◎ 受講感想・感想編
●労働法は労働力の再生産のために支配階級が譲歩し、また労働者階級の闘いが勝ちとったものであり、労働3権は予防反革命的なものなのに労働3権を否定するほど今の資本主義社会は危機的情勢にあるということだと思いました。法大の闘いのように、弾圧をおそれず団結して闘い、6・14に仲間と共に結集し、革命に向けて前進します。
●現在の私の職場では、労働組合がどのような役割をはたしているかを理解している社員がほとんどいない(これを教えてこなかった労働組合の責任、大だが)。そういう状態で資本主義の打倒を訴えても聞く人にとっては理解できない。今後の地道な教育活動が必要だと思うので、そういった教育に必要な資料(誰が見ても理解できる簡単なもの)をつくってほしい。現在の職場(郵便局)は民営化以降、あらゆる面できびしくなっている。社員の全員がそれを身体で感じている。資本主義の末期的現実を訴えるには、非常によい時期だと思う。
●「悪法でも法」という言葉があるように、何だ!このヒドイ法律は……と思っても、どこか頭のすみで「法律は守らなければならない」という考えをもっている人は多いと思います。特に管理教育で押さえ込まれてきている年代には強いように感じます。私もそんな中の1人でした。その考えが払拭されたのは、87年の労働基準法改悪の時、国会を傍聴した時でした。労働者の死活に関わる問題が論議も何もなく、数十秒でボタン一つで決められるのを目の当たりにした時、心底「法律なんて守る必要なんてない!」って感じたのです。「百聞は一見にしかず」です。今回の学習では、また一歩進んで、法律なんて労働者が団結して闘えば吹っ飛んじゃうんだということが分かって、すごく心が軽くなったように思います。
ただ、ここ数年、p12で書かれているような「資本主義を打倒する立場に立ちきって」闘うことが求められ、国会闘争や市民運動的な立場をかなり強く批判する場面が多くなっているように感じます。
現在、資本主義を打倒する立場に立ちきっているのは「動労千葉派」といわれる人たちに限られている状況ですから、私のまわりの人たちも、全員、批判される立場にある人たちです。正直、私もそうです。でも交流センターの考え方や方法(闘い方)は正しいと思うし、そういう生き方をしていきたいと考えてはいます。でも、私は、今いる周りの人たちとずーっと、いいえ、一生共に生きていきたいです。どうすればそうなれるのか? 労組交流センターの中でその答えを見つけていきたいと考え、今回から学習会に参加しました。そしてまた、その答えがあるような学習会であることを期待しています。
単純な質問ですが、p6の一番上の円グラフで、正社員以外の割合で、「出向社員」1・2%となっています、で「出向社員」が正社員以外になっているのですが、出向って、会社に籍がある形で他会社に出向しているから「正社員」と考えていたのですが、どのように考えたらよいのでしょうか?
●労働法制は労働者が生きるために資本に強制して闘いとってきた実力闘争の歴史であることがよく分かった。と同時に、労働法制は資本にとっても資本主義体制を維持するためのギリギリのものである。しかし、新自由主義はそれすらも破壊し、自らの生存も危機的状況にしながら資本家の生き残りをかけて、労働法制の改悪を強行してきた。それは労働者側にも今の資本主義体制を否定できない体制内で何とかなるという資本主義万能という立場があってのことだ。
今、労働者は資本家の認める労働法制の中では生きられない。職場の中では生きられない。職場の中では様々な雇用形態(雇用主も異なる)の労働者、労基法違反(サービス残業、休日出勤の代休なしなど)不当労働行為(組合に入るな、組合から脱退せよと上司が言う、組合を非難する等)など、本当は団結が必要なのに、団結させないようにという攻撃がある。その中で労働者が孤立化させられ、病気になり、退職に追い込まれてしまうこともある。労働者の様々な形でのつながりが切られてしまった結果だ。それが労働者は闘ってもムダ、力がないと思いこまされてしまった。自分の立場を資本主義を打倒する立場に立ちきった時に、真に労働法制改悪との闘いが出来るということが動労千葉の国鉄分割・民営化の22年の闘いで示されている。そして今、大恐慌下で労働法制の枠内で闘うことも困難になってきている。大恐慌は戦争によってしかこれまで決着をつけてこなかった。資本主義体制を否定し、労働者が団結をとりもどし、社会の真の主人公となるため、革命によって労働者の社会をつくろうという立場に立った時に、労働法制改悪と真に闘えるということが鮮明になった講義でした。
