労働学校通信

第10期No.10


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労働学校通信 第10号 (2011.01.10発行)
がんばろう労働者!たたかおう労働組合!ひろげようインターナショナル

 

ひとりは万人のために 万人はひとりのために

交流の広場−闘いの輪(受講生の声)を随時発行しています

感想文紹介

感想文紹介
☆日々深化する大恐慌は後戻りのない資本主義の終わりを告げ知らせています。延命策である新自由主義は破綻しました。大恐慌の下、追いつめられた菅・民主党政権は資本主義の延命のために、全世界の労働者の団結を破壊する朝鮮侵略戦争に突入しました。労働組合の力で戦争を止め、社会を根本的に変える時代にしていきたいと思います。
 2010年は国鉄闘争をめぐる闘いであったと思います。菅・民主党政権は4・9政治和解により、動労千葉を解体し、「労働者は闘っても勝てない」という絶望と分断を労働者に持ち込もうとしました。戦後革命の中心軸であった国鉄闘争を労働組合が職場闘争と一体で、資本と非和解で闘ったら資本家が打倒されてしまう!この恐怖ゆえと思います。しかし、私たち11月派は国鉄全国運動をスタートさせ、東京西部では鈴コン分会を先頭に闘い、青年が杉並区内の自治体を中心に動労千葉物販をもちこみ、杉並区関連職場で働く青年が、新たな分会を結成しました。10年は文字通り国鉄闘争の力で、職場を軸に闘って組織拡大に挑戦してきた歴史的な年であったと思います。2011年は国鉄闘争を軸にJR外注化攻撃と闘い、拠点といえる職場を職場の労働者とともに考え、実践してつくっていくことができたらと思います。と、そういう問題意識でいたわけですが、本日の学習会はとても2011年労働組合はいかに闘うべきか、という点において、実践的だったと思います。
 国革を知識として一般的に学ぶのではなく、階
級的労働運動の発展を担う立場から学びなおすこと、私もそうだ!と思いました。
 なぜなら、日常的に資本と非和解で闘い団結する労働組合こそ、革命の準備を整える力があると思うからです。
 国革の重要なテーマとして、国家と労働者階級の非和解性とプロ独の準備が戦術的な問題ではなく、労働者自身がその主体ということが提起されていると思います。パリコミューンの経験とロシア革命の経験の教訓からあらためて労働組合こそ目的意識的にプロ独に向けて闘っていこうと思いました。

今回の学習会で、青年はプロ独を求めていると思いました。青年の怒りと切り結び、ガンガン実践していきたいと思います。

☆「国家とは階級対立の非和解の産物である」「階級対立が絶対和解できないところに国家というものが生まれて、支配階級の道具として機能する」
 国家とは、資本家階級の意思を労働者階級に強制するための徹底した暴力機構だということです。資本家と労働者の関係は非和解なんだということをつかみ取れるかどうかにかかっていると思います。
 そして、それはレジュメの中でも書いてあるように、この非和解性を労働者が本当に理解するのは理論的にではなく、実際には労働組合として団結し、資本と激突する時である。
 実際に闘いがはじまると、(今私が関わっている団交の場でもそうですが)どんな小さな(?)資本でも本当に非和解なんだと体で実感する。そして実は資本側はグラグラなんだということがハッキリしてくる。と、がぜん、組合員は闘いに目ざめ核心をつかみ取る。そして「階級としての労働者」に大きく変身していく様を目の当たりにしています。
 そして、コミューンの基盤を今日的形成をするためには、労働組合を本物の階級的労働運動を行うことのできる労働組合に甦らせることが重要であり、その基盤は労働組合だということです。そしてこのことは知識として一般的に学ぶのではなく、階級対立をなくすことを目ざす労働運動でハッキリしていることは、マルクス主義の「国家と革命」の内容を持ち込むことなのだということです。
 でも、これはまだまだ理論的であって、本当の実践の中に持ち込むことが必要なんだと思います。その意味でも今回の「討論」という形になったのはすごく良かったです。
 そして、「東京で50万人、100万人のデモが起きたらどうなるのか、ということを70年安保の時の様子をかたり、せいぜい1万人の機動隊ではどうにもできないんだ!」という話に空気が入りました。2011年もがんばるぞーという授業でした。

☆いかに国家というものが搾取と抑圧の機関であるかということが分かりました。
 闘いなくして非和解性は理解できないとありますが、「暴力」に対してやはり少し抵抗感があります。しかし、今回講義を聞いて、少しずつですが、その言葉に対するイメージが変わりつつもあります。

