, China, Indonesia, the Philippines and others. It is done with vicious intension to wipe out the history of all war crimes.

The meeting between the foreign ministers was held at the end of last year. At this very moment Korean Confederation of Trade Unions (KCTU) had been resolutely preparing for the general strike against the revision of the labor relations law by Park Guen-hye administration. The Japanese and South Korean foreign ministers worked out an outrageous compromise on the issue of “comfort women” in quite a blunt way at this very moment in order to destroy the struggle of KCTU.

The mass media of South Korea and Japan, and all Japanese political parties including the Opposition have made almost unanimously favorable response. Though, South Korean workers and people immediately issued a statement against the agreement, and rose up to thorough denouncement.

Through this agreement, the Japanese, South Korean and US governments clearly proclaimed their commitment in “advancing trilateral security cooperation”.

They intend to settle quickly the conflicts between South Korea and Japan such as the issue of Japanese military “comfort women” and others, and grant an indulgence on this issue to the Japanese government so that they can swiftly proceed to forge Japan-South Korea military alliance and accomplish the system to conduct coordinated military operations between Japan, South Korea and the US.

Based on this agreement, Abe administration is scheming to dispatch the Self-Defense Forces to the Korean Peninsula, and go ahead with the maneuver to wage a war ferociously in East Asia again.

KCTU has started the struggle in 2016 by the publication of the following statement on January 4.

“Park Geun-hye government intends to erase the memory of the past history of the colonial era which became an obstruction of a fresh military alliance with Japan, but the Park Geun-hye’s humiliating diplomatic negotiation itself must be erased from the history. KCTU never forget halmonis’ suffering, and will stand by the side of the statue of a girl for its defense together with the youth, students and citizens.”

We strongly uphold this statement. We will smash the all-out nationalist campaign of Japanese imperialism to praise the Japan-South Korea agreement on December 28. We will resolutely struggle together with KCTU.

We will create militant labor movement in every workplace with national railway struggle as its pivotal position, and fight against outsourcing, casualization and the revision of the labor relations law.

We will stop the revision of the Constitution and block the attempt of establishing national general mobilization system for war.

And we declare our firm determination to overthrow the Abe administration which intends to liquidate the history of the aggressive war and rush to fresh aggression war in the Korean Peninsula.

 2016春闘ニュース2号   職場討議資料 2016年を大幅賃上げの年に

大幅賃上げ獲得!  希望者を全員、正社員にしろ!

CTSで働くみなさん。明けましておめでとうございます。年末年始のお仕事、たいへんご苦労さまでした。年が開け、大幅賃上げ獲得に向けた春闘がいよいよ本格的に始まります。

「募集しても来ない」?!  賃金が安いからだ!!

名称未設定-1賃上げは、本当に待ったなしの状況です。
幕張事業所では昨年、ほぼ毎月、退職者がでました。異常事態です。エルダーの方の退職も重なり必要な仕事も回らない現状です。
管理者は「募集しているが人が来ない」と言ってますが当たり前です。賃金が安いからです。
あまりの安さに驚き、働き始めてすぐに辞めた人もいます。車両の日常清掃を回すことで精一杯、ローカルや快速車両の特掃班も十分に組めないなど完全に悪循環におちいっています。
他の事業所でも、京葉事業所では夜勤が8人から5 人になり、君津作業所でも理由もなく日勤が減らされています。

特定の人に矛盾が集中
 泥縄的シフト変更

どんどん人が辞めたり倒れたりする中、急に「夜勤に入ってくれ」「徹夜に入ってくれ」と泥縄的にシフト変更される。特定の人がキツイ仕事に連続して入らざるをえない。計画的な募集も、人員の養成もされない中で、残った人にあらゆる矛盾が集中しています。本社は、この現実をいったいどう考えているのか。普通に働き、普通に食べていけないような職場でいいのか

CTS労組も「大幅賃上げ」の統一要求を掲げともに闘おう

この現実を変えるためには、職場の怒りをひとつに集め、本気になって会社にぶつけなければなりません。
CTS労組は今こそ、動労千葉やCTSに関係する全労組ともに、「大幅賃上げ」の統一要求を掲げて闘うことを決断すべきではないか。全組合員に呼びかけ総行動に立つべきではないか。本気になってCTSを変えるためには、それしかないはずです。
今春闘でなんとしても風穴を開け、2016 年を大幅賃上げ獲得の年としよう。
職場から一人ひとりが、声を上げていきましょう!

