労働学校通信

第X期No.08

次回講座のお知らせ

2006年1月21日(土) 各13:00〜
 国家について
 講師 藤村 一行(社会問題研究家)
 「国を守れ」という宣伝が吹きあれるなかで、労働者の立場から国家とは何かを提起する
DC会館(総武線東千葉駅前)
*親睦会にも積極的に参加しましょう!(会費千円)

労働学校ニュース 戻る
労働学校通信 第8号 (2005.11.10発行)
がんばろう労働者!たたかおう労働組合!ひろげようインターナショナル

すべては労働者の団結に

 さしあたりわれわれは、全国でゼネストをするぐらいの力を持ってはいないけれど、少なくとも東京に万単位のデモンストレーションを展開するぐらいの力をつけなければいけない。そのために11・6、どうしても1万人集めたい。
8・8から9・11情勢をしっかりと労働者の立場から見て、それに対抗するすべは、労働者の団結にある、闘う労働組合の再生にある、と。その当面する環は11・6集会の成功である、ということをぜひ確認して、その立場から伊藤先生の話を聞いていただきたい。
そこで、本当にそうだと思って、明日からどんどんまわりの労働者に呼びかけて、11・6集会に連れてくるということを申し上げて、今日の始まりのあいさつに代えたいと思います。今日もがんばりましょう。
(代表あいさつから)

ひとりは万人のために 万人はひとりのために

交流の広場−闘いの輪(受講生の声)を随時発行しています

感想文紹介

1)中野さん強調!
「労働者は自分たちがこの社会を動かしているという誇りと確信を持ってもらいたい。労働者の団結が今ほど問われている時はない!」「ファシスト的やり方、石原も小泉も抵抗する者がいると弱い。11・6に1万人東京に集めてときの声を上げたい」
2)戦争の労働運動史から何を学ぶのか
《労働者の集団》を、戦争に対抗する勢力にするには、どうするべきか。歴史を学ぶなかからつかむこと。たしかに前提として《労働者集団》が戦争反対、あるいは戦争賛成ということでもないのだから、そこで何が道を決めたのかは重要だ!
3)「満蒙の権益は無産階級のために」のスローガンが労働者、農民をかりたてた歴史がある。この流れがどのようにして組み立てられたのか。今日的課題としてこの歴史を学ばなければならない。
 「弱肉強食の世界、食われたくなければ食う側に立てと、侵略戦争、植民地支配ができる強い国となること」この支配階級の論理が、労働者・農民を取り込んでいくのはなぜか。戦争を通じて日本民族は生きられるのだという「明るい希望」となり、ナショナリズムが全体を覆っていったという。しかも軍部が目的意識的に、論理的に、民族的エネルギーを扇動し、もりあげたのだ。それは明治以来、準備された結果でもあった。
4)この20年代、労働運動はいたるところで芽となり、花を開いた。不満を言葉にし、行動に立ったとたん、労働者としての誇りと自覚が生まれ、さらに解放の道筋がひかれたのだ。法もなく、弾圧が襲いかかるなかで、指摘されたように、それが日常的な労働運動として継続され、恒常的な労働者の組織として根付いていくことが課題だったと思う。
 現実に労働者の利益を実現できる強力な労働運動の建設こそが《対案》だとまとめで強調されたが、それは今の私たちが抱える課題に対する《対案》でもあると思います。
 労働者の利益を実現するために朝鮮・中国への侵略戦争(満州開拓へと導いた当時にあっても、その時々で別の選択がありえたこと。そのひとつの鍵が、労働者が人間として誇りを持って生きるためにどうするのかだったのではないかと、今日の講義で学ぶことができた気がします。

「満州事変」の前後でいろいろなことがあった。労働者を戦争加担させるためのキャンペーンをやっていたこととか、共産党が崩壊していくことなど、知らないことが多く、とても勉強になりました。
 率直に思うことは、労基法もなにも保障されるものがないなかで、労働者がストライキに起ちあがる。資本家(経営者)にせまり、闘いとったことは本当にすばらしいことと感動していますし、今現在生きている私たち労働者が闘っていかなければと実感しています。
 女性労働者の闘いも、ほんとに軽視できるはずもなく、"女性は強い"と言われているし、起ちあがっていると思います。一般の労働運動史ではあまり語られないというのは、許し難いことです。先生の本(戦争と労働運動)のなかには、女性労働者が闘っている写真がけっこう多く、個人的に一人の女性労働者としてうれしいと思っています。

回、初めて「満州事変」について詳しく聞きました。でも、すごく難しくて、よく理解できなかったことがすごく残念でした。だけど、学校で習ったことと、今日伊藤先生から聞いたことが、全く違うところが多くてビックリしました。
 日本は満州を植民地として支配していたじゃないですか? その当時の労働者は植民地をしていることに対して、闘争とかはしていなかったのですか? 植民地=差別なのに。もしくはそういうことが出来なかったんですか?
 当時、国民に「戦争をすることで、私たちは生きていける」と言って、希望を持たせていたけれど、そのことに国民のみんなは 疑問を持つようなことはなかったのでしょうか?
 今の時代だったら皆とはいけないかもしれないけれど、疑問を持つ人は出てくると思うんです。疑問を持つこと自体いけないとか言われてたんでしょうか?
 あと、ベルサイユ体制って、詳しくはどういうものなのでしょうか? よろしかったら教えて下さい。今日はありがとうございました。次回もよろしくお願いします。

前の労働運動史については、以前、立花隆の著書によって戦前の共産党批判を通じてなぞったが、労働運動史そのものを勉強したのは初めてです。やはり戦前の共産党批判と、労働運動の限界の問題は表裏であり、一体だと思う。
 やはり、共産党の崩壊の問題にしても、労働運動の転向の問題にしても、真面目に考えれば考えるほど、「重い」と思う。
 各々の運動のつくり方の「欠陥」についても、いざ自分がやるという立場に立てば、その欠陥とは、全く無縁で無いどころか、果たして戦前のレベルにさえ到達できるのかと思う。
 やはり自分自身もそういった歴史の中の一人の人間であり、先人一人一人が様々な誤りをも犯しつつ得た教訓を自分のものとし、自分もそれを後世に残していくことだと思う。
 今の自分から言えば、自分の実践も少ない中で、先に批判ばかりで頭でっかちになりたくはないと思う。

後の希望
 ここでひとつお願いがあります。それはたばこの問題です。たばこが発がんの大きな原因であるということは、科学的に明白です。たばこで不幸になるのはご本人だけでなく、周りの方もなのです。もし、ここにたばこを吸われる方がいらっしゃいましたら、この機会におやめいただきたいと思います。

労働者学習センター事務局
千葉市中央区要町2−8 DC会館 電話 043-222-7207 FAX 043-224-7197

労働学校ニュース 戻るDORO-CHIBA