感想文紹介
☆動労千葉の田中委員長による来年「2・13全国闘争」の全階級的な意義が熱っぽく時間を超過して語られた“前ふり”と、本日の『国革』の講座がぴったりマッチしていて、充実した講義になって本当に良かったと思います。
帝国主義段階の革命論、プロ独論としてレーニンによって書かれた『国家と革命』はマルクス・エンゲルスの国家論、革命論を徹底的基礎にして、復権させ発展させ、かつ実践的に確立し、貫徹しきったものとして、今日、革命をめざすわれわれにとっては必須不可欠の学習と実践の書であることは、非常に分かりやすく展開されたと思います(今日の講座で)。(パリコミューンの教訓の具体的ふみこみも決定的でした)
前段の田中委員長の全階級的課題としての階級決戦としての外注化阻止決戦論が、帝国主義打倒の壮大な展望論としても語られたと思います。特にあらためて国鉄分割・民営化攻撃(動労千葉の鉄建公団訴訟の証人尋問の中身は興味深かったです)とその後のあらゆる労働組合の屈服と資本への協力が、今日の労働者階級の悲惨な現実をもたらしている元凶だという点と、レーニン『国革』の書かれなかった幻の第7章−党、ソビエト、労働組合の問題がガッチリかみ合いました。
次回の第7章展開がすごく楽しみです。
※「国策」(新自由主義)としての国鉄分割・民営化を当時、動労千葉以外のあらゆる労組が屈服、逃亡(鉄道労連は先兵化)する中で、唯一、満身創痍で闘いぬき、かつ、団結を守りぬいて生き残り、組織拡大までなし遂げて、ついに大反撃に打って出る。しかも、国際連帯、日本の全階級を起ちあがらせて腐った労組、民主党政権を串刺しにして打倒できる壮大な決戦のイメージが本日の『国革』のプロ独論を豊かにしてくれました。
帝国主義の時代、労働者の闘いが直接国家権力と激突するという講師の言葉は、本当にその通りと得心!
次回の後半の講義は、『反戦派労働運動』や『俺鉄』シリーズを勉強して実践的にのぞみたいと思っています。よろしくお願いします。
☆学校で学ぶ程度の歴史すらよく分かってないので、もう少し「プロレタリア独裁」や「暴力革命」、「国家の死滅」という実践の裏付け(歴史の総括)から生き生きとこれらの思想が生まれたのだ!ということをリアルに実感するために、私は世界史を勉強しようと思いました。
何でそんなことを思うのかというと、私は今の現実の闘いから生まれる力を本当にフル発揮して革命を組織して、革命に勝利したいからです。
職場での闘いが前進している実感はあるのに、それを本当に「未来の革命の立場」から総括するというのは難しいものだなと思います。もちろん、闘い続け、つらぬき続けて行く中で、あとから自分たちのやってきた闘いの革命性に気づかされることはたくさんあります。だけど、私は本当に勉強不足で、理論的な根拠にとぼしく、感覚でモノを言い、感覚で闘ってしまっているようなのです。
自分では自分の職場の闘い、言動、時に指導や議論において、何がどう間違っていて、何がどう足りないのか分かりません。(いや、分かったらもうそれは過去のものかも知れませんが)ただはっきりしているのはもっともっと勉強しようと思います。(弱音発言でなく、本気&前向き発言として)
私は国家と革命をまだ読破していません。だけど、ものすごく共感しているところがあります。それは、国家が資本家階級の意思を大多数の労働者階級に貫くための徹底した暴力機構だということ、それと「プロレタリア独裁」の持つ解放性、そして「暴力革命」への絶対的信頼です。特に私は“労働者の団結”は資本家階級、国家権力にとって暴力だ!ということを思います。この団結をつくり発展させていく日々の闘い、仲間との言葉では表しきれない同志愛。この日々の革命闘争そのものの中に、その過程そのものに一切の汚物を払いのける力があると思うのです。だから、私たちのつくる団結は、生きて熱を感じ、血の通う真の人間性を発揮する力であって、そういう力は、正に資本家階級、国家権力にとってみれば、なるほど暴力であるなと思います。
