感想文紹介授業が始まる前に「共産主義革命を起こしたら、労働者の生活水準は平均化されて今ある生活水準は低下する」ということについて論議になりました。このことについてうまく説明はできなかったのですが、今日の講義の中でその答えがあったように思います。 労働者は自ら(と家族)の生活維持に必要なもの以上のものを生産する能力をもっている。その付加価値の中から「労働力の価値」(生活費)に相応する部分しか支払われず、残りは資本家にとられる。この剰余労働で形成された付加価値を労働者を支配するために使うのか、労働者の生活を発展させるために使うのか、このことの問題であることが分かりました。 結局、講師がおっしゃっていた、「搾取者をなくす」ということ、社会の主人公である労働者が革命で本当に権力を握ること、そうした時、生活水準が下がるのでなく、より社会が発展する方向に向かうのではないかと思いました。共産主義社会の根拠は資本主義社会の中にあるということですね。 「体制の末期的症状」というところでは、今の日本の現実をつきつけている大きな問題だと考える。これはもはや「ほっとけない!」と言っても間違いではない重大な問題で何とかしていかないといけないことではないかと思う。資本主義・格差社会だからこそ、このような問題事項が出てくるのかなあと思った。 私が考える労働の意義は、その資本の成長にある。人が来れば来るほど成長していくはずだが、フリーターやまったく職に就けない人があふれているのはなぜかというと、やはり資本家が蓄えが多く欲しいという考えから、このようなことが起こっているので、我々の団結で変えていかなくてはならないと思った。 今の世の中、お金で成り立っているのがイヤです。 お金があるから戦争も起き、殺人も起き、餓死者・ホームレス、もうイヤだ。 最近知ったのが、生活保護を受けさせない「北九州方式」。役所がノルマをつくって支給させない。絶対に許せない。 人は協力して共存できる世の中に変えていきましょう。 資本主義とはウソだらけの社会であるということを徹底的にハッキリさせるということだと思います。また、それができる状況にどんどんなっています。 「持続可能な成長」って、もうこれだけでウソですよね。地球の限りある資源を考えれば、一目瞭然です。民主主義も法律も、一皮むけば全部資本の都合でまわっている。去年までも「擬制と実体」経済の話はされていたと思いますが、今年ようやく「実体経済」の話の意味がわかりました。 ●今後の希望 田中委員長をはじめ闘っている皆さん。禁煙に本気でチャレンジしてみませんか。ニコチン支配から脱却して、本気で資本主義への闘いに負けない体づくりをしましょう! 今回初参加しました。 経済とか資本主義とかって難しいなと思ったし、奥が深いと思いました。積み重ねて勉強しないと分からないですね。 私は今まで正規として働いていましたが、事情があり仕事を辞め、今は一時的の短時間の派遣労働者として働いています。 正規として働いていた時には言葉だけは理解をしているつもりでも、実際、自分が仕事を辞めて実感したことは税金の多さや非正規(派遣の大変さ)の大変さみたいなところを実感するようになりました。 健康保険がない(払えない)というのも、明日は我が身だと思うと、ゾッとしました。こんな社会は絶対にかえないといけないですね!がんばります。 資本主義はすべて悪いことばかりなのだろうか? 部分的なり多少なり、長所はあると思っている。敵だろうが味方だろうが、いいところはいいと尊重し、学び、まねしてみてはいけないのだろうか? ・モノとモノによる社会関係。モノや金の中に心を込めるということ。それは本当にウソか? 食わなきゃ生きれない→金でつながる人間関係は、ごく自然だと思うが……。 生きていなければ心でつながることもできない。金に込めた心がどうしてニセ物と言い切れる? 幻想だろうが妄想だろうが、自分がそう信じれば本物と言えないか? ・ホリエモン他のことを金の奴隷と呼ぶのは、あまりにも浅はかではないか? 金に魂を込める立派な人物も多々いると思う。 ・"儲かれば何でも売る。人間に害のあるものも売る"→人間というか、動物の本性、本質ですよね。仲間のため、だとか、道徳だとか、どんな建前をいったところで、自分が生きていけなきゃはじまらないでしょ? 義と本心のどこにラインを引くか? つまりは他者の犠牲の上で生存しているのだから……。 ・人間と自然だけでやっていけるのか? いい人間だけならば可能だと思う。しかし必ず悪いやつは存在している。どうする? スターリンを見習って悪いやつは皆殺しにすればいいと本気で思っている。平和、安定のためならば、この僕も殺されてかまわないこと、真剣に考える。 ・自殺はしない! 殺してもらいたい。 ・安倍他のおろかさを(僕は政治の詳しいことは分からないが、政治家になったこともないし)バカにしてせせら笑うように嘲笑するのはよくないと思う。"ライオンはウサギを狩るのにも全力を尽くす"本気で向き合い、真正面から闘い、相手の存在を認め、尊重し、その上で行動したい。神にも並ぶ絶対悪ならば、正々堂々、一騎打ちで臨みたい。