●今日の講義は、法の本質的な、もしくは存在的な意義を明らかにするような話だったと思います。法一般の話題を労働法制に則して話したというか……。例えば、労働基準法は雇用者と労働者の本質的不平等(対立)から労働者を守るために制定されているわけですが、近年の規制緩和で改悪されてしまうと、それが正しいことになってしまうといったように、国会で決めてしまえば何でも正義になるという法の本質的問題についての講義だと思いました。
法というものを、ルール(=正義)と実定法(国法)に分けて考えると、ルールはわりと長い間変わらないし、制定されていなくても皆が守っていると言えますが、実定法はルールに沿わなくては意義(存在意義)がないなあと思いました。国民(=人民)弾圧の正当性を確保するために国会で法を改悪していくということは、もっと多くの問題があるということです。
●法律とは何かということを考えさせられる。何か価値中立的にあるものとか、「それがルールだから」というような静的なものではなく、人間の営みの中からひねり出されてくるもので、それが資本主義社会の中では激突する階級間の力関係の中から作られているということがわかった。
労働者階級にとっては闘っていないかぎり、常に資本家階級から権利を奪われ、好き勝手な解釈を許すということだ。しかし、労働者から権利を奪い尽くすということはあり得ない。奪い尽くせば労働者がいなくなるから資本主義社会は成立しない。また、労働者は必ず反撃するからだ。
労働者階級にとっては資本家側の意図がわりこむ法律であるかぎり不充分であって、必ず資本家抜きの法律をもたなければならない。一方、資本家は労働者なしで社会は成立しないので、法律は必ず労働者を支配、懐柔するものとなる。法律とはそういうものらしいということを感じとった(……この解釈でいいのかはやや不安ですが)。
●労働法−それはそもそも資本家階級が支配する労働者階級への労務管理対策として反撃→革命を押さえ込むために作ったものなんだとあらためて納得しました。
2つの大戦後の革命への激動を阻止して、労働者階級を手なずけるための人権、公教育、福祉、年金、医療制度が今、世界大恐慌下にすべてその幻想を取り払って、市場原理の海に投げ込まれつつある。労働者は使い捨てられ、住居も食糧も奪われる。生きていけない状況に追い込まれながら、しかし、「労組」の名の下に連合中央は、派遣法を擁護し、北朝鮮非難の支援署名運動でいよいよ「侵略戦争翼賛」勢力に転じてしまった。労働法制改悪攻撃も1980年代から吹き荒れる新自由主義攻撃の一つで、国鉄分割・民営化と1047名闘争、教基法改悪の流れの中にあるとわかった。
政府と経営、資本家側は常に経済恐慌をのりきるために、戦争を準備し(莫大な費用を要す)、革命への恐怖におびえながら労働者収奪の政策をえて、法律をつくってきた。だからこれに対抗するには、彼らの“毒入りエサ”である法や政策の「改善」などでは絶対ダメだ。なぜなら彼らは労働者階級の団結した決起=革命を彼らの死の問題を考え、心底おそれ、徹底した階級の利害の上に立っているからだ。
彼らの死活をかけた攻撃、労働法制改悪には労働者階級の死活をかけた闘い(もう既に労働者仲間は日々何万何十万と殺されているのだ。日々の列車人身事故を見よ!一日平均100人以上の自殺者を見よ!)が絶対に必要だ。法大学生への暴処法適用は、すでにこの地が革命情勢であることを彼らが示しているのだ。共に団結して決起しよう。6/14〜15へ。
●今日はすごい頭の整理ができた気がします。それだけでなく労働者として闘う意欲がわいてくる講義でした。派遣法の成立が1985年、国鉄分割・民営化と軌を一にしている。戦後の一大転換点だった。ピンハネを認めるということ。資本主義、帝国主義の根本的行き詰まりから世界的な帝国主義攻撃の嵐。今、あたかも労働現場では常識のようになっていること。例えば、長時間、強労働、低賃金。そういうことが派遣法の改悪につぐ改悪という中で、一方ではその都度国鉄をめぐって、1047名闘争や動労千葉をめぐって決戦化しながら今日に至っている歴史がつかめました。