☆階級的労働組合運動を通して、プロレタリア革命によって国家を支配するブルジョアジーを打ち倒す構図が理解できました。
 プロレタリア革命により、ブルジョワ国家を「廃絶」するために、革命成就後にブルジョアジーを抑圧するためにも暴力は必要である。しかも、この暴力はブルジョアジーがプロレタリアの抵抗を圧殺するために用いてきた凶暴かつ残虐極まりない巨大な暴力に比べれば、ごくわずかなものである。少数者のブルジョアジーに対して行使される暴力は、全人類を解放し、国家や暴力そのものをなくすための暴力である。
 今日の講義で、暴力革命の必要性の説明を受けたことは有意義でした。

☆「暴力」「独裁」「国家」「革命」、支配階級が革命を起こさせないために、労働者階級の階級性を解体するために、おどろおどろしくねじ曲げ、毎日毎日、一秒たりとも休まず洪水のようにたれ流しているブルジョアイデオロギー攻撃。
 「労働者は勝てない」「闘ったら弾圧されてつぶされる」、いったいどこまで労働者をなめているのか!
 これらの攻撃に勝利する唯一のものが階級的労働運動であり、労働組合の団結の力なのだと思う。
 今回、初めてレーニンの「国家と革命」と労働組合の関連について考える契機を与えられたように思う。講義内容はまだまだ未消化だが、この問題について自分なりにもう少し突きつめていきたいと思う。

☆この大恐慌下に朝鮮半島から戦争が引き起こされ、米帝が世界戦争への決断を下した!今こそ“国家と革命”の出番である。
 山崎講師の話は昨年に続き2回目だが、今回はかなり鮮明になりました。特に暴力革命の必然性と、プロレタリア独裁についてです。
 国家が暴力装置であることは、日々の実感に裏打ちされながら、確認できました。菅政権の税制改革(悪)で労働者へのさらなる収奪、徹底拒否して闘う沖縄人民への新基地強要。“動的防衛的”という実質改憲で侵略戦争への労働者の強制動員、公務員制度改革での総人件費2割カット、首切り、非正規職化、外注化、民営化etc.の暴力の嵐!
 そしてこれを可能にしているのが連合など体制内労働組合だ。いやしくも“労働組合”の名を語りながら、政府に“法人税減税”を願い出るとは!資本家階級の走狗に成り下がって崩壊的危機の資本主義の延命をはかる裏切り者の暴力。数lと言われる一握りの資本家階級が圧倒的多数の労働者を暴力で支配し、搾取している“国家”という暴力装置を倒すには、暴力で闘うのは当然だし、そうしなければ負けてしまう。それに日本人の場合、軍隊は30万人、警察は25万人という!!やったー!労働者階級6000万の100万人が決起し、デモ、ゼネストやったら講師の言うとおり粉砕できる。すばらしい。私たちには力がある。職場を組織し、労働組合を甦らせよう!
 2つ目はプロ独について。ブルジョア暴力とちがってプロレタリア革命は権力奪取の後、プロレタリア独裁に移行しても、社会を根本からつくりかえる巨大な変革が必要だから、革命後もブルジョアジーの私有する生産手段を奪い、抵抗するブルジョアジーを抑圧する暴力が必要だとわかった。だから暴力革命は旧社会でブルジョアジーが私有していた生産手段を奪い返し、掌握するまで続く。これは息の長い闘いになる。帝国主義からの反革命もあるだろう。でも何かとても力がわいてきた。
 矛盾と破綻の教育現場だからこそ、国鉄闘争全国運動で労働組合を甦らせ、学校現場から仲間とともに子供と保護者とともに日本革命に決起するぞ!
 朝鮮侵略戦争阻止! 教え子を再び戦場に送るな! 教え子を待つ奴隷労働市場解体!

