感想文紹介
☆仕事で後半から出席しました。
歴史の中での権力機構の中心としての役割、非常に分かりやすかったです。直接的に天皇といった時に賛美する人は職場にはいないし、天皇制に賛成か反対かで言えば、反対の人が圧倒的に多いと思います。一方で実際には、サッカーファンなら何の疑問もなく君が代を歌うし、鉄道マニアなら(私は違いますが)お召し列車を追いかける。当たり前のように「それは別」という感じで。歴史の中で植え付けられた簡単にひっくり返らない意識があるのだなと思います。
最後の「主権者性の強さが、反天皇制の立場を作り出す」を実現するのは、やはり資本と非和解の労働運動だと思います。労働者が社会の主人公だとはっきりさせることが人民の主権者性を強くさせると思います。
☆中野顧問の話は本当に引き込まれます。「闘いは自分の内部にある体制内か階級的運動か」という話が印象的でした。最近、ちょっとした人に対する態度や言葉でも、自分のあり方が問われているように感じることがあります。自分の内部に一体性がなく感じる時があります。
講義は前回より核心的な話され方だったので、とてもよかったです。天皇制の矛盾、天皇制が政治制度であることが分かりやすく、おもしろかったです。天皇に対しての反感、気持ち悪さは感じていましたが、今日の話で特に障害を持った人に、自分が高貴な目線で近づき、肩を抱いたりする行為は、本当に偽善的、演技的パフォーマンスであると思いました。こういった気持ち悪いパフォーマンスにだまされることなく、こういった政治的すべてが、戦争にむけての国民の一体意識を準備していることであるという真実を知り、自己意識を深めていきたいと思います。
最後に、天皇制はあってもなくてもという軽い問題ではなく、そういった意識と闘うことの必要性と、天皇制を潰すのは私たちだ!という話が力強くてよかったです。
天皇制などいらない!!人民の主権者としての行動が必要であると強く感じました。
☆中身複雑、結論簡単(単純)−但しその中にたくさんの示唆を含む探求がありました。12歳で敗戦を経験した自分として、このテーマには深刻な興味を持って受講しました。天皇問題は社会的にタブー視される中で、憲法問題としても言及されないという状況がつくり出され、私もまた、そうした中にあったことを思い知ったことです。
「自分たちでつくる社会的共同」、団結の拡大の実践のみが天皇問題を解決する。
☆天皇の平和の言葉を聞くたびに本当に腹が立つ。よくもそんなことが言えるなと。イラク戦争にも米と共にやっていたり、沖縄に米軍基地を更に作ろうとしたりしている中で、平和も何もない。沖縄で新基地建設反対の闘いをやっている労働者に対する攻撃を見ても明らかなように。
この社会でいえば、天皇が社会を動かしているわけではない。逆に、労働者から搾取した金で生きている。だから、天皇なんかいなくても、社会を動かすことができるということだ。
だから、私たちがやることはひとつ!!天皇制を打倒する!そして、資本主義社会を打倒することだ!!これからどんどん攻撃が激しくなってくるだろう。今のこの情勢だから。だけど、私たちからすればこの金融大恐慌は大チャンスだと思っています! 労働者が生きられないという現実の中で、怒りはたくさんある。うずまいている!!絶望ではなく、『労働者にこそ社会を動かす力があるんだ!』『あなたにこそ、この社会を変える力があるんだ!!』と訴え、組織していくことが、私たちに求められている。
09春闘で「生きさせろゼネストを!!」をやる時に、すべての労働者が怒りをひとつにして、共通の敵である資本家に対して、怒りの声を上げていきましょう!!
天皇なんかいらなーい!!資本家もいらなーい! 皆で打倒しよう!!
〈11月集会を終えての初めての労働学校で、めちゃめちゃ空気入りました♪〉
☆最後の方で田母神の話が出てきました。新聞紙上でもいろいろな歴史学者が水準の低い論文と批判していますが、田母神は開き直って持論を展開しています。これはクーデターのような突出であり、荒唐無稽だけれども、天皇制イデオロギーはまさにそういうものなのだと思います。田母神の突出は支配階級、ブルジョアジーの危機意識のあらわれであり、かなり意識的に登場してきたのだと感じました。自民党内では彼を擁護する勢力もかなりいます。これは「つくる会教科書」の運動と同じようなもので、ひとつの蜂起です。資本主義、帝国主義の危機の中で、支配階級が天皇制イデオロギーや憲法9条は間違っている論を前面に出してきたのだと。それが自衛隊のトップであり、自衛隊の中で田母神が講師になって授業を行っていることに戦慄を覚えました。
島上善五郎の話はびっくりしました。彼が生きている時に講演を聞いたことがあり、著書にサインをしてもらったこともあるのですが。
「労働組合をつくるために労働運動はいらない」という話は、ゼンセン同盟などに顕著にあらわれています。ゼンセン同盟は資本と一体となって組織して、労働者支配のために御用組合をつくるわけです。こういう帝国主義労働運動と体制内労働運動が限りなく一体化しはじめているのが、労働運動の現状です。このような中で動労千葉を先頭とする階級的労働運動の潮流が、本当に歴史の前面に立つ時が来ました。11・2がその突破口になりました。
☆「最初の日本帝国主義は世界危機を利用してチャンスにしてきた」という29年のお話しは、今も当てはまると思って聞いていました。
最初と最後の「あってもなくてもどうでもいい」ではなく、「なくさないといけない」その立場から、君が代闘争を支援しなくてはならないと思います。
現代、吹き荒れているナショナリズムは言うまでもなく「北朝鮮排外主義」、中国、Koreaバッシング、靖国だと思います。ただ、すべての根底が天皇制であることは本当に良く分かりました。
