労働学校通信

第10期No.03


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労働学校通信 第3号 (2010.06.10発行)
がんばろう労働者!たたかおう労働組合!ひろげようインターナショナル

労働者の社会という「道」
今日は、「賃労働と資本」の2回目です。ぜひ、よく学んで欲しいと思います。今もあったように韓国から大事なお客さんを迎えて、この労働学校を開催できることを嬉しく思います。
「公認労務士」というふうに言われましたけれども、日本とちょっと制度が違って、お話を伺ったら労働弁護を引き受けると。だから「労務士兼労働弁護団」というような方々達で、これから民主労総の運動の前進にものすごい力を発揮してくれるみなさんです。
それで、いまこの双龍(サンヨン)の額をいただいたハンヒョクさんから前にもう一つ、額をいただきました。そこに書いてあったのは、「魯迅」の言葉です。
どういう額かというと、「地上には道は、はじめからあったわけではない。多くの人が歩くようになったときに、それが道になったのだ」と。
「道」をつくりだす
これは「故郷」という魯迅の散文の最後の言葉です。僕らがやろうとしていることは、まさにこれだと思います。僕らの前にはじめから道があるわけではないけれど、本当に労働者を団結させて多くの人たちが歩くようになったところに僕らの道ができる。
労働者の社会という、大きな道を作る仕事を僕らはしているだろうと思っています。その最後の言葉を、もうちょっと少し前から言うと、「希望というのは初めからもともとあるとも言えるし、ないとも言える。それは道のようなものだ」と。 
それで、地上にはじめから道があったわけではない、多くの人が歩くようになったときにそれが道になったのだと。
やはり、この大恐慌情勢の中でそういうことをつくり出す労働学校じゃなければいけないと思っています。今日は韓国、遠いところから来てくださったことに、もう一回お礼を申し上げて、拍手を送りましょう。
(田中委員長あいさつから)

ひとりは万人のために 万人はひとりのために

交流の広場−闘いの輪(受講生の声)を随時発行しています

感想文紹介

☆6・13が私たちの歴史的な挑戦としてあり、そこに向かって闘っている中で、今一度自分たちがやりたい労働運動とは何なのかということ、つまり原点が重要だと思った。賃金闘争では「トータルに労働者全体の食える賃金を要求することから始まる。そして労働者全体の・・分断や差別を許さず団結を強めていくことが軸」。一方で「労働者の貧困が資本家の繁栄の絶対的条件」など。
 あと、最も重要なことは、合理化に労働者、労働運動がどう立ち向かうかだ。資本の言う「合理性」「科学性」などは一見最もらしいが、それが資本によって利用されるやいなや、あくまでも利潤獲得の手段とされるがゆえに、必ず矛盾を内包する。また労働者をとことん犠牲にして合理化が行われるために、表向きの「進歩」などという言葉とはうらはらに、現場の怒りは蓄積していく。この怒りに依拠して闘いをまき起こし、資本の虚構を暴き出した動労千葉の反合・運転保安闘争に続き、拠点をつくらねばならない!
 「同一価値労働同一賃金」も重要だと思いました。自分の理解としては「価値」がつくことでより悪くなっていると思っていますが、そうなんですよね!
 田中委員長も講師の方も言っていたように、正しいことをいくら言っても展望も道も開かれない。多くの人が実践を始めたときに道は出来てくる。頑張りましょう!

☆賃労働と資本について(下)の私にとってのキーワードは「そんなに難しい話ではないんだ」ということでした。そもそも資本とは、労働者階級が働いてストックされた協働(共働)の富なんだということです。私たちは日々汗を流し、くやし涙を流し、しかし資本との闘いの中で本質的に人はみな根本的なところでは資本に対する怒りがあり、あふれ出しています。
 社会の主人公は自分なんだと、闘いの中で自分には力があるんだと目ざめて、ひとりひとりが革命に参加することで社会をひっくり返すことができるんだ!ということです。そして、そのひとりひとりが3人、4人集まれば、それはもう組合なのだと思います。
 6・13にむけて物販をもって地域の組合をかたっぱしから訪ねています。苦闘の連続でもありながら、先日は都立高校の現実を知りました。地域の中での組合と組合の連携など課題も見つかりはじめています。「階級的労働運動にとことんこだわることが現実的な獲得目標として、手を伸ばせばぐいっとつかめる」感触を実感しました。
 動労千葉労働運動を地域にこれでもかと広め体制内に食い込んで6・13に進撃しましょう!

