●「四つの視点」でたたかいへ
76年12月、動労中央委員会は、千葉地本が提出した「三里塚開港粉砕、ジェット燃料貨車輸送阻止」の決議を満場一致で採択した。千葉地本は、このたたかいに決起するにあたって、四つの視点を確立した。
@三里塚空港反対・労農連帯の視点
A「危険なものは運ばない」運転保安確立の視点
B労働強化は許さない、反合理化の視点
C組織破壊を許さない
という視点である。
77年3月、福田政権は翌78年3月30日、三里塚開港を決定。これを受けて国鉄当局は、ジェット燃料貨車輸送計画を提案した。動労千葉は直ちに12月冒頭から78年3月にいたる100日間闘争に突入した。
たたかいは、計画の撤回を求めて、12月3日から5日までの強力順法闘争で火蓋がきられた。総武線はわが手にあり。ハンドルを握る組合員一人ひとりの決意は、法相が「順法闘争に刑事罰を」と叫び、マスコミが「労働組合にあるまじき行為」と大合唱するほどの影響を生みだし、総武線沿線各駅には「」上尾」寸前的状態が現出した。この反動に抗して順法闘争をたたかいぬくうえで大きな力になったのが、三里塚農民との連帯という大義であり、また動労ジェット闘争支援共闘会議(代表世話人・浅田光輝、北原鉱治)の駅頭・ホームでの支援行動であった。 |