☆マルクス主義の国家論、革名論を労働運動(労働組合)の路線、問題として捉え返すために、レーニン『国家と革命』を読むという提起は非常に重要だと思いました。階級的労働運動の綱領的問題として「国家に対してどういう態度をとるのか」という問題があり、国家への幻想が一方であったら、階級的労働運動はできないという指摘は、まさにその通りだと思います(労農派的あるいは民同的な「階級的労働運動」の綱領的破産はこの点にきわめて鮮明に現れていると思います)。
 こうした観点から『国家と革命』を学び直すことは、非常に新鮮であるばかりでなく、すぐれて今日的意義を持つものと思います。4・9反革命は単なる「1047名闘争の終幕」ではなく、日本労働運動の階級的基盤を実体的に破壊し尽くすことを通じて、労働運動を国家のもとに総動員していくことをめざす歴史的な大攻撃(もう一つの戦争!)である。したがって朝鮮侵略戦争と道州制−公務員制度改革の全面的攻撃にうって出ようとする菅民主党政権のもとで、どんな小さな労働組合も「国家に対してどういう態度(立場)をとるのか」という問題と無縁ではいられない時代なのだと思います。個別資本との関係だけで、「非和解」とか「徹底対決」と言っているだけではだめで、むしろ国家・革命論を労働組合運動の中心問題として据え切らなくては、個別資本との関係でも一歩も前進しない時代だと思います。
 そういう観点からあらためて『国家と革命』をしっかりと学びなおし、「書かれざる第7章」の内容を理論的にも実践的にもわれわれが闘いの中で作り上げていくことが求められていると感じました。
☆今回の講義を受けて、「国家と革命」をどのような意識で読んでいくのかという観点が自分の中で180度変わった。以前までは「国家と革命」の学習をはじめ、レーニン主義の学習は革命党の指導部が献身的に学ぶものだと思っていた。しかし、今回の講義で「国家と革命」を、階級的労働運動を復権するために学ぶものだということを聞き、新鮮な気持ちになった。やはり労働者階級の解放は、労働者自身の事業であるということを実感した。
 今回の講義で「国家とは何か」「暴力とは何か」ということを学んだことも、ブルジョア的な「国家観」「暴力」論をうち破り、労働者に対して国家とは、労働者階級からの搾取機構であり、暴力装置だということを明らかにするものである点で、単に革命党の理論用にとどまらないことがわかった。
 さらにこのようなブルジョアイデオロギーを突破していくのは、学習会の場だけではなく、ストライキや団体交渉といった現実の闘いの中で身に付けていくものだということに、「国家と革命」の労働運動に適用されていく意義がわかった。

☆現在、国家と革命の問題は、ほとんどの労働者の中で意識にのぼっていると思う。菅をはじめとするブルジョア政治家どもに対する怒りとして、一方で「どうしたらこの世の中がよくなるのか?誰が政権を執るのがいいのか?」という模索的な意識として。だから「国家」「独裁」「暴力」「民主主義」といった言葉に関するブルジョアジーたちの得手勝手な強調や意味づけ=イデオロギーを引きはがして、労働者の言葉として再獲得することが本当に急務だと思います。
 だからこそ、労働組合が本当に重要だというのは講師の言うとおりです。「国家」や「革命」や「暴力」をめぐる討論も、それらの言葉の意味を資本との闘いの中で、体を通してつかんでいくことも、労働組合を通してこそできる!ということだと思います。
 この闘いが2011年、本当に急速に進むのではとワクワクしています。自分もまた、この闘いの中でプロレタリア独裁能力というやつを身につけていきたい。

☆ 数年前の私だったら「難しすぎる!」講義です。ブルジョアイデオロギーにまみれているので、もっとはっきり「国家」の本質をわかりやすく暴露してほしいです。
 国家という名の下に行われていることに、法律、議会、選挙……こういうある種のこの社会の当然の仕組みのウソ、そして国家のもっている暴力性、不当性をもっともっとこれでもかとえぐり出してほしいです。もっともっと「国家」に対する怒りを引き出してほしいです。
 そうすることで、「国家への幻想」を吹き飛ばし尽くしたい! 国家への幻想が木っ端みじんに吹き飛べば、経営の幻想なんかも吹き飛びます。
 そういう「国家」への激しい怒りが噴出する講義を望みます。
 今日の“ほほー”は、
*レーニン以外、社会主義者は革命に労働組合を位置づけてなかった。サンジカリスト(組合主義者……ですか?)もそうだった。
*国家による暴力の独占と住民の武装解除(→アメリカ人の銃問題ってなんだろうと思いますが……)
*「プロ独」って恐い言葉だと思っていたが、本質は単純で、ブルジョアの存在を許さないっていうことにすぎない。
*現実には警察数万vs労働者50万、100万のイメージ……愉快です。できるなあって思います。
 しかし、気になる指摘も……それは「革命成就、しかし労働者は未成熟だった」ロシア革命の現実です。結局、階級的労働運動をつくる過程でしか解決しない問題ですが、この大恐慌、戦争情勢下、間に合うのか!?
 それにしても日共よ!「暴力革命」を「強力革命」、「プロレタリア独裁」を「プロレタリア執権」、なんのこっちゃ!? 本当に労働者をなめきるのも大概にしていただきたい!

労働者学習センター事務局
千葉市中央区要町2−8 DC会館 電話 043-222-7207 FAX 043-224-7197

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