労働学校通信

第Y期No.10

次回講座のお知らせ

2007年1月20日(土) 各13:00〜
 国家について
 講師 天野 浩二(社会問題研究家)
 「国を守れ」という宣伝が吹きあれるなかで、労働者の立場から国家とは何かを提起する

*親睦会も楽しみです(会費千円)

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労働学校通信 第10号 (2006.01.10発行)
がんばろう労働者!たたかおう労働組合!ひろげようインターナショナル
生涯一労働者
 「生涯一労働者」という佐藤さんが残した名文句がある。「生涯一労働者」という組合の幹部として非常に重要なあり方を一生貫いて、逝ったと思う。
 佐藤さんの人となりは、非常に明るく、泣き言を言わない。どんなに厳しい情勢でも、どんなに苦しい時でも、「労働者は闘えば前進していけるんだ、情勢を切り開けるんだ」と非常に明るくしゃべる人だった。厳しい情勢を得々と語るのが得意な人は多いが、聞いている方はだんだんと下を向いていっちゃう。厳しい情勢を語っても、労働者たちがだんだん顔を上げて話しに聞き入る、そういう数少ないアジテーターの一人だった・・・
 65年に三菱三重工合併と全造船脱退をめぐる攻防があって、石川島分会にも分裂工作が始まる・・・分裂で足元を揺るがされた佐藤さんは、中立労連議長を降りて71年に現場に戻る。当時、石川島には全国でも最大級の日共の経営細胞があったが、日共は、組合民主主義に基づいて脱退を決めたんだから造船重機にいくと言って脱落した。これに抗して佐藤さんは、28名で第1組合の全造船の旗を守った。
 中立労連の議長ともなれば、退任したあとのポストが確保されていて、普通はみんないくわけだ。ところが、彼はそうせずに、現場に戻って一工員になった。「120万の中立労連の議長からアッという間に28名の委員長になったのは俺ぐらいしかいない」とのちに言っていた。ここに「生涯一労働者」という彼の姿勢が示されている・・・
 「祭りのよっちゃん」と呼ばれるほど祭りが大好きで、祭りが始まると団交をやっていようが、執行委員会をやっていようがいなくなるというエピソードもある。最後まで労働者のまんま生きて、逝った人だと思う。
 今、世の中が乱れに乱れて、人間が人間として生きていけなくなっている。米帝・ブッシュはイラクのアリ地獄にはまりこんで、のたうちまわって、どうにもならない状況に象徴されるように、07年は帝国主義の矛盾がますます激化する状況にある。
 こういう時代に、攻撃の激しさに萎縮して「教基法が通っちゃた、憲法改悪も通っちゃう、大変だ、どうしたらいいんだ」と考えるのではなくて、「いよいよ労働者の時代が来た」とスパッと、あっけらかんと言って、労働者を激励できるリーダーだった。
(月間交流センター・1月号、「佐藤芳夫精神をわがものとし、強大な労組交流センター建設へ」、代表運営委員・中野洋から)

ひとりは万人のために 万人はひとりのために

交流の広場−闘いの輪(受講生の声)を随時発行しています

感想文紹介

家がなぜ必要なのか? 国家はわれわれに何をしてくれるのか。昨日、教基法が改悪され、防衛「省」に昇格された中で、日本の国家の実態を暴いていくことはとても大切な時代に入ったと思います。
 マスコミは野球の松坂のことを毎日のように報道しても、これらの重要法案については、成立した時にしかほとんど取り上げない現状は、かなりひどいというか、腐敗度が進んでいると見るべきなんでしょう。
 国会でも国家と国民の一体化、一体性を強調して(本質は変わらないのに)、国民への犠牲、おしつけのあり方をごまかそうとしていることが、とても許せません。(議員が国民の意識の変革をおしつけている)
 今日のお話しの中で、イロコイ族の存在がとても新鮮に感じました。何が私たちの社会と違うのか、なぜ、私たちの社会はここまできてしまったのか……考えざるを得ない日本社会だと思います。
 国家、国会が私たち労働者市民とほとんど相反した存在になってしまっている現実をどう変えていくのか、これが私たちの次の課題だと思います。次回を楽しみにしています。

家について今まで考えたことはなかったです。他の国に旅行に行った時などは、何となく日本の方がやっぱり住みやすいなあなんて漠然とは思っていましたが、特に「わが国」と思ったことはなかったです。今回の話で、かなり国家の信仰を植えつけられている事を実感しました。

