労働学校通信

実践講座
第[期No.04


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実践編次回講座のお知らせ

10月25日(土) 13:00〜
 アメリカ労働運動の歴史とたたかい
  講師 増田 明生
 第2の高揚期をむかえているアメリカ労働運動の闘いの現在とその歴史を明らかにする

16:30より講師を囲んで懇親会を予定いたしております(会費1,000円)

労働学校通信(実践講座) 第4号 (2008.10.10発行)
がんばろう労働者!たたかおう労働組合!ひろげようインターナショナル
裁判員制度反対の闘いは改憲阻止闘争の柱
 実践講座第3回(8月23日)代表あいさつより

 裁判員制度は、呼びだしの手紙が発出されようという状況で、世論調査でも圧倒的多くが反対だと言いだした。だけどこれは法律的には全会一致で決まった。あまりにも反対意見が強いものだから、社民党も共産党も最近になってもう少し延期を、と言い出している。この闘いは当面する改憲阻止闘争の大きな柱になる。
 国鉄分割・民営化攻撃が始った時、当時の中曽根首相が国鉄分割・民営化攻撃を「戦後政治の総決算」と位置づけた。戦後政治=55年体制とは何か。1955年、左右に分裂していた社会党が一緒になって、統一社会党ができた。社会党を支える勢力が総評で、春闘がはじまる。一方、保守が合同し自民党となり、日本生産性本部のもとで本格的に高度経済成長がはじまる。日本が今日のような状況になっていくひとつの大きな出発点だった。
 戦後政治の総決算は、55年体制的なあり方を根底的に潰していくということだ。一つは自民党。これはしぶといから今でも残っている。労働組合で言えば総評。もう一つ、日弁連も戦後体制そのものだ。正義の味方、平和の旗手では困るわけだ。これを体制側の日弁連にしていく攻撃がかけられている。それに対し高山弁護士が日弁連会長選に立候補し闘うなかで、若手の弁護士が日弁連の中でどんどん高山派として登場している。
 核心は労働者の闘いだ。労働者の闘いが存在して様々な運動もそれに規制されていく。だからわれわれの運動が拡大しない限り、弁護士や医者や学者といった人たちの闘いもまともに前進しない。今、日本の労働運動も、労働者が大変な状況に陥っているにもかかわらず、声ひとつ上げない。われわれが多くの労働者を組織し、たたかう労働組合をつくらなければいけない。同時に、弁護士戦線など一緒に進む人たちとの闘いを前進させなければいけない。
 オリンピックの開会日にグルジアで戦争がおこった。一方では米サブプライムローンの破綻をきっかけに世界的な規模で金融恐慌に突入している。日本は景気回復が終わり、これからどうなるのかという状況で、08年後半は労働者が自分たちの生活を守らなければならない闘いが重要になってくる。
 だから11月集会は、労働者が団結して生活を守るために立ち上がるという仕組みをつくる必要がある。終戦直後、「飢餓賃金打破」というスローガンがあり、これが2・1ゼネストまでワーッと押し上げた。今は膨大に物はあるが労働者はまったく金がないという状況。この中で一体どういう闘いをしていくのかということが問われていると思う。

ひとりは万人のために 万人はひとりのために

交流の広場−闘いの輪(受講生の声)

◎ 受講感想・感想編

●改憲阻止闘争との関連で「攻めの」改憲阻止闘争そのものとして裁判員制度粉砕の闘いが位置することがよく分かりました。裁判員制度は危機に直面しており、労働者階級の側が勝てる闘いであることが明白になっていると思います。ここで破綻させ、日帝の改憲プランをガタガタにさせ、日帝の側と労働者階級の力関係を転換させ、革命に向かっていくひとつの転換点になっていくテーマと言えます。
 裁判員制度自体の極悪さは米の陪審制度との比較でよく理解できました。この制度が人民の意識を変える、支配階級のイデオロギーに屈服させ、そこに動員し、この資本主義社会を維持しようとするものであることが本質であると思います。司法への市民参加はヒットラーが推進したとのことですが、その最高のあり方は密告であるというのは、とても核心をついたものであると思います。すなわちプロレタリアート人民の団結、あるいは共同性の破壊の極地であるということです。したがって私たちの闘いは、労働者階級の闘いをベースとしつつ、闘いをとおして団結を強化し、拡大し、裁判員制度そのものを破綻させるということ。それを改憲阻止の巨大な高揚へと発展させ、人民に貧困と戦争を強制することしかできないまでに危機を深める帝国主義を打倒しようということだと思います。