そして、その新自由主義がはらんでいた矛盾が、また今日爆発しているのだということです。労働者の根底からの怒りの決起が始まった。暴処法の発動は、体制的危機のあらわれそのものです。法政の学生が真実を求め、労働者が生きんがために立ちあがる。法律を破り、暴力を行使し、社会を破壊し、闘う者を弾圧する。支配者の側からそこに踏み切ってきた。労働者の側、学生の側は数十年の闘いのなかで自らをうち鍛え、そして今、多くの革命家を生み出しつつ、敵の危機を革命に転化しようとしています。労働組合はそのための決定的な武器であること。とりわけ、4大産別の労働組合をめぐる攻防は、革命の帰趨を決する問題です。このことを確信できた。6・14−15へ向かう力が湧いてきました。
●労働法制改悪との闘いが、国鉄分割・民営化の時だけでなく、その後も国鉄決戦と一体で問題になっていたのがよく分かりました。
郵政民営化法の成立(05年秋)の直前に9・15判決が下されたのを見ても、国鉄決戦の基軸性ははっきりすると思います。
規制改革会議(07.5.21)は許しがたい。これも体制内では対決できない。真のマルクス主義でないと対決できないことを実感しました。
結局、階級的力関係ですべてが決まるということだと実感。200年を超える労働者階級の闘いの地平を、体制内でなく賃金奴隷制の廃止という勝利へ闘いぬきたいと思います。
労働法制との闘いを考えると、200年を超える資本主義との闘いの歴史性を感じます。血と汗と涙。一貫して革命が問題になってきたのだと。
●敵の原理として、子と親が消費者で、教師と行政が生産者ならば、私は二人の娘の卒入学で消費者側からの不買運動としての立たない、歌わない、加えて引きずり下ろし等をやってきた。教育現場の教員の決起も重要だが、同じ労働者である保護者、親の決起も不可欠。何よりも生徒と親は処分の対象ではない! 日の丸引きずり下ろしの時は杉並区議会の文京委員会では「ヤリどく」とまで絶賛?された。それから一番重要なことは、たった1人ではなかったということ。もちろんたった1人でもやらなければならない時もあるが、ギリギリのところまで仲間づくりを追求すべき。私の場合は3家族まで賛同してくれて、引き下ろしができた。式の始まる1分前におろして、器物損壊、隠匿、威力業務妨害にはあたらず、まさにヤリどくです。
日の君は教師だけに任せる問題ではなく、保護者である同じ労働者として教育現場には労働者(保護者)の闘いがなければ成立しない。
●現行の諸問題の根本を歴史的背景、社会情勢等を絡め、分かりやすく解いていただき、大変参考になりました。本日の話題中、特に気になったのは、公務員の資本家という話題でした。杉並区の和田中を連想しました。「子供は商品じゃないぞ!」という同志の叫びを再度、自分の声に変えて、ここで伝えます。私は現在、青年部常任委員で組合活動をしています。本日の学び、これからの貴校の講義で学んだこと等を同志に伝えていきます。今後ともよろしくお願いします。
●・講義の前半に、法大闘争にかけられた「暴処法」について話があったが、労働法制もまったく同じで、労働者の闘いをいかに押さえ込むかで常に改悪されてきた。その階級的な性格があらためて実感をもってつかむことができた。
・派遣法に対する立場がストレートに今日の労働運動の潮流の方向と誰の目にも明らかにしていると痛感した。「撤廃」つまり資本主義を前提では労働者は生きていけない、「打倒」だということだ。
・総じて労働法制は労働者階級と資本家階級の階級闘争の産物だが、今、資本、国家権力がその法を無視して労働者の生存権を奪っているわけで、そんな国家などうち倒してしまえというのが唯一の職場の立場だ。
・体制内勢力との闘いが今、火点になっているが、それは指導部がどんなに屈服しても、そこに労働者が結集していることが偉大なことなのだ。ここで旗を鮮明に闘うことだが、労働組合を革命の拠点にする闘いそのものだ。ここの激突に勝ちぬくことに執念をもって闘うことだと思う。
・この間、弾圧勝利、団結勝利にかけて闘ってきたことがいかに革命的なことか、あらためて新鮮に感じた。「暴力」の行使だけが労働組合が労働組合として生き抜く時代に突入した。「ストライキ」を復権させるためにあらゆる合法主義をうち破って闘うことが当面する課題だ。
