労働学校通信

第Y期No.08

次回講座のお知らせ

11月18日(土) 各13:00〜
 近代日本史とナショナリズム
  第1回「つくる会」教科書に見る近代史像
  第2回 戦後日本におけるナショナリズムと国家主義
 講師 伊藤 晃(千葉工業大学教授)
 『無産政党と労働運動』(社会評論社)『転向と天皇制』(勁草書房)『日本労働組合評議会の歴史』(社会評論社)など著書多数。昨年、労働者学習センターから『戦争と労働運動』を出版
*親睦会も楽しみです(会費千円)

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労働学校通信 第8号 (2006.11.10発行)
がんばろう労働者!たたかおう労働組合!ひろげようインターナショナル

ここにこだわる

 今回と次回の伊藤晃先生のテーマは、この労働学校としては初めてチャレンジするテーマになります。レジュメにありますとおりに、「つくる会」教科書に見られるようなひどい近代史像ですよね。次回は戦後の民族主義とか国家主義ということをやるということになって、その次に、そもそも国家とは何なのかということをやって、いまのこの日本という社会のあり方がいかに歪んでいるのかということを、それでこれをいかに変革しなければいけないのかということをやるという意味では、非常に重要なテーマになると思いますので、ちょっと難しいところも含めて食らいついて聞いてほしいと思います。
 愛国心だとか国家主義ということが煽られているじゃないですか。これに対抗する一番の根本は、労働者の団結いがいにないんだと僕は思っています。日本という国家がある、アメリカという国家がある、フランスなんかがある、こういうふうに考えるから愛国心だとか国家主義ということが問題になる訳じゃないですか。
 一部の支配者がいて、労働者がいる。労働者が社会の主人公である。こういうふうに考えれば、愛国心なんてものがいかにちっぽけなものなのか、いかに情けないものなのか、たちまち分かるというね。だから僕らは「つくる会」教科書だとかなんとかということが跋扈する。労働者が本当にひどい目に遭わされて、未来の展望がなくて、将来はわからなくて、バラバラにされているからなんですよ。だからこういうことがつけいってくる。そういうことに今の日本の政府はつけいって、怒りを外に向けようとね。それが国家主義、愛国主義じゃないですか。
 それに対抗する思想は『共産党宣言』で学んだとおりに、万国の労働者に国境はない。団結しようと。こんなちっぽけなつまらない愛国心なんかになんでとらわれていたんだろうと、みんなたちまち気づく。そういうことを僕らは本当に実践としてやらなければいけない。私はそんなふうに思うわけです。
 だからやはり労働者の団結をめぐる攻防であり、労働運動をめぐる攻防です。ここにこだわらなければいけないと、そんなふうに私は思うんですね。
(田中委員長の開会あいさつから)

ひとりは万人のために 万人はひとりのために

交流の広場−闘いの輪(受講生の声)を随時発行しています

感想文紹介

「つくる会」の教科書の旧版は安倍が言ってたことと同じで、歴史観も同じだなーと思った。靖国はどうかわからないけれど、親米と反米を使い分けなきゃいけないナショナリズムってどうなんでしょー。一貫して徹底したら日米同盟なんてありえないわけでしょ。
 けど、侵略戦争へ向かうとき、いつも日本は列強国と同盟やら協調してやってたので、はじめからナショナリズムなんてないですね。しかも他国をマネしてできたのだから反ナショナリズムじゃないですか? はじめから他国強国マネ国家主義、それじゃ忠誠心、服従心、民族意識をあおれないから、天皇が必要だったんじゃないのですか?
 そして天皇も国体維持、国益のために臣民である国民を殺していくのを支えた。中国、朝鮮の人民による解放運動と先進国の懐柔政策や日本の植民地化によって東アジアの歴史、日本とアジアの関係は決定されてきた。力関係もある。
 けれど、それは国家と国家がやってきたことを表面的にとらえただけであるし、この今まで、そしてこれからをどう今と結びつけ、今、僕たちがやることをとらえ返し、運動の力にしなきゃいけないと思う。
 先日、「あんにょんサヨナラ」っていう映画を見た。慰安婦問題、差別問題とか、中国朝鮮人と日本人の中には様々に絡みあった意識、歴史、生き方の問題があり、投げかけられている。
 重要なのはそれがあるという認識であるし、理解をするという姿、行動だということだと思った。だが、"運動"においていうとそれだけじゃ乗りこえられなくて、それは戦争責任を外からの圧力ではなく、日本人自身が支配者側に追及し、責任をとらせなきゃいけないし、日本人にこそ果たす責任があると思う。そして乗りこえる運動をするってことは、民族解放運動も労働運動と共に学びあいながら発展させていくってことだと思う。それは国家をつくり、人と人を分けたのが支配者側のルールだったから、支配者が自分の利益のために分けたのだから、本当に全体の利益、労働者、人民、被抑圧者、自然、その地球で生きるものすべての利益にするということは、支配者が分けたそのもの、ルールから批判して打倒して変えなきゃいけない。