<質問、感想>
今回のテーマ、国家と革命、とても分かりやすかったのですが、もっと細かく聞きたかったかな?と思いました。
☆まず、冒頭の「今まさに革命の時代だから国家とは何かを学びます」という講師のあいさつに感動しました。理論としてだけでなく、労働者階級としての実践の中で、あらためて革命的時代認識を深めることができました。
資本家を守るための国家とは、階級的衝突は不可避であること、それは資本家と労働者は非和解であり、相手を打倒しないかぎり自分自身は生きることはできない。闘う労働者の闘争能力、潜在能力を引き出すための暴力革命は必至。何者とも分有を許さない労働者だからこそ革命のための暴力は不可避であることをいつも実践としての暴力的衝突の中で自己が鍛えられていることを実感します。
☆国家とは支配階級の利害を守るための暴力であることは、法政大学のことや動労千葉のストライキに機動隊が何万人も来たことでよく理解できた。
労働者は、資本と労働者は非和解であるということを実際に職場で闘わないと理解できない。職場で弾圧されてもうまく行かなくても、闘うことによって必ず団結がつくられるし、資本、国家と労働者は非和解なんだということをつかみたいと思った。
☆全世界で革命が成就したらどんな社会が到来するのか? 何度も何度も疑問に思ったが、まだ回答を得ていません。
例えば階級が無くなり、身分が水平化するので、差別や抑圧、搾取が消滅する。人類の歴史的発展は終わりを告げ、これからは個人個人の精神の自由な発展、自由な表現を通じて各々自己実現に努めていくようになる。のかな? 一日の定められた、それぞれの労働を終えたあとは、学問をしたりスポーツをしたり、自由な余暇を楽しんでいればいいのだろうか?
しかし、犯罪が起きた場合にはどうするのだろうか? 誰が裁判をし、誰が罰するのだろう。また、流通(=経済)はどうなるのか? お金がなくなると、みんなどこで生活資料を手に入れるのか? 電車に乗ったら料金は不要なのか? 私には分かりません。
こんな問題はみんな考えたこともないので、今日はこんな質問が出たんだと思います。今までの労働学校の講義では社会の矛盾や我々の置かれた立場、歴史性、問題点についての勉強ばかりで、将来どうなるのかというようなお話しはあまりなかったと思います。もっと具体的な未来の社会の話を聞きたいと思いました。
今日はありがとうございます。
☆職場の仲間との討論の中で、常に言われるのが「革命って言うけれど、革命後はどうなるのか? ビジョンがない」ということ。今回の講義を聞いて、「国家と革命」「パリコミューン」の内容の中にけっこうヒントがあるんじゃないかと思った。さっそくその人に4原則の話をしてみたいと思う。でも、「公務員の選挙制と解任制」「水準引き下げ」とか言われたら反発されそうですが……。これもすべて基礎になるのは労働組合の確固な確立とその下での階級意義の成熟というのは本当にそうだと思う。階級的労働運動が革命への最短路線というのをあらためて感じた。
国家論という点で言えば、『国家と革命』の学習は自治体労働者が自分の日々行う労働がなんなのかをマルクス主義的につかむのにとても重要だとあらためて思った。正にその国家を成り立ちようもなく崩壊寸前なものを成り立たせようというのが、そもそもムリがあるから現場はしわ寄せで悲鳴を上げることになる。「国民健康保険制度を運営するために必要です」といって税金徴収を強化し、差し押さえをして労働者からなけなしの財産を搾り取ったとしても、そもそもの国保制度が財政的にも絶対成り立たない。国民が生きるための制度と言いながら、病院代も払えず、保険税も払えない人にとってまったく意味のない、むしろ労働者から金を搾りとるだけのものになっている。ほんとに税金はサギだ。それを日々目のあたりにしている自治体労働者にとって、自分の労働が社会と自分とにもたらす矛盾を解明し、社会変革の力を与えてくれるのは、やっぱりマルクス主義しかないとあらためて思いました。
