労働学校通信 第Y期No.11 |
次回講座のお知らせ
2007年3月24日(土) 各13:00〜
◆労働者の生き方
◆講師 森尾 誠(社会問題研究家)
マルクス主義の復権に力を注ぐ。労働者は社会の主人公であることを明らかにする
【日程変更のお知らせ】3月17日(土)予定の労働学校は3月24日(土)に変更されました
*親睦会も楽しみです(会費千円)
労働学校通信 第11号 (2006.02.10発行)
がんばろう労働者!たたかおう労働組合!ひろげようインターナショナル |
一人の首切りもない社会
1、「一人の首切りも許さない」というスローガンは、本山闘争で初めて掲げられ、労働組合の全国的スローガンとなった。本山労組の組合員はこの原則を実践するために人生をかけてきた。どうしてか。人間として、労働者階級として絶対に譲れない一線だったからだ。 「一人の首切りも許さない」とは、一人の首切りもない社会をつくろうということだ。今「ワーキングプア」という言葉が生まれた。仕事には就いているのに、生活保護水準以下の暮らしができない人たちのことを指すという。生活保護水準以下で暮らす家庭は、日本の全世帯のおよそ10分の1である400万世帯とも言われている。生活保護受給世帯は100万世帯だ。 パート・フリーターなど非正規雇用が1600万人、「ニート」と呼ばれる職場を奪われた青年が50万人、職に就いている人もリストラの圧力を絶えず受け、40〜50代を中心に自殺者は年間3万人を超え続けている。憲法で保障されている生存権、労働三権はどうなったのか、労働組合は何をしているのか。 低賃金と強労働、青年労働者の不安と怒り、35年前の本山製作所のような状況が再び目の前にある。本山闘争のように闘い続ける以外に、労働者の生き様があるのだろうか。職場の主人公は労働者ではないか。職場から労働者の闘う団結をつくり出そう。職場に砦を、地域に共闘をつくろう! 2、本山闘争から何を学ぶか・・・本山もたった一人、あえていえば二人の労働者の首切りのために、すべての組合員が団結をして、組織の分裂を辞さず、原則を守って闘い抜いたというところに非常に本山闘争のすごさがあると思うし、この闘いをどういうふうに、今日の9条改憲まできている帝国主義の危機の中で、闘う労働運動の再生のために活かしていくかが重要になってきていると思う。 (「一人の首切りも許さない−本山闘争12000日」七つ森書館から。1は276頁から。2は270頁、本山闘争は何だったのかG、中野洋から。) |
ひとりは万人のために 万人はひとりのために 交流の広場−闘いの輪(受講生の声)を随時発行しています |
感想文紹介「夢の革命」から、も少しだけ現実味をおびたものが想像できた。 資本主義社会から共産主義社会にするためには、革命が必要であるとありますが、私たち労働者は具体的には何をすればいいんでしょうか? 何ができるんでしょうか? 毎日、新聞やテレビで報道されているニュースを見るだけでも、今のこの社会、資本主義社会が行き詰まりの状況にあることがわかります。 レーニンやマルクスの書いていることを単に「理論」として学ぶということではなく、現実に問題になっていることから、学ぶというふうに講義が進められて、わかりやすかったです。 青年労働者が「革命」をという時に、その中身を聞いてみたらその中身が感性的なことが多く、経済の仕組み、政治の仕組みが良くわからないようなことが多かったのですが、今回と前回の講義でその内容がわかりやすく提起されたと思います。パリコミューンの4原則の話は革命の現実性として新鮮なものだと思いました。 昨年も国家についてが一番おもしろかったので、今回も楽しみにしていました。 国家がやりたい放題のことをやっている現在、「ざけんな政府、ざけんな安倍!」と叫ぶ人は一昔前と比べ圧倒的に増えている。しかし、では安倍をぶっ倒してその後どうするのかということについては、正直分からなかった。考えてみれば当然である。これまでそういう世界を見たこともなかったから。でも、それじゃ普通の労働者はなかなか「革命だ!」というふうにはならない。 共産主義は国家のない社会、国家をなくすことができるのは私達労働者階級なんだということが分かりました。職場では共産主義とか革命とかいう言葉は一度も言ったことがないけれど、そういうことが話せる職場の仲間が欲しいなと思いました。 テキストp2「政治のことを考えたり、議論したり、参加する時間は奪われている」、ここのところ仕事が忙しく、この状況に実感するところです。正直、忙しすぎると余計な事を考えるのがとてもおっくうになります(行動することも)(時間的にできなという面も大きい)。今日も本当は寝てようかなと思ったくらいなのですが、無理して(?)来たところです。あまり無理してもダメになってしまうという面、無理しても考え、行動していかないと自分自身がブルジョア的な思考に毒されていってしまうという面あって……とグチはここまで。 とにかく「国家」が労働者支配の道具でしかないということが分かりました。私達の目指すべき社会に国家がないということもわかりました。前回、「国家」がどれだけの問題をもたらしているか、本当によくわかり、また今日は私達が目指すべき社会とその過程、その方法を知ることができました。 国家というものが何なのか、よく分かりました。今年は本当にヤバイ年だなあと思います。国は本当に国民をより幸せに生かしていこうだなんて事はみじんもないって事が肌で感じます。でも同時に中南米は今やほとんどの国が反米政権になったり、アメリカの支配に対するほころびも見えて、チャンスでもあるっていうことだなあと思っています。 「労働者には社会を統治する能力がある」ことを確認することが重要と思う。国家を取り仕切っているのは官僚だが、実際にその下で働いている労働者がいるから社会が回っている(当たり前のことだが、なかなかそれに気がつかない)。この事にもっと労働者階級として自信を持つべきと思う。パリ・コミューンやロシア革命など、不完全ではあるが、労働者による社会がつくられた経験を持っていることがすごいと思う。「共産主義=ユートピア」というイメージは非常に強いと思う。違いを他の人に話せるようにならないといけないと思う。 国家のない社会について「総論」においてよくわかりました。質問にもありましたが、そのような社会をつくる過程がよくわかりました。ありがとうございました。 |
労働者学習センター事務局 |