感想文紹介
「宣言」を勉強するのは数年ぶりですが、第一章に多くのエッセンスがあることをあらためて勉強させていただきました。
過去から未来までの人類の歴史に照らして資本主義というあり方が歴史上有限な存在で、労働者がどういう存在なのかが簡潔に理解できたと思います。
文明の発達が自分らでそれを制動することもできないで、軍事競争と自然破壊へ突き進んでいく有り様は、マルクスが1948年の段階で予見していたことのそのものの内容だと思います。
共産主義のイメージを豊にふくらませて、かつ実現可能なのだということをしっかりと勉強したいと思います。
今日の講義の最後に共産主義論が話されたのが良かった。共産主義という教義が先にあって、そこから現実社会を分析するというのではなく、現実の生産諸力と生産諸関係の矛盾、ブルジョアジーに対するプロレタリアートの階級闘争によって、近代ブルジョア社会を倒していくのが共産主義の思想であり、実践だということです。
私なりの共産主義社会のイメージは持っています。それは「ゴータ綱領批判」や「国家と革命」の高次の共産主義の段階のイメージです。プロレタリアによる革命的独裁ののち、社会は一定の統計により全地球の人間に必要なものの生産にすべてを振り向けていきます。その結果、飢えが地上から消滅します。戦争も消滅し、国境もなくなります。貨幣も必要でなくなり、人々は週に3日程度、社会のために働き、あとの4日間は、芸術や趣味のために生きる。そんなイメージを持っています。私たちが作ろうとする社会のイメージを持って運動することも必要では・・・。
近代プロレタリアは医者の立場ではなく、墓堀人の立場で社会を変革する。
最後の補論は、共産党のペテンがよくわかりました。
無産者、何も持たないから特権を欲しないということでしたが、労働者が全てを奪われているからこそ全てを全世界を奪い返す、獲得することがプロレタリア解放につながっていくのだと思いました。宣言には労働者階級の怒りが詰まっている。その観点から宣言を読むということが大切だと思いました。共産主義革命とは、現実の世界を変革すること、それが共同性を奪い返すことだと思います。
◎今後の希望
次回はプロレタリア階級とは何かという宣言の核心に迫ります。ぜひ現代とつなげていくためにも、動労千葉労働運動の生成、教訓ともつなげていくと学習内容がリアルに伝わっていくのではと思います。注文ですが、よろしくお願いします。
共産党宣言を1年くらい前に初めて読んだとき、わかったような、わからないようなという感じであったが、改めて今日先生の講義を受け、共産党宣言が我々労働者の現実にあわせた実践の問題であるということがわかった。先生のおっしゃった中で思想から現実に行き着くのではなく、現実から出てくる思想であるということ、現実の労働者は資本によってものすごく搾取を受けているということがあるからこそ、そういった現実の社会矛盾をプロレタリアートが解決していかなければならない。共産主義は現実から離れた思想ではないのだと理解した。
本当に今こそ資本主義、帝国主義を打倒して、今日の社会に責任をとる階級は労働者なのだということを仲間に話し、3・20を労働者の力で大爆発させたい。
ブルジョアとプロレタリアという言葉はよく聞きますが、今日、こうしてあらためて聞くとずいぶんと違うということが分かりました。ブルジョア(資産があり人を動かして利益を得る)プロレタリア(労働力を売って生活を得る)、今の世の中はブルジョア(資本家)の支配する社会であるということ。私たち、多数はプロレタリア(労働者)に属している。その中でブルジョアジーは絶えず革命をしていかなければ生きていけない。そのことは奥田ビジョンを見れば明らかであります。
奥田ビジョンでは多数の労働者の労働者の生活を根こそぎ変えようとしている。しかし、その多数の人々はそれがどういう事なのか無関心のように思える。これだけ大変なことに対して、組合は対決しようとせずにむしろ迎合しようとしている。
今日の講義ではそれに対しての武器は階級闘争が有効であると。闘ってはじめて理論がわかるとも言っていました。私たち動労千葉の組合員は、普段の闘いのなかで知らず知らずのうちに経験し知識として学んでいるということになっているんだと思いました。
質問者が質問した点、私も今日の講義の最大の獲得点でした。「共同性の回復」。
「共産主義社会とはどういう社会か?」と問われたとき、どうしても具体的、物質的な側面からのみ回答を求めようとする。しかし、今回の指摘のように人間関係のあり方、「労働者の生き方」という観点でとらえることが核心ではないか。
すたわち「階級的対立関係の中で破壊されてきた人間的共同性をとりもどす」ということ。本来の共同体を回復するということ。まさに共産主義とは「コミューン」の「イズム」なのだ。
そうした観点から見ると、以前から疑問に思っていたことだが、「共産主義」という訳語は「産」の意見がいかようにもとらえられて、勝手な誤解を招いてしまうということがあると思う。典型的な誤解は「産」を「財産」という物質的なものとしてとらえ、「財産を共有する」という狭い意味で共産主義をとらえてしまうというもの。「共に産み出す」という解釈もある。もちろんそれらの解釈は共産主義の一側面ということでは誤りではないが、共産主義を全体的にとらえているとは言えないだろう。
まあ、いかようにもとらえられるところがいいのかも知れないし、今我々が訳語を変えると、転向との誤解を招きかねないので、内容で語っていくということだと思う。
ところでこの「共同性の奪還」ということは、実は労働者の団結、労働組合の団結ということの中で、端緒的に実現しているのではないか。だから闘う労働者であれば、実感として理解できるのではないか。
そういう意味で「俺鉄2」はまさに著者自身が述べているように「共産主義の実践の書」ではないかと思う。
現実に根ざしてこそ問題を解決する(できる)。問題を解決する主体はプロレタリアである。
だからプロレタリア世界観(生き方)は、ブルジョアの支配するこの資本主義社会を観察し、把握することから始まる。
プロレタリアはこの把握のうちに、自らの解放の条件とその主体である自らについての役割をつかみとることができる。
共産主義はこの条件を自覚的にとらえた思想である、目の前で不断にまき起こる階級闘争を正しく闘いぬく実践的視点から確立された。
・労働者の生き方とは、たたかう労働者の思想、理論、実践の問題である、という提起をしっかり自分のものにしたいと思います。
・生産力と生産関係の矛盾と言った場合、生産関係の当事者であるブルジョアとプロレタリアの階級闘争が最大の焦点になるのだと思います。この場合、主体は二つです。ブルジョアが勝つか、プロが勝つのかが問われているのだと思います。勝つために学ぶ決意でいきたいと思います。
レジュメがわかりやすかった。自分たち(Pro)が今、生きている社会、そしてこれから倒そうとしている社会についてキチンと把握することが大切だ−−つまり実践のための学習であり、理論なのだということを、すごく強調されていたと思います。
〔第1の確認点〕社会の発展、歴史的段階について理解してると自ずと〔第4の確認点〕資本主義社会も終わりがある、ということに行き着きます。
講師も話していたとおり、「今の社会をつかむために、過去(歴史)を学ぶ」必要性を感じます。
しばらく本棚に眠っていた「共産党宣言」を新しい気持ちで読んでみたくなりました。
3・12−13ストから、3・20へ!
動労千葉が今やっている闘争は、個別動労千葉をめぐる攻防だけど、動労千葉の指導部、活動家たちは、3・20を成功させるインパクトを与えたいと思っているわけね。3月のストライキをそういうふうに考えています。自分たちの闘争が、3・20の10万人結集に少しでも役立てばいいとう立場でたたかっています。 (代表あいさつにプラスして)
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