労働学校通信

第10期No.08


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労働学校通信 第8号 (2010.11.10発行)
がんばろう労働者!たたかおう労働組合!ひろげようインターナショナル

力を持っている
問われていることは何なのか。労働組合が、今の労働者自身に対する攻撃と、まったく闘えていないということが最大の問題です。
労働者自ら闘いをはじめれば、労働者は労働者の存在からして、こんなウソとペテンを見ぬく力を全部持っている。資本との闘いの中で、労働者にとって何が本当なのか、何がウソなのか、どこにペテンがあるのか、闘いをやっている労働者は理屈を抜きにしてそういうところに気づく力を持っている。
労働組合が、この体たらくで、この危機を政府といっしょになって、資本といっしょになって乗り切ろうと。労働者にとって、これしか進むべき道がないんじゃないかと。こういうふうにされていっちゃう。だから、ここをつくりかえて、僕らが力を持つということ。このことが決定的に大事だと思っています。
何で、全国運動ということを呼びかけたのか。この間の闘いのすべての経験と教訓から言ったら、僕らは小さな力かも分からないけれど、それをここから、一から始めるんだと。
背負って起つ
これは、逆に言うと良かったですよ。今までは動労千葉は、ずいぶん遠慮していました。国労中心じゃないですか、この闘争は。9百何十名が国労です。「それはおかしいよ」と、批判したり文句は言ったけど、だけど、それを押しのけて先頭に立つことは出来なかった。
だけど、ここで初めて、国鉄が分割・民営化されてから、20数年間たって、すべてを引き受けて、先頭に立てる条件が出来たと。
これからどれだけの労働者が、生きていけない状況になるのか、ということが目の前に迫っている。国鉄分割・民営化という問題に、結末を付けなければ、敵の側だって先に進めない。こういう力関係がまだまだ一応ある。
だったら、ここで何をやるのかと。この全国運動でもう一回、一から、全国から、本当に皆さんが、これからの労働運動を背負って起つ。職場、地域におけるオルグ団となって、この運動を軸にして、真っ向勝負しようと。これが11月集会、と考えればいいと思います。
(田中委員長あいさつから)

ひとりは万人のために 万人はひとりのために

交流の広場−闘いの輪(受講生の声)を随時発行しています

感想文紹介

☆パワーアップした森尾先生のアジテーションのような冒頭、胸が熱くなり、ぐっときました。
 私ははじめて森尾先生の講義を受けた時、今日ほど浜林氏の「社会革命の時期」論に対してちゃんと明確な怒りと反論を持ちませんでした。やっぱり職場で闘い、仲間ができ、職場で労働組合を本当に甦らせようという目的意識と苦闘(そう思えばそうなるというのではなく、現実、そうするために悩んだり、決断したり、進んだり、失敗したり、そうやってつくりあげていくすべての行動と思考……という意味です)があって、この「社会革命の時期」論への激しい怒りを持ったのだと思います。
 まず、何よりも職場で「共に闘おう!大変なこともたくさんあるが、闘えば勝てる時だ!あなたにはその力がある!」と必死に組織している隣の労働者に、この論を絶対にまかり通らせたくないと思う怒りです。彼や彼女がこれまでの秩序や人間関係をある意味壊すこともあるような職場闘争に立とうという決心や決断を浜林氏の「一時期論」は押しとどめる論だ!
 それに今日のレジュメのp2マルクスの「フォークト君」の一文「ブルジョア社会の経済構造の科学的認識を唯一の確実な理論的基礎として提示し、最後に何らかのユートピア的制度の実施が問題なのではなくて、われわれの目の前で行われている社会の歴史的変革過程への自覚的参加こそが問題 なのだ」というこの を組織していくという困難な闘いからの逃亡だという怒りです。
では、動労千葉が外注化と闘うのは、関生が大手ゼネコンと闘うのは、ギリシャなどヨーロッパの公務員攻撃や年金とりあげに対するストライキは「社会革命の時期」だから自然に起きたことなのか!?絶対ちがう!そこには何年がかりの組織化や家族の説得やなんだかんだりを乗り越えて、闘いを自分たちで組織してくるということの中で、つくられたものだ。この変革の主体を排除したところで、あたかもこうやって歴史の変革はなされるのだなどという論理は、変革の主体を変革の主体となろうと組織している私たちへの攻撃だと思いました。