基法改悪の過程こそ、まさにあからさまな「近代的国家(権力)とは全資本家階級の共通の事務を処理する委員会」であることの証明です。なぜ法律がかえられなければいけないのかの一切の説明もなく、現場からは誰も賛成していない状況で「○○時間論議したから十分」とは、議会が形だけのおしゃべりの場であって、支配者の意図ははじめから通すことが決まっていたというわけですね。しかもそのニュースをNHKはあろうことか、文科大臣伊吹を出演させて流した!! NHKが国営放送であることが証明されました。
・甲子園で、自分の出身県の高校を何となく応援するように、オリンピックやワールドカップで日本を応援する。そういう無自覚的な意識を利用して、「国」の枠組みの中に私たちを押し込めている。あるいは学級会の延長に国会があるかのように錯覚(というのは私だけ?)して、自分の意志が国会に反映しているかのように思わせている。そんなものがまさに支配者の維持機構に過ぎない! とその神話性をはぎとるこの講義こそ、基礎編1年間のハイライトであると思います。
・今年は講師が代わり、新鮮でした。ものすごい力作(すごい時間がかかっていると思うのですが)のレジメありがとうございます。基礎編の先生でネクタイを締めている先生の記憶がなく、そこから講師の先生の労働学校に対する気持ちが伝わってきました。
 個人的には「国家機構は『社会の寄生体』という規定」というところの(これは非常にわかりやすい今回の講義のまとめの役割を果たしていると思います)自筆の図が好きです。社会がやや歪んだ円形である上に微妙にシャドウが入れられて立体化され具体的な質量を感じさせるその何気ない(ようにみえる)感性に(ちょっと)ぐっときました。国家というものが持つ欺瞞とその暴力性に対する怒りが全身よりほとばしっていた藤村先生の講義とはまた違った今年の講義も充実したものでした。

下は感想です。
 こういう展開でもよいのかと思いますが、少し学説的な展開のようにも感じます。
 これまでの労働学校でやってきたことは、簡単に言えば資本家は労働者なしではやっていけないが、労働者は資本家なしでやっていけるということ、労働者が社会を変えていく存在であること。社会を変えないかぎり、労働者はまともに生きられないということだったと思います。
 今回の国家論のテーマは、実際に社会を変えるという場合、労働者の国家に対する態度はどうあるべきなのか。どのように考えるべきなのか、ということに対するひとつの立場を打ち出すことだと思います。このような考えは、次回の後半の中で展開されるのかと思いますが、私の感覚から言えば、6p〜7pのような説明でなくてもよいのではないかと思います。
 社会を変える立場からしたら、実際はどうなのか、どう考えるべきなのかという基本的な考え方が、もっと前半に出てくれば、と思いました。
 次回に期待したいと思います。勝手な感想で申し訳ありません。

「国家なしにすんでいた社会」が存在していたことについて、環境や生産力が未発達だから成り立ったのかなと思ったのですが、逆に生産力がこれだけ発達した今の方が、支配、被支配、富の一極集中さえなければ、みんなが豊かに生きていけると思いました。

「国家」の歴史そのものが残虐な血の歴史を持っていることをリアルに感じた。しかし、だとしたら古代〜現代まで支配者として生き延びている天皇一族はいったいどれだけの血を吸っているのかと、今更ながらゾッとする。それを「悠々の美しい歴史」として称賛しているのが安倍だ!!
イロコイ族のあり方には感動。
 かねてよりの私見ですが、人間を一番高揚させるものは恋愛と革命だと思っています。今日の話を聞いて、この2つには自由、平等、友愛、思いやり、勇敢さといったような人間の豊かな資質を発揚させるものがあるからではないかと思いました。

家、統治、議会制民主主義である国会の中で、教基法が強行、防衛庁「省」昇格、それ以外にもあらゆる悪法と改悪、社会保障がくずされている中、何が国会か、議会制民主主義であるか。統治システムがおかしいのだと思う。
 憲法違反の政治家たちが、国家を運営している。この国はもう統治なんかできてない。何をするのか。この国は何ができるのか? 戦争なんだと思った。
 国はいらない。国というものの統治システムが作られた根本原因は、反乱する労働者人民を抑えるためのもので、侵略戦争の動員のために国が成り立ってきていた。なぜ国が必要なのか? 略奪しないとこの文明社会、今までの生活が維持できないと考えているし、その通りだからだ。
 確かに、このままの生活スタイルは維持できないだろう。略奪した文明、一部の文明社会の生活はムリだ。けれど、全部ロボットのように働かされ奴隷のように搾りとられ、戦争動員や加担をしていくために作られた社会だ。決して自分たちのための文明社会ではない。こんな生活、維持していたくない。文明社会の恩恵を僕は受けていると思えない。社会保障も解体されて、国なんか維持できるか。戦争しなきゃ維持できなくなった国家など、倒さなきゃな。倒すの簡単そう?!

