感想文紹介
☆労働者が団結すれば国家なんてなくせる。闘う労働組合こそが武器であるし、動労千葉のように闘おう! 世界大恐慌の今、派遣村の「村民」であった人が、今、何人も私たちの職場に毎日来ている。
すぐ近くの石神井学園に136人の人たちが来ていて、一週間、私たちは連日連夜かけつけた。
「労働者は救済の対象なんかじゃない」「労働者としての誇りと怒りを掲げて団結して闘おう!」と言い続けた。1・8の経団連デモにも派遣村から十数人が参加した。
そして石神井学園から退去予定12日の前日11日の夜、3人の労働者が団結して起ちあがった。東京都へ「要求書」を(自分たちで書いた)つきつけ、そして派遣村にいた100人一人一人に団結を呼びかけた。
「自分たちのためだけではない。今後膨大に首を切られる労働者のために要求する」と起ちあがった。
今日の講義の中にありましたが、レーニンはプロレタリアートの革命性に対する信頼・確信があった。本当に労働者は起ちあがる!革命的な存在なのだ!!と、実感しました。
彼らを救済の対象として低めようとしていた実行委員会と対立しながらの決起でした。
まだ派遣村は終わっていません。私たちも自分の職場で闘いながら、彼らと共闘していきたいと思っています。
☆高校生の時に(といっても、もう40年も前のことですが)、ジョン・リードの『世界をゆるがした十日間』を読んでロシア革命の熱い息吹に、労働者が人間性に目覚めて起ちあがっていく姿に深く感動し、「革命」にあこがれたことを思い出しました。しかし、その後にようやくモスクワの地に立った時に、クレムリンが労働者のエネルギーを吸いとってしまっているような違和感に、社会主義は労働者にはなかなか手の届かない夢の世界なのかもしれないと、絶望感に近い思いを抱いた記憶があります。
今、こうした革命情勢の中にあり、また動労千葉の運動を間近に見続け、接してきて、社会主義は私たちの運動の先にあることが実感できます。私たちが階級的労働運動にとことんこだわって闘っていけば、その先には革命の実現があり、社会主義の社会が具体性をもってそこにあるということなんですね。
そしてまた、国際連帯の結びつきが強まる中で、日米韓の「一つの組織」という目的を目ざす時、その労働者の党が基盤とするのは徹底して“労働者の利益を守る”ということだと、今日の講義で確信を持つことができました。
☆前回の講義のポイントとしてあげられていることで、資本主義(国家)というものが、その成立過程においてはもちろんのこと、現在進行中のこととして膨大な量の血を流しながら「維持」「護持」されているという事実をあらためて認識し直しました。
資本家による国家に労働者が対置できる権力として労働組合、すなわち労働者の団結が物質化したものがあるのだという提起に空気が入りました。
・大学についてもまったく同じですが、国家というのはなにか無条件に信頼、依拠できるとてつもなく大きなもの、という資本家=資本家階級の宣伝が大破産し、それによりつくられた幻想が音を立てて崩壊しているのが、この情勢の下で今まさに起こっていることだと思います。すなわち、われわれ学生・労働者を支配し、縛ってきた思想をぶちこわせる大チャンスが今だと。しかしながら、われわれが対決すべき対象は思想ではなく、現実に目の前にいる一人一人の人間であり、頭の中での「超克」や「確認」で満足するのではなく、ストライキでもって、ゼネストに向けてともに闘う仲間をつくる=組織建設という実践でもってそうした思想も体制もぶち壊してゆく決意です!
☆労働者の団結、その組織的表現である労働組合は、労働者が生きていけない資本主義社会の中で、生きるための闘いのなかで労働者自身が歴史的かつ現実の運動として生み出してきたものだ。そして一時的な好況以外、資本主義は生きのびていくためにたえず労働者階級を生きていけない状態に突き落とす。そしてそのたびに、労働者は生きんがために団結を甦らせ、労働組合の団結した闘いを甦らせる。だから資本主義の最末期の大恐慌の時代への突入の中で、必ず労働組合は甦る。そのためにも、動労千葉派が全力で階級の指導部へと飛躍して、階級の先頭で資本と徹底非和解で闘い、資本主義の打倒を呼びかけ、また、体制内の分厚い岩盤をぶち破って闘おう。必ず壮大な労働者階級の革命的な決起は起こるし、つくり出すことができる。ということを圧倒的に確信させてくれる講義でした。
資料含めて、中野顧問の引用、レーニンの引用、マルクスの引用、マルクス主義のエッセンスの集大成という感じで、マルクス主義をつかみ直すことができました。「資本主義以外の体制はないのだから(不可能なんだから)、資本主義でやっていくしかない」とか「現代社会の複雑な国家機構を考えた時に、専門家集団が必要だ」とか、階級として団結した労働者階級の無限の力を恐れるがゆえに、トコトンそれをおとしめる反動ブルジョアイデオロギーを根底的に粉砕する自信を与えられました。あとは実践でもってその力を示すことです。シンプルな真実に立脚した現実の闘いのなかでこそ、新しい社会が創造されるんだということも、すごい展望を実感しました。
☆「社会主義について」の話で、階級的労働運動の中に革命の現実性があるということがより確信できました。闘う中での団結、規律が革命後の社会をつくるものだということ、引用の資料にあった、ロシア革命後に慣れない仕事を労働者や兵士が一生懸命やっているというのは、自分たちこそが社会の主人公であり、新しい社会をつくっていくのだという情熱そのものだったと思います。団結があれば、どんな困難も乗り越えられる、という確信で職場闘争を闘っていきたいと思いました。