藤先生の2つの"もしも〜だったらば"が、心に残った。@日本が列強に対して、「植民地を取り合う」という形でではなく、列強の植民地政策そのものに反発する意味で、中国から領土をとっていなかったら、A(これは"もしも〜だったらば"とはおっしゃっていませんでしたが)15年戦争突入前に、満州から手を引いていたら、
 歴史を考える上で、"もしも〜だったらば"はタブーだとおっしゃっていましたが、このことを想像するのがとても大切だと思った。つくる会の人間達の言うように、日本が当時本当に東アジア諸国を守ろうとしていたのなら、この2つの"もしも"が現実になっていた可能性もあった訳で。抑圧される側の立場、民族解放運動なども全く載せていないというのも気持ち悪い。支配する者の側のルール上でだけの"正当性"を主張するのが、偏ってないなんて言えますかっつうの。また、この教科書でよく「避けられない運命」だとか、「当時国民は戦争の正当性を信じていた」とか書いてあるそうだが、そういうふうにして戦争の歴史を片づけていることにも腹が立つ。植民地支配されていた側の中・朝にとってそんな理屈が通らないというのは先生のおっしゃっていたとおり、当たり前。でも日本の中でだって戦争に動員されること、戦争に協力させられること、被害を受けることに疑問や怒り、罪悪感を抱いていた(戦後抱き、今も抱いている)人がいるじゃないか。それを『自虐的』と非難するのは、単に過去の戦争を"正当化(賛美?)"するだけにとどまらないと思う……というか、そう。歴史っていうのは単なる昔の物語じゃなく、常につくられているモノで、今この時も。それを学ぶっていうことは、学んだことを今私たちが生きていく社会をつくることに繋げるという事だと、いつぞやの歴史の先生がおっしゃっていた気がする。私もまったくその通りだと思う。しかしその為の歴史教科書が過去の戦争を"避けることの出来なかったもの""正当であった"と主張するっつう事は、今起こっている戦争や紛争、またこれから起こりうる戦争の要因なんかを"正当化"する教育を生徒達にしていくという事っすよね? 自虐的にならず、前向きにということを言っているようだけど、過去を様々な視点から見つめ、あやまちを犯していたのならそれを認め、反省し、くり返さない、そういう事なしでは前進なんてありえないでしょ!っつう話ですよね。これから未来を担う子供達にこんな教科書で学習させるということは、戦争をなんの疑問も持たずに肯定してしまう、知らないうちに愛国心(排外主義)を持たされてしまう人を生み出すということだと思う。これは子供達を戦場に行かせるアブナイ道具だ!!こんなもん採択しちゃダメだよー。もし使うんだったら、この教科書を手にする全ての先生が伊藤先生のように、この教科書の本質をあばいて、それを生徒に教えてくれる、そういう先生じゃなくっちゃね。むしろそういう授業もおもしろいのでは?なんて思ってしまいました。次回は、ここまで矛盾をひた隠してデタラメ書いてるこの教科書がこの後どう展開してっちゃうのか。楽しみにしています。

1.「つくる会」教科書に対して、あらためて怒りがわきます。「15年戦争」の「正当性」を強調していくような教科書がまだ少数と言えども採択していく動きがあることについては、労働組合として闘っていく必要があると強く感じます。

2."日本民族は生きるため、植民地を必要とする(他民族の犠牲において生きる権利)"なるものの批判は、労働者階級の階級的な物の見方を強めるということにあるのではないか思います。資本家と労働者の階級対立を塗り隠して、ひとつの共同利害に資本家と労働者があるということを労働者に"信じさせていく"ことを「つくる会」教科書がやろうとしているように思います。そうではないということを理論ではなく、運動面とものの考え方で押し返していくところに、今の労働組合の課題があると思います。

3.北朝鮮に対する制裁発動という中での労働組合の果たすべき役割
 私は神戸で在日朝鮮人の運動とのかかわりをもっていますが、その中でいつも指摘されることは、教科書問題にしても有事立法にしても、日本の問題ではないのかということです。たしかにそのとおりであり、日本の労働者がまずもってこれと闘っていかなくてはならないものだと思います。他民族を"もの"扱いにしていく価値観についてはおぞましいものを感じます。
 朝鮮侵略戦争に向かって、実際に火蓋が切られている状況のなかで、この「つくる会」教科書の若い人たちへの影響を批判していく内容を、労働組合としてとり組んでつくっていくことがひとつの課題ではないかと思います。
 ちくいち「つくる会」教科書の内容を勉強したというのは、はじめてです。これほどひどいものなのかとあらためて思った次第です。同時に、労働組合としてこれに対する闘いをどのようにするのかという問題は、単に集会やデモに出るというだけでなく、内容批判の必要性を感じているところです。