☆まず冒頭の田中委員長のお話が非常に良かったです。動労千葉が国鉄闘争、1047名闘争の主導勢力として全国運動をもって登場した、そういうふうに宣言したということは、私たち自身が、かつて中野さんが「最強のオルグ団」と位置づけようとした「闘争団のひとりひとり」になるということです。もちろん、私たちがJRに解雇されたわけではありませんが、つまりは資本に対する怒りと非和解的闘いの先頭に立つということです。ものすごい意義を感じると共に、つきつけられた飛躍も大きいことを感じますが、本当にやり抜きたいと思いました。と同時に、「戦後最強の労働組合」になる可能性を持ちながら、闘争団を位置づけるどころか、彼らに「民営化は正しかった」とまで言わせた国労本部は本当に許せない!と怒りがこみ上げてきました。
 講義については、あらためて『共産党宣言』、重要と思いました。資本主義社会とは、歴史的な発展を経て生まれてきた社会(しかもものすごい暴力的な過程を通して)であり、ものすごく革命的な役割を果たしたが、今や人間社会発展の桎梏となっていること。それだけではなく、資本主義の誕生−発展−限界・没落の全過程の中で、新たな社会(共産主義)建設に条件をもつくり出すこと。これらのことは本当に労働者の生き方を決める問題だ!と思いました。要は隣の労働者に語らなくちゃいけない!という事です。
 質疑の中で、先生が「経済社会」という言葉を使っていましたが、どういう意味で使っていたのですか? あと、『宣言』では「階級闘争の歴史である」とは行っているが、これが革命となるか、共倒れとなって実際の社会変革は民訴区の異動が要因になるかは、その時の条件によっていろいろあると、ということなのかなと思いました。
 とにかく、生産諸力(生産力という言い方にはブルジョア的なものを感じます!)の発展は“武器”であって、その武器をとる人がいないと武器は武器たり得ないのだということ、“武器”を主体にすり替えるスターリン主義は本当に許しがたいと思いました。

☆冒頭、「こんなに『共産党宣言』が生きる時代はない」と言うのにまったく同感です。この激動の時代、革命のチャンスに生き、居合わせられる幸運を精一杯生かして闘いたいと思います。
 いつもながら160年前の宣言がまったく今の現実を見すえて我々に決起を促しているとしか思えない新鮮が衝撃です。資本主義社会の本質は誕生から少しも変わらず、凶暴性は激化し、最高潮の中100年に一度の世界大恐慌が世界中の労働者の反乱を呼び起こしています。まさに世界は革命情勢、教育労働者の間にも決起が始まっています。
 私の職場にも偽装請負や非正規職(45人の職場に12人の非正規!)化、成績・教務事務処理ソフトの統一化などの問題に労働者の怒りが噴出しています。しかし、講義の中にあった「議会制民主主義」のペテンの幻想をふりまく体制内組合にだまされている仲間もあり、こことの論争がまだ不十分でいるところです。
 やはり時代認識−我々は歴史上、何の時代に生きているのか? 我々は何者であるか?をまず徹底して議論して共通認識をかちとらなければと思っています。そこからマルクスの呼びかける“労働者の自己解放”に階級として決起していく。職場闘争を闘う中から仲間と共に自分たち自身の事業として社会の主人公となること、私の目標です。
 しかし過剰生産と過剰資本をコントロールできない資本家階級とは?!首切り、賃下げ、労働者を生きられないまで収奪したあげく、抵抗する労働運動を解体して大量殺戮で世界戦争まで起こしてもやむことのない「利潤追求」、これが唯一の原理とは!!人類の英知はこんなにも愚かで醜いものではない!これは打倒するしかないでしょう。日共の革命予想論(?!)じゃないけど、どこまでも私たち主体のあり方だ! 自らを鍛え仲間を信じ、この激動を勝ちぬこう。

☆資本主義が歴史上果たした役割の具体性に対して、その限界の側面がいまいち抽象的な感じがする。資本主義の特徴を上げられているが、その源泉が私的所有にあるのかどうか、今回の講義ではあいまいなままだ。
 資本主義になって飛躍的に生産力が伸びたが、搾取と疎外された労働を取り払ってしまって、生産性を維持、発展させられるのか? そもそも生産性を上げる必要があるのか? 石油が枯渇していく中ではむしろ縮小する方が望ましいのではないか?
 一方で、古代アテネ3万の市民が「平等に」哲学、芸術、科学、戦争をする時間を持つためには、大きな奴隷集団が労働をして支えなければならなかったという。「奴隷制が悪い」と言うには、生産性の発展を待たなければ非現実的な理想主義でしかなかっただろうということだ。
 今の世界人口を平等に維持し、混乱なく適正な規模に移行することができるんだろうか? プロレタリア革命後、資源の枯渇が明らかになって、生存のための戦争が起きるのではないかと危惧している。