勝ちは勝ち、負けは負けだ。 ●今後の希望 常々思いますが、この学校で教わる社会主義を強く信じる人物と同様に、資本主義を何の疑いもなく純粋に信じている、正しく導くことができる人物の登場、臨みます。両者の共有が未来を生み出すのでは? すごく分かりやすかったです。お金とはなんなのか。あらためて考えてみると、不思議です。"お金がすべて""何でもお金でかえる"という思想がまかり通っているが、インフレになったらただの紙くずになる存在。また、景気上昇は労働者にとっていいことか、という話はおもしろかったが、ちょっとスピードが速くてよく分からなかった。ただ核心ポイントである搾取をなくすこと、支配者、搾取者をなくせ!!ということは、すごく分かった。 耐震強度偽装、ニセミンチ、不二家、三菱、シンドラー、パロマ、コムスン……本当にこれが資本主義の正体だと思う。 儲けのためならなんでもいい、雇用している労働者を人間だとも思っていない。お金がすべてで人の心も買える? 本当にそう思っているんだろうか? 環境問題でいろんなところで「エコ」と騒いでいるが、私たち労働者一人ひとりが出すゴミや消費する電力等々そんなものと比べものにならないくらい環境破壊しているのは大企業なはず。冷房の温度を何度下げようだとか、買い物袋を持参しようだとか(もちろんそういうことは大切で、自分も気をつけているが)、すべて私たちの責任にかかっているような宣伝は本当に嫌になります。「目的意識的/創造的活動」「意識的共同性」という言葉がありましたが、労働者は現場をどのように動かせばよいかということを一番よく知っています。 私は看護師ですが、どうすれば安全だとか、これは危険だとか、患者さんはこう考えているとか、こうすれば患者さんにとって一番いい方法だとか、毎日チームで話し合い働いています。資本がいなくても現場を動かせるということです。 昨年の講義、市場原理主義に対する怒りをもって、資本主義社会を断罪するお話が印象的でした。 今回はp2後半の「『実体経済』をとらえる−それは人間社会の存立・発展の根拠」という部分の節に疑問を感じました。 おっしゃられるとおり、労働によって人間は生き、類的関係を形成し、共同体を作り上げるというと、そして、そこに「いかに儲けを出すか?」という市場関係が入り込んでいることに、資本主義社会の矛盾があるというのは分かります。 そして、その社会を変革する主体は労働者であるわけですが、その労働者に対して、「人間としての能力・資質の形成・発展」「非人間社会を批判しうる目を養うこと」としてしまっては、本当に社会変革の主体とはならないように思います。 動労千葉の闘いが示すように、労働者こそ社会の主人公!という自覚は資本に対する闘いの中で形成されるものであり、また、実際の闘いでしか社会は変革されないと思います。 闘いのない中での「主体性の形成」は、資本主義への実践的批判=プロレタリア革命を永遠の悲願にしてしまうのではないか?と思います。 来月、ぜひ先生自身の資本主義社会を実際に変革するにはどういう実践が必要かということをお話ししていただけたらと思います。 「モノを持たない人間は社会関係を結べない」というのは、とんでもない社会だと思う。自分で使うためではなく売り物にするためにモノを手に入れるなんて、ムダなことだとも思った。 それでもまだモノとモノの交換なら、それほどたくさんの量をもっていることはできないけど、貨幣におき換えることによって、いくらでも持つことができる、こうならないためにも貨幣を使わず必要なものを必要なだけつくり、いつでも手に入れられるようになればよいと思う。 資本と労働者のお金の使い方というのもまったくちがっていると思った。 資本は労働しないで都合よく儲かるけど、労働者は減るばかりだ。しかも資本の欲のためにとんでもないものを買わされたりする。これだけを見ても、この関係をいつまでも続けていてはいけないと思う。 経済成長と労働者の関係も今日の話を聞いて、あらためて考えさせられた。 景気が上昇しないと生活は苦しくなるような気がしていたが、実際は順序が逆だということが分かった。 マスコミのウソにだまされないように、情勢を判断できるようにもっといろいろ学習していかないといけないと思った。 本来なら媒介物でしかないカネが目的となり、人間と人間の関係、社会を飲みつくしている資本主義社会。唯一価値を生んでいる労働者こそ社会の主人公であり、それを邪魔しているのが資本なんだということがすっきりと分かった気がします。 数年前に鎌倉さんの話を聞く機会があったのですが、その時びっくりしたのは、今の社会で起きているニュースを資本に対する怒りをもってバッサバッサと切っていたことです。マルクス主義が学問ではなく、現代社会に対する根底的な批判だということ、これがマルクス主義者なんだと胸を熱くしました。 今日、その数年前とは比べものにならないくらい資本の矛盾がむき出しに爆発しています。この資本に対する階級的怒り、労働者の力への圧倒的確信をつかんで、11月集会に向けてがんばろうと思います。 |