労働学校通信

実践講座
第8期No.02


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実践編次回講座のお知らせ

6月28日(土) 13:00〜
 社会保障制度改悪とのたたかい
  講師 山部 明子(社会保障制度研究家)
 社会保障制度改悪との闘いは戦争か革命かの問題であり、労働運動の中心テーマである
16:30より講師を囲んで懇親会を予定いたしております(会費1,000円)

労働学校通信(実践講座) 第2号 (2008.06.10発行)
がんばろう労働者!たたかおう労働組合!ひろげようインターナショナル

マルクス主義が復権してきた
 −労働学校の役割がますます重要に

 ここ1〜2ヶ月の情勢を見ると、この労働学校の重要性がますます浮き彫りになった。法政大学で38人、一挙に逮捕された。久しぶりだ。労働者が1年に何回かストライキをやるとか、学生が大学で暴れるなんてことをやっている世の中はまっとうだ。それがなくなった時には危機なんだとずっと言ってきた。今、世の中がおかしいのは、労働者が起ちあがっていないからだ。例えばガソリン代値上げで何の問題も起こらない。ヨーロッパではイギリスなんかでトラック野郎がデモやって首相官邸に抗議闘争バンバンやっている。漁船もやっている。
 じゃあ日本はまったくなかったのか。60年代、70年代は労働者、学生たちが起ちあがった。80年代以降、だんだん下火になっていく。労働者のストライキも、75年のスト権闘争以降、基本的に動労千葉だけ。最近、全駐労や北教組がやったが、この何十年間労働者のストライキがない。学生もない。かつて学生は10年に1回ぐらい爆発的な闘争をやるという歴史があった。30年、40年と学生運動がないというのはおかしい。そのことで日本の反動化が一気に進んだ。反動化や格差社会が進むのは抵抗がないからだ。労働組合が本気で闘ったら、こんな格差社会はできない。
 では今の若い人たちに怒りや不満がないのか。そんなことはない。怒りはある。しかし火をつけるところがない。例えば東京の一角で60年代的な大闘争が起こったら、不満を持っているロストジェネレーション、みんな集まってくるんじゃないか。権力はそういった火をつけるような存在を一番恐れている。だから法政で、学生運動を爆発させようと全国で闘っている学生が集まっていたのを逮捕した。しかしやられたら、今まで一般大衆だった人が、突然活動家に変身するとことは歴史上いっぱいある。
 今、『蟹工船』ブームが起こっている。みんな深刻な悩みを抱えている中で、なぜ『蟹工船』に共感するのか。ひとつはみんなが団結して暴力的な職制に対して闘いを開始するところ。もうひとつはロシア人から労働者が一番偉いんだと、マルクス主義の真髄を教えられたこと。今の若い人たちは団結して自分の不満や怒りや要求を叩きつけるという場がまったくない。激しい怒りの闘いが起こっていない中で、団結して闘うことにもの凄く共感しているということじゃないか。ようやく大きな闘いが起こる前兆が表れてきたんじゃないかと思う。
 最近の新聞でも、マルクスの復権と言われる。1990年前後、マルクスは終わり、社会主義も共産主義も終わりという風潮が起こった。(2ページ目へ)
そういった本が店頭から全部なくなってしまう。だけど今、マルクスという言葉がダサくなくて、時代遅れじゃなくなってきた。そういう風潮が生まれてきている。
 動労千葉は労働者こそ世の中を動かす、労働者は世の中を変えていく力を持っている唯一の階級だと言い続けてきて実践してきた。そして労働学校で8年間やってきた。今こそ労働学校から巣立っていった諸君たちがそういう運動の中心に座っていく。端緒は生まれているがそこが重要だと思っている。

