労働学校通信 第Y期No.03 |
次回講座のお知らせ
6月17日(土)・7月15日(土) 各13:00〜
◆現代の帝国主義について
◆講師 島崎 光晴(経済問題研究家)
労働者を食わせていくことができなくなった現代の帝国主義の危機を明らかにし、
労働者の立場に立った時代認識を学ぶ
*親睦会も楽しみです(会費千円)
労働学校通信 第3号 (2006.06.10発行)
がんばろう労働者!たたかおう労働組合!ひろげようインターナショナル |
核心的なこと 『資本論』ってこんな長いヤツは労働者、読まないから、マルクスは労働者に分かってほしいと、『賃労働と資本』という形でまとめて小冊子にしました。だけど難しい要素もある。だからこの中で何を獲得するのかと。 「疎外された労働反対」!そうかと言って、そいつらは分かったか分からないか分からないよ。そうしたら面白かった。翌日、職場に行ったら自分の菜っ葉服(国鉄の作業服、菜っ葉の色をしている)にペンキで「疎外された労働反対」と書いて仕事をやっているんだよな。それで疎外の「そ」が違っていたりしてね。やはり僕はそうだと、やはり搾取された労働ね。労働したものが自分のところに返ってこない。誰かが取っちゃうという、こういう関係でしょう。だから面白くないわけですよ、労働が。看護師さんとか教師というのは、崇高な目標のために一生懸命仕事をしている人達、結構いるんだよな。特に日本共産党が「聖職者論」だとか、何とかいろんな屁理屈をくっつけて、ボロボロになるまで一生懸命働いて、ダメになるという労働者が多いでしょう。だけど基本的にはみんな、自分たちのやっていることに対してこれはおかしい、許せないと思っている。みんな同じなんだ、労働者というのは。これがある限り、労働者の団結は絶対に可能なんだと。これが核心です。 (代表あいさつから) |
ひとりは万人のために 万人はひとりのために 交流の広場−闘いの輪(受講生の声)を随時発行しています |
感想文紹介現場で「賃労働と資本」、マルクス主義の学習が必要です。それを心から思いました。労働組合が、労働者の当たり前の怒りに制動をかけ、労働者の決起を恐れ、闘争の度に言い訳をするのは許されることではないからです。 資本主義において「資本とは何か」、今日の講義を聞いて、あらためて大事なテーマだと思いました。「資本とは自己増殖する価値である」というところを受講生が解説してくれたのも、分かり易くなりよかったです。今の社会は消費社会として複雑化している中にあって、「賃・資」で原理的なことを学んで応用していく力をつけていきたいです。 資本主義社会の中にあっては、本当に労働者階級とはうかばれない存在だと、理論だけでなく現実社会をみても、あらためて強く感じました。景気がよくても悪くても、常に強烈な搾取を受け続ける労働者階級からの解放が本当に必要だと思います。そのためにわれわれは何をしていかなければならないのか。今こそ労働組合の出番だと思う。講義の中でも労働者階級の団結が強調されていましたが、まさしくそのとおりだと思います。資本の競争の中で、労働者も分断され、ボロボロにされていますが、だからこそ労働者は立ち上がるのだと思います。労働者こそ社会を動かしている存在だと自覚すること、労働者こそ資本主義社会を打倒できる存在であることをはっきりさせて、労働者の結集を実現したいと強く感じました。 『賃労働と資本』の講義を聞いて、すごく資本主義が馬鹿げていると思った。にんげんはみな平等であると言いながら、労働者は資本家の手の平の上でしか生活できず、時間が経つにつれ労働者と資本家の格差は広がるばかり。そして挙げ句の果てに資本家が利益をあげられず潰れれば、労働者は共に潰れる。本当に不平等な仕組みのもと、世界は動いていると思うと、労働者として憤りを感じる。 ロシア革命の歴史的に果たしている位置を指摘するのも、今日的には重要ではないかと思いました。労働者をいくらでも搾取してよい、どうやっても反抗もしないと好き放題やっていた資本家たちにとって、労働者階級が本当に資本家階級を倒してしまったこと。これの持っている意味は「賃労働と資本」で提起されている革命の主体としてのプロレタリアートという存在を観念的にではなく、実感をもってとらえていくことができるのではないかと思います。 工場法以前に戻すという今日の攻撃は、戦争と強制連行を前提していると思います。工場法が制定される前の資本は、労働者種族の絶滅を必然とする状態でした。今日の日帝ブルジョアジーの攻撃もそういうことであり、先のことは全く考えていません。帝国主義の危機を戦争によって乗り切ろうと考えているがゆえに、工場法以前に戻そうとしている。これは改憲攻撃と一体であり、民営化攻撃の核心は労働者階級の階級意識を解体し、改憲攻撃に屈し、さらなる改憲の先兵になろうとしていることです。そういう意味では今回学習して思ったことは、資本の攻撃は、本当に工場法以前に引き戻す攻撃だと思いました。 今日は「資本」とは一体何であるか、ということから始まり、労働者はこれからどうしていったらいいのかという部分まで、とても多くのことを学べたような気がしています。(つきつめるとわかっていないと思いますが……)。 「労働力の価値」について、前回は規定する意味が分からなかったが、今回でなんとなく分かったような気がする。 私は派遣で日々違う現場に労働に行くというスタイルで働き、組合もなければひとつの職場に腰をすえて闘うこともできないけれど、私が行く先々で知り得た情報や学んだことなどを話すことができ、スタッフから「へー、そんなの知らなかったです」「日本って平和じゃないんですね」とか気づく人が増えることが実感できるというのは、派遣ならではのできることかなあとも思う。 資本はあたかも私たち労働者のためのように思わせて規制緩和をするので、ここの労働学校で教えているような勉強をしていない多くの労働者はだまされてしまう。でもなんだか分からないが「この世の中おかしい」と思っている労働者は大勢いると思う。1年前は私もそう感じていたからだ。その頃はこの資本主義社会の中で自分が生きているんだということを意識していなかったので、(資本主義の枠の中で考えていたので)どうにかこの社会がよくならないのかと考えると、どうしても矛盾がうまれ、「なんだ、かわるわけないじゃん」とあきらめてしまう……。しかし、資本主義じゃない社会(労働者が主人公の社会)があるんだ、資本主義だから、こんな世の中なんだということが理解できると、すごくスッキリしたのを覚えています。でも、誰かが最後に質問していましたが、本当に労働者が動かす社会がきた時の具体的なことが、まだ私には見えていないような気がします。 資本とは単なるお金ではなく、常に増殖していくことをくり返さないと生きていけない。しかしこの価値は誰が生み出しているのか? 資本家じゃない、労働者だ。資本主義のもとでは、生産力の発展さえ、さらに労働者から剰余労働を吸い取るためのものだということは、本当に腹が立ちます。こんな自己運動と私的な利益の存続のために、労働者は生かされている世の中とは何なのか! 今、自分が労働しているのはあたりまえなんだけど、気づかないことや分かっているけど自分が気づいていない労働関係、資本家と商品(労働力)の関係、あたりまえだけど、それではいけないこと、このままではいけないということに気づかされた気がします。 とてもわかりやすく楽しい講義でした。
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労働者学習センター事務局 |