体制内労働運動との対決。直接に衝突ということは自分の闘いではなかったけれども、思想面での対立をこの間、相当感じています。職場の労働者や、オルグ中の地区の労働者において、体制内的、資本主義的考え方があるのを感じます。資本主義はおかしい、変えなければならない、というところまでは、多くの人とは一致する。その先、では革命だというところでなかなか一致がかちとれないというケースがあります。しかし、粘り強く労働者は必ずわかるという確信を持って、原理原則を訴えていくしかないのだと思いました。しかし、多くの人とは一定のところまで一致しているということは、そこを越えれば、すべてを獲得できるということだと思います。体制内労働運動を打倒すれば、革命に直結するというのは、現実味があると思いました。
資料で引用されていたレーニンの「ストライキ」、非常に感動的でした。ストライキの本質をわかりやすく、扇動的に書いてあってよかったです。
☆前回の講義のポイントとしてあげられていることで、資本主義(国家)というものが、その成立過程においてはもちろんのこと、現在進行中のこととして膨大な量の血を流しながら「維持」「護持」されているという事実をあらためて認識し直しました。
資本家による国家に労働者が対置できる権力として労働組合、すなわち労働者の団結が物質化したものがあるのだという提起に空気が入りました。
・大学についてもまったく同じですが、国家というのはなにか無条件に信頼、依拠できるとてつもなく大きなもの、という資本家=資本家階級の宣伝が大破産し、それによりつくられた幻想が音を立てて崩壊しているのが、この情勢の下で今まさに起こっていることだと思います。すなわち、われわれ学生・労働者を支配し、縛ってきた思想をぶちこわせる大チャンスが今だと。しかしながら、われわれが対決すべき対象は思想ではなく、現実に目の前にいる一人一人の人間であり、頭の中での「超克」や「確認」で満足するのではなく、ストライキでもって、ゼネストに向けてともに闘う仲間をつくる=組織建設という実践でもってそうした思想も体制もぶち壊してゆく決意です!
☆「労働者と兵士の支持の下に、われわれは前進するだろう」(『世界を揺るがした十日間』)、レーニンが権力奪取を目前に、こう力強く確信し突進していったのは、労働者階級の階級性に徹底的に依拠して、信じていたからだとあらためて実感し、このことがすべてであると思いました。「肝腎なことは、特別の官僚だけが国家を統治することができると考えるブルジョア・インテリゲンチャの偏見を捨てることだ」(レーニン)、まったくその通り。誇りをとりもどした労働者は、立派に社会を運営していくことができる。何でもやれる。労働者が社会の主人公とはまさにそういうことだ。
そして職場でこそ革命の現実があることもはっきりしたと思います。「今の状態を廃棄する現実的な運動」が共産主義だとマルクスは言っているが、まさに職場闘争、どんなに「小さな」闘争であっても、それは賃金奴隷の支配を覆す闘いであり、職場を労働者が支配していく位置を持っているんだと。それが共産主義だと、革命の現実性だということがよく分かった。
だからこそ、決定的なのは、体制内労働運動を打倒していくことも鮮明になった。体制内は、労働者には革命をやる力がないと抑圧する。だからこそ、レーニンは体制内派との闘いをトコトン推し進めた。われわれの闘いの勝利性を確信しました。
『国家と革命』(レーニン)にふまえた提起だったと思うのですが、「労働組合を甦らせる」ということをはっきりさせることで、国家と革命の内容をよりリアルにつかんでいくことができました。
☆現実に激しい情勢が進行している中で、実にタイムリーな内容でした。特に『甦る本』を軸にしながら、国家論を提起することで、国家とは何かというテーマが非常に解りやすくつき出されました。
「人類の歴史とともに国家があったわけではない」「国家が強大になったのは資本主義になってから」という提起は、“国家”というものを私たちの手で廃絶できるということを示していると思います。国家の本質は暴力である。まさにこの暴力によって労働者階級がいかに差別され抑圧され搾取されてきたかを考えると、あらためて怒りがわいてきます。
“日本と世界の労働運動を動労千葉労働運動でぬりかえる”このことが切り開く壮大な世界をともに闘いとりたいと思います。
☆中野さんが話されたように、重要なテーマだったと実感した。とくに社会主義について、階級的労働運動と結合して、提起は私にとって初めての内容だったので、興味深く感じた。
自治体労働者にとっては『国家と革命』等々は必読書と思っていましたが、更に再読したいと思っています。資本主義社会の統括機構で賃労働を30年余年、ますます労働者階級にとってブルジョア民主主義のインチキ性に怒りがこみ上げてきますが、職場の自治体労働者の怒りが、一つの大きな力となって発展してきています。「労働者の力で革命を」のスローガンを、市役所の職場中に配布している爽快さを感じながら、明日も戦場に向かいます。
☆前回にひき続き「国家」とは、搾取される人民(労働者階級)を抑えつける「暴力」であるということが、核心的に解りました。この「暴力」からの解放は、本当に革命しかない!「ルールある資本主義」や「強い国家」などというのは、資本主義の延命のための言葉であり、そのようなことに惑わされることなく人間が人間らしく幸せに生活するには、労働者が賃金奴隷であることを終わらせることの必要性。
「レーニンは労働者階級をとことん信じ、勝利すると確信していた。革命に勝利するにはその確信が必要である」「みんなは一人のために」「一人はみんなのために」一人一人が幸せに生活できる社会の現実。「国家」と「自由」は対立するものであり、闘って勝利する以外に真の自由、労働者階級の自己解放はない。「国家権力の暴力」から解放されるには、「自由」になるには、革命だ!
☆革命最高。
☆革命が現実味を帯びて眼前に迫ってきました。革命ができるんだあ……とリアルに思えてきました。 |