●規制改革会議の主張は、私のいる労働組合執行部の主張によく似ている。なぜ労組執行部が堕落してしまうのか。労働法制を整えて、労働運動を体制内に取りこむという資本のわなにはまったからだと理解できました。執行部がそうであるからには、一職場内の組合活動だけではこの体制内への囲い込みに対抗できない。
●資本家が労働者を「生かさず殺さず」ということさえできなくなってきていると思う。
実際、自分の職場でも4割が正社員ではない状況。そして今、その派遣会社が派遣先に対しての請求書を見れる立場にいるが、本当に“ピンハネ”というのがよくわかる金額。派遣労働者が派遣会社の営業マンに「誰の労働のおかげで食っているのか、わかっていない」というのが、よくわかる。
派遣労働者を私たち、正社員が認めていることが、今の労働賃金の安さにつながっている。今日はそのことがよく分かり、あらためてこのままではよくないと思った。労働者の団結をどうつくるかを日々考えている。今、闘わない労働組合を変えていくのか、身近で同じように闘うメンバーをつくっているのか。まわりの労働者は日々不安でいっぱいで、未来に対して希望が持てない。それは若者も同じだろう。私たちがこの世の中を回しているということ。自分たちの社会をみんなでつくることができることを伝えていきたい。そして共に闘う者に。
●最後の方の〈派遣法改悪をどう考えるか〉で話したように、労働法制の問題は革命かどうかをめぐる闘いだと思います。
よく「労使対等」と言いますが、そんなのあるのか?ということでしょう。はっきり言って権限は資本家がもっているわけでしょう?おまけに「労使対等」を一番悪用しているのは体制内幹部じゃないか。
やはり団結を呼びかけ、職場生産点を武器にして、職場の権力をとるんだ、という立場がないと、支配の論理に飲み込まれてしまうと思います。逆に資本のこの攻撃を団結にかえていくチャンスにもなると思います。
●0)今次国会に「労働者派遣法改正案」が出されているが、まともに審議する気もないのだという。労働者がどんなに困窮し、生きる道を絶たれてもいいのだと、支配階級はまだまだ労働者の怒りを見くびっているのだ!!連合や全労連が資本救済を引き受けて闘う労働組合を押さえ込もうとしている。しかしこれがやれるのか。NOだ。
1)「国家機構の内側に労働者の団結体を抱えたままでは、戦争も遂行できなければ、大恐慌下での支配を貫くこともできない」最後の勝利をつかむためには、どこが勝負なのか。「生きさせろ!ゼネスト」で突進した時に、ただちに体制内労働運動指導部との激突になった!ここをさけては前には進めない!→「体制内労働運動の牙城である4大産別で階級的労働運動をうち立てる以外にない」!!
2)H大学生運動への弾圧と労働者階級
すでに解雇され、同時に住居(社員寮)を失った労働者が、公的統計でも被解雇者の3%だという。職場に居すわり住居に立てこもったらどうなるか→国家権力による暴力的弾圧は必至だ! →この攻防はまさに今、法大で起きていることではないか!
法大にかけられている「暴力行為等処罰法」とは何か。その基本は労働者、学生が団結して行動することが犯罪だということ。労働組合→ストライキ(団結権を保障した憲法のもとで、労働組合には刑事免責が認められている)→弾圧と闘いぬいてきた歴史の中で初めて生きた権利になる!!←→暴処法(1926年制定 1925年治安維持法)団結に基づく行動を処罰することが本質。30年代、労働争議、小作争議では弾圧しても爆発的に増大、弾圧しても立ちあがってしまったのだ!!そうだ!!弾圧は弾圧に屈しないかぎり必ず粉砕できる!
3)講師の、団結権も不当労働行為救済制度も資本主義が倒されかけた時代の産物!本来、労働組合は資本主義の枠をこえた存在だという指摘は刺激的だ!!新自由主義攻撃とは団結破壊、労組破壊であるのも、労組が本来、資本主義の枠内では存在しえない存在なのだと強調されたが、この認識にもとずく攻防が今、始まっているということなのだ!!階級攻防の本質が表立って赤裸々に争われている。まさに時代は革命を求めている。労働組合に団結して、労働者の力を解き放とう!!資本主義を打倒する構えで派遣法撤廃!!を叫んで、6・14−15へ!!確信をもって突き進もう!! |