☆ 私が初めて読んだマルクス主義の文献が、この『国家と革命』でした。まさに「目からウロコ」という感じでしたが、今日の講義でまったく違う角度から捉えることができるようになったと思います。
それは「ブルジョアジーとプロレタリアートの非和解性を、現場の資本との現実を通して労働者が理解することが重要だ」ということです。
体制内指導部は「資本は打倒の対象ではない。動労千葉派の言うように闘えば恐ろしい弾圧が待っている」と宣伝するが、実際に現場で資本の理不尽な攻撃に遭った労働者は「非和解性」をたちどころに理解する。このことを何度も目の前で体験してきましたが、あらためて「この道しかない」と確信を持つことができました。
☆本校の過程を半分以上学ばせていただき、賃労働と資本の階級関係の転覆の過程、共産主義実現による一切の階級的搾取の廃棄とつながりました。そしていよいよ“国家と革命”かという興奮で臨みました。実践の核心に迫ってきます。実は何十年も前に読んだことがあるのですが、今日の講義を受けつつ、その時の感動が甦ると同時に、講師が今回、準備された第7章を自分で著すという“国革”を今日の視点で実践的に読み返すという新たな立場にも大いに感じるところがありました。
いろいろ問題意識を触発されますが、感想を2つだけ。“共産党宣言”では結論的に“ブルジョアジーの暴力的打倒を通してプロレタリアートは自分自身の支配をうち立てる。それは搾取者を抑圧し、あらゆる搾取を廃絶する。そしてこのプロレタリア国家は直ちに死滅する”とありました。ここには1948年当時のマルクスの国家理論が制に近い形ですでに出されているように思います。しかし、レーニンはその後、半世紀あまりの国際的経験をふまえ、自分自身が17年の事業に踏み出す直前で、目前に迫る革命の国家との関係を確立しています。
一切の既存の体制、機関、秩序を暴力的に粉砕するという革命の実践内容です。現代において、この意識を確認することは、階級的労働運動の歴史的任務として提起されていることが4・4派をはじめ全体制内派との闘いにとっても、とくに重要です。事実上ここに分岐の根拠があるといっていいと思います。
いまひとつ。レーニンが17年4月に、それまでのテーゼであった“労農民主共和制”から“プロレタリア独裁”へ転換したことの意義について。レーニンはそれまでのテーゼをドグマチックに踏襲するのではなかった。なぜか? レーニンにとって民主共和制はもはや過去の死んだ理論の産物でしかなかった。彼のその客観的条件と主体的条件の考察の視点で徹底的にリアルに、共産党宣言の立場に立ったことの結果と思う。
レーニンは農民との関係、農業問題の根底的解決は、プロレタリアートの歴史的任務の確立をもって突破した。今日のわれわれにとっても、このレーニンの格闘が本質的突破口を与えられていると思う。マルクスは“フランスの内乱”のなかで、コミューンの可能性にそれを期待し、レーニンは“共産主義の経済的基礎”でそれを再確立した。問題はその立場から農業農民問題をとらえるということにあろう。
階級的労働運動は、その課題を突破する唯一無二の力だと確信しています。後半の講義にさらに期待します。
☆「国家と革命」のテーマ、とても好きです。
国家によってバラバラに分断されていた自分や隣の仲間が団結して、国家を打倒する。これこそがプロレタリアートの生き方であると確信します。
講演でつかんだことは、「革命」の壮大なイメージです。そして「ブルジョア国家をそのまま利用する立場に立たない」ということはプロ独の最も重要な立場だと思いました。 |