6・29サミット粉砕集会へ総力決起を

 もうひとつの問題はサミット問題。6月29日に東京でサミット粉砕の日本の労働者の総決起集会をやる。世界中で悪いことをやっているやつが全部集まる。「日本の労働者、ここにあり」ということを示さなければいけない。
 サミットは1975年に始まった。背景にはニクソン・ショックがある。世界の基軸通貨であったドルが金と交換しないことを決定した。それ以降、サミットが始まった。当初は経済問題に限って世界のトップと経済担当のトップが年に1回集まった。ドルも含めて紙切れになった通貨の信用のために、主要国は協調してやっていると世界中に示すためにサミットをやった。だからサブプライムローンから始まった世界の金融危機が最大の問題だ。それに付随して環境問題や食糧問題など、それぞれ大変な問題を抱えて、何も解決できないだろう。
 われわれは初めてサミット問題を日本の労働運動の課題にするということをやる。怒りをぶつけて闘いに起ちあがった経験のない人たちが圧倒的に多い。だから何万、何十万のデモが起きたらどんなことが起きるか、これをやったら人生観はがらっと変わる。ストライキだってそう。ストライキほどおもしろいものはない。ストライキをやれば、俺たちがいなければ動かないということをはっきりさせるわけだから。
 みんなでデモやろうと言って、何万何十万という人たちが街頭に出てきて、バンバン闘うという風潮が出てきた時に、情勢が大きく変わってくると思う。その出発点として6月29日を位置づけてもらいたい。
(実践講座開校式代表あいさつより−要旨)

ひとりは万人のために 万人はひとりのために

交流の広場−闘いの輪(受講生の声)

◎ 受講感想・感想編

●前夜、『俺鉄2』の読書会をやって、船橋事故闘争を読み合わせしていたので、反合運転保安闘争はよく理解できました。ただ、反合理化についての資本論の引用はむずかしかったです。動労千葉のマルクス主義は本当に、私にとっても目からウロコで良かったです。

●まさに実践講座だと実感した講座だった。現場で闘ううえで、大変参考になった。とくに時代認識の討議を進めることの重要性は、いま私たち自治体労働者に決定的だとサミット決戦を闘うなかで、強調していきたい。

●労働組合運動の柱が反合理化闘争であることを強調されていましたが、そのとおりです。階級的労働運動の発展、拡大の確信になりました。

●すべての労働者が動労千葉のように闘わなければいけないという言われ方がして久しい。のみならず、学生運動もひたすら動労千葉のようにという気構えでやっているようだ。
 しかし現実の難しさ。法政の話を聞いていると、形式上動労千葉を真似ることをいったんやめた方がいいのではないかと感じている。
 動労千葉で世界情勢を語ることが、とても大切だということは、そこにすでに日々、ともに汗を流す仲間意識ができているからなのではないかと推測する。それが存在しない状態である他大生が、しかも法政の内部問題を全く軽んじた形で、むやみに大上段にふりかぶったアジばかりをぶつから、逆に反感を買うのではと思えてならない。基本の人間関係、情緒的なもの、互いに顔が見えること、ともに汗を流すこと、同じ釜の飯を食うこと……等々をまず確保したうえで、はじめて闘争の話に入れるのでは……という当たり前のことが軽んじられている。(しかし、若者たちはなかなか聞いてはくれないが……)。例えば動労千葉においては、あるいはふつう労働現場においては、まず基本にあるであろう「長時間いっしょにいること」「ともに仕事をしてきたこと」に基づく人間関係、信頼関係を大切に育てること、等々。動労千葉は本当にすごいけれど、その前提を欠けば、形のうえで動労千葉のようにふるまっても、うまくいかないこともあると私は考えている。皆のお手本の立場の動労千葉としてはいかがお考えだろうか。(動労千葉の言う義理と人情とは何か、まだ「俺鉄2」を読んでいないのでよくわかりませんが……読めばわかるのかな……?)

●読んだ時の職場闘争と、今日の講義を受けている今の職場闘争とではすすんでいるところ、切り開いているところ、ぶつかっている壁が全く違うので、読んだ時も職場のことばかり考えて、光がさし、今日の授業も職場のことばかり考えて光がさしたのですが、全く違う受け方でした。
 私は今、職場でかつてない均衡破壊をしようという呼びかけを決断しようとしています。実力闘争をぶち抜くことで、新たな一歩をと考えていたのですが、それではまだまだ甘いとつきつけられ、(つきつけられたのは、この間のサミット粉砕をどうやって階級的にぶち抜くかという議論や提起の中で、自分の職場闘争を見てつきつけられました)マジで、実力闘争と党派闘争(マルクス主義で勝負、イデオロギー闘争)とを一体に均衡破壊する腹を固めなければ、ちっとも均衡破壊にならんと決断したのです。
 どでかい決断をすると、いつも理論的不充分さを理由に二の足を踏む“ちゅうちょの虫”が自分のなかからも沸いてきますが、そういうのを実践のなかで高めてゆくのは大切だけど、まずもって労働者の言い分をガンガンに叫んで、実践に入ることに意味があると思いました。展望や意味は実際の闘いの先にもっともっと生き生きと語れるから、いいと。うまく言えませんが、日共支配を階級的にうち壊す闘いに打って出ます!!