☆“合理化”は職場のみならず、普段の生活内でもしばしみられる。家電の進歩は重労働であった家事を身体的に楽にしてくれた。だが、空いた時間に何もしないでいることは自分が許しても周りが許してくれず、その分また新たにやらなくてはならないことが増え、忙しさはかえって増してしまった。
 「むだを省く」・・・から始まるようだが、一昔前までは街に空き地は各所にあり、子供が入っても誰もとがめることはなく、そこで遊び、日々小さな冒険をしていたものだ。だが今は「立ち入り禁止」の札とともに鉄条網などで厳重に囲まれてしまっており、万が一入った場合には“不法侵入”などとして警察が飛んでくるようになり、子供なら親が呼び出されて厳重注意を受けることになってしまう。
 便利さと引き換えにいつの間にか失ってしまったもの、それは心の余裕と優しさではないか。職場に「できない人」がいたとしても、周りはその人をサポートすることによって自分も指導力を磨くことができるし、自分が移動して初心者となってしまった後も、そうやって育ててもらえる。が、今日では人数にもゆとりがないので「できない人」はすぐ消される方向にもってゆかれる。
 いろいろな人がいてあたりまえ、「みんな違ってみんないい」というあたたかい雰囲気は過去のものとなり、誰もが生きづらさにあえぐようなきつい世の中になりつつあることをひたすら憂いている。「昔は良かったなあ・・」と過去を懐かしむだけの人間にはなりたくない。今となっては天然記念物となりつつある人間の温かさをいつの世までも忘れずに、人間らしく私は生きてゆきたいと思う。

☆私の職場である学校給食センターは常に「赤字だから正職員の補充はできない」「金がないから機械器具、物品の購入はできない」と言われ続け、保守反動の市議会議員会派は、「ムリ、ムダ、ムラのない効率的な行政運営を」ゆえに「正職員をもっと減らして臨時職員を増やせ」と議場で声高に叫んでいます。
 2回の賃労働と資本の学習を通して、そうした資本のイデオロギーや合理化攻撃に打ちのめされる必要は全くないんだということがよく分かりました。
 もちろん、即座に「正職員を100人入れろ」だとか「新しい機械をすぐ買え」と要求できるはずはありませんが、現場の労働者がくさらないこと、負けないことが重要なんだ!と確信しました。
 先日、職場の給食部会の会議で「正職員を要求し続けるか、非常勤職員化を認めるか」という議論になったとき、リアルに臨時職員だけで給食センター維持できるかを問いかけたところ、全員が「ムリ」という答えでした。
 労働者は生き続けなければならない−断末魔の資本主義の下でも労働者は生き続けなければならないのです。何のために? 
革命をやるために・・・。親があまりの貧困ゆえに満足に食事すらさせられない家庭が増えています。児童虐待、ネグレクト、そうしたニュースを聞くたびに、学校給食こそ、労働者の子供を守る手段のひとつだと思います。だから安易な民営化で資本の食い物にしてはならないと思うのです。

☆1.「同一価値労働同一賃金」論について。“労働に価値などない”という指摘に目を開かれる思いがしました。“賃金の本質をごまかし、労働者を分断し、競争に駆り立てるもの”・・そのとおりだと思います。しかしながら・・少し疑問があります。
 地区で行っている「資本論学習会」で、「学歴による賃金(格差、差別)」「職種別賃金」ということを前提にした上で、「教育費」の多い、少ないを根拠に「学歴別賃金」は正当化されうるだろうか、という議論でした。これもまた“賃金の本質をごまかし、労働者を分断し”ようとするものでしょうか。たとえば労働者が乏しい生活費を削って、その子供を大学等に行かせて、その結果、子が親より高い賃金を得ることができた−というような例を考えると、多少の正当性はあるような気もするのですが・・・。
2.「今すぐ社会主義」について。生産力の発展、という意味ではそのとおりだと思いますが、労働者が社会を運営する力をそんなに早く獲得できるのでしょうか。資本家がこの社会を統治する能力を失っているのはハッキリしていると思いますが、労働者がその力を身につけるのも、かなり長い時間を必要とするように思います。
●今後の希望。今回は質疑討論がよかった。お互いに意見交換すると理解も深まるような気がします。

