労働学校通信 実践講座 |
実践編次回講座のお知らせ
10月25日(土) 13:00〜 |
労働学校通信(実践講座) 第4号 (2008.10.10発行) がんばろう労働者!たたかおう労働組合!ひろげようインターナショナル |
裁判員制度反対の闘いは改憲阻止闘争の柱 実践講座第3回(8月23日)代表あいさつより 裁判員制度は、呼びだしの手紙が発出されようという状況で、世論調査でも圧倒的多くが反対だと言いだした。だけどこれは法律的には全会一致で決まった。あまりにも反対意見が強いものだから、社民党も共産党も最近になってもう少し延期を、と言い出している。この闘いは当面する改憲阻止闘争の大きな柱になる。 |
ひとりは万人のために 万人はひとりのために 交流の広場−闘いの輪(受講生の声) |
◎ 受講感想・感想編●改憲阻止闘争との関連で「攻めの」改憲阻止闘争そのものとして裁判員制度粉砕の闘いが位置することがよく分かりました。裁判員制度は危機に直面しており、労働者階級の側が勝てる闘いであることが明白になっていると思います。ここで破綻させ、日帝の改憲プランをガタガタにさせ、日帝の側と労働者階級の力関係を転換させ、革命に向かっていくひとつの転換点になっていくテーマと言えます。 ●裁判員制度について、知っているようで知らなかったことがたくさんあることが分かりました。国民の反発、批判が大きくなっている。裁判員制度粉砕したいと思います。 ●戦後革命期の話がいきいきと語られたのが印象的でした。私の中ではイメージがあまりなかった部分が、すごくリアルに感じ、昔と今がつながっていく感じがしました。 ●高山さんのユーモアあふれ、独特の間の講義、ありがとうございました。 ●参加できて、もうけたなという感じです。憲法というブルジョア国家を支える基本軸をズタズタにしない限り、延命できなくなった帝国主義のドンづまり、まさにそういう時代に生きていることを、高山先生のお話をうかがってますます実感することができました。とりわけ裁判員制度は敵のアキレス腱、聞けば聞くほどとんでもない制度だということ、こんなものを持ち出さなければ支配を維持できなくなっているのが今の支配階級であること、このことが鮮明に語られ、本当にぱんぱんに空気が入りました。敵の急所、裁判員制度をコテンパンにぶっ潰し、あらゆる改憲策動を一個一個叩きつぶしたい、来年5月には勝利の美酒を味わいたいと思います。 ●全体の講義を通して@司法改革制度反対=改憲阻止闘争であること。A改憲阻止のたたかいはすでに現在、激しく闘われていること。B司法制度改革=裁判員制度は新自由主義攻撃=民営化と労組破壊→戦争にむけた支配階級の攻撃であること。Cこの闘いは、勝利の展望を大きく切り開いていること。D体制内的=資本主義的枠内で何とかできると思っている人の根底には、敗北主義があること。以上のようなことが、あらためてはっきりと理解することができたと思います。特に上記Bの80年代の中曽根の総決算攻撃として今回、司法制度=裁判員制度があることをはっきりさせることを通して、「社会変革の道筋をつける」ことになるという整理ができると思います。 ●私がこういった場に参加するようになったのは、ぼんやりとした平和意識、戦争反対の市民的良心的な考えからでした。教基法の改悪反対闘争の終わり頃、国会前での座り込みに時おり顔を出す程度でしたし、その多少の関わりで得たものはさして多くありません。その頃は教基法と憲法9条2項とのつながりが明確には見えていませんでしたが、人から様々な話を聞くにつけ、なるほどと理解ができるようになりました。 ●今日、司法制度改革とは何かがスッキリと受け止められた。私も自治体労働者であり、「現代の赤紙」を配布する立場ですが、労働現場で取り組みができると決意した。 ●憲法や法律が「人権」を守り、私たちの生活を守るわけではないと思います。憲法があるから人間らしく生活ができるなんて、今の現実(秋葉原事件や後期高齢者の自殺や介護疲れによる殺人など)を見ればわかります。法律が生かされるも生かされないも、現場が闘わない限り意味をなしません。