●p3のAの労働運動は良くも悪くも経験主義的であり、その組合の闘いは指導者の人格に体現されてきた。労働運動の歴史のなかで歴史に残る闘いであればあるほど人格的に表現されてきた。そしてその闘いが次の世代に継承した例は皆無である。
 p7の@の労働者は社会で起きているあらゆることを自分の問題として考えるようになってこそ社会の主人公になることができるんだと。この2つは今、私が携わっているのにあてはまるとともに、まだ自分が未熟だとわかりました。まだ自分の組合はストはありませんし、まだ未熟の組合ですが、ここでさらに勉強して仲間に伝えていこうと思います。

●労働運動は経験主義的であり、組合の闘いは指導者の人格に体現され、闘いの継承は不可能であるというこれまでの常識を突破したのが『俺鉄3』で、国鉄分割・民営化反対闘争に勝利したのは、合理化に対して、資本と労働者は絶対的非和解的関係であり、団結を総括軸にして闘っているからだと思いました。

●今回の講義のなかで反合と何度も言われていました。さて、合理化とは何でしょうか。すべて資本家にとって都合のよいようにするということです。民同は生産手段の合理化ならOKと言ったそうですね。一見、こういった考えは問題ないように思えます。しかし、この案に資本家が乗ってきた場合、疑いを持たねばなりません。資本家に良い悪いはなく、旨みのないことは行わないですから。あるいは安全のためと言って押してくるかも知れません。私はどういった経緯で設置されるようになったか知らないのですが、近ごろ自動開閉するドアが駅のホーム(地上、地下問わず)に見られるようになりました。これを設置する際、表向きは安全をうたったのでは、と思います。けれど、本当のところは駅員や車掌等の首切り、人件費削減のためであるということは明確です。そして、ワンマン運転によって運転士が何か事故を起こしても自己責任とのたまう。実に腐っています。資本家が改善のためと打ち出してくることは悉く労働者に不利益をもたらすものであり、これ以上ないほどにはっきりとした攻撃です。合理化が攻撃(どのような攻撃であるかの分析や情勢との関連づけが肝要)である以上、労働者が取り得る対抗手段は反合闘争よりほかにあり得ません。

●「資本主義社会のすべてのことは資本の責任であるという考えが重要である。理屈は後からついてくる……」こう言い切ることができない時があったのですが、これからは「資本の責任だ」という考えのもとに、地球温暖化問題にぶつかっていきたいと思いました。

●「反合・運転保安闘争」とは何か、ということが、その核心においてまだ自分のなかに固まっていないと感じました。
 講義での話では、民同の「反合理化時間短縮闘争」はダメ、ということですが、マルクスの言う合理化とは「労働者をただ働きさせる時間の延長」ということだとすれば、時短が獲得できれば(といって本当は実現するのはムリなのでしょうが)理屈上は良いのではないですか?
 「反合・時短闘争」がダメだというと、何がダメなのでしょうか……。ダメなのはスローガンを本気で勝ちとろうとしない(=革命以外に時短は勝ち得ないと思われるので革命を目指さない)ということじゃないかと思うのですが、どうなんでしょう。
 いずれにしても「反合」をつらぬくのはやっぱり相当大変なことだと思います。資本主義社会の常識ではやれません。幕張事故において「一切の責任はJR」と言いきるのも多分同じですね。これが「イデオロギー」というものなのかと思いました。いろいろ考えさせられます。「6年間の教訓」は本当に職場で闘うために常に反芻しなければならない基盤ですね!動労千葉労働運動の核心をえぐり出していて、あらためて学びました。

●よく「労働千葉はすごい」と言われますが、それはマルクス主義を正しく実践してきた事実、そして現在も続けているということがすごいんだなとあらためて実感しました。自分の職場、仲間にも実践していくことで、自分のものになると思います。そうなれるように頑張ります。