군대위안부 문제에 관한 한일 외교 장관 회담 ‘합의’ 를 철저히 규탄한다

軍隊慰安婦問題に関する日韓外相会談「合意」を徹底弾劾する

작년말 12월28일 서울에서 진행된 한일 외교 장관 회담에서 일본군대위안부 문제에 대한 한일 정부의 전격적인 합의가 이루어졌다.

군대위안부 문제에 대해 “최종적이고 불가역적인 종지부를 찍는 것”을 최대 목적으로 하며 한국정부가 위안부 할머니들을 위한 재단을 설립하며 이에 대해 일본 정부가 10억 엔을 출연한다는 내용이다. 게다가 일본정부는 그 조건으로 서울 일본대사관 앞제 서 있는 소녀상의 철거를 요구하며 한국정부 측은 “관련 단체들과 협의하고 적절하게 대처하겠다”고 해서 사실상 일본측 요구를 받아드린 것을 밝혔다.

앞으로 군대위안부 문제에 대한 모든 문제제기를 봉쇄시키고 소녀상까지 철거할 것으로 한 이번 ‘합의’를 우리는 절대로 용서할 수가 없다.
일본 제국주의 전쟁범죄를 규탄해 온 할머니들의 투쟁을 일본 정부의 내용 없는 ‘사과 말’과 10억 엔의 푼돈으로 압살 하는 것은 과거 식민지 지배 역사와 할머니들의 존재 그 자체를 말살하는 것이다. 이렇게 비열한 ‘합의’로 일본제국주의 전쟁 범죄의 역사를 지워 버릴 수는 절대로 없다.

이 ‘합의’는 군대위안부 문제만에 머무는 것이 아니다. 조선,중국,인도네시아,필리핀 등 아태지역 전역에서 자행된 일본제국주의의 헤아릴 수 없는 만행에 대한 투쟁을 봉쇄하고 전쟁 범죄의 모든 역사들을 없었던 것으로 하려는 공격이다.

외교 장관 회담이 진행된 작년말은 민주노총이 박근혜 정권의 노동개악 절대 저지를 내걸고 임전 태세에 들어가 있었던 시기다. 이 민주노총 투쟁에 대해 도전하듯이 군대위안부 문제를 둘러싼 타협이 한낮에 당당하게 진행된 것이다. 한국 일본 언론들 그리고 야당을 포함한 일본 정치권은 일제히 ‘환영’의 목소리를 냈다. 하지만 한국의 노동자 민중은 이 ‘합의’에 대해 바로 탄핵성명을 발표하여 철저 탄핵 투쟁을 시작하고 있다.

이번 ‘합의’를 통하여 한일 정부는 ‘안전보장 협력 추진’이란 입장을 공공연히 밝혔다. 일본군위안부 문제 등 한일간 대립각을 조속히 해소하며 일본 정부에 면죄부를 주는 것으로 한일 군사동맹 구축, 한일미 공동작전체제 완성을 가속화 시키는 것이 그 목적이다. 또 아베 정권은 이 ‘합의’를 바탕으로 조선반도 에 대한 자위대 파병을 책동하는 등 더 다시 동아시아에서 가장 흉포한 전쟁 방화범으로 등장 하려는 움직임을 시작하고 있다.

민주노총은 다음과 같은 선언을 발표하며 2016년 투쟁을 시작했다.
“박근혜 정부는 침략동맹의 걸림돌인 식민지 과거사를 지워버리려 하지만, 역사에서 지워야할 것은 박근혜 정부의 굴욕협상이다. 민주노총은 위안부 할머니들의 아픔을 기억하며, 청년학생 및 시민들과 함께 소녀상의 곁을 지킬 것이다. “

우리는 이 선언을 단호 지지하며 일본제국주의가 총력을 기울인 12.28한일 ‘합의’ 익찬 공격을 분쇄하며 민주노총 동지들과 함께 투쟁해낼 것이다.
우리는 국철 투쟁을 기축으로 직장 생산점에서 외주화 반대, 비정규직화 반대, 노동법제 개악 절대 반대의 팽배한 투쟁을 만들어 내고 개헌과 국가총동원체제 구축을 저지하기 위해 투쟁해낼 것이다. 이 투쟁으로 침략전쟁 역사를 청산하고 나서 새로운 조선 침략전쟁으로 돌진하려는 아베 정권을 반드시 타도할 것이다.