●裁判員制度について、知っているようで知らなかったことがたくさんあることが分かりました。国民の反発、批判が大きくなっている。裁判員制度粉砕したいと思います。

●戦後革命期の話がいきいきと語られたのが印象的でした。私の中ではイメージがあまりなかった部分が、すごくリアルに感じ、昔と今がつながっていく感じがしました。
 攻めの改憲阻止は、5月の集会の時に話を聞いて、すごいところに来た!!と思いつつ、今まで自分が署名集めをしてきたとき、「守り」の闘いばかりでそれではダメだとハッキリ思ったが、もうひとつ、では攻めの……っていうのはどういうのか?と思っていた。今日の話で、裁判員制度がこんなにボロボロになっていると知ってびっくりしました。しかも、それが改憲阻止の闘いにつながると聞いて、希望が持てました。

●高山さんのユーモアあふれ、独特の間の講義、ありがとうございました。
 資本・権力の危機のあらわれが、改憲9条2項の削除、裁判員制度の導入であり、裁判員制度はすでに破綻状況になっていて、ここから改憲阻止を労働者の団結の拡大で実現することは、社会を根本的に変えることだと思いました。

●参加できて、もうけたなという感じです。憲法というブルジョア国家を支える基本軸をズタズタにしない限り、延命できなくなった帝国主義のドンづまり、まさにそういう時代に生きていることを、高山先生のお話をうかがってますます実感することができました。とりわけ裁判員制度は敵のアキレス腱、聞けば聞くほどとんでもない制度だということ、こんなものを持ち出さなければ支配を維持できなくなっているのが今の支配階級であること、このことが鮮明に語られ、本当にぱんぱんに空気が入りました。敵の急所、裁判員制度をコテンパンにぶっ潰し、あらゆる改憲策動を一個一個叩きつぶしたい、来年5月には勝利の美酒を味わいたいと思います。

●全体の講義を通して@司法改革制度反対=改憲阻止闘争であること。A改憲阻止のたたかいはすでに現在、激しく闘われていること。B司法制度改革=裁判員制度は新自由主義攻撃=民営化と労組破壊→戦争にむけた支配階級の攻撃であること。Cこの闘いは、勝利の展望を大きく切り開いていること。D体制内的=資本主義的枠内で何とかできると思っている人の根底には、敗北主義があること。以上のようなことが、あらためてはっきりと理解することができたと思います。特に上記Bの80年代の中曽根の総決算攻撃として今回、司法制度=裁判員制度があることをはっきりさせることを通して、「社会変革の道筋をつける」ことになるという整理ができると思います。
 司法制度改革=裁判員制度→条文改憲そのものへのプロセスであり、これと闘うことは改憲阻止闘争そのものであることがよくわかり、深められたという気がします。

●私がこういった場に参加するようになったのは、ぼんやりとした平和意識、戦争反対の市民的良心的な考えからでした。教基法の改悪反対闘争の終わり頃、国会前での座り込みに時おり顔を出す程度でしたし、その多少の関わりで得たものはさして多くありません。その頃は教基法と憲法9条2項とのつながりが明確には見えていませんでしたが、人から様々な話を聞くにつけ、なるほどと理解ができるようになりました。
 今もかつてのような平和への思いというものは存在しますが、最も多くを占めたのは、自らがプロレタリアであるということを強く認識したという事実でありましょう。今、身近に労働という点で話し合っている友人や仲間がおり、私の話すことに時に理解を示し、時に反発されます。しかし、彼女たちいずれに尋ねても戦争を歓迎、賛美する人はいないでしょう。日本の美、というものを強く信じる人も、その一点においては意見を同じくします。ぼんやりとしたものではあっても、平和への意識は(労働者階級にとって)共通のものなので、その点を足がかりに、団結への道を切り開いていけるのではと思えました。

●今日、司法制度改革とは何かがスッキリと受け止められた。私も自治体労働者であり、「現代の赤紙」を配布する立場ですが、労働現場で取り組みができると決意した。
 さらに、今、私たちの仕事が「安心、安全」への取り組みとし、住民動員を進めようとする動向が激しくなっている。しかし、うまくいっていないのが実態であり、それを止めているのが労働者階級意識である。だから、司法改革を阻止するために、労働現場で決起をします。