生から「つくる会」教科書の旧版と新版の印象についての話があったが、新版について中身をまだ見ていないのでハッキリとは分かりませんが、常識化、穏和化、という変容について、もっと注視しないとならないのではと思いました。昨年の教科書採択率は低く、まだまだ現場に浸透していない、出版社の売上が落ちたという側面はありますが、先生も触れていた遊就館の「修正」という流れも含めて、支配者階級側がそれらを「温和化」「修正」することで、本気で教育現場や労働者の中へ入り込もうと試みていないのか?ハッキリとはわかりませんが、遊就館についてアメリカから指摘があったことや、軍事国家化への道を固めようとする支配者側の表れではないのか、したたかさではないのか、そんな気がしました。
 「つくる会」だけではなく、ほとんど全ての歴史教科書からは労働者の存在が消され、国家単位間の争い、戦争、思想などが語られ、ナショナリズムが述べられています。ナショナリズムは「愛国心」とか論理や言葉に集約されてしまいがちで、労働者という主体が家族を思い、仲間を愛し、国内の労働者、世界の労働者と連帯するという考えを、自ら排除してしまうことにつながってしまうのではないでしょうか? 惑わされず、原則的に学ぶということを続けていきたいと思います。

回は「つくる会」教科書をとりあげ、ナショナリズムの講義ということで、とても楽しみにして来ました。本日の感想として、本当に来てよかったと思いました。「つくる会」教科書の中身は、本当におぞましいと思います。自らの間違いを認めず、仕方がなかったという言葉で片づける、ひどいという他ないです。こんな教科書が学校で使われたら、本当にどうなってしまうかわからないと思います。(反面教師的な教材として使うのなら分からないことではないですが……)まだまだ日本が60年前のことを総括できる日は遠いように思ってしまいました。当時の日本がルールに基づいて協調的だった、なんて本気で書いてしまう人の気が知れないです。
 ナショナリズムに関しても、いろいろと考えることができたと思います。被抑圧側のナショナリズムは民族解放になり、抑圧側のナショナリズムは排外主義になるということが、とても印象的でした。ナショナリズムが盛り上がれば、結局はどこかと対立しなければならなくなるということならば、私たちが考えなければならないことは、民族にとらわれない労働者としての団結というのが本当によく分かりました。それだけに、今の日本が右傾化しているなかで、多くの人々をどのように説得することができるのだろうか、という不安や疑問もわいてきてしまいました。でも、とにかくいろいろとり組むしかないのだと思います。田中さんのおっしゃったとおり、ナショナリズムなんて、ちっぽけな話だと思います。自分自身も大きな視点に立っていられるよう、努力していきたいと思います。

「つくる会」教科書は戦争を肯定するものであり、教育に使われるべきものではないと聞いていました。今回、内容について説明を聞き、日本は悪くない、悪いのは中国、朝鮮、アメリカで、周囲の状況が変化していって、日本はそうせざるを得なかった……みたいなことが記述されていて、こんなことを子供に教えたら、すぐに反日、反米感情が生まれるのが分かる。
 私たちが近代日本史とナショナリズムを学ぶ必要性は、歴史認識はすぐに変えられて伝えられるから、正しい歴史認識をもっておき、現在につながっている原因を知ることで、止められることがあるということを知っているためかなと思いました。日本(自分たちの国)がやったことから目をそらし、北朝鮮のミサイル、核実験、拉致などを取りあげて、戦争へ進んでいることを知るためにも必要なんだと思いました。でも、勉強しなくてはいけないのは分かるけど、勉強するのは大変だなーと思いました。

「つくる会」教科書の中身について、これまであまり学習したことはなかったので、今さらとてつもない国家主義につらぬかれたものなんだと思いました。とくに感じたのは国家は生存するためには対立−戦争が当たり前のように捉えられてしまい、こんなのを強制されたら「しっかりした」愛国心が植え付けられてしまうと思いました。
 また、今日の国連安保理での北朝鮮制裁決議でも感じていたのですが、国際法やルールというものが、いかに世界を支配しようとする国(者)によって正当化され、戦争に突入してしまうのかが今日の話で良くわかったように思います。
 この教科書はそんなに多くは採択されなかったけれど、毎日のマスコミからの排外主義報道を考えると、労働者の運動というのは階級的な思想をはっきりとさせて展開していくことが重要になっていると思いました。

労働者学習センター事務局
千葉市中央区要町2−8 DC会館 電話 043-222-7207 FAX 043-224-7197

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