이상 선언한다.

2016년1월8일
도로치바 국제연대위원회

We have the power to change the history! Call for endorsement of and participation in Anti-Nuclear Power Plant Fukushima Action on March 11, 2016

Organizing Committee of March 11 Anti-NPP Fukushima Action in 2016

November 30, 2015

We have the power to change the history! This is the slogan of the Anti-Nuclear Power Plant Fukushima Action on March 11, 2016.

Against the legislation to exercise the right to collective self-defense more than 100 thousand of people filled the square in front of the Diet day after day. Since this mass uprising last autumn a rising tide of the struggle by millions workers, students and other people, has broadened deeply all over the country and around the world.

The struggle of the fifth anniversary of the Earthquake and nuclear reactor meltdowns on March 11th in Fukushima will be fought headed by the unions which have been waging strikes, with Fukushima people’s widespread anger, calling gdown with Abe administration which promotes war bills and wages restarting of nuclear power plantsh.

Please endorse and participate in this action from all over the country and around the world.

The Abe government plans to lift evacuation orders in all municipalities, where people could receive radiation doses of up to 20 mSv/year, and to force evacuees back into heavily contaminated areas by March 2017 except for gthe difficult-to-return-to areash, which even the government reluctantly classifies as uninhabitable area.

If officials unilaterally declare that their areas are safe, more than 100,000 evacuees could be forced to return home and lose vital monthly compensation from TEPCO. It amounts to economic coercion to cut off gthe compensation for mental sufferingh and the government-subsidized apartments for gvoluntary evacueesh.

The big construction companies harvest large profits from wasteful and ineffective gcleanuph of the contaminated areas. Radioactive substances have been scattered from the decontamination sites including school-commuting roads. And new toxic hotspots have been emerging.

Beautiful forests were unsightly stripped, and the contaminated wastes are packed into thousands and thousands of black bags and moved to such stripped sites or other temporary sites, which lie scattered throughout the surrounding areas, including in the backyard of homes, parking lots and parks.

Nobody locates even now the whereabouts of the melted nuclear fuel.

It is evident that the solution of the problem of the contaminated water at the Fukushima Daiichi Nuclear Plant is impossible and that this radioactive water onslaught will eventually reach the breaking point and any resemblance of containment effort will be abandoned.

Even though over 150 Fukushima children have developed thyroid cancer, both the central and the prefectural governments repeatedly say, “The developments of thyroid cancers in children have nothing to do with the radiation effects.” No one really believes such a lie to be true. The other day, more than four years after the nuclear accident, the Japanese government confirmed for the first time that leukemia found in a worker at Fukushima Nuclear Power Plant is a result of the March 2011 atomic disaster. He is the first case to be awarded workers’ compensation insurance. His cumulative radiation exposure over one year and a half was 19.8 mSv. The Japanese government had set 20 mSv/y as a standard value of public dose limit for radiation exposure in Fukushima. It is really a murderous policy to force evacuees back into such heavily contaminated areas. People in Fukushima are seriously upset and furious.

The Japanese government is moving to promote nuclear power generation again as if nothing had happened. But the disastrous nuclear accident had actually happened and we can never erase the fact. Restarts of nuclear power plants and exports of nuclear power plant are absolutely unpardonable. We are now facing a threat of imminent world war. In this situation, what we need to consider is to change fundamentally the present structure of our society. Nuclear works and nuclear “decontamination” works are the ultimate savage casual works. Needy young people, deprived of the means of earning a livelihood, will be recruited through a “poverty draft” and assigned to the battle field by the same token. This is also the ultimate savage contingent hiring.

We should establish specific and practical strategies such as how we can set up a labor union which takes control of workplace to minimize radiation exposed work to the ultimate extent possible at Fukushima Nuclear Plant. The railway workers are now playing a leading role of the struggle. The East Japan Railway Company (JR-East) has attempted to open the whole length of the Joban Line which begins from downtown Tokyo and follows the Pacific coasts to Fukushima Prefecture for the purpose of forcing evacuees back to heavily contaminated areas. But the railway workers have organized Doro-Sorengo (Federation of National Railway Motive Power Unions) to stop the JR’s attempt by waging strikes against the work exposed to radiation. Fukushima Collaborative Clinic became the most credible and reliable facility for people who are anxious about daily radioactive exposure. Such constant challenges widen the circle of international solidarity.