●憲法や法律が「人権」を守り、私たちの生活を守るわけではないと思います。憲法があるから人間らしく生活ができるなんて、今の現実(秋葉原事件や後期高齢者の自殺や介護疲れによる殺人など)を見ればわかります。法律が生かされるも生かされないも、現場が闘わない限り意味をなしません。改憲阻止闘争はやはり労働現場の闘いなくして成り立たないと思います。裁判、裁判所、裁判官、みんな第3者で中立と思っていましたが、これらが国家権力の一部であって、法律の条文も、結局その立場で解決しているにすぎないと法大闘争に教えられました。だから裁判所の判決なんて、それで現実がすべて決定されるものでも何でもない! 逆に判決は世の中の情勢を無視して出されない。福島の産婦人科医に対する刑事裁判において、事実がどうであれ、裁判官は有罪判決なんて出せなかったはずです。警察が起訴しただけで産婦人科医のなり手が半減した以上、このうえ有罪にでもしたら、もう誰もやらないことが明らかだからです。裁判も現場の力関係がもろに反映するものです。
 「法律違反だから、ダメだ」というようなものいいは、法を制定している権力者に対して、権力の乱用を許さないためにのみある言葉でしかありません。「憲法を守る」も、そのことが目的化するのは超ナンセンスだと思います。裁判員制度反対の闘争も、改憲阻止闘争も、その闘争の中で「結局、資本主義を打倒する」という陣形を構築する団結の拡大のためにあるのではないでしょうか。

●「あなたが変わる」……変わってやろうじゃないですか。権力側の途方のない危機に!! 私の責任として改憲阻止の闘士になります。

●国民一般の共感をかうためには現状の〈どれほど負担であるかという線を強調する運動〉であることは理解できます。しかし、その内容の運動は私がかかわるべきものではないと感じてきました。高山さんの言われる裁判員制度は戦争できる体制づくりの総仕上げのための制度である、という論点なら、私自身も納得できるし、人を説得できると思います。
 多くのまじめなインテリは「一般人にとって負担になる制度である」という論点では、説得されることはないと思います。今日、配られた赤色のパンフレットなど、典型的です。なぜこんな内容なのでしょうか。こんなものしか作らないから、今まで私は理解できなかったのです。・体制が極限まで危機的な状況に立ちいたっているからこそ、こんな法律をつくったのだ、という論点。・司法への市民参加はナチスの使った手法であるという歴史的事実。・公に奉ずる人間をつくるための教育が目的である、という視点。−これらの論点を徹底的に展開し、わかりやすく、大衆的に訴えることが何よりも必要なことだと確信します。なぜ今まで、まともに進められてこなかったのかと思います。

●主婦、母親、事務員と、私は一人で3役をこなす毎日です。裁判員制度導入の目的を学習した際に、とても宗教っぽい臭いがして個人の意見が反映されない数日間を強制され、自由を奪われるなんて、とうてい参加しない! もちろん大反対です。私の職場も国内95%を占める50人程度の会社です。もし出頭したとなったら、終了後会社の机の上には、休んでいた際の仕事が山積み! 家庭では掃除、洗濯が山積み、今もおわれて四苦八苦なのに勘弁です。

●裁判員制度反対と改憲阻止闘争がどう結びつくのか理解できました。(漠然と陪審員制度と同じようなものかと思っていました。とは言っても陪審員制度も何かの映画で観たことがあるだけです)
 大変興味を持って聞けたのは、自分の職場で起こっていることと、多くの類似点を見いだせたからかも知れません。私たちは職場でビラまきをしていますが、労働組合からも激しい弾圧を受けています。理事会、管理会、労働組合執行部のいずれも堂々と批判するのは大変な状況です。これからさらに弾圧は激化していくと思いますが、先生の言われたように決して絶望せず、闘っていきたいと思います。

●自分自身は、どちらかというと憲法美化派で、憲法を軸に権利を主張したりした。だから、憲法原理主義者と自認したりもした。しかし、憲法美化論ではない攻めの改憲阻止闘争というものの話を今日聞けた。階級的視点から、改憲に反対していくという方法である。
 憲法美化論では、自衛隊のイラク派兵に違憲判決を出すことでも大きな勝利だが、それだけで戦争がなくなるわけではないだろう。国際連帯で万国のプロレタリアが団結すれば、大きな戦争阻止勢力になるし、日本人としてより地球人として考えて、地球憲法をつくるために世界革命を起こせたら、階級的に改憲阻止を果たせるかもしれない。