本家階級の利益を保護している存在である「国家」に神秘性を持たせることによって、人々に国家が太古からのものであると信じ込ませようとする今の政権は、本当にずるいと思いました。
 「国」がなくても人間は自然に仲間をつくり、共同体をつくっていけると思います。ただ、新しい共同体を仲間と作った後はどうなるのでしょうか? 豊かで平和な社会がずっと続くのでしょうか? テキストで出てきたインディアンの社会は、血でつながった者同士が作った自由、平等、友愛の社会でした。これは「社会」であると同時に「家族」だから理想的な共同体を作ることができたのではないでしょうか? また他の部族との争いも全くなかったと言えるのでしょうか?
 同じ立場にいる人間同士が共同体を作った時、誰もが足並みそろえて理想的な社会を作っていくのはとても難しいことなのでは?と思ってしまいます。
 「国家」は不要です。しかし、国家を労働者が覆した後に作る社会がどのように成り立っていくのかを知りたいです。

家というものが、人民の自由を抑えつけているというのは、労働者階級に対してだけなのか。資本家階級に対しては自由を与えているのか。
・国家と自由(人民)は対立する。人民の中のごく少数の人が資本家となり、「わが国」と言っている。ということは、資本家と労働者も対立することになる?
・資本家がいなければ、国がなくなってしまうのか。

日は国家の3要素が一番わかりやすかったです。
 浦部法穂さんの文章にあったように
 ・「国」とは統治権力の出現によって初めて成立するもの
 ・権力の座にない私達にとって「わが」ではない
 ・国を愛する=権力を愛すると同義になる事
 ・郷土やそこで暮らす人を愛する事と「国」を愛する事は違うという事は、「国」をとらえる上で、重要だと思いました。
 やはり私は国家のない国(日本)の存在はイメージがわきにくいです。資本家のいない社会(共産社会)はつくり出せるのかなあーと思うのですが。共産国の"国家"も資本主義国の"国家"と同じなんでしょうか……。
 また来月の講義が楽しみです。

ってなんなのかよくわかりました。たしかにもっともらしいことを言われると、ああ、そうなのかな?と思ったりもしましたが、よく考えると何の根拠もないなと、ついこの前の国会前での教育基本法の時のケーサツの対応を見ても感じていたので、とっても良く腑に落ちました。昨日のケーサツも楽器はダメだとか、歩道にのぼれとか、えらそうに言うわりには、何でダメなのかと聞くと何も答えられずに、しまいにはどっかに逃げてしまうって感じでした。
 ということで、この国も社会の構造っていうのは変えなければならないと思うんですけど、ぶっちゃけマルクス主義的なやり方って、今までさんざんやってきたわけじゃないですか。それでも今日まで革命できないで資本主義がここまで来ちゃったのに、ここからなんとか盛り返せるんですか? ちょっと前まで日本では誰もがマルクスの本を読んでいたっていうのに、その人たちは一体どこへ消えてしまったのでしょうか?

れまでの労働学校で「労働者の社会」が具体的に見えてきました。今回の国家については、国境のない世界、国家のない社会は必ず実現できると思います。ただ質問にもありましたが、支配や抑圧、搾取のない統治のための機関は必要だと思います。
 例えば工場資本を労働者の手中にし、計画生産を始めるにしても、それをまとめる機関は必要だと思うし、工場だけではなく医療、福祉等様々な分野を「調整」する機関が必要だと思います。
 私たちの身近な執行機関である労働組合も、たとえ順番性であったとしても、中心になる人物がいて会議で議論し執行しています。
 結論は、一部の人たちの代行機関としての国家は不要であり、なくしてもやっていける。仮に共産社会であっても執行部が搾取を行っては資本主義と同じ。それがスターリン主義か。

回はわかりやすく、おもしろかった。
 普通、何事でも人が多いほうが勝ったりするのに、本当は少数しかいない資本家が多数の労働者に勝っているのはひどい暴力であった歴史上にあり、現在においても国内で見れば自民党に変にあおられてしまっている人が自民党を支持しているため、実際は資本家は少ないのに労働者の党は小さくて、自民党が大きくて政治を握っているってことなのか? 皆が本質を隠されてしまっているから、本当は多数いる労働者が、自分たちは資本家とは違って労働者側だと認識し、本当に多数で団結することで逆転できるってことなのか。それが労働者が自分が労働者階級という階級としての意識をもつということなのかなと、やっと階級の意味がわかってきた気がする。
 国家なんて意識しないでも人は生きていける。けど、労働運動の中において、国家というものが権力者にとってはなくては生きていけないもので、私たちはそのことを意識して運動していかなければだし、運動していくことでそこがはっきりしてくるのが、よく分かってきた。

回はお話を聞いて、国家というものがいかにペテン的で、実体も正義もないものかという事がよくわかった。とてもおもしろかった。「必要悪」、ひとつのキーワードとして印象に残りました。労働者が資本を打倒し、権力をとったときにも、その権力を守るために軍隊が必要だと。パリ・コミューンの例、資本を打倒してからの社会について、すごく興味がわいてきました。

家がどのようにして生まれ、労働者階級の上にたち支配してきたのかということを歴史的に明らかにしてくれました。とてもていねいなレジュメでした。
 私のまわりにいる労働者にも,今日勉強したこと、伝えたいです。

労働者学習センター事務局
千葉市中央区要町2−8 DC会館 電話 043-222-7207 FAX 043-224-7197

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