労働学校通信

第W期No.10

次回講座のお知らせ

国家について
講師 藤村 一行(社会問題研究家)
 「国を守れ」という宣伝が吹きあれるなかで、労働者の立場から国家とは何かを提起する。
1月15日(土)13じからDC会館(JR総武本線東千葉駅前)
*講座終了後の懇親会にも参加しましょう。

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労働学校通信 第10 (2004.01.10発行)
がんばろう労働者!たたかおう労働組合!ひろげようインターナショナル

謹賀新年
今年もよろしくお願いします

代表あいさつ
 今日は04年最後の講座になります。04年がどういう年だったのか、われわれの闘いがどこまで前進したのか、04年を大きく総括する。そして、05年はどういう年になるのか、どういう闘いをやらなければならないのかと言うことについて若干ふれたいと思います・・・
体制(帝国主義)の問題
 アメリカの中で大変な事態が進んでいると見なければならないと思います。新聞紙上ではキリスト教右派勢力の台頭などと、確実にブッシュを当選させた大きな流れの中に、ドイツのナチスのようなファシズム的な要素がいろんな形をとって噴出してきている。
 結局、アメリカは戦争を遂行すること、イラクをはじめ全世界に戦争を拡大することでしか生きていけない、そういう状況になってきたと言えるんじゃないかと。
 日本でもそうですが、われわれが過去経験のないような様々な社会的事象が生まれています。親が子どもを殺したり、子どもが親を殺したり、やたらと誘拐しちゃったり、世の中が完全にすさんでいる。
 多くの人たちが今の体制の中で希望とか、夢を託すとか、そういう言葉が全部なくなって、毎日毎日、不安といらだちの中で生活している−この1年間こういうことが顕著になったと思います。
起ちあがるランク&ファイル
 レーニンは帝国主義の腐敗・腐朽性と言っていますが、結局、資本主義という体制は根本的に人間を人間として扱わない。人間を労働力商品として売買の対象としか考えない。そういうことが今やこういう形をとって爆発している。体制の問題として私たちは考えなければならないのではないか。
 そういう状況の中でアメリカの労働者階級が10月17日のワシントンMWMにも示されているとおり、戦争と多くの労働者に貧困を強いるという攻撃に対して、労働組合がランク&ファイル運動を通して起ちあがった。
日本でも、04年はわれわれの力量からいってうまく行った。有頂天になるのではなく、兜の緒を締めて、11・7にのぼりつめた成果を大きく総括して、05年に向かって闘いを前進させたいと思います。

<事務局からお知らせ>
 3月19日の講座と修了式は、3・20国際反戦闘争の関係で、3月26日となります。
卒業式における「日の丸・君が代」闘争、3・20イラク開戦2周年−05春闘へ総決起を開始しよう!

ひとりは万人のために 万人はひとりのために

交流の広場−闘いの輪(受講生の声)を随時発行しています

感想文紹介

働者が資本の支配と闘うにあたって、「国家とは何か」は基本的視点として極めて重要だということを改めて思いました。
 「治安の維持・回復」などということが当たり前のように語られる状況の中で、労働者と国家が非和解であることをはっきりさせていくことは、そんなに簡単なことではないと思います。「交通規制」の例は、非常にわかりやすいものでした。
 原始共産制について。自分の中でかなり貧困なイメージしかもっていなかったと思いました。なんだかんだ言っても遅れた社会であり、そうであるがゆえの平等でしかなかったという捉え方が色濃かった。そうではなく、家族的なものにとらわれない、共同的な社会関係だった。それを労働者が主体となって、高次の生産力のもとで実現していくのだと思いました。
 ・グローバリズムについて
 ・「死滅論」について
 時間がなくて出来なかったのは残念。次回必ずお願いします。

配階級との闘争、衝突を回避するため、秩序を押し付けてくる国家。というか、国家そのものがそのための秩序を生み出す道具ということですよね。「日の丸・君が代」について職員会議で議論になるとき、無用に混乱を持ち込むな、ということがありますが、まさに階級闘争を公の秩序ということを理由に権力を押し付けてくる典型だということですよね。そして、それが通っていく雰囲気は、人間がそういった強制される秩序というものが楽だと思っているからだと思いました。

民のための国家であったはずが、ブルジョアのためのものになっているという事実は、現在の職場においても実存している。上下の階級によって分裂がまさに起こっている。権力に抑圧されていることは今回の講義でよく理解できたが、今後、このまま権力に支配されなければならないのかと疑問に感じた。

家って何なんだということを考えるとき、どういう立場に立って考えるのかという提起は、そのとおりだなと思いました。私たちにとって国家は必要なものなのか、必要ないのか。必要ないということをはっきりさせられたと思います。
 毎日のニュースとかを見ていると、許せないと思うことがたくさんあります。今のイラクへの戦争の問題、自衛隊の派兵、それから北朝鮮に対して毎日のように行われている悪宣伝、北朝鮮への敵意を煽るような宣伝など。こういう事が国家のやろうとしていることとして見ていくこと、日本という国家が何に向かおうとしているかということを見ていくこと、今日の話を聞いていて、そういうことを考えました。私たちではなく、支配者、搾取者のための国家であり、その利益を守るための戦争であり、政策であるということが明らかになると、そんな国家などいらない、倒してしまえということはスッキリします。暴力装置と闘うためにも団結して力をもとう。
(後半の話、少しわかりにくかった)。

家がブルジョアジーの支配手段以外の何者でもないということが初めて明瞭にわかりました。学校で労働者について何も具体的に教えないのも当然のことなのですね。今日の話で"こっち側"を分断する「非暴力」という考え方が本当にやばいものであることも、うっすらわかった気がします。日共の大好きな憲法について書かれた「新しい憲法のはなし」だって、「これはみんながつくったものです」とか書いてありますが、これ大ウソなんですよね。よく考えたらそうですよね!!
 自分の目で見て、自分の頭で考えない限りだまされちゃう。それが支配されるということで、自分で判断し自分で行動していけない限りそれは続いていく。労働者が自分の力に気づいて立ち上がることが人間解放であり、その先に真のあるべき私たちの社会ができていくのだ、ということが分かりました。

労働者学習センター事務局
千葉市中央区要町2−8 DC会館 電話 043-222-7207 FAX 043-224-7197

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