それと今回気づいたことですが、アメリカに助けてもらった天皇と、アメリカに祖父・岸を助けてもらった安倍晋三、非常に似ていることが分かりました。立場、イデオロギー、すべて。
いずれにしても、強制連行で生き血の上で富を築いてきた安倍や麻生が拉致をわめいている。こいつらだけはぶっ殺したいと思っています。
まあ、敵として不足、笑える面もありますが、そのために職場で闘いましょう。
☆勉強になりました。天皇への依存と国家への依存は一体だと思いました。“天皇制があってもなくても”という意識とたたかわなくてはならないという最後の提起はなるほどと思いました。天皇制、ナショナリズムのイデオロギーは、それでもって戦争に動員していくものだから反対だし、嫌いという感覚でした。今回思ったのは、労働者、ということに対して、「国民」というところで一体化させていく攻撃なのかな、と。
だから、労働者の団結が破壊されていった時、国家や天皇に依存していくというか、そういう体制をつくるものとして攻撃があるんだと考えなくてはならないと思いました。
労働者の団結した力に依拠して、そこでとことんたたかうことと、このイデオロギーをぶっとばすのとは一体だと思う。(前回も同じことを書きましたが、今回もっと勉強になったんですが、なかなかうまくまとめられません)
☆普段から違和感を覚えつつも何となく見過ごしてきた「お茶の間の天皇・皇室」が、実は“重要な”マインドコントロールの手段になっていた。知らぬ間にこうやって「防御線」が国民一人一人の心の中に形成されている……。サイコっぽい話でドキッとしました。しかし、それはまさに日常を何気なく見過ごしている自分たちにも責任があるわけで、何となく見ないふりをするのではなく、表面にあるものの本質をじっくり見据えて行かなければ、とあらためて今日思いました。
自分たちの「主権」は今どうなっているのか、自分の根底に「ヘンなモノ」はないか……考えさせられることがいっぱいありました。(今後も自分の労働運動の中で、反省していくべき問題である、とも思います)
☆冒頭、伊藤先生が言っていた「天皇制はあってもなくてもよい」という意見、私はそれそのものでしたが、今日の講義を聞いて、やはりそんなに軽いものではないと感じました。支配階級のやり方、たとえば日の丸君が代、「制度」としての公的行為、「象徴」という名において、なし崩し的なイメージづくりなど、許し難いものがあると感じました。
しかし、一方で「国民的一体」の危機の中で、天皇制の危機(皇太子問題)も生じており、この敵の危機を認識した上での労働運動を、改憲や排外主義、天皇によ国民意識の形成に対抗しうるものとしても位置づけることが必要と思いました。
前回が改憲、今回が戦後天皇制、という支配階級のつくり出そうとしている労働者の意識づくりにおいては、次元は違うかも知れませんが、能力主義とか、お金に対する価値観(お金さえあればという考え方)なども気になったのですが、このあたりの関わりも考えてみたいと思いました。
戦前の労働運動における天皇制の影響というものを、今日初めて聞いたのですが、こういった誤りは敵の本質をつかむということが大事だということがわかりました。
☆天皇制の本質は戦前も戦後も変わっていないと思いました。それは、労働者階級の階級性を解体し、支配を貫徹していくということです。戦前の労働運動が自然発生的に盛り上がるけれども、「一視同仁」の思想で、労働者の意識が表現されていくという非常に矛盾的な展開をとげていった。この話を聞いた時、やっぱりマルクス主義が重要だとあらためて確信を持ちました。
労働者は、天皇や国家に依存して闘うのではない。労働者自身の団結にのみ依拠して闘うのだ。天皇、国家に依存する労働運動こそ体制内労働運動の本質ではないか。
戦後天皇制を規定するものは、やはり戦後革命期の階級的力関係をみなければならない。戦後すぐの労働者階級の嵐のような決起に恐れおののいたアメリカ帝国主義と日本の支配階級は、自らの延命のために、革命を圧殺するために、平和憲法とひきかえに天皇制を維持した。そこから「平和天皇」なる仮象が現出したのだと思う。だから、やっぱりその本質において、支配階級の最後のよりどころは天皇制イデオロギーにすがっていくしかない。それは先生の提起の中で、「上からの国民の資格を与える」ということに対して「自分たちで作る社会的共同の運動を」ということを対置するとありましたが、その通りで、労働者階級がこの情勢の中、自ら闘って歴史をつくっていくことが何よりも重要だと思いました。
☆戦後60年代に教育を受けた私たちにとって、戦後民主主義教育の中で、天皇制は単に陳腐なものとしてとらえる傾向が強かったと思います。そんな中で「天皇制はあってもなくてもよい」という、軽い受け止め方が無意識のうちにできてきて、「大衆天皇制」のイメージと結びついて、政治制度としての天皇制の部分が薄まっていったようです。
天皇制の根底にあるものは、しかしながら、支配階級の意図的に民衆をコントロールしようとするものであることをきちんととらえておかなければならないことが、今日のお話の中で整理できました。
支配体制が今、非常に不備であるが故に、政治制度としての天皇制を背後に使った民衆のコントロールが強まってくるでしょうが、それに対抗できる力を私たちが構築していく理論的基盤として、今日のお話を活力にしていきたいと思います。
☆「自分たちのことは自分たちで決める」。心がけていきたいです。(反天皇制の主体形成)
☆戦後生まれのため、今回の話は自分の周囲で起きたことや社会的雰囲気が実感できて、大変分かりやすかった。
私の職場でも、こういった話や意見が出て、それとどのように討論してきたこともあり、さらに職場の仲間との討論を深めることができると思っています。 |