☆今回の講義では、前回の核心であった「賃金労働制は奴隷制度である」という確認から、労働者の団結論、反合闘争論、社会主義論を階級的労働運動の思想的核心として対置する見事な展開をしており、その立場から社民、スタを根底的に爆砕する痛快な内容であったと思います。空気入った!
 「賃労働はもっぱら労働者間の競争に基づく」からこそ、労働者の階級的団結の形成こそが資本主義の存立条件そのものを粉砕することを意味するのであるし、資本家階級との闘いの核心であるということが、あらためて重要であると確信しました。だからこそ労働者は一人の仲間を組織することにどこまでもこだわり、苦闘し、執念を燃やさなければならない。現場での団結!この厳しさから決して逃げないこと。
 賃金闘争についてはあらためて「賃金制度という奴隷制度の廃止」という目的意識性から位置づけられて、はじめて階級的団結に転化するものであると思いました。
 反合闘争論(合理化とは何か?ということも含めて)については、ある意味でどの部分が最も決定的な試金石(マルクス主義崩壊という面でも、労働運動の路線問題としても!!)をなすと思いました。協会派や日共の破産、裏切りを、資本の合理化攻撃に対する綱領的屈服という形で、きわめてハッキリとあらわれてくるし、動労千葉労働運動の歴史的勝利性は現場労働者の立場(絶対反対!)を組合として路線化し闘争化して、これを打ち破ったところに表されていると思いました。
 こうした展開を通じて、連合、協会、日共、カクマルの反労働者性も非常にハッキリさせることができました!
 社会主義社会論は以上の展開の全体を押さえることで、真に「労働者が主人公となり、すべてに責任をとりきる社会」として、豊かな内容で、しかも今すぐ実現し闘いとっていくべきものとして、リアルにつかむことができました。
 労働者に依拠するという立場に立つと、何でもできるような気がしてくる!ものすごい、可能性が見えてくる!これがマルクス主義の強さであると確信しました。ありがとうございました。

☆資本主義における賃金制度は賃金奴隷制度であるということから、自分たちが支配されていることがよくわかった。これは例えば、1つの会社だけが変わればいいものではなく、社会全体が変わらなければこの制度を崩すことはできない。団結することの重要性もよくわかった。
 私は医療従事者だが、目の前の患者さんのために、その日のうちにやった方がいい仕事がたくさんあり、“忙しいから”残業をしているが(それでも4時間残っても2時間分しか請求できていないということがほとんどだが)、そういう残業も資本家に搾取されているものなのか、よくわからなかった。→人員を増やせばいいのか・・・。1人あたりの仕事量が多すぎるということは、やっぱり搾取されているということですね。
 生活においては、とりあえず困らず生活していける状態にあると「資本家の手先」にいつの間にかなってしまいそうな気がして怖くなった。しかし、動労千葉の“現場の実感”を大切にして安全を守ること、社会で起こっている問題を自分の問題としてとらえることをやっていけたら良いと強く思った。
 今回、お話がとてもわかりやすく勉強になりました。そんなに金を持っていても人生幸せではないのに、少数の資本家は何故支配しようとするのか、それが一番わからない。

☆大変空気はいりました。燃えております。
 マイケル・ムーアへの記者の質問、「あなたは資本主義の悪口ばかり言いますが、資本主義にもいいところが少しはあるんじゃないですか?」。これに対してマイケル・ムーアが「あなたは奴隷制度に対してこの制度にもよいところが少しはあるんじゃないか、と言いますか?」と聞き返したというエピソード、おもしろいなって思いました。そして、今日の講義を聴いて「ただひとつ、こんな奴隷制度、階級社会を終わらせるための主体を、つまり我々労働者階級を生み出したことです」と資本主義のたった一つのいいところをこたえてやろうと思いました。ニヤリッ!
 それはさておき、今、職場の闘いの組織化で求められていることを考えながら、今の講義を聴きました。これまでは団結の核を守りぬくことが最大の闘いだったのですが、それに勝利し、この核が職場の闘いと団結の結集軸になるための闘いに今、必死に取り組んでいるからです。(もちろん、核をつくることと職場全体を組織することは一体の闘いで、どちらか一方だけで成立する闘いではないということは心得ております)
 考えたこと、@「会社あっての労働者」「経営あっての賃金」というウソを暴き、労働者に「この社会の構造・仕組み」を知らしめること。
 A具体的に目の前で起きている合理化攻撃の意図・本質をあばくことと一体で、この攻撃に対する労働者の率直な怒り、思い、くやしさを大切にして闘いにしていくこと。そういう思いをその仲間の原点としてくり返し確認していく組織のつくり方
 B競争や分断は、となりの労働者が敵に見えてしまったり、ついまかれそうになるけれども、競争や分断は、本当は労働者自身のクビを絞める、労働者を支配するための資本の攻撃であることをあばくと同時に、この攻撃が生む労働者の人間性を奪っていく本当にくやしい思い、ここを大切にして闘おうということだな。

労働者学習センター事務局
千葉市中央区要町2−8 DC会館 電話 043-222-7207 FAX 043-224-7197

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