☆レジュメの恐慌の中で「社会的疫病が発生する。すなわち過剰生産である」という部分がとても印象に残りました。過剰になったのなら、皆で分ければいい、休めばいいじゃないか、というのはもっともだと思います。一方で飢餓が起こっているのに、他方では過剰な生産のせいで恐慌、戦争、失業がおこる。本当にひどいと思います。

☆現在、世界大恐慌が発生し、プロレタリア階級はこのままでは生存することはできない。資本主義は資産諸力がブルジョア的諸関係にとって巨大になりすぎ、もう資本主義社会システムは限界に達している。プロレタリア階級は、対峙しているブルジョア階級を打倒しなければ、もはや生きていくこともできない。労働者階級が生産手段を所有し、責任をとって運営する世界を構築するために活動していきたいです。

☆今日の講義は難しかったと思います。それは多分、共産党宣言をまだ勉強していないからだと思います。今、地区の青年でやっている勉強会は「国家と革命」ですけど、これが終わったら共産党宣言の読み合わせをしたいです。
 資本は儲けのためにしか運動しない。資本のためのだけの判断をするために過剰生産になりますが、これを労働者が判断できるようになったら、コントロールできるし、リコールなんて激減すると思います。
 「現場を動かしているのは労働者だ」という誇りをまったく感じていない労働者がまだまだたくさんいるので、新しい出発点となる11月集会に向けて実践と組織、がんばります。

☆労働者は団結し資本に対する打倒をあらためて感じました。
自分は資本のために働いているわけではなく、労働者(自分)のために労働力を使うので、資本にいいように使われたくはないです。

☆講師の確信に満ちた口調が、とても力強く感じました。資本主義社会がブルジョアジーの独裁であることがよく理解できました。議会制民主主義のまやかし−圧倒的大多数の労働者階級がいまだかつて選挙で権力を握ったことがない−まさにその通りだと思いました。
 組合執行部などは「私たちの代表を議会に」などと選挙運動への動員をかけ、組合推薦の市長を担ぎ続けている。それによってある程度のものが取れているがゆえに公務員バッシング、全員解雇攻撃とたたかわない(たたかえない)し、それが大攻撃だと感じる感性すらマヒしている。
 封建社会における工業の発展と労働者階級の歴史的登場が資本主義社会を誕生させたように、命脈の尽きた資本主義社会における労働者階級の怒りと団結力と行動が真の民主主義と全人類の解放を実現することができる。
 日々の労働や人間関係や生活に疲れ切った精神にパワーをもらいました。がんばりましょう。

☆今生きている社会がどういう社会なのかを学ぶのに、160年前の文献を学習するってあらためてスゴイ!と思います。書棚にかざってある『共産党宣言』、キチンと読まなくちゃ。
 新しい社会を手に入れる可能性大の時代に生きていることに「よし!」と気合いを入れて、11月集会にむかっていきたいと思います。

☆労働者の生き方という題目で『共産党宣言』を学んだことに意義を感じた。これまで共産党宣言は何度か読んできたが、今回の講義で、今、共産党宣言を学び、とらえ返す事が重要だと思った。それは今回の労働者の生き方という題目が示しているように、「今この時代に労働者階級はどういう生き方をしていくべきか」「大恐慌の時代に労働を自身の力で、社会をひっくり返す」ということが鮮明になったからだった。やはり11月集会にむかって11月7日に労働者階級が何をしているのかで時代が変わるということを、今回の講義で思った。
 今回の講義の内容は非常に分かりやすくかつ深かったと思う。特に共産党宣言そのものが労働者自己解放の綱領であるということに新鮮さを感じた。1847年に共産主義者同盟が発足された当時に、パリやフランスに追放者同盟を母体としてできあがった職のない労働者が集まってくる現状が思い浮かべられたような気がする。共産党宣言の書かれた時代のことについてはよく分かっていないので、勉強する必要があると思うが、やはり当時の労働者が立ち上がっていくことを通じて書かれたもので、労働者の書であると分かった。

☆何回聞いても資本主義社会の成立の過程を思い起こすことは意義深いです。この血まみれ社会を本当にいよいよ終わらせることができる時代にいることにあらためて空気が入ります。
 すべては煎じ詰めれば自分と自分の隣にいる仲間の団結をどうつくるかに行きつくと思います。だから常に流動し変化し、いろいろな展開があります。しかし、それがこの『共産党宣言』に書かれているところにしっかりと碇を降ろしていることがあればいける!ということだと思います。

労働者学習センター事務局
千葉市中央区要町2−8 DC会館 電話 043-222-7207 FAX 043-224-7197

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