●・自分が労働者階級の一員であること、労働者であること、だからこそすべての労働者と団結できる、仲間になれる。革命ができる。−このことに確信を持つことができたこの2ヶ月半でした。
・動労千葉の闘い、あるいは動労千葉の闘いを学び、職場で実践している青年労働者の闘いのすごさ、眩さ−いわゆる「勝ちオーラ」の理由が最初は全く理解できなかったし、反発や憎悪すら抱いていました。労働者に絶望(つまり自分自身に、ということ!)していたのです。何ということだ!と叫びたくなる。
・しかし、動労千葉の闘いは、全世界の労働者が渇望しているもの、「これが私たちの欲しかったものだ」というものをつくり出していると思います。そして、それは簡単ではないかもしれないが、自分にもできる、可能性のある闘いです。結構、プレッシャーも感じますが、何より「解放された」という感覚があります。自らを民族的アイデンティティーで縛ること、自らの側から壁をつくることは、自己解放とは真逆のことです。しかし、今は違う。“Final International”は創れるし、世界革命はやれる。迷わずこの道を進め!!です。

●動労千葉の労働運動を学ぶということをきちんとやらなければならないという思いで参加しました。前に『俺鉄3』を読んで、タイトルに「反合運転保安闘争の復権」という点については、今一自分で理解しきれないものがありました。今日の学校の講師の主張の核心の一つがそこにあったと思います。
 この点については討論のなかで田中委員長が述べられた畑木さんのときのこと、そして「戦術的総括はまったくしていない」「団結が固まればいい」という言葉にその核心を触れた思いです。あらためて今日の反合闘争論の奥の深さを痛感しました。
 あらためて学ぶことだらけの本当に貴重な闘いが動労千葉の闘いであると思います。それから『蟹工船』はわれわれの武器にすべき本です(先日読んで今の我々と同じと強く思います)。この時の革命ロシアの労働者は、今日では動労千葉の労働運動です。

●全体的にいって非常にわかりやすく明解であった。特に印象に残ったところ@団結は資本との闘い、時代認識によってつくられるというところA反合運転保安闘争が全労働者の闘いであり、資本を打倒する闘いであるというところB労働者の唯一の思想はマルクス主義であるところ。結論、義理・人情を大事にする動労千葉の闘いを自分も!

●講演の中に「この6年間は新自由主義と闘う反合運転保安闘争の復権を勝ちとったということができる」、また9頁に「新自由主義攻撃−競争・分断・民営化−合理化、規制緩和がますます激化する中で、全ての産別で反合・運転保安闘争が求められている」とありますが、「サッチャー・レーガン・中曽根による民営化、労組破壊攻撃」を言っていると思う。30年代に帝国主義の支配階級より国家独占主義政策(ニューディール政策)が行われたが、この二つの政策が現在どういう関係で、今後行われていくか、私は理解できないので、教えて欲しい。

●中田さんの提起では自分では気づいていない読み取り方、考え方を学びました。ともすると動労千葉の運動は特別のもの、自分たちには不可能と思いがちですが、そうではないと思わされたくだりがあります。それは、中野委員長から田中委員長へと体制が変わり、その田中委員長がもうひとつの動労千葉をつくる、その過程、その考え方です。そして新しい田中委員長体制が確立されたことイコール動労千葉労働運動の路線の継承が為されたことの実証であるという生きた実践結果は、私たちに第2第3の動労千葉を作れることの証であると思わされました。
 要は私たちが各々の職場で闘い、一歩一歩自分たちの職場に“自分たちの動労千葉をつくる”ということに尽きるのだということです。

●組合の役員とは本当に組合員のためになっているのか? 役員の言動が本当に組合員の求めていることに合っているか? 自己満足になっていないかが大事だと思います。普段からの会話や行動からまわりの空気を読んで行動するのが一番良いと思います。何も職場の中で問題がないなら、どこの組合に入っても同じですが、困った時、本当に組合員のために直ちに動いてくれる役員がいるかいないかで判断できると思います。『俺鉄3』では各職場の問題点や会議の内容など、事細かに書かれていて、わかりやすいと思います。言葉で言うのは簡単ですが、実際それを行動に起こしてこそ、まわりから認められると思います。国鉄分割・民営化で本当に組合員が困った時に自分の所属している組合が無方針なら、直ちに自分が変わらなければ、自分のまわりも変わらないと思います。自分さえ良ければよい論がまかり通っていますが、その結果が今の世の中に表れています。労働者が職種の壁を越えて団結して闘わなければ、今の流れに飲み込まれてしまいます。子や孫の時代になっても労働者が胸を張って生きられる世の中になるか否かが、今の時代の労働者の決起にかかっています。マルクスの最後の文章「万国の労働者よ、団結せよ」に向けて、ともに頑張ろう。

労働者学習センター事務局
千葉市中央区要町2−8 DC会館 電話 043-222-7207 FAX 043-224-7197

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