改憲阻止闘争はやはり労働現場の闘いなくして成り立たないと思います。裁判、裁判所、裁判官、みんな第3者で中立と思っていましたが、これらが国家権力の一部であって、法律の条文も、結局その立場で解決しているにすぎないと法大闘争に教えられました。だから裁判所の判決なんて、それで現実がすべて決定されるものでも何でもない! 逆に判決は世の中の情勢を無視して出されない。福島の産婦人科医に対する刑事裁判において、事実がどうであれ、裁判官は有罪判決なんて出せなかったはずです。警察が起訴しただけで産婦人科医のなり手が半減した以上、このうえ有罪にでもしたら、もう誰もやらないことが明らかだからです。裁判も現場の力関係がもろに反映するものです。 ●「あなたが変わる」……変わってやろうじゃないですか。権力側の途方のない危機に!! 私の責任として改憲阻止の闘士になります。 ●国民一般の共感をかうためには現状の〈どれほど負担であるかという線を強調する運動〉であることは理解できます。しかし、その内容の運動は私がかかわるべきものではないと感じてきました。高山さんの言われる裁判員制度は戦争できる体制づくりの総仕上げのための制度である、という論点なら、私自身も納得できるし、人を説得できると思います。 ●主婦、母親、事務員と、私は一人で3役をこなす毎日です。裁判員制度導入の目的を学習した際に、とても宗教っぽい臭いがして個人の意見が反映されない数日間を強制され、自由を奪われるなんて、とうてい参加しない! もちろん大反対です。私の職場も国内95%を占める50人程度の会社です。もし出頭したとなったら、終了後会社の机の上には、休んでいた際の仕事が山積み! 家庭では掃除、洗濯が山積み、今もおわれて四苦八苦なのに勘弁です。 ●裁判員制度反対と改憲阻止闘争がどう結びつくのか理解できました。(漠然と陪審員制度と同じようなものかと思っていました。とは言っても陪審員制度も何かの映画で観たことがあるだけです) ●自分自身は、どちらかというと憲法美化派で、憲法を軸に権利を主張したりした。だから、憲法原理主義者と自認したりもした。しかし、憲法美化論ではない攻めの改憲阻止闘争というものの話を今日聞けた。階級的視点から、改憲に反対していくという方法である。 ●裁判員制度に反対する運動が急速に大きくなっていることを感じています。この闘いのいいところは、「実践」にあると思います。一人の労働者が裁判所に行って裁判員になって、「死刑」を言い渡す側になる、ということだし、それを国家は要求している。それは、戦争に労働者を動員して、人を殺す兵士になれということとまったく同じだと思います。「この被告は○○という社会にとってとんでもないことをした極悪人で死刑は当然」というのと、「この国の○○は○○(「世界平和をみだす」とか……)というとんでもないことをやっている。だから殺さないととんでもないことになる」というのは同じ発想です。 ●1)「近代憲法の基本的な性格」の規定が鮮明に出されたと思います。憲法に対して「国民が権力を縛るもの」という言い方が多くなされ、そこから護憲論を論ずる傾向がありますが、これだと階級関係があいまいにされてしまう。「新勢力(ブル)が旧勢力を押さえ込む現実」ということは正しいし、そこをはっきりさせるべきと思います。 ●今日は講義にくらいついて聞こうと思いました。裁判員制度問題について関わってこなかったからです。しかし、今日の講義で、そんな自分のあり方がぶっ飛ばされました。「攻めの改憲阻止闘争」の大テーマであることが分かりました。 ●本日の労働学校実践講座に参加しての最大の成果は裁判員制度廃止の運動の勝利の展望がはっきりしたこと。現在、「上下がねじれきっている」状況にあること、最も意欲的に推進してきた日本共産党が社民党とともに延期に方針転換したこと、日本商工会議所などが“50人以下の従業員を擁す事業所の労働者、管理職を裁判員制度からはずせ”と申し入れたこと。それは全事業所(?)の95%にあたるということ等々、民衆の反発の現実がはっきり見えてきたことが大きい。勝てる闘争をすることは何ともすばらしいことではないかと思う。 |
労働者学習センター事務局 |