Fukushima people earnestly desire to abolish all nuclear power plants and nuclear weapons from the earth and change the society. March 11 is the day for Fukushima People to wreak their anger and fight together with people all over the world.

Children, students, parents, evacuees living in temporary housings, farmers, fishermen and all workers—Let us join together to act as one!

「軍隊慰安婦問題に関わる日韓外相会談「合意」を徹底弾劾する」 動労千葉国際連帯委員会

昨年末12月28日、ソウルで行われた日韓外相会談で日本軍軍隊慰安婦問題について日韓間の電撃的「合意」が行われた。

軍隊慰安婦問題に「最終的かつ不可逆的に終止符を打つ」ことを最大の目的とし、韓国政府が慰安婦にされたハルモニたちのための財団を立ち上げ、そこに日本政府が10億円を拠出するというものだ。しかも日本政府はその条件として、ソウルの日本大使館前に置かれている少女像の撤去を要求し、韓国政府側は「関連団体と協議して適切に解決する」として事実上日本側の要求を受け入れることを明らかにした。

軍隊慰安婦問題に関する提起を今後一切やめさせて、少女像まで撤去するとしたこの「合意」を絶対に許すことはできない。

日本帝国主義の戦争犯罪を糾弾し続けてきたハルモニたちの闘いを日本政府の薄っぺらな「おわび」と10億円のはした金で封殺してしまうことは、過去の植民地支配の歴史とハルモ二たちの存在そのものの抹殺だ。こんな卑劣な「合意」で日本帝国主義の戦争犯罪の歴史を消し去ることは絶対にできない。

この「合意」は軍隊慰安婦の問題にとどまらない。朝鮮、中国、インドネシア、フィリピンなどアジア・太平洋全域で行われた日本帝国主義の数々の蛮行に対する闘いを封殺し、すべての戦争犯罪の歴史を無かったものにしようとする攻撃だ。

外相会談が行われた昨年末は、民主労総がパククネ政権の労働改悪絶対阻止を掲げてゼネスト臨戦態勢に入っている時だ。この民主労総の闘いに挑戦するかのように軍隊慰安婦問題をめぐる妥協が白昼堂々と行われたのだ。韓国や日本のマスコミ、野党も含めた日本の政界は一斉に「歓迎」の声をあげている。しかし、韓国の労働者民衆はこの「合意」に直ちに弾劾声明を発して徹底糾弾の闘いを開始している。

今回の「合意」を通して、日韓米政府は「安全保障における協力の推進」を公然と表明した。日本軍慰安婦問題などの日韓の対立点を早急に解消し、日本政府に免罪符を与えることで日韓軍事同盟構築、日韓米による共同作戦体制の完成を加速化させることが目的だ。また安倍政権はこの「合意」を足場に、朝鮮半島への自衛隊出兵を策動するなど、再び東アジアにおける最も凶暴な戦争放火者として登場する動きを強めている。

民主労総は、1月4日、次のような宣言を発し2016年の闘いの火蓋を切った。

“パククネ政府は、侵略同盟の障害物である植民地の過去の歴史を消そうとしているが、歴史から消さなければならないのはパククネ政府の屈辱交渉だ。民主労総は慰安婦ハルモニたちの痛みを忘れず、青年学生及び市民らとともに少女像をそのかたわらで守る。”

私たちは、この宣言を断固として支持し、日本帝国主義総がかりの12・28日韓「合意」の翼賛攻撃を粉砕し、民主労総と共に闘い抜く。

私たちは、国鉄闘争を基軸に、職場生産点から外注化、非正規職化、労働法制改悪絶対反対の闘いを澎はいと巻き起こし、改憲と国家総動員体制の構築を許さず闘い抜く。もって、侵略戦争の歴史的な清算から新たな朝鮮侵略戦争に突き進む安倍政権を必ずや打倒する。

以上宣言する。
2016年1月8日

動労千葉国際連帯委員会