●裁判員制度に反対する運動が急速に大きくなっていることを感じています。この闘いのいいところは、「実践」にあると思います。一人の労働者が裁判所に行って裁判員になって、「死刑」を言い渡す側になる、ということだし、それを国家は要求している。それは、戦争に労働者を動員して、人を殺す兵士になれということとまったく同じだと思います。「この被告は○○という社会にとってとんでもないことをした極悪人で死刑は当然」というのと、「この国の○○は○○(「世界平和をみだす」とか……)というとんでもないことをやっている。だから殺さないととんでもないことになる」というのは同じ発想です。
 高山弁護士がおっしゃったように、こういう攻撃はとんでもないというだけでなく、結局、一人一人の人民が決めることに国家が託すしかなくなっているという危機性、弱さをみることが大切だと思いました。だから社民、共産、民主……の野党、特に言えば労組を巻き込みたかったのだと思う。
 こういう攻撃は、断固として反対をつらぬく勢力がいれば、必ず破綻するし、そういう勢力をつくっていくチャンスだと思います。

●1)「近代憲法の基本的な性格」の規定が鮮明に出されたと思います。憲法に対して「国民が権力を縛るもの」という言い方が多くなされ、そこから護憲論を論ずる傾向がありますが、これだと階級関係があいまいにされてしまう。「新勢力(ブル)が旧勢力を押さえ込む現実」ということは正しいし、そこをはっきりさせるべきと思います。
2)「攻めの」改憲闘争について。改憲を必要とする体制。現状を階級的労働運動で変革していく闘い自体が柱に座らなければ(革命にむけての闘い)、改憲阻止闘争が勝利の展望を持ち得ないこと。この点から階級的労働運動について、もう少し展開された方がよかったのではないかと思いました。
3)裁判員制度と改憲阻止闘争について。この関連について、これまで別個のものとして捉える傾向があったことに気づかされました。この闘いを組合や地域でやりぬくことが大切だとよく分かりました。
 9条署名はそれなりにやっていますが、裁判員制度については「自分だけ」というのが多いと思う。ここは大きく転換していきたい。
4)日共の転換について。運動の圧力は大きいと思いますが、日共自体の内部に生まれている問題について、さらに分析していく必要性を感じます。

●今日は講義にくらいついて聞こうと思いました。裁判員制度問題について関わってこなかったからです。しかし、今日の講義で、そんな自分のあり方がぶっ飛ばされました。「攻めの改憲阻止闘争」の大テーマであることが分かりました。
 しかも職場闘争と結びついている。有休扱いにするための協約を連合が推進したり、日本共産党が推進の立場から延期になったり。職場で裁判員制度に反対する署名をとったりすることが労働者の決起をつくり出すことにつながると思いました。そして、現にそれが破綻の縁に立たされているのだと。それはとりもなおさず、日弁連の中で分岐をつくり出して、絶対反対論、非和解の闘いで闘ってこられた高山さんをはじめとする弁護士の闘いがあったからだと分かりました。そして、そこに革命の現実性を見るという観点に立てたことも今日の収穫だと思います。支配の危機は広く深い。労働者、労働組合、職場の闘いもそこを徹底的にはっきりさせていくことだと思いました。その前提的確認としての憲法9条論がありました。階級闘争の妥協の産物としての9条に改憲闘争は収れんされる、9条2項に収れんされるという視点の提起を裁判員制度阻止闘争の前提として確認できました。

●本日の労働学校実践講座に参加しての最大の成果は裁判員制度廃止の運動の勝利の展望がはっきりしたこと。現在、「上下がねじれきっている」状況にあること、最も意欲的に推進してきた日本共産党が社民党とともに延期に方針転換したこと、日本商工会議所などが“50人以下の従業員を擁す事業所の労働者、管理職を裁判員制度からはずせ”と申し入れたこと。それは全事業所(?)の95%にあたるということ等々、民衆の反発の現実がはっきり見えてきたことが大きい。勝てる闘争をすることは何ともすばらしいことではないかと思う。
 裁判員制度の攻撃の本質がより鮮明になった。司法制度審議会が裁判員制度について“行政改革、政治改革、規制緩和等の経済改革の最後の要としての司法改革”と位置づけていることの中にその攻撃性がはっきり現れていると思った。裁判員制度は改憲攻撃の重要な柱であることもよりはっきりした。

労働者学習センター事務局
千葉市中央区要町2−8 DC会館 電話 043-222-7207 FAX 043-224-7197

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